学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

学校教育の結果責任

2009-09-05 | 教育
学校教育は,
ある一定の内容を教えるということには責任を負っているが,
教えた結果,被教育者がどのように変容したかについては,
責任を負えないのではないか。

最近よく,学校の教育の結果に責任をもつようなことを
学校自らが表明するような場面によくでくわすのだが,
それははなはだ軽率な話ではないだろうか。

親でさえ,子供の人生の結果には責任を負えないのである。

人間を相手にしている場合は,他の職業でも同じことが言える。
例えば,
医者は最善の治療を行うという意味での責任は負っているが,
患者を必ず治癒させる責任があるとは言えないのではないか。

人間に対しては,製造物責任は適用できないのである。

そのことを深く考え直すべきである。

教師は,最善の教育を行うということに責任を負っているのであって,
教育の結果に対しては責任を負うことのできない存在なのである。

なぜならば,学力であれ素行であれ,
被教育者に生ずるさまざまな変容は,
よきにせよ,悪しきにせよ,
決して,ある教育の結果だとは言い切れないからである。

教師の仕事は,どこまでいっても
賽の河原の石積みの如きものである。

そのことを自覚していないと,
教師は道を誤ってしまうのではないか。