Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

塩原で湯めぐり 3 塩原元湯「大出館」

2019-03-31 18:40:43 | 国内旅行

3月23日 続き

宿に連絡をしてバスターミナルまで迎えに来てもらい、また山の中に15分ほど入った元湯温泉へ。
元湯は今朝までいた新湯から谷を一つ隔て、直線距離で3㎞離れているだけだが、こちらの温泉が出なくなった時に開かれたのが新湯なのだそうだ。

同じように山の中に入ると言ってももみじラインにつながる新湯への道とは違ってこちらは対向車とすれ違うのも大変そうな狭い山道。
そのどん詰まりに今夜の宿、「大出館」があるのだが、近づくとびっくりするほどたくさんの車が停まっている。

 
玄関にも靴がびっしり並んでいて、土曜日のため日帰り入浴のお客さんで大人気の様子。

このフロントは3階にあり、案内されたのはエレベーターで降りた1階。

  
かなり年季の入った廊下にはこれまた相当年代物っぽい芸能人の色紙がいっぱい。
 通された8畳間もふすまなど古いが、掃除は行き届いて問題なし。
 
部屋の外にあるトイレもウォシュレットではないが改装されてきれいだ。

 窓の外、眼下に見えるのは隣の「元泉館」、その向こうには見えないがもう一軒「ゑびすや」があって、元湯温泉はこの3軒だけの温泉地。

 部屋に用意されていたお迎え菓子はまた今井屋さんの温泉まんぢう。
部屋には浴衣と歯ブラシ、小さなタオルが用意されているが、バスタオルはない。

部屋で一息入れる暇もなく、すぐにお風呂へ。
浴室はすべて部屋と同じ1階にあるので便利だ。

 
手前には混浴の御所の湯と貸切風呂があるが、貸切の方は滞在中空いていることがなくて覗くこともできず。
その奥に女性専用の高尾の湯と、これぞこの宿の目玉、通常は混浴の墨の湯があって、ちょうどここが女性専用時間になる14時少し前に着いたのだ。

  
浴室の中には湯舟が2つあって、ウグイス色の濁り湯は五色の湯。
墨の湯の方は濃紺に見えるが、お湯も墨を流したように黒いわけではなく、よく見るととても細かな黒い粒子がたくさん浮かんで黒く見えるのだ。

写真は皆さんが上がった後で撮らせてもらったが、入った時には墨の湯の方はすでに10人ほどのお客さんで満杯。

そこで五色の湯の方から入ると、含硫黄 -ナトリウム- 塩化物 炭酸水素塩温泉というこちらは硫黄というよりもまるで発酵したお漬物か何かのような、なんとも不思議なにおい。
湯温は40℃と入りやすい温度だったが、常連さんによるといつもはもっと熱いそうで、湯口は55℃もあったから誰かがかなりうめたのだろう。

何人かのお客さんが隣の高尾の湯に移動したところで墨の湯の方に入ってみると、こちらは37℃とかなりぬるめ。
こちらも分析表上は五色の湯と同じ含硫黄 -ナトリウム- 塩化物 炭酸水素塩温泉になっているが、黒いのは鉄分ということで鉄っぽい匂いがして、しかし置かれたコップで飲んでみると意外に金気くささはなくてとても飲みやすい。

 それにしてもこの浴室、壁のタイルははがれてボロボロ、温泉成分で色も変色して、お湯の色ともどもインパクトMax。

女性専用時間は1時間だけなので、15時には外で待っている男性陣に場所を譲る。
しばらくは温泉のおかげで暖かかったが、やがて体も冷えてきたので、日帰りの受付が終わる頃に今度は女性専用の高尾の湯へ。

 
こちらのお湯は五色の湯、壁は墨の湯と同じような状態で、ここにもコップがあったので飲んでみると、こちらは卵の腐ったような硫黄のにおいが強烈、味は苦みや渋みもあってまずいの一言。

この浴室からは外に出られて、階段を降りたところには露天風呂。
 
こちらは硫黄成分が底に沈んできれいなエメラルドグリーン。
湯口の温度は55℃と熱いが、少し離れれば湯温は41、2℃、空気はひんやりとさわやかで気持ちいい!

