Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

初めての富山 1 富山市ガラス美術館

2017-10-30 16:36:20 | 国内旅行
先週末のこと、今まで通過しただけで滞在したことのない富山県の黒部に紅葉を見に行こうと思いついた。
予約などの手配をしたのは1ヶ月以上前、ところが直前になって同行予定だった友人はぎっくり腰になるわ、台風は来るわ、おまけに2,3日前から咳が出て風邪っぽい。

これはキャンセルした方がいいかとも思ったが、ここのところ軍資金稼ぎのバイトに忙しかったので、気分転換のためにエイヤッと早起きをしてお出かけ。

10月21日

出発は東京駅から。
 
初めての北陸新幹線、「かがやき」に乗車。座席がシックな色のチェック柄だ。

東京駅を出た時には乗車率が5割ほど、週末なのに大丈夫かと思ったが、大宮でたくさん乗り込んできてほぼ満席になった。
東京では降っていた雨も途中で止んで、軽井沢駅前は見事な紅葉。
長野から先は初めての区間だが、予想通りトンネル続きで、2時間15分で富山駅に到着。
 
さすが新幹線は速い!
富山駅も新幹線口はきれいだけれど、木のパネルを多用するのは最近のはやりなのか、どこも同じような感じになってきた。

大きな荷物を預けて南口に出ると、にぎやかなこちらからはトラムがたくさん出ている。
 
車体もクラシックなの、新しいのといろいろ。
 
JR駅の端にある乗り場から南富山駅前行きに乗って10分、西町で下車。運賃は一律200円。

下りると目の前に変わったグレーの建物が建っているが
 
これが目当ての「TOYAMA キラリ」。今もっとも有名な建築家であろう隈研吾が設計した建物で、中に富山市立図書館とガラス美術館が入っている。

そこで早速中に入り、美術館の常設展観覧料200円を支払ってエスカレーターを一つ上がると
 
吹き抜けの空間に隈氏のトレードマークのような木のパネルが多用されていて見事。
 
案内表示はデザイン化されすぎてわかりづらくなってしまっているが、さすが本家は木の使い方が駅の中途半端さとはわけがちがう。

さらにエスカレーターを上がると、3階から5階の道路側には市立図書館。
 
こんなに美しい図書館があるとは、富山市の余裕を感じてしまう。

一方ガラス美術館は図書館とは反対側にあって、2階、3階は企画展会場、4階の常設展の廊下に面したウィンドーのみ写真撮影可。
 中に並んでいるのも現代作家がいろいろな技法を駆使した作品だが
 
富山では薬瓶のためにガラス工芸が発展した、それで「ガラスの街とやま」を標榜しているのだそうだ。

さらに上がって最上階。
 
ここにはアメリカ人作家デイル・チフーリのインスタレーションを展示した「グラス・アート・ガーデン」があって
   
 
富山の流木や木舟と組み合わせたガラスがネオン管のように光ってとてもきれい。

ここは建物も見事だし、最上階を見るだけでも来る価値がある。

「Toyama キラリ」を出て東に100mほど歩くと、有名な漢方薬屋さんがある。
 「反魂丹」で有名な池田屋安兵衛商店。
ここはもう観光バスも寄るような名所なのでお店の人も心得たもの。
 
「写真撮っても大丈夫だよ」と声をかけてくれて
 
丸薬を作る古い機械でデモンストレーションをしたり、お土産用のレトロなパッケージの置き薬の説明をしてくれたり。
立て板に水の話し上手は行商時代からの伝統だろうか。

この店の2階には薬膳レストランがあるのでそこでお昼を食べようと思っていたのだが、テーブルはすべて予約済み。

そこで町一番の繁華街というわりにはいささか寂しい総曲輪のアーケードを通り
 
城址公園の脇を歩いて駅前のCICビルへ。

ここの1階の春々堂と言う薬膳カフェで
 
きのこいっぱいの薬膳カレー。デザートには亀ゼリーが付いてくる。

そのお向かいには「ととやま」という富山県の物産館。
品揃えが良くて最終日だったらいろいろ買いたくなるような店だが
 
温泉でおなじみのケロリン桶、ほしかったけど1400円は高すぎる。
内外薬品は富山の会社だったのだ。


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歯磨き粉コレクション 12

2017-10-28 16:34:11 | コレクション
今年の歯磨き粉コレクションはちょっと不調。

まずはオマーンで買った歯磨き。

 この製品名は「ムーミン」と読むのだろうか、ハラル認証のついたマレーシア製。
パッケージのデザインがイスラム・タイルのようで、メスワック入りはイスラム圏でおなじみの成分。
レモンとクローブも入っているらしいが、普通の白い歯磨き粉にそれらの風味はまったく感じない。
100g入りは間違いないのだろうが、チューブが大きすぎるのか、最初から3分の1は入っていなくて、ちょっと損をした気分になる。


