昨日の午後、学校から戻った娘の機嫌がよくありません。
数週間前に、所属していたサッカーチームが組織内のごたごたで解散し、
今日は、待ちに待った新しいチームの「トライアウト(レベル審査)」。
ところが、この同じ日に、
他のチームのトライアウトもあると、お友達から聞いてきたようです。
そして、そのお友達のチームの方が、知っているメンバーも多く、
より充実してみえ、ああ、こちらのチームにしておけばよかったー、
と後悔しているとのこと。
トライアウトですから、
まだどのチームに所属するといった手続きは何もしていないものの、
トライアウトに参加するには事前に申し込む必要があり、
あと2時間ほどすれば始まるそのお友達のチームのトライアウトに、
突然現れるというわけには、普通はいきません。
一足遅かった!、何でもっときちんと調べなかったんだろう・・・、
ぽろぽろと泣く娘。
次第に、ぽろぽろが、うわーんになり、うぎゃーになり。
いつも最悪なことが起こるんだから!
何もかもむちゃくちゃ!
全然いいことなんてない!
「これまでうまくいかなかったこと」が、津波のように押し寄せ、
一点のしみのせいで、全てが台無しになったかのような、
「極端な思考」に転げ落ちていきます。
普段、こうした一点のしみからネガティブ一色になる「極端な見方」が、
(「いつも」「何もかも」「全然~ない」という言葉を用いる)
どれほど自分を苦しめてしまうか、といったことを話し合っているので、
「ほら、極端パターン」とだけいうと、
少しはっとした表情をして、ベッドに突っ伏して泣く娘。
「そのチームに入りたいなら、
どうしたらできるか考え、動いていこう。
泣いててもね、何も変わらない」
と私。
「もう遅すぎる!できることなんてない!もうだめに決まってる!」
泣きじゃくる娘。
「そうかもしれないよ。
でもさ、できることをやりつくしてどうにもならかったら、
また好きなだけ泣けばいいじゃない。
ほら、あと2時間あるんだから、できることをしていこう」
涙をぬぐいしゃくりあげながら、
スマートフォンを取り出し、お友達にテキストを送り、
主催者側の連絡先を聞き始めます。
次にコンピュータのスクリーンに向かい、
お友達のいうチームのウェブサイトを探し当てると、
お友達から聞いたメールアドレスのみが「連絡先」として載せられているものの、
ウェブサイトのスケジュールなどを見ると、
トライアウトについてはどこにも書かれておらず、
どうもあまり活発に更新されていない様子。
「ウェブサイト、少し前のことしか載ってないし、
きっと、メール送ったって、いつ見てくれるか分かんないよ」
そうブツブツいいながら、
「トライアウトに参加したいです。よろしくお願いします」といった
内容のメールを娘が書き、送ります。
引き続き、何とか主催者側にコンタクトがとれないかと模索していると、
なんと、3分もしないうちに、返信が!
「トライアウトは今日の6時からですよ。
ペーパーワークはひとまずいいですから、
集合地に来てください」
とコーチ直々!
記された電話番号に、すぐに私が電話をかけ、
お礼をいいます。
あまりにもとんとん、
と話がすすんだことに、
涙で濡れた目で、ちょっときょとんとした様子の娘。
「ベッドで泣いてただけだったら、
こうはいかなかったね」
と肩をなでてやります。
以前に比べ、本当に、立ち直りや切り替えが
よりスムーズにできるようになったなあと思います。
2点、その効果を実感していること:
1.自らの「認知のゆがみ」に気づく
「全てだめ」ではなく、物事をよりフェアに眺めてみる姿勢。
「極端な思考」に落ちていく自分に気づいていきます。
普段「いいとき」に、極端に考えてしまうことが、
以下に自分自身を苦しくするかといった話し合いをしておくと、
最中にも、一言かけるだけで、はっと気づくことができます。
2.「今何ができる?」と自らに問う姿勢
思い通りにいかないことに、絶望してしゃがみこむ前に、
「じゃあ今どうしたらいいかな?」と問い、できることをしていく姿勢。
ただしゃがみこんでいるよりも、こうして「動く」ことで、
物事が好転していったという体験を積み重ねることで、
「あ、あのときもそうだった」と、より動きやすくなっていきます。
そう考えると、本当に、ひとつひとつの「爆発」が、
その後によりよくなっていくための、
チャンスなんですよね、
しみじみ思います。
子供の爆発のひとつひとつに、
よし、また「成長する機会」がやってきた、
ぐらいの気持ちで、向き合っていきましょう!