fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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NHK「歴史探訪」~エミシとアテルイ

2024年06月16日 | 日記
 先日、エミシが取り上げのられていました。

          
 アテルイでは、いきなり茨城にあるあの大きな首が登場。絵も残っていないので、ビジュアルの手がかりがあれしかないので、仕方ありません(もう一つ首があるのですが、ざんばら神の落ち武者のようなもの)。
 興味深かったのは、アテルイが大阪で処刑された後のこと。
 エミシを支配下に置いた朝廷は、力を分散させるため、全国にエミシを移住させます。それは知っていました。九州にも行っていたこと。
 でも一番多かったのは関東地方だったのは知りませんでした。
 そして、騎馬での戦いにすぐれたエミシの力を、板東武士は受け継いで、力をつけていったというのです。
 流鏑馬のほか、八的という、小さな的を馬に乗りながら射ていくというすごい技を披露してました。
 「アテルイ 坂上田村麻呂と交えたエミシの勇士」を書くため、乗馬体験もしましたが、乗るだけでも大変でした・・。走りながら弓を射るって、すごい体力、体幹、反射神経がなくてはできません。
 そうやって力をつけた武士が、安部氏が率いていたエミシの社会を再び攻め、平安時代に最も戦が多かったのは、東北地方だったのですね。
 
 ところで、NHKでも「蝦夷」と漢字にしていたのは、いただけません。
 尊皇攘夷の夷。野蛮な民という意味のある文字なのです。中国から伝わった思想です。
 当時、朝廷がエミシを野蛮な民と見下していたことで、つけられた文字なのです。