18時ごろにお膳が運ばれて来て、この宿も食事は部屋で。

 ここではイワナがちょっと甘く煮てあるのが珍しく、しゃぶしゃぶもお肉たっぷり、栃木らしいイチゴのデザートがうれしい。

翌朝はカーテンを開いてみるとなんと外は雪。
 
おかげで思いがけず雪見露天が楽しめた。

 典型的な旅館の朝ごはんをいただいて
 チェックアウトの際にはフロントで墨の湯の温泉の素などお土産に買う。
このお宿、なかなか商売上手だ。

 
宿の人もこの時期ではびっくりという雪の中、車でバスターミナルまで送っていただいた。

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塩原で湯めぐり 2 「湯っ歩の里」「常盤ホテル」

2019-03-30 01:03:23 | 国内旅行
3月23日
 
10時に宿の車で塩原温泉バスターミナルへ。
 
 
土曜だけれどこの時間ではまだ人も車もほとんど見えない。
川の向こうに見えるひときわ大きな宿はホテルニュー塩原、道の両側には他にも宿がいっぱい。
 
歩いて行くとお寺があったのでちょっと覗いてみる。
 
境内が思いのほか広い妙雲寺さんは平家の落人が開いたとされているらしい。

 しばらく歩いて見えてきたのが「湯っ歩の里」
全長60mの足湯があるとのことなので来てみたのだ。
 
 
 
フロントで200円を支払い、無料ロッカーに荷物を預けたらパンツの裾をまくって足湯へ。
 
中央の入り口から右手はぬるめ、左手は熱めのお湯とのことなので、まずはぬるい方から。
  
足湯はふくらはぎの半分ぐらいまで来る深さ、ぐるりと木のベンチが作られている。
 
底には足裏を刺激するように石が埋め込まれているが痛すぎることもなく、38℃から43℃までの無色透明のお湯も気持ちよくて、なにより木を多用した建物がきれい。
閑散とした温泉街だと思ったがここには大勢のお客さんが来ていてちょっと安心。
 
週末のこの日は表で「塩原湯けむり餃子祭り」なるイベントも開催中。
 
宿泊者には塩原温泉水でゆでた水餃子がサービスされていたのでしっかりゲット。
 
さらにこちらは1パック200円の宇都宮餃子、2店を食べ比べてみたが、どちらも野菜が多くて癖のないやさしい味。個人的にはもっと肉々しい餃子の方が好きだけれど。
 
ところで塩原温泉の名物と言えばスープ焼きそばなるものなのだが、餃子を食べてしまったので焼きそばはもうちょっと無理。
そこでこの地のもう一つのご当地グルメ、「とて焼き」をいただくべく、榮太樓さんというお菓子屋さんの喫茶室へ。
 
とて焼きとは薄いホットケーキのような生地の中に具材を包んだもので、このお店ではイチゴとバナナ、生クリームと餡子が入っていたが、中に入れるものは食事系から甘いものまで、お店によって自由らしい。
生地には甘みがないので確かにこれなら何でも合いそう。おいしくいただいた。
 
さて、足湯には浸かったが次の宿に行くにはまだちょっと早い。
ということで通りすがりに気になった「常盤ホテル」に寄ってみることにした。 
貸切露天が1000円とはリーズナブルではないか。
 
入ってみるとロビーはなかなかきれいで、フロントもスーツにネクタイ姿。
バスタオルも借りて案内されたのがフロントのすぐ脇の通用口のような扉だったのにはちょっと驚いたが 
どうやらこの露天、小さな中庭に無理やり作ったような感じ。
しかし脱衣かごがあるだけの簡素な脱衣場を抜けてみると
 まわりが葦簀で囲われているとはいえ、石造りの浴槽にとてもきれいな透明のお湯が上品。
ナトリウム・カルシウム-塩化物・炭酸水素塩泉は自家源泉のかけ流しだそうで、湯口では50℃以上あるが外気に冷やされて浴槽内は40℃と適温。無色透明の癖のないお湯がやさしい。
 
こちらのお宿、休前日以外はかなりリーズナブルに泊まれるようで、こういうところに泊まるのもいいかも。
 
と言いつつ、我々はもうちょっとディープな所に向かおう。
 

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塩原で湯めぐり 1 奥塩原「渓雲閣」

2019-03-26 18:58:25 | 国内旅行

エチオピアの温泉に触発されたわけではないけれど、今度は友人と国内の温泉へ。

いつも大人の休日俱楽部パスを使うとせこく元を取ろうと遠出をしてしまうが、今回はパス利用ではないので近場の栃木県は塩原温泉へ。
那須や日光にはもちろん行ったことがあるが、塩原は近いわりに今まで行ったことがなかったりする。

