季節の花と言葉の花束

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日光・奥州街道(徳次郎宿)

2008-01-30 07:06:05 | インポート

江戸時代初期の1622年には、徳川家康の腹心であった本多正純が宇都宮藩15万5千石で入城して城下町を含め中世宇都宮城を大改築し、周囲14km、高い土塁(一部石垣)と濠、土塁上には8つの櫓を備える近世平城(輪郭梯郭複合式平城)の縄張りとし、関東七大名城と呼ばれるほどの大城郭へと生まれ変わり、現在の市街地の基本構造を築いた。しかし正純はその後宇都宮城無断改修を咎められて(宇都宮城釣天井危険は架空の事件)改易され、その後は藩主が奥平氏、松平氏や戸田氏、本多氏、阿部氏など目まぐるしく交代した。この間も、大名の参勤交代や日光東照宮の造営などによる往来も多く、重要拠点として「小江戸」と呼ばれる程に盛えた。

徳次郎宿は宇都宮市の西北に位置し今市市に隣接している。
徳次郎宿は江戸から18番目の宿で、宇都宮側から下徳次郎宿、中徳次郎宿、上徳次郎宿の3つの宿から成っていて、人馬継立は各宿当番制で順番にやっていた。
ただ当初は上徳次郎宿だけだったのが、願いにより享保13年(1728)から仲徳次郎と下徳次郎にも宿場が置かれたという。
宿場規模は、本陣3軒、脇本陣4軒、旅籠72軒、人口653人。

徳次郎の地名の由来:徳次郎は「とくじら」と読む。
日光に大きな勢力をもっていた久次郎(くじら)一族が、
奈良時代末期に日光二荒山神社からご神体を智賀都(ちかつ)神社に勧請したとき、日光の 宗家久次郎に対し外久次郎(そとくじら)と称したのが始まりといわれている。

下徳次郎、中徳次郎、上徳次郎の三宿を合わせて徳次郎宿といわれる。日光・久次郎村より移住してきたことから外久次郎村、または遠久次郎村といわれていた。新田徳次郎なる者が居住していたことから徳次郎の文字となる 。当初は上徳次郎村だけだったが、中徳次郎、下徳次郎、その他の村ができ徳次郎六郷となる

 徳次郎---一里塚---石那田---杉並木寄進碑---大沢宿迄 8.9kmの道程である。


本陣跡の上野家



冬の花「ノースポール」

開花時期は、12/20頃~翌6/15頃。     
・原産地はアフリカ北部アルジェリアあたり。     
  日本には1960年代頃に伝えられた、新しい花。
  地中海沿岸に広く分布している。               
・花つきがよく、株全体をおおうほどに白く       
  咲くところから「北極」のイメージが連想され、 
  そこから「ノースポール(北極)」の名になった。
 
・マーガレットよりちょっと小型。               
・道端の花壇によく植えられる。                 
・別名「クリサンセマム・ノースポール」         
      「クリサンセマム・パルドーサム」 

(機sつの花300より)

        


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