古河城(こがじょう)は、現在の茨城県古河市の渡良瀬川東岸にあった城。
室町時代には、古河御陣とも呼ばれ、北朝足利氏の拠点の一つであった。古河公方の本拠となった時期については古河御所(こがごしょ)の呼称も用いられる。なお、古河御所の呼称については、古河鴻巣の古河公方館も御所と呼ばれるため、あいまいさに注意。
豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼした後、 徳川家康に従って関東に入った小笠原秀政が1590年 に入部し、古河城の修復・拡張を行った。以後、江戸時代には古河藩の藩庁がおかれ、歴代藩主の居城となった。また、古河公方時代とは逆に、東北方面をにらみ、江戸防衛の一端を担った。
城主は幕府の要職を務めることが多く、大老の土井利勝ん・堀田正俊、老中の永井尚政・松平信之・本多忠良・を数える。
城下には、日光街道の本陣がおかれ宿場町が発達するとともに、渡良瀬川による河川水運も発達して、交通・物流の要所となった。 徳川将軍による日光社参では、岩槻城・古河城・宇都宮城に宿泊した後、日光に入ることを恒例とし、将軍の宿城の一つとして重視された。
また、古河城は度重なる渡良瀬川の洪水に悩まされていたため、他には例を見ない洪水対策マニュアルもあった。
人口3865人、家数1105軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠31軒
足利成氏が鎌倉より移り来て小川の地名を古河に改めた(1455年)
古河城は無く、城跡には歴史博物館や文学館がある
古河---松原町---野木宿迄 2.5kmの道程である。
法音寺の芭蕉の句碑
1月に咲いている花「花麒麟(はなきりん)」
・アフリカのマダガスカル島原産。大正初期に渡来。
・葉の基部にいっぱい鋭いとげがある(痛い)。
・春から秋にかけてピンク色の花が咲く。
園芸品種が多い。花色も豊富。
・サボテンの「モクキリン」というのに姿が似ていて
1年中よく花を咲かせることから
「花キリン」の名になった。
また、「~キリン」の名は「ユーフォルビア属」の
植物に多くつけられた和名であり、
この花キリンもその一つ。
・別名 「キスミークイック」
・12/12の誕生花
・花言葉は「自立、独立」
(季節の花300より)