台湾ではちょっと変わったものを発見。
 
「無患子」とは日本語ではこれを「ムクロジ」と読むのだそうで、パッケージの絵にある黒い種は羽根つきの羽根に使われたとか。
皮の方にはサポニンが含まれているのでこすり合わせると石鹸のように泡立ち、だから英語名は「Soapberry」。
真珠の粉も入っていると言う歯磨き粉は半透明のジェルで、ミントも少し入っているらしいがほとんど味がしないほど薄味。
ただし泡立ちはすごく良くて、これが無患子の力だろうか。


バルト三国は旧ソ連圏なのでロシア製品があるかと期待したが、EUにも加入してロシアからは距離を置きたいらしく、歯磨き粉に限らずロシア製品はほぼまったく見かけず。
その代わり小さい国ながら、リトアニアで自国製品を発見。
 
なかなかシックなパッケージで、ミントとセージ入りという中身は写真ではわかりづらいが真珠色の半透明ジェル。ただしセージの香りはわからない。
箱の裏面にはリトアニア語、英語の表記の他にラトビア、エストニアはもちろん、ロシア、ポーランド、ドイツ、スロバキア向けの表示があって、当然輸出もしている様子。


こちらはエストニアのスーパーにあったコルゲートだが、なんと中国製。
 
アジアン・レモンとアロエ・エキス入りとあるが、たいていはほとんど味のしない「レモン風味」の中でこれははっきりレモン・キャンディーのような味がして美味。薄いグリーンのジェルもきれいだ。

箱の表示はリトアニア製品よりさらにすごくて、この同じ商品が東欧を中心に20か国に流通されていることがわかる。
グローバル化とはこういうことだが、この箱の校正、大変だろうな、と元製品メーカーの人間はくだらないことを心配してしまう。


ふんだんにあると思ったストックも目新しいものが見つからなかった旅行先もあって減ってきた。
またどこかに面白いものを探しに行かねば。


過去のコレクション:

歯磨き粉の話
また歯磨き粉の話
歯磨き粉コレクション 3
歯磨き粉コレクション 4
歯磨き粉コレクション 5
歯磨き粉コレクション 6
歯磨き粉コレクション 7
歯磨き粉コレクション 8
歯磨き粉コレクション 9
歯磨き粉コレクション 10
歯磨き粉コレクション 11


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スピティ再訪 17 デリーでお買いもの

2017-10-27 19:38:21 | インド
7月25日

Hotel Palace Heights の朝食。
 本日はボリュームたっぷりのパニール・パラタ。

これを食べたらホテルからほんの1分の地下鉄ラジブ・チョーク駅へ。
さすがは繁華街の乗換駅で、広くてきれいな構内には人がいっぱい。
トークンは自動販売機で買うが、お札をなかなか受け付けないので、横に職員が貼りついて代わりに入れてくれたりするところがインド。
 
今日乗るのはイエローライン。朝の10時過ぎでも日本のラッシュアワーなみに混んでいるが、インド人のお兄さんが席を譲ってくれたのはまさか老人だと思ったからではないよね。

6駅先のINAまでは20分、20ルピー。
 
こちらの駅も広々としているが、自販機はすべて故障中で切符は結局窓口で買わなければならないというあたり、これまたインド。

元々最終日はまだ来たことがなかったのでここに来ようと思っていたのだが、初日にお付き合いいただいたサントーシーさんがまた別のお知り合いとここに来ることになっていたというので駅で待ち合わせて案内していただく。

 目当てはすぐ駅前にあるINAマーケット。
なんとなく大きな屋外マーケットを想像していたのだが、実際はそれほど大きくない屋根の掛かったマーケット。
 
それでも食品から衣類から、いろいろな店が業種ごとに固まっていて
 
八百屋さんには何類ものきれいなナスやら、とげとげした見たこともない野菜は瓜の仲間?

