江戸時代、日興街道で江戸から2つ目の宿場町として栄え、その周辺部は水田地帯で稲作が盛んであった。戦後当初は5万人にも満たなかったが、高度経済成長期における人口が爆発的に増大し、急激な都市化が進行した。それに伴い近年引っ越して来た人が多いので市民の平均年齢は比較的若く、子供の数も多い。 中心部は、都心まで約15kmという立地にありながら宿場町の面影を残す落ち着いた雰囲気の住宅地である。現在、松原団地の建て替え、再開発や草加宿を中心とした都市計画「今様草加宿」が進められている。
越谷宿迄8.6kmである。
草加松原
春の七草「田平子(仏の座)」
毎年1月7日に「七草粥(ななくさがゆ)」に入れて
食べる習慣がある。
(食べると、災いを除け、長寿富貴を得られるらしい。)
「春の七草」が話題になると、そろそろお正月モードも
終わりに近づきますね。
・14世紀の南北朝時代に、
「四辻の左大臣(よつつじのさだいじん)
(本名:四辻善成(よつつじのよしなり))」が
源氏物語の注釈書「河海抄(かかいしょう)」の中で
七草のことを記載している。それが後年、
よく知られる
「せりなずな 御形はこべら 仏の座
すずなすずしろ これぞ七草」
(季節の葉花300より)