masumiノート

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孤族の国の先に見える希望

2011年01月04日 | ひとり言

<ご縁ありまして。>/2 「一緒にごはん」が温かい
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20110103ddm013040035000c.html

2011年1月3日(月)18:00
 ◇16~97歳、約50人が暮らす福祉施設

 夕暮れ時、厨房(ちゅうぼう)からみそ汁や煮魚の懐かしいにおいが漂い始めると、食堂は少しずつにぎやかになる。知的障害の男性がお茶をいれ、体の不自由な高齢者に差し出す。傍らでマニキュアをした少女が携帯メールを打ちながら、はしを口に運ぶ。

 東京都福生市。在日米軍横田基地近くの住宅地にある4階建ての「ウィステリア福生」は、16歳から97歳まで約50人が共に暮らす複合福祉施設だ。2階に知的障害者、3階に高齢者、4階には虐待などで家にいられない10代後半が住む。

 1階にはみんなが集う食堂がある。日々の生活は個室でも「ごはんは食堂で食べよう」がモットー。食後は大きなテレビの前のソファに座り、寝るまでの一時を過ごす。「においで今夜のおかずが分かる。仲間がいる。命ある間は、あったかい場所にいてほしい」と、運営するNPO法人の志茂新子さん(62)は言う。

 夫が住職を務める寺で、志茂さんは遺影も参列者もない葬儀を数え切れぬほど見てきた。身元不明の自殺者、産み捨てられ凍死した赤ちゃん。葬儀後、残った財産だけ取りに来る親族もいる。「人の最期がこれでいいのか」。行き場のない人たちとの出会いを重ねるうちに、ウィステリア開設にたどり着いた。

 オープン当初は「若い子がお年寄りをいじめはしないか」と心配もされたが、取り越し苦労だった。何度も門限を破り、職員が注意しても反発するばかりの少年が、高齢者に「みんなで飯食おうよ」と声をかけられ、早く帰ってくるようになった。「タトゥー(入れ墨)を入れたい」「キャバクラで働きたい」。そんな話を聞くたびに、お年寄りたちが人生を語る。

 「血のつながりがすべてじゃない」との思いを、志茂さんは日々深くする。

 髪をオレンジに染めたみわさん(19)がやって来たのは、設立から6年が過ぎた09年の秋だった。

 物心ついたときから児童養護施設にいた。小6で両親の元に帰ると、母は何かにつけみわさんを殴った。警察に駆け込み、再び施設へ。定時制高校に進んだが中退し、施設を出ざるを得なくなった。「お母さんとやり直せるかなあ」。いくら考えても、家に戻るのは無理だと思った。

 児童福祉司に紹介されてここに来たときは「疲れ切っていた」と振り返る。人を信じられず集団になじめない。4階の自室で昼夜逆転した生活を送り、他の入居者とは口を利こうとしなかった。

 でも1階に下りていくうちに、あいさつを交わすようになった。無言でご飯を食べていると「おいしい?」と知的障害のある女性が声をかけてくる。認知症のおばあさんが笑顔で手を振ってくれる。食堂にいる時間が少しずつ長くなった。

 そこにはいつも、みんなに「福ちゃん」と呼ばれている福島さん(59)がいた。腎臓病と分かり、行政のすすめでここに入居した。痛む右ひざをかばいながら、体が不自由な人たちのお盆を下げ、食べこぼしてしまう人のエプロンをたたんでいた。

 福島さんは20代で両親を亡くし、独身で兄弟も既にない。会社の移転で長く勤めた仕事を失い、生活保護を受けてアパートで1人暮らしをしていた。ところが数年前、部屋で急に体が動かなくなった。偶然訪問したケースワーカーが救急車を呼び、一命をとりとめた。「一人は怖い」。初めてそう思った。

 みわさんは自立の準備としてアルバイトを始めた。でも人間関係が苦手で、どこも1、2カ月しか続かない。福島さんは新聞の求人広告を見つけては、みわさんに渡した。

 「介護の仕事が向いてるんじゃない?」。お年寄りと笑い合う姿を見ていた人たちに言われ、みわさんは昨秋、高齢者支援のボランティアをやってみた。認知症の人は接し方が難しいが、毎日食堂でしてきたように向き合ううちに、気持ちが伝わるようになった。初めは抵抗があった下の世話も「ありがとう」の一言で前向きになれると気付いた。

 10月20日、面接を受けた特別養護老人ホームからパート採用の連絡があった。19歳の誕生日だった。

 「ただいまー」。午後7時前。仕事を終えたみわさんは食堂に駆け込み、今日も福島さんの隣に座る。「聞いて福ちゃん、ちょー仕事疲れたんだけど。今日おむつ交換習ったよ」。遅れた夕食をかき込みながら、一日の出来事を話す。福島さんは時折うなずき、静かに聞いている。

 パートでの3カ月間の仕事ぶりが認められれば、正職員への道が開ける。

 10代の若者は、20歳までにここから自立しなければならない。何度もくじけてしまったけれど「今度はきっと頑張れる」と思える。この家には、応援してくれる人たちがいる。【榊真理子】

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ここは福祉施設でもあり若者は20歳までにここから自立しなければならないけど、
どういう形態になるのかとか、今は考え付かないけど、
将来的には家族を超えた、コミニュティという家族(一つ屋根の下に暮すという意味の家族)の在り方を認めるべきときがくるのかも知れない。

でなければ、行政だけでは孤族を支えるのは無理だと思う。