Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(53)

2013-09-25 00:30:00 | コラム
以前は1年に1度くらい、現在は2年に1度は帰省している。
年末年始や盆、GWなどを避け、まったく関係のない時期に帰る・・・っていうのはちがうな、法事や同窓会を第一理由にして帰省することが多い。

法事では礼服一式、同窓会では一張羅が必要であり、どっちにしろ「それなり」の荷物になる。
ひぃひぃいいながら鈍行に乗り込み、車窓から田園風景を眺めつつ想い出に浸ったりなんかする。

こんどの帰省は、中学の同窓会が開かれる来年2月。
もう40歳になっており、同窓会がほんとうに楽しくなっていくのはこれから、、、なのだろう。

誘われもしない呑み会にまで顔を出す自分は、同窓会の参加率100%である。
皆勤賞!
当時は友達が少なかったとか、いい想い出がなかったとか、あんまり関係ない。「いま」の自分が楽しめればそれでいいという考えなので、「ほぼ知らない」といっていいほかのクラスだった子と「はじめまして」なんていいながら酒を呑んだりしちゃったりなんかして。


映画で描かれる同窓会といえば・・・
米国では、ちょっと同窓会とはちがうかもしれないが、『ディア・ハンター』(78)、そして『ロミーとミッシェルの場合』(97)、
日本では『コキーユ 貝殻』(99…トップ画像)が印象に残る。

楽しい気分で鑑賞出来るのは『ロミー~』のみで、
『ディア・ハンター』も『コキーユ』も、観たあとの切なさといったらない。

同窓会って切ないことなのか―と解釈してしまうほどに。

でもそれはある意味で、正解のような気もする。
老いや死とは無縁ではいられないから。

自分の世代の同窓会でさえ、そういう問題に直面することがある。
22歳のときに開かれた同窓会ですでに事故死と病死による「参加不可」が居て、地元のこと「なーーーんにも」知らなかった自分は『同窓生の近況』に「逝去」と記されているのはジョークだと思ったのだった。

どういうことなのか、こっちは知りたい。
しかし地元に残る友人は、話したがらない。

「Aの逝去って、なに?」
「(苦笑)」
「あいつらしいジョークということ? だとしたら、ぜんぜん面白くないけど」
「ジョークではないけど・・・詳しいことは、幹事に聞いてみて」
「・・・・・」

「ねぇねぇ幹事さんよ、忙しいところごめんよ」
「ん?」
「Aの逝去って、なに?」
「・・・うん」
「・・・マジなの?」
「二次会、来る?」
「うん、参加するよ」
「じゃ、そのときに」
「・・・・・」


戦場で散ることはない現代日本において、それが事故であろうが病気であろうが自死であろうが、享年20~30歳前後っていうのは、不条理としか思えないものなぁ。

そういうところからドラマを掬い上げる―それが物語の世界の常だが、そう考えると同窓会を舞台にした映画は、まだまだ少ない。
「そこそこ」は存在するが、「おなか、いっぱい」というほどでもない。
個人的には、もっと観たい、、、ということ。


というわけで、今回の初体験テーマは「初めての同窓会」。

かつて取り上げた気もするが、それはあくまでも「同窓会そのもの」についてで、「初めて」という視点では書いたことがなかった(はず)。

大きな規模のものは20歳を過ぎてからだが、
高校に通っていたころ、いちどだけ中学の同窓会に誘われたことがある。それが「初めて」になるので、そのときのことを思い出すかぎり記してみたいと思う。

つづく。


※『ディア・ハンター』といえば、やっぱりこの曲でしょう




…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(54)』

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画小僧を自称したものは、死ぬまで映画小僧なんだな

2013-09-24 00:30:00 | コラム
もうかれこれ、10年ちかく映画館で映画を観ていない―という同世代の女子が居た。

短大時代は学校やバイトをサボって映画を観ていた、、、のに、
就職したらブラック企業というわけではないけれど仕事に追われ、休日も取れない日々が続く。
負けそうなとき上司に励まされ、それがきっかけで恋仲となる。
不倫だったが上司は妻と別れ、彼女と一緒になった。そうして子どもが出来て退職、育児もしんどかったが、やっと手がかからなくなってきたので映画愛が復活してきた、しかし10年以上も映画館に行っていないと、そう気軽に出かけられなくなってくる、