 
魚屋に並ぶのは川魚が多いだろうか、エビやカニは高級そう。

 
鶏屋の店先には生きた鶏がなぜか籠の外にいるし、インドでは珍しい豚肉屋もあり、
 
羊の頭やら脚やらが売られているのはこういうマーケットではおなじみの景色(グロいもの好きですみません)。

  
食料品屋には輸入食材が多くて、雰囲気は上野のアメ横に似ている。
様々な漬物を並べた店があったり、酒屋の並ぶ一角ではサントーシーさんたちが珍しいビールを物色。

自分の買い物はスパイス屋さんで、挽いたカルダモンの粉、100gで400ルピー。
思ったより高かったが、実際に使ってみると100gは結構な量で、コーヒーにたっぷり入れてアラビックな香りを楽しめる。
 
隣の小袋はジーラ(クミン)風味のグリーンピースのスナック。カリカリとしたこれに昨年来はまって
 道路上のドライブインでも見かけると買っていた。小袋が5ルピー、ちょっと大きくて10ルピー。食べきりサイズがちょうどいい。

INAマーケットを一通り見たところで時間はちょうどお昼。
そこでハウズ・カーズ・ヴィレッジに移動して、チベット料理の老舗、「イエティ」へ。
 
最近ほんのちょっと移動したと言う店内にはマニ車など並んで落ち着いた雰囲気。

メニューにはブータン料理も並んでいるが、Bhutunというのを頼んでみると
 これはネパール料理で山羊の唐揚げだった。
カラッと揚がったこれ、スパイスが効いてとてもおいしい。

ブータン料理はサントーシーさんのお知り合いがケワダツィを注文。
 しかしこちらはまるでチーズシチューのようで辛さはまったくなく、ブータンで食べるものとは完全に別物。

そしてチベット料理と言えばモモ。
 
インド在住のサントーシーさんは当然普段食べられないバフ(牛)で、この焼き餃子も肉感全開でおいしかった。
しかしこの旅、ほんとによくモモを食べた。

サントーシーさんたちとはここで別れ、オート、メトロを乗り継いでコンノート・プレイスに戻り、次に向かったのはコンノートのサークルの外にあるシャンカル・マーケット。
 
ここにはずらりと布地屋さんばかりが並んでいて
 
この一番奥にあるKanika'sと言う店で初日に布地を買い、隣の仕立て屋にパンジャビをオーダーしてあったのだ。

店を選んだのはまったくの偶然、サントーシーさんに付き合ってもらってオートを降りたのがこの近く、ここを覗いてみたら調子のいい親父が次々に布地を見せてくれて、コットンで気に入った色柄があったので一軒目で決めてしまったのだ。
仕立てはすぐ隣から渋いおじさんが出てきて店先で採寸、襟の形、袖や裾の長さ、パンツの形を決めればOK。

そして完成したのがこちらの2枚。
 
どちらも希望通り、上着の裾を普通よりかなり短く作ってもらったので日本でも着られる。
布地は2枚分、ドゥパタ(ショール)1枚も入れて1800ルピー、仕立て代は1000ルピー。日本円で一着3000円もしないのだから大満足。

戦利品を抱えてホテルに戻り、預けた荷物を受け取ると、すでにチェックアウトしているが空いている部屋でシャワーなど使ってもいいと言う。
レイトチェックアウトは受けてもらえなかったが、このサービスは実にありがたい。

そこでさっぱりと着替えをさせてもらい、またオートでシバジ・スタジアムからメトロで空港へ。

 ちょっと不気味なこの女の子の出迎えを受け、空港駅の改札を出ると、中二階のような所にこぎれいなクッキー屋がある。
 
初日から気になっていたこのKarachi Bakery、ピスタチオとサフランの入ったクッキーを買ってみたらこれがおいしい。
ハイデラバードの店らしいが他にもおいしそうなクッキーがたくさんあって、ここはおすすめ。

チェックインをしてJL指定のプレミアム・ラウンジへ。
 
お食事エリアに並ぶのはカレーだが
 JLの客には頼むと「ソバ風そうめん」の用意がある。
ソバではないところが泣かせるが、つるつるとおいしくいただいて機内へ。


7月26日

早朝7時の成田に到着。


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スピティ再訪 16 マナリ~デリー

2017-10-24 18:40:29 | インド
7月24日

ツアー終了翌日、山本氏とツアー参加者のうち2名はラダックに向かい、自分ともう一名はデリーに戻る。

デリーへは車を用意してもらっているが、当初は往路のドライバーがそのままデリーまで戻ることになっていたのを拒否、別のドライバーで準備万端にしてほしい、とこれは往路でマナリに到着した時から頼んでおいた。

