マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

「日本の教育は完璧主義のネガティブ面を引き出しやすい」というコメントに共感します、日本と米国の違い

2016年10月02日 | 完璧主義

日本と北米の教育環境を体験されたMさんという方が、

コメント欄でシェアしてくださった内容に、

「日本の授業形態とか、宿題のあり方や、評価の仕方がとても完璧主義のネガティブ面を引き出している感がある」

という言葉がありました。

 

例えば、Mさんがあげられているように、「きれいな文字を書けていても、一マス抜けていたら全て書き直し」などなど。

 

これは私自身も、何度か思ってきたことです。


「こうじゃないといけないっていう小さなことが授業や学校生活の中で多くて、それもあって肝心な勉強が頭にはいってこない気がします。」

というMさんの言葉、まさしく、と思います。

 

 

完璧主義傾向がありつつ、モータースキル面の発達がゆっくりの子や、書くことが苦手な子は、

「自分は勉強ができない」という誤った思いを募らせるかもしれません。

繊細で小さなミスにも敏感に反応する子は、

「型」を整えることだけでいっぱいいっぱいだったり、または「型」を整えることだけで満足するかもしれません。

興味好奇心の勢いが強くまずは手当たりしだい何でも試して探索したい子は、

好奇心が塞がれ、やる気が萎える一方かもしれません。

 

できる!  という気持ちや、考える力や、

好奇心ややる気というのは、

その子が開花していくための土台となるもの。

その土台が、すぽんと抜けてしまいます。

 

もちろん、こうした接し方でもすくすくと伸びていく子も多くいます。

それでもこうした方法&ペースしかないのならば、

伸びるチャンスを失ってしまう子もいるでしょう。

 

 

 

 

例えば、

私自身、ピアノレッスンなどを通して感じてきたことです。

 

以前日本の先生に教えていただいてました。

初歩的なレベルから、一曲一曲完璧にひくまで次の曲には移りません。

一拍子長く/短く伸ばしても、強弱が強すぎても弱すぎてもやり直しです。

最初に鍵盤に触れる仕草や鍵盤から指を離す仕草なども決められています。

最後の最後の音符をちょっと強く引きすぎた場合でも、

最後の最後まで完璧にひけた部分は考慮されることなく、

「ああ、だめねえ」と一言。先生の張り詰めた姿勢が終始伝わります。

 

ある程度ひけていても次の曲にはいけませんから、

つまらなくなってしまったり、

褒めまくりのアメリカ教育に慣れた子など、

先生の姿勢が合わず、辞めていく子も多かったです。

 

それでも、州のピアノ競技会では、

この先生の生徒さんがトップの座をずらりと占めています。

この方法で生き残るならば、

必ずといっていいほど「ある程度の成果」をあげていくわけです。

 

この先生がおっしゃっていたことがあります、

「感情の表現や素質的な感性が足りない子もね、技術でメッキをしていくのよ」

 

 

日本の教育を象徴しているようだなあと、よく思っていました。

楽しむ気持ちや、考える力や、好奇心ややる気も、技術でメッキしていく、

日本には、そんな傾向があるんじゃないかなと。

 

 

 

 

 

一方、アメリカの先生にピアノを習ったり、

最近ではバイオリンを習ってもいますが、

まあ、細かなところはいいから、とにかくいろんな曲をひいてみようか、といったスタンスがほとんど。

発表会の仕上がりも、「こ、これで発表会・・・」とちょっと心配になるほどだったりします。

 

でも気がついたのは、

中学生ぐらいになって学校のバンド・オーケストラの発表会などでも

即興演奏など生き生きとユニークに弾いていたりするような子は、

こちらの方法で育ってきたような子なんですね。

音楽大好き!と目を輝かせ、一生趣味として音楽を楽しんでいくんだろうなあと想像できます。

 

逆に、日本的な方法で練習を重ね、競技会などに出たりした子などでも、

大人になったら一切楽器に触りたがらないという方も知っています。

音楽をプロとして職業にしている方も知っていますが、

それは、親も音楽家だったりと、

一流のレベルで音楽を心から楽しむ余裕や機会があった場合や、

親がつきっきりで励まし二人三脚で歩むことのできる環境にあった子ですね。

 

 

 

 

また、こんな出来事も思い出します。

一年生のときの先生に、子供が書いたものを見せてもらったときのことです。

スペルのむちゃくちゃぶりにあきれて、「こ、これでいいんでしょうか?」

と聞いたことがあります。

 

先生はこう言いました。

「低学年の内は、スペルが間違っていても、

とにかく書きたいという気持ちを育てていくんですよ。

自分で発音して、文字を組み合わせることを続けていれば、

次第にスペルもまとまっていくようになりますから」と。

確かに、実際そうでしたね。

 

水泳のレッスンもまさしくです。

こちらでは、犬掻きだろうとなんだろうと、

まずは「自分は泳げる!」という気持ちを培っていきます。

手の伸ばし方とかバタ足の仕方とか「型」を整えていくのは、

後になってからなんです。日本とは逆ですね。

 

 

 


早いうちから完璧な「型」を求める「日本的な方法」では、

もともと万能にできるタイプや、

親がつきっきりで励まし完璧に曲を仕上げられるよう二人三脚で歩んでいけるような環境にある子は、

伸びていけるのだと思います。

 

それでも、凸凹があったり、強い癖があったり、

親もそれほど手をかけられないとなると、チャレンジングです。

ちなみに我が家はまさしくこのケース。

 

 

一方、完璧さはいいから、

とにかく意欲や「型」に近いものを培おうという「アメリカ的な方法」では、

大多数が「ある程度の成果」を出すことにはならないかもしれませんが、

それぞれが自主性ややる気にあふれ、それなりに人生を楽しめたり、

時に革新的で突出した人材を生み出すということが可能になるのでしょう。

 

 

 

 

その子その子で伸びる方法は違います。

 

その子の様子をみつつ、

両方のよさを取り入れた方法を用いていけるといいよなあ、そう思います。

 

日本的的方法、アメリカ的方法の凸凹面を分かりつつ、

家庭でできるフォローアップをしていく。

 

完璧主義のネガティブ面に拍車をかけるようなコメントや姿勢をひかえ、

できていることを認め励まし、

自分にも勉強ができる!   という気持ちや、考える力や、

好奇心ややる気を大切にしていく。

話し合いができるようならば、

先生と子供の性質や対応法についてシェアしてみる。

 

 

親自らリフレッシュすることを忘れず、

目の前のジョイを抱きつつ、

身近なところから、できる範囲でできることをしていきたいですね。

 

 

それではみなさん、よい日を!


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。