Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

怒れる牡牛の物語

2013-11-07 00:30:00 | コラム
第17部「フランシス・フォード・コッポラの物語」~第2章~

前回のあらすじ


「演劇で大学院に進もうと考えていたんだけど、ある日、エイゼンシュタインの映画を観て考えを変えた。それで進路をUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に変えて、映画作家になろうと思ったんだ」
「小さな映画のほうが、大きなアイデアに満ちている、大きな映画ほどアイデアは小さくなる」(フランシス・フォード・コッポラ)

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「午前十時の映画祭」で、『ゴッドファーザー』の第1作目と2作目を(週またぎだが)連続して鑑賞した。

好評を受け毎年開催されているこの企画のなかでも、『ローマの休日』(53)に次ぐ人気なのでは―と思えるほどの入りだった。

この映画を最初に観たのはスクリーンではなく、ブラウン管だった。
お年玉を貯めてちかくのレンタルショップに行き、廉価版のビデオ(2巻組で5000円)を購入。
その晩に居間で観ていると父もやってきて、馬の首のシーンで、ふたりが同時に声をあげたんだっけか、、、なんていう想い出がある。

その2年後、完結篇とされる第3作目(90)が日本に上陸する。

偉大過ぎる前2作という比較対象があってのことか、酷評が目立った。
もっといえば、褒めているひとは誰も居なかった。
居なかったにもかかわらずオスカーの作品賞にノミネートされたのは、「コッポラへの功労賞的意味合いが強い」なんて分析する識者も居た。

筆者も失望したひとりだが、失敗した原因のすべてがソフィア・コッポラの演技であるかのような風潮はちがうと思った。
ソフィアのキャラクターは当初、ウィノナ・ライダーが演じるはずだった。
ウィノナの病気降板による代打としてコッポラの愛娘ソフィアが抜擢されたのだが、荷が重かったのは確かだろう、演技だって褒められたものではないと思う、
しかしウィノナがそのまま演じていたとしても、この脚本のままでは失敗作に終わっていた可能性が高かったのではないか。

ないか―とは記したものの、コッポラ・ブランドや前2作を(無理な話だが)可能なかぎり「考えないようにして」観てみると、そこまでひどい映画ではないという感想を抱く。

つまり完結篇を観て思うのは、いかに前2作が「とんでもない出来だったのか」ということなのだった。

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「午前十時の映画祭」で『ゴッドファーザー』を観た観客の内訳は、おおよそだが・・・

20代以下…1割
20代…1割
30代…2割
40代…3割
50代…2割
60代…1割

40~50代はリアルタイム、しかも青春期に観ていた世代である、「あの感動をもういちど」みたいな感覚があったのかもしれない、
しかし20代が少なくて寂しい。学校や会社に居る時間帯だからしょうがないのかもしれないが、サボってでも観る価値があると思う。

そこで、鑑賞後に筆者より下の世代と思われる観客数人に声をかけてみた。

―なぜ新作映画ではなく、この映画を選んだのか

「親に薦められた。最近の映画だけじゃなく、こういうのも観ろよって」(21歳男子)
「何度もDVDで観ている。ぜひ、スクリーンで観たかった」(26歳女子)

―観た感想は?

「もっとドンパチがあると思っていたので、想像以上におとなしい映画だった。でも興奮した。ラストシーンがよかった」(19歳男子)
「テレビで観ていたはずだが、初めて観る感じだった。来てよかった」(22歳男子)

―「午前十時の映画祭」で映画を観るのは何回目?

この質問に関しては、皆が同じ答え。「初めて」なんだそうである。


なるほど、「これだけは観ておこう」というクラシックとしての価値は不動なのだろう。

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ただ、これはあくまでも私見だが、コッポラという映画監督は『ゴッドファーザー』以外で論じるほうが面白い。


(1)じつはロジャー・コーマンの弟子
(2)失敗作と解釈されていながら、それでも高評価を受ける『地獄の黙示録』の不思議
(3)80年代以降の迷走と破産
(4)ソフィアとの関係

このあたり、酒さえ入れれば10時間でも20時間でも話すことが出来る。


先月―コッポラはソフィアとともに久し振りに来日を果たした。

取材者として会えたことは会えたのだが、上記項目について話す時間も勇気もなかった。

ただ、穏やかに過ぎて拍子抜けしたところはある。
イメージとしては、キューブリックほどの気難しさはないが、オーソン・ウェルズにちかい威圧感があるのではないか・・・そんな風に思っていたのだが。

インタビューに答えるソフィアを遠くから眺め、ニコニコしている。
ワイン事業が成功し、経済的にも安定しているから、、、なのだろうか。

怪物・狂人だったはずが、ニコニコじいちゃんに。
悪いことではない、これはこれで愉快だが、まずは「小さな怪物」だったキャリア初期のころを覗いてみよう。

「ハダカとバイオレンスを忘れるな」―が口癖だったロジャー・コーマンは、その教えさえ守ればどんな映画のプロデュースも買って出た。
スコセッシ、ジェームズ・キャメロン、ジョナサン・デミ、モンテ・ヘルマン、そしてコッポラは、そんな風にしてコーマン学校で映画術を学んだ。

コッポラのためにコーマンが用意したのは、旧ソ連映画を改変したSF『燃える惑星』の脚本。
日本未公開(ゆえに、筆者は未見。ただしDVDは発売)のこの映画は60年に制作され、これがコッポラの実質的なデビュー作である。

その翌年に制作されたのが『グラマー西部を荒らす』(61)で、これは筆者も観た。
協力はあったようだが、制作にコーマンのクレジットはない。ない代わりに、すでに父親のカーマインが音楽を担当しているところに注目。
しかもこれは、ジャンルでいうとセクシードラマにあたる。

サボテンと美女のハダカ―くだらないといえばそれまでだが、これがコッポラ・ブランドの力というものか、たいしたことも起こらないのに最後まで見入ってしまうのであった。

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つづく。

次回は、12月上旬を予定。

※『ゴッドファーザー』談義…奥の女子は、武田梨奈だ!




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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

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明日のコラムは・・・

『発見のよろこび』

コメント (2)
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