なるべく早くデリーに着きたい、と出発は5時に決定。
現地ガイドにもしつこく言って、新しいドライバーが手配されていることを確認。

ところが5時に用意をしてホテルのフロントで待つも、車はやってこない。
見送りの山本氏ともども30分も待って、それでも来ないので電話で現地ガイドを叩き起こし、やっと車がやって来たのは6時15分。

往路とは別の恰幅のいいドライバーが来たが、この人も目を赤くしてなにやら寝不足の様子。
後で聞いてみると前日と言うか今朝の2時ごろマナリに着いて、今朝の5時半に急に起こされたというから話が違う。
まったくインドあるあるで、またしてもやられた。

しかも出発するとこのドライバー、運転が超アグレッシブで、昨夜からの大雨で濡れた坂道をガンガン飛ばす。
後部座席の我々はヒヤヒヤ、普段自分で運転すると言う同乗者はつい右足でブレーキを踏んでしまって足が痛いと言う。
インド式に前の車をバンバン追い抜く運転に我々がキャーキャー言っていると、「俺は運転がうまいんだ。安心して寝ていろ」とドライバー氏。

実際しばらく乗っていると確かに運転はうまくて、我々とは違うが彼なりのルールがあるらしいことが納得できて、その後はおまかせ。
「眠くなったらいくらでも休憩していいから」と言っておいたが、途中で噛みタバコを買ったぐらいで午前中は我々の要求でチャイ休憩を一回取っただけ。

往路でマンゴーを買った所で車を停めてもらい、かわいいお兄ちゃんからまたお買い上げ。
  
 種類が違うらしいちょっと細長いのは3つで35ルピー、丸っこいのは4つで20ルピー。どちらも甘くておいしい。

前日には土砂崩れもあったらしい山道も何事もなく順調に通過して、平地に入った所でランチ休憩。
どこかおいしい所に寄って、とお願いして停まってもらったのは黄色も鮮やかなレストラン。
 
ここのチキンカレーはコクがあって本当においしかった。

この分なら早くデリーに着けそうと思ったが、そう簡単には行かないのがインド。

途中、なぜか道路封鎖があって迂回を余儀なくされ、どこを走っているのかもわからない田舎町を進んでいると
 突然のどしゃ降りにあったり、これで1時間以上はロスしただろう。

やっと本線に戻る頃には天気も回復し
 道端には今年もテントがいくつも見えるが、これは去年のカーンワリヤーの巡礼のためのテントとはまた違うのか、歩いている人たちの姿は見なかった。

やがてデリーの渋滞にはまって、ようやくコンノート・プレイスにたどり着いたのは日もすっかり傾いた19時30分。
結局復路も13時間かかったが、今回の運転手は過酷なスケジュールにも眠そうなそぶりなど見せることなくプロの対応。
こうでなきゃ、とチップを少しはずんだら、満足した顔で帰って行った。

同行者とは市内で別れて、自分は今夜も初日と同じHotel Palace Heightsにチェックイン。
 今度の部屋の窓からは向かいのビルの裏側しか見えないが、不穏なにおいがしないのでずっと快適。

夕食は評判がいいらしいホテルのレストラン「サフラン」にしようかと思っていたが、疲れてしまって食欲もあまりないので、ホテルから徒歩5分の「ニザーム」からテイクアウト。
 
ここもファーストフードではあるが昔からのカティロールの有名店。
 
おいしいマトンケバブの卵入りロールが180ルピー、ライムソーダが90ルピー。
初日の晩もここにしておけばよかった。


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スピティ再訪 15 チャンドラタール~マナリ

2017-10-19 22:02:40 | チベット文化圏
7月23日

早朝のテント内は気温が10℃以下。
 ダウンなど着込んで6時に外へ。

と言うのもキャンプから湖の近くまでは車で行けることが判明、全員でもう一度チャンドラタールを見に行くことになったのだ。

 車はグネグネしたダートロードをたどって標高を上げ
 
わずか15分で黄色い看板の立つ駐車場に到着。

ここからはほとんどアップダウンのない道を歩いて
 
20分弱で昨日たどり着いた地点に到着。
歩き15分とはこの駐車場からのことだったのか、と全員納得。
昨日こちらから来ていれば、とも思うが、まあ仕方がない。

今朝はあいにくの曇り空だけれど湖はやはり青くて
 
 
タルチョの掛けられた湖畔で透明な水にも触れてみたかったが、あいにくと下まで降りる時間はない。
 次は月光に照らされたこの湖が見たいものだ、などと話しながら、また来る気満々の一同で記念写真を撮って撤収。