まっき~、あたしを映画に連れてって♪

と、お願いをされたのである。


「そういうもんかねぇ」
「なにが?」
「いや、出かけられなくなるっていうのがね」
「なんか、テレビ観てると、、、」
「うん?」
「シネコン主流になったし」
「うん」
「チケットカウンターで、どういって発券してもらえばいいのか分からないっていうか」
「オネイサン、親切だよ。質問に答えて、座席を選べばいい」
「そうかも、だけど、昔は“一般、1枚”で済んだわけでしょ」
「そうだね」
「しかも券1枚で、ずっと座っていられた」
「うん」
「まっき~、いってたじゃん。ほんとうは1日中、居たいのにって」
「いってたねぇ」
「なに? あたしと映画に行きたくないの?」
「(笑う)そうはいってないよ、もちろん連れていくけど、ポルノチックな映画だって、ひとりで行ってたお前が、変わるもんだなぁって」
「そういえば、そうだね」

この子には以前、「まっき~が煙草吸うひとじゃなかったらなぁ、告白していたかもしれない」なんていわれたことがあり、
ふたりで劇場に行ったらドキマギしてしまう、、、なんてことはないが、
こういう「リハビリ的」な映画鑑賞というのも珍しいので、彼女の映画愛が再燃するよう、こっちもそれなりの? 準備が必要なのだった。

自分はもちろん、彼女もどちらかというとビッグバジェットよりミニシアター系の映画を好む傾向にある。
あるが、10年前と現在では映画館の「ありよう」に変化が見られる―ということを実感してもらうためには、敢えてシネコンに連れて行ったほうがいいのかもしれないなぁ、、、と。


映画小僧が感じる、映画館の「ありよう」の変化。

壱、これはとてもいいことだが、以前に比べるとケータイの電源つけっ放しによる「着信音が鳴り響く」現象が減っている。
激減、といっていい。

弐、入れ替え制の劇場で「敢えて」居続ける場合、発券の時点で2回目3回目までのチケットも購入することになるが、シネコン初期のころは窓口のオネイサンが「そんな映画キチガイ、居るわけはない」と思い込んでいて、何度も何度もしつこく確認された・・・ものだが、最近は「そういう映画キチガイは、ある一定数存在する」ことが分かったみたいで、すんなりと発券してくれる。

参、エンド・クレジットが流れて「すぐに立つ」観客が減った。
これも激減、といっていいほどに。
せっかく映画を観にきているんだ、「我、先に」なんていう考えは捨てたほうがいい・・・とずっと前から思っていたが、なぜ減ったのかは分からない。

シネコンの功罪を記すつもりだったが、「功」ばかりだね、ナンダカンダいって。

さらに、こんな現象まで起きている。

四、米国の劇場のように、拍手や歓声が起こるようになった。
これはまだ、稀なこと、、、ではあるけれど。


で、彼女と観に行ったのは『エリジウム』である。

日本カルチャーが大好きな南アフリカ出身の監督、ニール・ブロムカンプによる2作目のSF大作だが、じつに面白かった。

映画だ、これぞ映画体験だ! って。


「どうよ? 楽しめた?」
「うん、めっちゃ楽しかった」
「映画館体験としては、どうよ?」
「うん、そっちも満足」
「これから、映画愛を再燃させそう?」
「、、、と思う」
「・・・あんまり自信はない?」
「そういうわけじゃないけど、やっぱり、」
「やっぱり?」
「ミニシアターのほうが、より楽しめるのかなぁって」
「分かるよ、それは」
「じゃあ今度は、ミニシアターに連れてって♪」
「あれ、また自分がお供するの?」
「イヤ?」
「じゃないけど。。。」


まぁ、ヒトヅマとの映画デートも悪くはないよね。





…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(53)』

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

灰皿の下に、なにかを敷きますか

2013-09-23 00:30:00 | コラム
取材に原稿起こし、執筆、ひとり呑みに、ひとりエッチ、ときどきふたり? エッチ、
執筆、呑み会、道場での練習、試写会での映画鑑賞、メーカーから送られてくるサンプルAVの鑑賞、ついでに、ひとりエッチ、
ひとり呑み、執筆、映画鑑賞、忘れたころにジョギング、呑み会、執筆、取材、原稿起こし、
浴室で散髪、ついでに、ひとりエッチ、
ときどきふたり? エッチ、ひとり呑み、映画鑑賞、ひとりエッチ・・・。