3月22日

東京駅から新幹線の各駅停車「やまびこ」号で那須塩原まで。

 
たった1時間10分で着いてしまうので駅弁を食べるのも忙しい。
駅弁「祭」で買ったこの具だくさんの海苔巻き、ご飯がみっちりで思ったよりボリューミー。

 那須塩原の駅からはJRバスに乗って
 塩原温泉バスターミナルまでまた1時間10分。
在来線の西那須野まで市街をぐるぐる回るので時間がかかる。

バスターミナルからは宿の迎えの車で15分ほど。

 ふもとの塩原温泉からは500m上がり、標高1000mの奥塩原新湯へ。
もみじライン入り口の手前に宿が5軒あるだけの小さな温泉街に人影はないが
  
今夜お世話になる「渓雲閣」さんのお部屋は埋まっている様子。

青森の「山のホテル」に続いてこのお宿にもタヌキがいっぱい。
  
 こんなタヌキ大明神までいらっしゃるが、案内をしてくださった宿のご主人によれば「このあたり、狸も鹿も熊も出ます」なのだそうだ。

今回「レディース・プラン」なるものをお願いしたら
 
色浴衣が選べて、キティちゃんの付いた温泉ミストまでいただいた。

お部屋は10畳で明るく
  
入り口の両脇にトイレ・洗面台と流し、畳間の手前にテーブル・スペースのあるちょっと変わった造り。
  
部屋の中にもタヌキがいっぱい。

お着き菓子の温泉まんぢうをいただいたら、浴衣に着替える前にちょっと玄関の外へ。
  
宿の前には煙が上がっていて硫黄のにおいがプンプン、ここに源泉があるとのこと。

 その手前には共同浴場の「寺の湯」があるが、こちらは混浴なのでちょっと遠慮して、もう一つの「むじなの湯」に行こうと思ったら
 
温泉設備の故障でお湯がぬるく、入れないとは残念。
 こちらの浴場は部屋の窓からも見え、宿の浴衣を着ていけば無料とのことだったのに。

気を取り直して、それでは宿のお風呂へ。

まずはフロントのすぐ近くにある大浴場。
  
明るくてきれいな浴室の浴槽は10人以上は入れそうな大きさ。
硫黄の香りの強いお湯は白濁だが、真っ白というよりは細かい湯花がたくさん見える。
かけ流しというお湯は40℃の適温に保たれて、やっぱり硫黄泉は温泉らしくていいね。

 ロビーで冷たいお茶をいただいて一息入れたら
  
次は階段を2階降りた下にある貸切風呂へ。と言ってもこちらは我々の部屋のすぐそば。
空いていれば予約などなくても入れるこちら
 正面が開けて、これはいい!
外気に冷やされて38℃のお湯も長湯にぴったりで、友人と二人でまったり。

食事は久しぶりのお部屋出しで
  
イワナがカルパッチョになっていたり、揚げ物が揚げ出し大根だったり、一工夫あって味も良く
 デザートのプリンまで大満足。

 これも部屋出しの朝食も手をかけられたものが多くて、こちらも満足度高し。

浴室には化粧品類も充実していたし、どうもこの宿は女将さんが非常に頑張っている様子。
男性陣は柔らかい接客で気持ちよく、エレベーターがないので年寄りには向かないだろうが、いい宿だった。

 

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北東アフリカの旅 9 ダナキル砂漠

2019-03-21 18:21:40 | アフリカ
2月14日

風と波の音で騒がしかったテントでの一夜、夜明け前の午前5時ごろになったら周りが一段とにぎやかになった。

それというのも塩田の労働者たちが仕事前に一風呂浴びに来るからで、これは予想していなかったのでいささかびびったが、アファール族の男たちは礼儀正しくてツーリストのテントにちょっかいを出すことなどなく、キャンプ場の治安で問題なのはむしろ外国人なのだ、とは添乗員の弁。