 
キャンプに戻って朝食を食べたら、8時20分には出発。

 
氷河を眺め、石ころだらけの道をたどって
 
お昼はおなじみマギー。


対岸はすごい崖だけれど
 
スピティ谷を抜けるにつれて緑が多くなる。

 
途中で2ヶ所、また難所があったが、合わせて1時間の遅れならたいしたことはない。

  
 たくましく防寒着の貸し出しをするおばちゃんのいるロータン・パスはまた霧の中だったけれど
 南面を下るにつれて晴れてきた。

途中、車が渋滞しているので何事かと思ったら
 
雪渓のセルフィー渋滞。インド人、自由すぎ。

 車窓にブルーポピーを何度か見かけたが、こちらの車は止まることなくどんどん高度を下げ、3000m越えの高地とはこれでお別れ。

マナリには17時に到着、往路と同じホテルの同じ部屋に落ち着いて、山本氏をガイドとするスピティ・ツアーもこれにて無事終了。

最後の食事はホテルから歩いたところにあるしゃれた一軒家レストランのテラスで
  
 久々のサラダに
 
本格窯焼きピザ!

皆様、お疲れ様でした。


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スピティ再訪 14 チャンドラタール

2017-10-18 22:19:35 | チベット文化圏
7月22日 続き

カザを出て、ロータン・パスへ向かう道を戻る。
 
 
 再びクンザム・ラを越えたら幹線道路から北へ入り
 こんな川のようになった所も越えて4時間。


本日の宿泊地、チャンドラタール手前のキャンプ地、標高4060mに到着したのは午後5時半。

チャンドラタールとは「月の湖」と言う意味だそうだが、以前は許可されていた湖畔のキャンプが景観維持のために禁止され、今はここに集められていると言うことで驚くほど大きなキャンプ村になっている。

その中で我々が宿泊するのはパラソル・キャンプ。
 
中央の丸いテントは食堂、その周りに宿泊テントが並び
 
ベッドルームの奥には水洗トイレと洗面台のバスルームまである。

さて、もう夕方ではあるが、湖までは徒歩で15分ぐらいというので、準備をしてすぐに5人で出発する。
 テントの奥から踏み固めた道をたどるのだが、これが思いのほかの登り道で、平地ならなんでもない坂が標高4000mではむちゃくちゃきつい。
 
テント村を眼下に見下ろす辺りまで来たところですでに息は上がり、普段から山歩きをしている男性陣からは大きく離れてしまった。

15分以上歩いて、小高い所に出るも湖らしきものはまったく見えない。
もう一人の女性はさらに遅れ、無理そうだということでガイドの山本氏は一度引き返していく。
それでもなんとか男性陣の後を追いつつ、途中で出会った帰路のインド人に「あとどのくらい?」と聞いて「君の脚ではあと40分はかかるよ」と言われた時には心が折れて引き返しそうになった。

しかしチャンドラタールは今回の旅のメインイベントの一つ、これを見ずに引き返せようか。
 
と言うことで花で気を紛らわせつつ
 丘を何とか越えると
 
羊でいっぱいの放牧地に出た。

それでもまだ湖は見えないが、羊飼いのおじさんに聞くとここを右に折れた丘のすぐ先だと言うので
 エーデルワイスでいっぱいの原を下ると
 ああ、やっと念願のチャンドラタールの姿が!

