「恥」について、明日具体的に書かせていただくことにして、
今日は、HSCにとって、そしてそうした分類に関わらず、
とても大切だと思うことを書かせてください。
元々不安感の強かった私ですが、
ちょうど13年ほど前、
日常生活をまともに送れない状態になったことがあります。
症状としては、毎晩のように真夜中に目が覚め、
押し寄せる不安感に眠ることができなくなりました。
いてもたってもいられず、
真夜中パジャマのまま裏庭をぐるぐるぐるぐる回り続け、
このまま発狂してしまう、そう思いました。
この不安感というのは、
何か具体的な原因があるといったものではないんですね。
例えば、昼間ハッピーに過ごし今日はいい日だったなあと眠りについても、
真夜中ばちりと目が覚め、不安感に呑み込まれていく。
しばらくして、睡眠不足と過労やストレスのためか、
メニエールのような「めまい」も始まりました。
このジェットコースターに乗っているようなめまいに、
不安感も一層高まります。
元々、遊園地の激しい乗り物は大の苦手で、
高校生の時に一度試して以来、
一生乗らないと心に決めたほどでしたから。
毎晩しっかり眠ることもできず、
幼い子を2人抱え、しかも妊娠中。
それでも、朝は毎日やってきます。
這うようにして、
2人の世話をしていたのを思い出します。
今振り返っても、とにかく一日一日終えられるのが、
奇跡のようでした。
半年ほどこうした状態が続きました。
そして少しずつ少しずつ、
真夜中押し寄せるこの「圧倒的な不安感」というものに、
どう対処したらいいかということが、
感覚的に分かるようになっていったんです。
それは、「ある感覚」にフォーカスしていくというもの。
この感覚を言葉で表すならば、
「温もり」というのが、私は一番近いと感じています。
「慈愛」という言葉でも、表されるかもしれません。
すると、圧倒的な不安感は、少しずつ少しずつ、溶けていきます。
今でも、真夜中突然ばちりと目が覚め、
あの「圧倒的な不安感」を感じることがあります。
それでも、今では、動揺することもありません。
どうしたらいいか、感覚的に身につけてきたからです。
自らを、「温もり」で包み込んでいく、
すると、しばらくして再びすやすやと眠りにつけます。
実は昨夜もそうだったので、
こうして記しておきたいと思っているわけです。
そこで、私が気にかけるのは、
子供達についてです。
不安感の強い子もいますから。
私のように、あの、それはそれは苦しい日々を、
通って欲しくないということ。
何とかして、あそこまで落ちてしまう前に、
手を打つことができないかということ。
今のところの答えは、
「温もり」で、日々包んでやるということです。
「温もり」に包まれた感覚を身につけるならば、
多分、あの圧倒的な不安感を前にしても、
溶かしていくことができると。
いずれ、親というのは、目の前から、そしてこの世から、いなくなります。
それでも、親から「温もり」に包まれた感覚は受け継がれ、
たとえ親がいなくとも、
自らを包み、そして、周りの人々を包むことができるようになっていく。
もし、不安感にさいなまれている人がいるとするならば、
まずは、自らを「温もり」で包み込んであげてください。
「大丈夫」なのだと、自らを抱きしめ、
「慈愛」で包み込んでやってください。
誰かを待つことなく、自分で自分を癒すことができるのです。
そうして、目の前の子供達を「温もり」で包み込むことも、
より自ずと、心の底から、できるようになっていきます。
日本では、なかなか、
ハグしたり、言葉で「I love you」と表すことに慣れてないかもしれませんが、
日常に、ちょこちょことそんな瞬間を取り入れてみるのも手です。
「型」を繰り返すうちに、する方も、より自然になっていきます。
子供達が、温もりに包まれますように!
昨日は、ワシントンDCでの桜まつりと、
サイエンス&エンジニア祭をのぞいてきました。
とても興味深かったです。
明日にでも、報告させてください!
今日はこちら日曜日、今からパンケーキを焼きます!
みなさん、新しい週、よい日々をお送りください!
「不安が高まると解離を起こして、心を麻痺させて鈍感さを表に出しながらやり過ごしていました」というの、私なりにとてもよく分かります。麻痺、鈍感さで心のかなりの奥まで覆い、かろうじて生きていたような時期もあります。
年を経るにつれ、敏感さを大切にしつつ鈍感さで表面のみを覆うようにする、ポイントを絞って敏感さを出すようにする、少しずつそうした術を身に着け、今では随分と楽になったのかな、そう感じています。