現地人に交じって朝風呂をいただき、
 6時半ごろ、湖から日が昇るのを眺める。この時点で気温は27℃。

明るくなると子供連れが温泉にやってくるが
  
こちらの子供は目がクリクリとして本当にかわいい。

今日も出発はゆっくりということで、朝食後、添乗員に引き連れられて湖の周りを囲む塩田の見学へ。
  
塩湖の水をくみ上げて徐々に天日で塩にするおなじみの工程。
 
土混じりの塩だけれど、ちょっと失敬してきた。

10時にアフデラ湖畔を出発して北西に向かうが、しばらくは舗装道路が続く。
 
道路脇には石を積み上げたものがあるが、これはアファール族のお墓なのだそう。

やがて舗装道路をはずれていよいよダナキル砂漠に入って行くが、
 
この中をまっすぐ突っ切る道路を中国企業が工事中。この道、なんとこれから向かうエルタ・アレ火山へ行くための観光道路とのことで、いやはや、びっくり。

 
車は土漠から完全な砂漠に入り、風が吹くと周りが何も見えなくなるような砂嵐。
途中4台のうちの2台とはぐれるが、今日から乗ってきたアファール族ガイドがしっかり見つけてくれたとのこと。
 
さらにこの何の目印もなさそうな砂漠の中をナビして村に到着。

クルスワッド村というこちらの、小屋の中で本日の昼食休憩となったが
 
掘っ立て小屋のようでも中に入ればちゃんと風をよけられることに感心。

 
キャンプから持参したランチのメニューはマカロニと野菜炒め。
 
本日から同行してくれるアファール族のお巡りさんも一緒。
このエリアはエリトリアと隣接していて、ツーリストが誘拐されたり殺されたりしたこともあるのでツアーには同行必須なのだが、銃を持っていても緊張感はゼロ。

村を出てしばらく行くと遠くに低い山が見えてきて、これが目指すエルタ・アレ火山。
 
しかしここからの道がすごい悪路で、久しぶりに上下左右にゆすぶられた。

この道に耐えること1時間、14時にエルタ・アレの麓のベースキャンプに到着。
 
すでに車がたくさん来ているここには石を積み上げ、草ぶきの屋根を乗せたシェルターがたくさん作られている。
 中にはゴザが敷かれているが、この中にいても38℃もあって暑い!

と言うことで小屋の裏の日陰に座って外を眺めていると、エルタ・アレの山頂からは煙が上がっているのが見え
 
夕方になるにつれてラクダたちに荷物が載せられて出発の準備が始まる。
このシェルターの周りにはラクダ使いがたくさんいて、火山に上る観光客やその荷物を運ぶ仕事をしているのだ。

日暮れ近くなると車の数はますます増えて、何十台あるのかすごいことになった。
 
その隙間で、どのグループも夕食が始まる。
 
今夜もシェフが作ってくれた豆スープとお肉、野菜などなど。

その後、夜8時ごろから現地旅行社の混載ツアーや、日本のE社の若い女性だらけのツアーなども山登りに出発して行ったが
 我々はこの簡易ベッドを外に並べて、野天で就寝。
この夜は風もなく、外は暑くもなくて意外に快適に寝られた。


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北東アフリカの旅 8 アフデラ湖と温泉

2019-03-20 15:29:36 | アフリカ
2月13日 続き

カフェでしばらく休み、3時半に今夜の宿泊地に移動。

 
やってきたのはこちらのキャンプ地、スタッフがすでにテントを用意してくれている。

 一人一張りのテント内にはマットが一枚。

そして徒歩5歩の場所にアフデラ湖。

 
敷地内には今年になってから設置されたというトイレがあるが、テントから遠いのがありがたいと言うか不便と言うか。

さて、ここに到着した時点で外の気温は37℃、テントの中は52℃もある。
そこですぐに水着に着替えて、湖へ。

 
ここも塩湖で死海よりも塩分濃度が濃いとのことなので、30℃はあるだろう、生ぬるい水の中にゆっくり腰を落とせば体が浮いて足を上げられる。
 しかしこの辺りは遠浅で腕を下ろせば底に着いてしまうほど、風も強くてそのせいか湖とは言えかなり波もある。ヨルダン側の死海で初めて浮遊体験をした時ほどの気持ちよさはなくて、ちょっと残念。