 ケルンの積まれた丘に登り 

標高4270mにある青い湖を眼下に見る。左側は丘の陰に隠れているが、その先にも水があって、三日月型をしているので「月の湖」と呼ばれるらしい。

振り返ると背後にも小さな湖がいくつか。
 
 美しい夕景をいつまでも見ていたいが、しかしキャンプからここまでちょうど1時間、山を照らす夕陽もどんどんかげってくる。

そこで湖を拝んだらすぐに引きかえし
 
羊や山羊の間を突っ切って帰路に。

幸いにして下りは楽チン、どんどん早足で進めるが、それでもキャンプまでは40分。
 
午後8時近くに帰り着いた時にはもう明かりがちらほら点いていた。

湖まで15分ぐらいとはとんだガセだったが、山本氏も初めてのこの場所、情報がほとんどないのだからしかたがない。
キャンプから湖まで、実際は3kmほどあったようだ。

夕食は辺りが真っ暗になってから、もう9時近かっただろうか。
 ストーブの周りに集まるお客さんは我々以外はみなインド人。
 
初めににんにくのスープが来て、あとはダルと野菜カレーの質素なメニューだが、温かいだけでもありがたい。

食後は夜になって晴れてきた星空撮影。
 
山本氏のアドバイスもあって、今夜は一番よく撮れると喜んでいたら、キャンプには夜警用に犬を放しているのでテントに戻れと警告が。残念。

テントの夜はさすがに寒くて、重い毛布を重ねて寝た。


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スピティ再訪 13 キー・ゴンパの祭

2017-10-16 22:12:34 | チベット文化圏
7月22日

ランザ村の朝。
 
今朝もまた山の頂上を照らす光が村全体に行き渡った所でお散歩へ。

 
チャウチャウの山は残念ながら雲に隠れているが
  
畦道には花がいっぱい。ここではただの雑草だけれど、どれも標高4000mで咲く立派な高山植物。

 
朝食にはスイトンとおいしい自家製ヨーグルトをいただいて
 家畜たちが出勤して行ったら、我々もこの村と別れなければならない。
冬は過酷であろうこの村だが、夏はまさに天国。ここで何日かぼーっとするのも素敵かもしれない。

村からカザへはまっすぐ下れば30分だそうだが、今朝は町ではなく、またキー・ゴンパへ向かう。

 途中、お寺の近くでは渋滞にはまってしばらくスタック。
それと言うのも今日はお寺でお祭りがあると言う情報が入り、それでまたこちらに来たわけだが、なるほど道は車でいっぱい。我々もかなり離れた所で車を降りてお寺の下の広場へ向かう。

到着したのは10時半。

見物人はもうかなり集まっているが、タンカの下げられた広場で祭はまだ始まっていない。

しかし場内では棒を持ったこんな仮面姿が観客をいじっていて
 
これはブータンの祭のアツァラと同じだろう。

やがて太鼓や鉦の音が聞こえてきて、僧侶の踊りが始まった。
 
こういう所のお祭りは何時に始まるかあてにならないので、それほど待つことなく始まったのはラッキー。

 
音楽担当の姿も見え、この他にもブォーという大きなチベットホルンの音もする。

 
着飾った姿が見られるかと期待した見物人たちはほぼ普段着でちょっと拍子抜けするが
 
大勢の小坊主たちも見学していて楽しそう。

2番目の演目はメガネをかけたお坊さんが一人で舞ったが
  
さすがにソロを担う人はうまい。

そしてまた大勢のお坊さんたちが登場して
 
飛んだり、廻ったり。

画面を人が横切ったりして見苦しいが、踊りと音楽はこんな感じ↓ 



   
 踊り手たちは皆よく見ると顔を炭で汚していて、これにも何か意味があるのだろう。
衣装も豪華で、さすが景気のいいキー・ゴンパ。

と思っていると演目が一つ終了して、しばらく間が空いた。
 
正面の2階には貴賓席があって、やがて英語のアナウンスが始まったので聞いてみると、どうやら寄進者たちの名前を読み上げている様子。
そしてそうした人々にカタを渡している恰幅のいい男性。
 この人こそキー・ゴンパの座主、リンチェン・サンポの生まれ変わりに違いない!
ちょっと怪しげな風貌だけれど、このお姿を拝見できたのもラッキー。

 
会場の周りには衣類やらおもちゃやら、いろいろなものを売る露店が出て子供たちもはしゃいでいるが
 
こんな所で刺青を入れている人がいるのにはびっくり。さすがに痛そうにして、何を入れたやら。

Kee Goitherというらしいこのお祭り、もっと見ていたかったが先に進まなければならないので残念ながら1時間で切り上げ。

三度カザの町に戻って、車に給油をしている間にそれぞれ勝手にお昼ごはん。
また例のおいしいモモ屋に行くことも考えたが、さすがにずっとモモとトゥクパばかりだったので
 
ジャーマン・ベーカリーでアップルパイとカプチーノ、明日の朝用のシナモンロールで220ルピー。

久しぶりのカプチーノ、うまい!


