タガンログはウクライナの国境から50キロ、ロストフ・ナ・ドヌーまで66キロのロシアの都市です。
かつて作家のチェーホフが生まれ、19歳でモスクワ大学に入学するまで育った場所、、、前書いたことがありますね。
会誌のテーマは、父がボロネジからタガンログへやってきて大商人の所に奉公するところからはじまり、自分で店をもち、家族をもち(五男一女、チェーホフは三男)、破産。父は長男と次男のいるモスクワに逃げ出し、つぎつぎと家族がモスクワに去り、ギムナジウムに通っていた未来の作家チェーホフだけが残ります。仕送りもなく(逆に仕送りしてやっていた)ひとりで家庭教師をかけもちして3年間、ギムナジウム卒業とともにモスクワに去り、タガンログにはだれもいなくなるチェーホフ一家のことでした。
インターネットの時代、調べていると、その周辺のことに行き当たります。ついそちらに興味がいって、本題をそっちのけということが多くて、原稿がはかどらず、いつも締め切りぎりぎりで大慌てです。
今日、タガンログのスラム、海辺の漁師村ボグドニアを”発見”しました。https://worldroads.ru/bogudoniya
タガンログの旧市街(チェーホフが育った場所)はタガンログ湾に突き出している岬(ログ)につくられました。
つまり、町は湾の岸辺の崖上にあり、さらにチェーホフの時代、市街地をぬけた場所にある関門から後ろはすぐにどこまでもどこまでもつづく大草原でした。*
19世紀はじめにつくられた海辺に下りていく立派な「石の階段」は今も観光名所です。つまり泳ぐのも、魚をとるのも崖下です。そういえば、チェーホフは子供の頃海で何時間でも泳いでいて、水泳が大得意、そして釣り好きです。タガンログの公園に冬にはスケートリンクがつくられましたが、スケートも大得意でした。チェーホフは運動神経抜群だったにちがいありません。猟銃も乗馬もすぐに身につけました。
チェーホフの時代、タガンログでは魚の漁獲量がけっこうありました。漁師村はどこにあったのかが疑問でした。
今、その名残というのも変ですが、今もスラムで残っている漁師村ボグドニアという場所を、今日知りました。日本のタガンログ観光案内にはもちろん出てこないと思いますが、観光客が訪れるとネットにはあります。
今でも漁師が2,30人住んでいると、たしか、どこかにありました。本当?っていう感じですが・・・・これを見ると本当でしょうね。
一度、タガンログに行っておけばよかったです。でも、最近チェーホフのことでタガンログを知るまではあまり興味なかったんです。
しばらく、タガンログのことをやってみたいと思っています。