しかしこのアフデラ湖には死海にはない素晴らしいものがある。
 
我がテントのすぐ後ろに湖に流れ込む天然温泉があるのだ。

 
お湯は地面の下から川のように流れだしていて、湯温は体感40℃ほどだろうか、自然のままでパーフェクトな熱さ。
 底にコケが少し生えているものの、水は湖に流れ出しているので常に新鮮なかけ流しでとてもきれい。においや味はないが、わずかにツルスベ感はあるので少しアルカリ性だろうか。
暑い中でもこのお湯に首まで浸かれば、気持ちいい!
 夕方になると塩田で働く人たちも汗を流しに来て大賑わいになったが、皆さん体を洗う時は下流と温泉マナーをちゃんと心得ていて感心した。

 湖に浮き、温泉に浸かっているうちに他のツーリスト・グループも次々に到着して駐車場も混みあってきた。
 
駐車場の脇の緑の小屋は現地人スタッフの宿泊所、その隣がキッチンで、食事はその前に並べられたテーブルで摂る。
 各グループ専属のコックを用意していて、我々のシェフは冷蔵庫付きのキッチンカーで来てくれたこちらの女性。
 
夕食は豆のスープから始まってチキンの煮込み、野菜もたくさん用意されて、デザートにはバナナフランベまで。
ホテルの食事よりずっとおいしい。

食後、寝る前にもう一度温泉に入ってテントに入ったが、暑いうえに外は強風、波の音もすごくて、熟睡とはいかなかった。


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北東アフリカの旅 7 セマラ~アフデラ湖

2019-03-18 17:26:01 | アフリカ
2月13日

ホテルの立派なレストランで朝ご飯。
 
手前の大きなボウルに入っているのはエチオピア料理で有名なインジェラというクレープのようなものを少しの野菜とドレッシングであえたもの。
かわいいお姉さんに「これはインジェラ?」と聞くとうれしそうににっこりしてくれたが、前日に余った食材を再利用した料理のような気がする。

本日の出発は珍しく10時半とゆっくりなので、無駄に広いホテルの庭を探索。

門の脇のお粗末な囲いにはダチョウがいて
 
この子は時々敷地内で放し飼いになっているらしい。

レストランの前の木には面白い形をした鳥の巣があるのを同行者の一人が発見。
  
 
入り口が下向きに開いたこの巣を顔の黒い、黄色い鳥が一生懸命に作っている。
 奥さんはこちらの地味な羽色。

添乗員が紹介してくれたのは「ソドムのリンゴ」という植物。
 今までも中近東や北アフリカなど、あちらこちらの乾燥した道端でよく見かけたこの花だが
 
実を見たのは初めて。紙風船のように膨らんだ中に種ができていたが、この植物から出る白い樹液はブッシュマンが狩りに使うほど毒があるのだそうだ。

 
オートリキシャも走る町を出ると道は上り勾配になって

ジブチからつながる大地溝帯をまた見る。

 
乾燥しきった景色の中、快適な道路を順調に飛ばして
 
昼食のために停まったのは西部劇に出てくるゴーストタウンのような所の「ドライブイン」。

 
ここにはエチオピアらしくコーヒー係のお姉さんがいるが
 
キッチンでできるのはインジェラだけ。どうもこのあたりのドライブインでは一つの料理しか作らないようだ。

そしてこのインジェラ、ちょっと見汚れた台ぶきんのようだが、味はちょっと酸味のある厚手のクレープで、決してまずいものではない。
しかしこの日はエチオピアで頻繁にある菜食の日とやらで、かかっているソースにはなんの具もなく、ピリ辛だけれど味に深みもない。これまでのパスタのソースも同じで、どうも出汁の観念がないよう。
この一皿を3人でシェアしたが、これで240円ぐらいだとか。

 ここからさらに進んで、標高500mほどの所から坂を下っていくと前方に湖が見えてくる。

周りを塩田に囲まれた、これがアフデラ湖、標高ー100m。

湖畔には午後3時に着いたが、宿泊所に行く前に町にちょっと立ち寄り。
 ここは塩田で働く労働者や、塩を運ぶドライバーたちのための町なので
 
雑貨屋の他は飲み屋ばかり。他の町とは明らかに雰囲気が違う。

中で大きなこちらのカフェで、冷たい飲み物をもらって一休み。
 
と言うのも、早く宿泊地に行っても日陰がなくて暑いばかりだから、とのことだが
 ジモティーがビリヤードの球を転がして遊んでいたゲーム、しばらく見ていてもちっともルールはわからなかった。