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スピティ再訪 12 ヒッキム村&コミック村

2017-10-13 12:47:21 | チベット文化圏
7月21日 続き

お昼ごろにランザ村を車で出発、40分で到着したのはヒッキム村。

ちょっと窪地になった所に畑が作られた小さな村だが
 
ここには公称4440メートル、世界で一番高所にある郵便局があるのだ。
 
中はほぼ一般民家だが、郵便業務用のテーブルがあって
 
ここでお手紙を出せば「世界最高所の郵便局」のスタンプも押してもらえる。
ちなみにここで投函した絵葉書は無事2週間で自宅に到着。インド郵便はちゃんと仕事をしている。

ここからほんの10分、
 小さな縞模様のお寺を見ながら丘を越えると

ヒッキム村にそっくりなコミック村に到着。こちらの方が100mほど標高が高いだろうか。

 
この村の一番高い所にはこれまた「世界最高所のレストラン」があるので
 
雑貨屋も兼ねるこの「最高のレストラン」でお昼。
 メニューにあった大麦のお粥を頼んでみるとツァンパ・スープが来たが、中に豆なども少し入って香ばしく、見た目よりもおいしかった。

 店には小坊主がお菓子など買いに来ていたが、これはこの村に大きなサキャ派のお寺、タンギュ僧院があるため。

 
レストランのすぐ隣、村を見下ろす位置に建つのはレンガ色の新しい建物。
 入口にユキヒョウの剥製が下げられたこのお寺は、表のプレートによると1970年代の地震被害によりヒッキム村からこちらに移されたとあるから、道中に見かけた小さなお寺が元のお寺かもしれない。
14世紀、あるいはそれ以前からの歴史がある寺で、カザの町にある新しい僧院はこの寺の分院になるのだそうだ。

 
少し離れた所に建つ、こちらは壁が3色の縞模様に塗られたドゥカン(集会場)のある建物。
 
広い中庭の正面がドゥカン、周りは僧坊になっていて
 
中を覗くとお坊さんが試験を受けているところだったようなので、入るのは遠慮しておいた。

お寺からは丘を下ってコミック村を少しお散歩。
  
 
村には花がたくさん咲いてのどかだが、下るのは楽な村の道も4500mの高さでは戻るのがしんどい。

と言うわけで下まで車で迎えに来てもらって、ランザ村に帰還。
 
夕方で学校が終わったのだろうか、昼には見かけなかった子供たちがあちこちに。
 
畑では麦の穂が波のように揺れて
 
丘の上には大きなお釈迦さま、チャウチャウカンニルダもてっぺんまで姿を見せてくれた。

宿に帰ってバスルームの窓から外を見たら
 
家畜たちが出先からちょうど戻ってくるところ。
 
村に入ったらそれぞれの飼い主に迎えられてお家に帰る。

 お釈迦様の向こうに陽も沈んで
 
夕食は今日もモモにチキン・カレー、塩茹で野菜のリクエストは去年の旅で覚えた。
しかしインド人のガイドは、「どうしてこんな味のないものを食べたいの?」と不思議そう。
使えば、とテーブルに置かれたマサラはむちゃくちゃ辛かった。


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スピティ再訪 11 ランザ村

2017-10-10 19:00:10 | チベット文化圏
7月21日

今朝もまたスピティ・パンの朝食をいただいて、カザのホテルを出発。
 宿の奥さんは町のクリニックの看護師もしているという働き者、おいしい食事をごちそうさま。

 カザを出たらすぐに幹線道路から東に入って、スピティ川を眼下に高度を上げて行く。

出発から50分で緑の中に白い家が散らばるランザ村、標高4260mに到着。
 
その背後にそびえる特徴的な山はチャウチャウカンニルダという面白い名前で、高さが6300mある。

今日はまたこの村で一泊。
 
明るいサンルームの付いたこの宿は、今回のスピティ・ツアーの現地手配会社の社長宅、Lala Homestay。

 
二階のサロン風の一角には手塚治虫の「ブッダ」が揃い、ここからもう1階上がった部屋は
 
ソファまでついてゆったり。
 
部屋の前の屋上に出れば村の畑や隣近所の家も見晴らし良好。
 ここもまた清潔なバスルームにホットシャワー完備で、今回の宿はどこも予想をはるかに上回る快適さ。

サンルームでお茶をいただき、一息入れたら山本氏の案内で村の畑を歩き、おすすめ撮影スポットへ。
 
村の向こうに山が見える位置なのだが、山のてっぺんが雲に隠れてしまった。

 
畑に植えられているのはエンドウ豆や麦。
 
花もいっぱい咲いて
 素敵な村だ。 

 
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スピティ再訪 10 キー・ゴンパとキッバル村

2017-10-08 00:25:33 | チベット文化圏
7月20日

朝、宿の窓から外を眺めていると
 
はじめ山のてっぺんだけが金色に輝いて、やがて光が村に降りてくる。

ブラブラと散歩をしているうちに、いつの間にかゴンパまで上がってきてしまった。
 13年前に比べて外が新品のようにきれいになったことがわかるが、早朝の寺には誰もいない。