自分の1週間は、まぁだいたいこんな感じである。

呑み会以外は基本ひとりだが、好きな映画とAVに囲まれて、好きなチャリを乗り回して、そこそこ稼いでシコシコやってゴクゴク呑んで寝る。
幸福っちゃあ、幸福な人生だろう。

で、呑み会での話。
参加者のなかに非喫煙者が居れば、もちろん配慮は怠らない。
我慢して吸わないか、吸うときは席を移動するかしてから火をつける。

とはいえ、いってしまえば、喫煙者だらけのほうが遠慮も要らず気は楽で。

先日の呑み会は12人という中規模? のものだったが、現代では珍しく全員が喫煙者だった。
女子が8人も居たが、彼女らのなかにはライト系ではないPeaceやセブンスター愛飲者も居る・・・っていうところが「いまっぽい」なぁと思った。

会が始まって10分くらい経ったころ、女子Aが自分の無意識的な行動に対し、

「あー、やっぱりA型の神経質だね」
なんていう。

山盛りというわけでない吸殻が気になって店員さんに新しい灰皿と交換させたところが「キャバクラっぽい」、
そのあと、灰皿の下に数枚のティッシュを敷いたのが「A型神経質の典型」だと評したのである。

異論はない。
そのとおりだと思う。
そうすることが、気分いいわけでね。

「家でも、そうする?」
「うん、そう」
「ティッシュを敷くの?」
「ううん、専用のミニタオルみたいなのがある」
「へー!吸殻も、しょっちゅう捨てる?」
「というか、溜めない。灰皿のなかには、灰しか置かない」
「吸殻は?」
「吸い終わったら水で完全に消火したあと、ゴミ箱に捨てる」
「一本一本、そうするの?」
「うん、そう」
「へー! 友達とか来たときは、たいへんじゃない?」
「そのときはべつ、みんなが帰ってから徹底的に掃除するだけ」
「切り替えは出来るんだ?」
「というか、自分だけの問題なのよ。自分の周りだけがそういう状態であれば満足、2m先が汚くても気にならないというね、なかなか都合のいい性格なわけ」
「へー!」

灰をポンと落とすとき、細心の注意を払っていても、灰が灰皿の外に飛びがちである。

便座からはみ出る小便と同じ感覚で、自分、それがイヤなのだ。
それが好きというひとも居ないだろうが、美学としてそれだけは守りたい。

守りたいが、どうしたって出てしまう。
出るのは仕方ないとして、そのみっともないヨゴレを少しでもひどく見せないために―という意識が働いて、なにかを敷くのである。
他者までそうする必要はないが、自分だけはそうしたい。
そうすることによって、お開きまでゴキゲンに呑めるぜと。

同じ感じで、灰皿の下になにかを敷くひと、いままでに5~6人出会ったかな。

割合としては少ないのだろうが、自分だけではないことに、なんとなくホッとするのであった。


さて、本テーマからは少し逸れるが・・・
町田駅前に煙草の専門店がある。
自分もときどき利用するのだが、10時の開店からひっきりなしに客の出入りがあって、店員さんモノスゴ忙しそう。
大袈裟ではなく、町田で煙草を売っているのはここだけなのか? と思うほど客が途切れない。

重いものを運んだりする仕事ではないため、体力的には楽なほうなんじゃないか―などと思っちゃったりもするが、気が休まりそうもないので、これはこれでたいへんな仕事なのかもしれない。

そーとー儲けているな、、、と。

こういう光景を見てしまうと、喫煙者が激減しているという調査に実感を持てなくなってくる。

町田には、敢えて書くが、煙草なんか吸う質の悪い笑 人間が固まっているのか、
だから全国的に見ればやはり減っているのか、そこらへんのとこがよく分からないのだが、 
厚労省に聞けばいいのかね、そうした疑問は。


※へぇ! 大塚寧々もCMに出ていたんだっけか。




…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『映画小僧を自称したものは、死ぬまで映画小僧なんだな』

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒く、塗りたかった。

2013-09-22 05:19:13 | コラム
マスをかくこと、モノを書くことは得意だが、
モノを描くことは・・・まぁ、苦手ということはないが、けっして得意ではない。
よくいうでしょ、鉛筆の時点では「まあまあ巧い」のに、絵の具に手を出すと途端に下手になるっていう、自分はそんなタイプだ。

