Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(511)

2024-08-26 03:34:54 | コラム
ふぉー「る」→「る」ぱーとぱぷきん

秋の目玉映画のひとつとされているのが、『ジョーカー』(2019)の続編『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』。


日本では10月11日に公開、
ホアキンの相手役がレディー・ガガということで、話題性も抜群。
聞き慣れぬ副題「フォリ・ア・ドゥ」(フランス語)とは「Aの妄想がBに感染し、複数が同じ妄想を共有する“精神障害”」なんだそうだ。



前作『ジョーカー』は、映画好きなら誰もが「スコセッシ・オマージュ」に溢れた作品、いやもっといえば「スコセッシ・オマージュ」が過ぎた作品、、、だと感じたことでしょう。

冒頭のタイトル表示からしてそうだし、内容も映像の質感もそう。
主な対象作品はもちろん『タクシードライバー』(76)、そして『キング・オブ・コメディ』(82)だった。

前者ほど知られていない後者ではあるものの、この映画を推すひとも多い。
どっちも極端といえば極端ではあるが、後者の主人公のほうが「まだ、分かる」ところがある。そういうことかもしれない。

前者の主人公はトラビス・ビックル、後者はルパート・パプキンという。
双方とも苗字が「ちょっと、かわいい」と感じてしまうのは日本の感覚なのかな?

それはともかくパプキンは自分のコメディアンとしての才能を疑わず、

世に出ることが出来ていないのは「単に運が悪いだけ、機会が訪れないだけ」と考える男で、その機会を「自ら作り出そう」として、人気コメディアンのジェリー(演じるは、ジェリー・ルイス!)を誘拐してしまう。

・・・って、ねぇ、どこまで似た構造にしちゃってんだよ『ジョーカー』は!って思いますでしょう。

いや好きですよ『ジョーカー』、自分はね。
でも「似た構造にし過ぎちゃっている」それと「絶対悪に、障害という理由を与えてしまった」がために、『ジョーカー』を認めないという向きも沢山居るのです。

うん、その気持ちも分かる。
やっぱりクリストファー・ノーランのせいもあると思うけど(^^;) ジョーカーに十字架を背負せ「必要以上に暗くしてしまった」ところがあって。
ジャック・ニコルソンのジョーカーが痛快なのは、彼が絶対悪だったから!なのだもの。


トラビスとルパートのキャラクター造形は、その後の映画に与えた影響が大きい。
大き過ぎるといっていいでしょう。
40年も経過しているというのに!!

スコセッシ信者の自分は、信者というだけで、なんか誇らしく思ったりもしているのだけれどね^^




あすのしりとりは・・・
るばーとぱぷ「きん」→「きん」じし。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(512)』
コメント
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