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北東アフリカの旅 6 エチオピア入国

2019-03-15 18:46:50 | アフリカ
2月12日

電気のないキャンプでの夜は早い。
9時ごろには寝る体制に入ったけれど、暑いわ、隣のいびきはうるさいわで朝の4時には起床。

しかし今朝はアベ湖の日の出を見に行くことになっているのでちょうどいい。

6時前に車でチムニー群の近くまで来ると
 明けの明星がきれいに見える。

次第に明るくなる中、それぞれ好きな所で写真を撮って
 
 予想外に遅かったが無事に日の出を確認。

しかし朝のアベ湖には思わぬ伏兵がいた。
キャンプのテントには蚊がたくさんいると事前に言われていたので蚊取り線香や携帯用の虫よけなどで完全装備、おかげで蚊には刺されずに済んだのだが、昨日の夕方にはなんともなかったこの岩場、日の出間近になったらコバエより小さなブヨが大量発生して、サンダルの足や半そでの腕を刺されまくり。
おかげで旅行の間中かゆみに悩まされ、帰国してお風呂に浸かったらやっとかゆみは取れたが、虫刺されの痕はまだ残っている。
夏までにきれいになってくれるだろうか。

キャンプに戻って朝食をいただき、出発の準備をしているうちに日もすっかり上がった。
 
  
見ているとヤギの群れやラクダの群れが行き交って、朝はなかなか忙しい。

我々も8時には出発してディキルまで戻り、その後は幹線道路をエチオピア方面に向かう。

途中、お昼はトラックなどもたくさん停まっているドライブインで。
  
 
謎の日本紹介ビデオを見ながら、今日も辛いソースのスパゲティ。コーラは珍しや、ジブチ50周年の記念ボトル。

店の奥には売店もあったので覗いてみると
 
大量に積まれたパスタはトルコ製だった。

食後はひたすら国境を目指す。
 
道はまっすぐで遠目にはよく舗装されているようだが、実はあちこち穴があってデコボコ、さらに暑いとアスファルトが溶けてタイヤが傷む、ということで
 どの車も道路に乗ったり、はずれたり、好きな所を走る。

風景は乾ききって町や村もほとんどないが
 道端にはヒヒがいたり
 
ハゲワシの群れが羽を広げているところにも出くわした。

 ジブチ側の国境には15時に到着。
ガイド氏が出国手続きをしている間待っていると
 ラクダの行列がジブチからエチオピアへと歩いて行った。

ジブチの出国には45分かかり、
 3キロの緩衝地帯を車で走ってエチオピア国境へ。

こちらの通関には時間がかかるということで、立ち並ぶお茶屋さんの一つでアムハラ語のコーラを飲んでいたが
 
今回は思いのほか緩かった、ということで30分で手続きが終わってくれた。

国境からは道路の状況も良くなって、2時間で今夜の宿泊地、セマラの町に到着。
 アパートなどの並ぶこの町はこのあたりの行政の中心、軍の施設や大学があるらしい。

 
宿泊するAgda Hotelもずいぶん立派に見えるが、敷地が広すぎて宿泊棟までえらく遠い。
 
ロビーに比べてだいぶ質素な部屋だが、日向水のシャワーにももう慣れた。

夕食はえらく時間のかかるレストランで
 
とてもしっかり揚げたフライドチキン。またスパゲティじゃなかっただけいいとしよう。


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北東アフリカの旅 5 アベ湖

2019-03-14 17:38:16 | アフリカ
2月11日

朝、海からの日の出を期待したが雲が多くてちょっと残念。
 
しかしオムレツなどの朝食をいただいて出発する頃には快晴になった。

 
アッサル湖やタジュラ湾を見ながら来た道を戻り、さらに南へ。

すると道中には2,3人づつ連れ立って歩く男たちがたくさんいるが
 
彼らはエチオピアから歩いてジブチの港を目指し、ドバイなど中東で働くために密出国しようとしているのだとか。
ほとんどは手ぶら、水を持っていればいい方なのだから、その執念というか必死さには驚く。