いやその前に、マスかきが得意ってのはなんだ。
回数を指してのことか、あるいは技術なのか。

回数ね、回数。

興味ない?
悪かったな。


で、絵を描くことについて。

先日のこと―。
泥酔状態でCSのTBSチャンネルを観ていたら、『金八先生』の再放送が流れていた。
第8シリーズ、忽那汐里が帰国子女役で出たやつね。

その回のメインテーマは、内気な優等生が美術の課題(写生)を他者に描いてもらい提出、
美術教師と金八先生は「彼が描いたものではない」ことを見破るが、
彼の両親は彼が描いたことを信じて疑わず、なぜこれが代表に選ばれないのかと学校に抗議する―というもの。

課題作文の「代行」を請け負っていたこともある自分、「あぁ、分かる分かる」なんて呟きながら観ていたが、思い出したことがもうひとつ。

小学3年のころだったか、
学校ではなく市が企画する写生コンクールみたいなのがあって、当時は「漫画家になりたいなぁ、、、なんつって」と、自信はないが「絵を描くこと」に興味はあった自分はこれに参加した。

市役所ちかくの運動場を写生した、、、と記憶する。
参加特典として弁当くらい出たはずだが、自分以外に参加したクラスメイトは居なかった・・・からだろうか、
「ひとりでできるもん」と思ったのに、父親が同伴した。


「景色や事物のありさまを見たままに写し取ること」が写生であるから当然のことだが、
観客席の椅子の感じやグラウンドの白線などを正確にチマチマチマチマ描いていると、散歩しているはずの父親が何度も自分の絵を覗き、

「そんな、ひとつひとつを正確に描いてもしょうがないんだから」
とか、
「もっと大胆に、太い線一本で仕上げちゃっていいんだよ」
とか、
いろいろうるさくいってくる。

10分に1度くらいの頻度だったかなぁ、
巧く描けていると思っていたものだったから、軽くショックを受けた。

そして、こう思った。
あれ、うちのとーちゃん、そういうこといってくるひとだったかな・・・と。

あらゆる面で放任主義だったはずだから、ふだんはそんなこといわない。きっと、早く帰りたかったんだろう。
同伴を頼んだわけでもないのに、
しかしアレコレいわれ続けるのもかなわん、
もう少し自分というものを「持って」いたら自分流を貫いたろうが、そこまでの反骨心もない、だからイヤだったが、父親のいうとおり大雑把に仕上げた。

写実のつもりが、大袈裟ではなく抽象画に見えた。
しかし父親はそれを見て、「うん、いいんじゃないか」などといった。

マジか?


自分で描いたのに、自分の絵には思えなかった。
黒く、塗りたかった。塗りつぶしたかった。

そして、このことがきっかけで、しばらくのあいだ父親のことが嫌いになった。
自分を貫けなかった自分自身のことも嫌いになった。


絵や音楽、文章だってそうだが、究極的には自分だけのもので、好き勝手に仕上げればいい。
「てにおは」だって習う必要はない、繰り返すが究極的にはね。
それが商品である場合にかぎっては、いろいろなひとの意見を聞く必要があるけれど。

子どものうちは、そんなこと考えないほうがいい。
好き勝手をやらせた結果、とんでもないものが生まれる可能性だってあるわけで。


『金八先生』では後半、彼の両親が教育委員会に訴えるなどと吠えていて、そんな親居るのかなぁ、、、なんて思って観ていたが、
成績や親なんかがからむと、面白くてスリリングなはずの表現行為は途端に退屈なものになってしまう。


世の親御さんたち。
主要科目には口挟んでいいかも・・・だけど、正解がひとつでないものは、その子の導き出した答えを最優先にしてあげてくださいね。

家庭持ってないヤツだから説得力はないかもしれないが、その代わり、似非とはいえモノカキだからね、そこで少々の説得力は生まれるんじゃないかな。


※トップ画像は、スコセッシ×コッポラ×アレンによるオムニバス『ニューヨーク・ストーリー』(89)から、
スコセッシ担当の第1話『ライフレッスン』より、その撮影現場を。
左がスコセッシ、右は主役の画家を演じるニック・ノルティ。