 
昨日、畑で見かけたかわいいお姉ちゃんに会ったり
 
赤ちゃんをおんぶしたお母さんたちと挨拶したり。

  
羊や山羊たちの後に付いて宿に戻ると
 
宿の前は家畜たちの朝の集合場所になっていて
 あっちからもこっちからも、飼い主に追われて牛やら羊やらがぞくぞくとやって来る。

これを眺めながら「どこから来た?」というおじいちゃんに「日本だよ」と答えていると、「日本人ですか?」とびっくりしたような声がする。
見るとバックパックを担いだ30代ぐらいの日本人男性、これからデムル村まで歩いて、その後はカザ、ガイドも付けずに一人で旅行しているとのこと。ザンスカールにもまわりたいと言っていたが、無事に行けただろうか。
気負った様子もなく楽しそうだったが、こういう日本人旅行者はスピティでは他にまったく見かけなかった。

宿の朝食は焼きたてのアルー・パラタとチャイ。
 これがおいしい。

9時過ぎに出発して村を出ると、前方に家畜渋滞。
 
先ほど集められていた家畜たちが専門の牧童に連れられて出勤するところに追いついた。

これを追い越し、
 九十九折の道を下ってスピティ川沿いの幹線道路に戻り、ちょうど1時間でカザの町へ。

以前と同じホテルにチェックインし、お昼にはまだ早いのでちょっとお茶をしに。
 
新市街にあるデイゾール・ホテルは欧米人に人気の宿。
 
山本氏おすすめのシーバックソーン・ジュースが本当に目が覚めるほど酸っぱくておいしくて、これを買いたいと言うとコーラの空きビンに入れてくれる。これもプラムジャムも無添加が自慢、ジュースは500mlで400ルピー、ジャムは300ルピー、干しりんごが150ルピーと安くはないが、本当においしい。

お昼はこれも山本氏がカザ一と太鼓判を押すモモの店へ。
 
メインストリートからちょっと脇に入った小さな店だが
 
マトン・モモがジューシーで小龍包みたい。野菜もあり、どちらもスープ付き一皿100ルピー。

食後のコーヒーはこちらのカフェで
 
チョコレート・ケーキやレモン・ケーキと共に。
さすがカザはスピティ一の「町」だ。

午後はカザの郊外、30分もかからずに行けるキー・ゴンパへ。

 
村の上にそびえる寺院群、13年前より明らかに建物が増えて、さらに増築中。建築途中のところなど、ちょっとブリューゲルの「バベルの塔」のようにも見えてしまう。

 
門をくぐり、階段を上がって僧院の中へ。
 
お坊さんにお茶を一杯いただいてから中を案内していただくが、11世紀創建のこのお寺、スピティ一の規模と格式ながら何度も戦禍や自然災害で破壊されて、現在の建物は19世紀以降のもの。
古い壁画もないので適当に拝見していたところ、「この寺の座主はロツァワ・リンチェンサンポ」との言葉に突然目が覚める。

リンチェンサンポに転生者がいたの!と驚くが、後で調べてみると18世紀になってからチベットのタシルンポ寺のお坊さんが転生者と認定されたそうで、20世紀の初めに17世がキー・ゴンパの座主となり、現在は19世。5歳でリンポチェと認定されてゲシェとなるまで勉強されたものの、今は還俗して子供もいるとのこと。
還俗しても座主は変わらず、この地域ではとても尊敬されている、と案内のお坊さん。
チベット仏教はこういう所が面白い。

300名ほども僧侶がいるというキー・ゴンパ。
 
境内には子供もいっぱいいて、まるで学校のようだ。

キー・ゴンパ見学の後は道をさらに先へ進んで、標高4200mのキッバル村へ。
 
この村、以前は「世界最高所の村」なる看板を掲げていたが、隣村の方が明らかに高い所にあって、さすがにその看板はおろした様子。
 
しかし村内には新しいゲストハウスやカフェなどできて、欧米人観光客も随分来ているようだ。

キッバル村のはずれまで行くと、川を挟んだ向こうの山の斜面にチラムという隣の村が見える。
 

その川に現在は新しい橋を建設中なのだが
 
これが結構な高さにかかっていて
  
まだ工事途中でもどんどん人が通ってしまうのがインド。
我々も途中まで行って下を覗きこんだが、頭がクラクラしてしまうような深い谷。
ここを山本氏はロープから下がるカゴに乗って渡ったことがあるんだそうな。どひゃ~。

ここからカザに引き返して、今夜もLEDライトのまぶしいホテルで一泊。


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