ジブチも南端に近いディキルという町の入り口で昼食休憩。
  
 
できますものはスパゲティの一択なのだが、ミートソースのように見える赤い汁に入っているのはツナ缶だったか、かなり辛い。

 
雑然として町はずれなどゴミだらけのディキルの町で現地ガイドを一人ピックアップして
 
ここからは舗装されたメインロードをはずれて、乾燥しきった風景の中のオフロードへ。

  
 こんな所にも村があり、町があって
 
一体どれだけ歩くのか、ラクダやヤギを追う人がいる。

 
途中、ロバに交じってイボイノシシとガゼル、ダチョウがいると教えられたが
 望遠を使ってもこんな景色の中、現地ガイドが目ざとく見分けるのだそうだ。

 やがて前方に特徴的な風景が見え始めて
 
 
本日の目的地、アベ湖に到着。
ここは元々大きな塩湖だったのだが川の上流にダムが作られて湖が干上がり、すると湖底のチムニーと呼ばれる火山性の噴出孔が見えるようになったのだとか。 

面白い風景だが、まずはねぐらを確保するためキャンプへ。
 
ここには石造りの小屋などが密集して建てられているが、石小屋は暑いということで
 
我々はアファール族のアリと呼ばれるテント、一張りに一人づつ。
中には蚊帳で覆われる簡易ベッドがあり、
 
外にはちゃんと水洗のトイレとシャワー室まである。

しかしこのテント内、4時ごろでも37℃もあって、とても中にはいられない。
少ない日陰で少し休んだら、
 夕陽に照らされるチムニーを見に、また車でキャンプ場から下へ。

 
 
煙を吐いているもの(もあるらしい)は見られなかったが、とがった形は確かに煙突のようで
 
近くで見ると噴気孔や、噴出したものが固まった跡もよく見える。

この景色、オリジナルの「猿の惑星」のロケ地と言われるそうだが、実は候補地ではあったけれど実際にはアクセスが悪すぎて採用されなかったとか。

こんなところでも近所には住人がいて
 
ロバさんたちも家に帰って行く。

 日が落ちるのを確認して、我々もキャンプへ帰還。

かなり待たされた夕食はこのキャンプのコックが用意してくれたもの。
 
たっぷりのサラダと焼肉はうれしかったが
 ソフト麺のようなスパゲティにコクのない野菜ソースは、う~ん。

しかし隣のテーブルのイタリア人たちはこれを平らげていて、イタリア人はこのパスタが許せるのか、とびっくりした。


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北東アフリカの旅 4 タジュラ

2019-03-12 17:11:13 | アフリカ
2月10日 続き

3時少し前に到着したのはタジュラ湾をはさんでジブチ・シティの対岸にあるタジュラの町はずれのLe Golfeというホテル。
 Golfeと言ってもスポーツのゴルフではなく、フランス語で湾のこと。

その名前の通り宿はタジュラ湾に面していて
 
主な顧客である各国駐留軍のキャップをたくさん飾ったバーの表には気持ちのいいテラスがある。

 部屋はコテージ形式で
 
中はシンプルそのものだが、クーラーに扇風機、テレビに冷蔵庫(電源が入っていなかったけど)、それに日向水のような温水シャワーがあれば十分。

夕食の時間までは自由だというので、日が少し傾き始めた頃、もう一人のツアー参加者と町の探索に出かける。

ホテルはタジュラの町の中心からは1.5キロほど離れているので一本道をてくてくと歩いていくと
 結構需要があるのか、オートリキシャが走っている。

 仲良く手をつなぐ男たちの歩く町の中心に近づくと
  
電話屋やパン屋
 
ヤギもくつろぐ雑貨屋などが出現する。

 道端ではドーナッツなどの揚げ物を売る女性たちがいて、おいしそうだけれど現地通貨を持っていないので買えない。眺めていると皆さん人懐っこく相手をしてくれるが、カメラはノン、ノン。
 
ただし子供ならばOKはどこの国でも同じ。

 メインストリートが内陸に曲がるあたりはこの町の「官庁街」らしくて、ちょっときれいな建物が見える。
ここから海の方へ行ってみると
 
浜辺には漁船が浮かび
 
海岸沿いのプロムナードではヤギを連れておデートするカップルもいた。

  
この町にもカート売りの屋台がいくつも出ていて、一束500フラン(約300円)とお兄さんは言っていたけれど、屋台の壁に値段が書いてあるということは定額なのだろうか。