※動画は、『ライフレッスン』のダイジェストをストーンズの名曲で。




…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『灰皿の下に、なにかを敷きますか』

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

にっぽん男優列伝(205)宝田明

2013-09-21 03:04:14 | コラム
34年4月29日生まれ・現在79歳。
朝鮮生まれ。

公式サイト

自分が高校生のころだったか、フジテレビが深夜に『アメリカの夜』という「映画的」教養番組を放送していました。

トリュフォーによる同名映画(73)をタイトルにしたこの番組は、
映画の自主制作に青春を捧げる少年少女、
さらにいえば、俳優よりも裏方さんに興味を抱いた映画小僧たちを対象にしており、
なんというか、その間口の狭さがいかにも深夜放送ですけれど、とても野心的で意義のあることだと思います。

撮影技法であるパンフォーカス、レンブラントライト、
編集技法であるモンタージュなどを分かり易く解説し、このとおり自主映画を撮ってみたという同世代の映画小僧も居るんじゃないでしょうか、

この番組のナビゲーターをしていたのが、宝田明(たからだ・あきら)さん。

ですから自分のなかでは、宝田さんといえば『ゴジラ』(54)のひとであり、『アメリカの夜』の楽しいオッサンである―そんな印象です。

かつては、歌って踊れる二枚目。
中国語・英語を話し、しかもユーモアセンスまであって。

モテたでしょうねぇ、まもなく80歳になる現在でもモテそうだけど。


現時点で、映画のキャリアは200本以上。
どの作品の動画を貼ろうか迷いましたが、変化球でこれを。

単純に楽しめたし、浜美枝が美しいので。




<経歴>

父親の仕事の関係で幼少期をハルピンで過ごす。(終戦後に引き揚げ)

高校卒業後、東宝ニューフェイス第6期生に合格。
同期には、のちに日活に移籍する岡田眞澄が居ました。

54年、東宝が満を持して放った・・・とはいえ、その「満、持し」感をはるかに凌駕する支持を集めた『ゴジラ』で主演デビューを飾る。
本多猪四郎の演出、円谷英二の特撮、伊福部昭のスコア―という具合に技術面で論じられることの多い映画ですが、宝田さんはもちろん、志村喬や河内桃子、平田昭彦など俳優陣も皆が好演しています。

ともあれ。
無名だった若者が「大当たり」映画に主演したわけですから、宝田さんは本人の魅力だけでなく「ツキ」のようなものも持っていたのかもしれません。

『獣人雪男』(55)、『美貌の都』(57)、
2度目の映画化となる『青い山脈』(57)で校医・沼田を演じる。

この沼田役、歴代俳優を並べてみると面白いです。
初代は龍崎一郎、3代目は二谷英明、4代目は村野武範、5代目は舘ひろし、、、ですよ。

ねぇ、なんか面白いですよね。

『暗黒街の顔役』(59)、『山のかなたに』(60)、『第三波止場の決闘』(60)、『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』(60)、『世界大戦争』(61)。

意外なのが、小津の『小早川家の秋』(61)に出演していること。
秋子(原節子)の同僚という、あまり大きな役ではありませんが、「小津的」映像と宝田さんが(あくまでも個人的に)結びつかなかったのですね、
実際に本編を観てみると、とても自然な感じに収まって? いたのですけれど。

なぜ宝田さんが小津映画に出ると違和感を覚えるのか―それは小津が松竹のひとで、宝田さんが東宝のひとだったから、、、それだけの理由のようです。
そう、『小早川家の秋』は小津が「唯一」東宝で撮った作品なのでした。

『私と私』(62)、
『香港の星』(62)など、アジア圏を対象とした合作映画にも数多く出演(=『ホノルル・東京・香港』、『最長的一夜』など)し、
ときどき原点に立ち返って? 『モスラ対ゴジラ』(64)、『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(66)などで力演しファンを喜ばせました。

日本映画の斜陽期が訪れた70年代はテレビや舞台に活動の場を移し、
また、後進を育てようとミュージカル俳優を養成する学校などを設立。

90年代以降の映画出演作に・・・
『あげまん』(90)や『ミンボーの女』(92)、『マルタイの女』(97)などの伊丹作品、
『ゴジラVSモスラ』(92)、『ゴジラ FINAL WARS』(2004)などの原点作品、
北野武の『監督・ばんざい!』(2007)などがあります。

そして最新作は、来年公開予定の米映画『Godzilla』。
カメオ出演だそうですが・・・その前にハリウッドさん、こんどのゴジラは「大丈夫」でしょうね?


次回のにっぽん男優列伝は、田口トモロヲさんから。

…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『黒く、塗りたかった。』

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする