「越ヶ谷」は「越(腰)の谷」の意で、「こし」は「山地や丘陵地の麓付近」の意、「谷」は「低地」の意であると思われる。つまり、「大宮台地の麓にある低地」を指す地名であると推測される。
「越谷」の地名は、1954年、合併により越谷町が成立した際に、合併前の越ケ谷町と区別するために「ヶ」を取って「越谷町」としたことに由来する。したがって、旧越ヶ谷町にあたる越谷市の中央部の地名は、現在「越谷市越ヶ谷」であり、それ以外の「こしがや」が付く地名は、越谷町成立以降に出来た地名なので、「南越谷」「北越谷」「東越谷」などのように「ヶ」が入らない。同様の理由で、「越ヶ谷高等学校」には「ヶ」が入り、「越谷北高等学校」「越谷南高等学校」などには「ヶ」が入らない。
人口4603人、家数1005軒、本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠52軒
街道筋であったことを解説するものが一切ないのはもったいないと思うのだが
春日部宿まで10.8KMである。
越谷宿の町並
春の七草「すずしろ」
いわゆる「大根(だいこん)」です。
「すずしろ」は大根の昔の呼び名。
・「清白」とも書く。
・花は白か、うすピンク色。
・中央アジアまたは地中海地方が原産地。
中国経由で日本に渡来。
「古事記」には「大根(おおね)」と
いう名で出てくる。
・「沢庵(たくあん)」は、
干したダイコンを漬物にしたもの。
(季節の花300より)