  
古いミシンが飾られていたり、古着が売られていたりするのを眺めて町を一周したら、元来た道を戻る。
 するとラクダの親子がやってきたが、ラクダも牛のように自力で家に帰れるのだろうか。

シャワーを浴びてさっぱりしたら、夕食はテラスで7時から。
 
さっきまでいたタジュラの町にも明かりが灯り始めている。

 メニューは海辺らしく、カジキのような魚だったけれど、可もなし不可もなし。
 運転手さんたちはエチオピア人らしくインジェラに肉の炒め物やパスタを乗せたものを食べている。ちょっと味見をさせてもらったら、こっちの方がおいしい!

ところでエチオピア、お相伴をお願いするとゲストには手で取ったインジェラを相手の口元に持っていく習慣がある。これをそのまま口で受け取るのが礼儀だそうで、そうしていただいた料理をほめたらとてもうれしそうにしてくれた。


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北東アフリカの旅 3 大地溝帯とアッサル湖

2019-03-11 21:26:08 | アフリカ
2月10日

ホテルのごくありきたりな朝食。
 ではあるけれど、元フランス領はどこでもパンとコーヒーがおいしいのがありがたい。

ジブチ・シティを離れる前に、この国のほとんど唯一の「産業」である港を見学。

海に面したこのエリアをフランスに取られ、さらに独立されてしまったためにエチオピアには港がない。
そのため船で運ばれる物資はすべてこの港を経由しなければならず、おかげで一人当たりのGDP統計ではジブチがエチオピアを上回っているのだとか。

しかし港にそびえるほぼ唯一の高層ビルや、周りの工事現場でも見えるのは漢字ばかり。
 
町を出る時に見えたジブチとアジスアベバを繋ぐ新しい鉄道も中国製だと言うし、郊外に建設中のフリートレードゾーンの施設に至ってはジブチの国旗と並んで堂々と赤い旗がはためき、この国は大丈夫なのかといささか心配になってしまう。
 貿易関係の施設に比べて道路脇には掘立小屋のような住居が見えるし、首都の中心でさえみすぼらしい状態だったのだから。
  
店の壁に描かれた絵はかわいいけど。

 町を出るとまっすぐな舗装路はひたすら乾燥地帯を行く。

道路脇にはあちらこちらにポリタンクが置かれていて、そんな集落の一つで小休止。
 
これは井戸のない村に定期的に給水しているのだそうで、JICAの活動の一つなのだそう。

この少し先でまた停まったのはアフリカ大地溝帯の最深部を見るため。

ジブチからタンザニアまで走るこの谷はプレート境界で、何十万年か後にはアフリカ大陸がここでぱっくり割れてしまうのだとか。
  
ここでは谷の深さが350mあるそうだが、当然柵などはなくて、谷底をのぞき込むとスリル満点。

ここにどれだけ観光客が来るのか、駐車場には土産物売りがいて
 
軽石を削ったラクダが最近はトラックやヘリに進化しているらしい。


タジュラ湾の一番奥で海を遠望したら車は少し内陸に向かい、
 丘の上からどんどん降りていくと前方にきれいな湖が見えてくる。

これがアフリカ大陸最低標高にあるアッサル湖。
 
 自分の高度計ではー125m、公式にはー155m。
塩分濃度が34.8%もあるという塩湖なので、白いのは砂ではなくすべて塩だ。

 
日陰もないところなので、車の陰に入ってチキンサンドのお弁当でお昼。

するとどこからかやって来る塩売りのおじさん。
 
売っているのはパールソルトという丸い塩の塊。これは浅い湖水の中で塩の塊が転がって自然に丸くなるのだそうで、大きいのも小さいのも一袋2ドル。

昼食後はまたタジュラ湾方面へ戻るが、この辺りはいつも風が強いらしく
 こんな形になった木がいっぱい。

こんな厳しい生活環境にも遊牧民のアファール族がいて
 
ひしゃげたお椀を伏せたような形に木の枝を組み、ヤシの繊維を織った布をかぶせたテントに住んでいる。

海岸沿いに出ると家の数も増えて
 
今日の宿も近い。 


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コメント (10)
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