Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

南極旅行 14 サウス・ジョージア、ソールズベリー平原

2014-03-31 13:48:40 | 北米/南米/南極
2月12日

早朝、デッキに出てみるとサウス・ジョージアの雪をかぶった島影が見えてきた。
 外気温は1℃とさすがに寒くなった。

9時からゴムボートで上陸開始。
 
海岸のゴマ粒はペンギンだ~。

 
ここにいるのはキング・ペンギンと言って皇帝ペンギンの次に大きい種類。そしてペンギンたちの間を動き回っているのは南極オットセイ。
ペンギンからは5メートル、オットセイからは15メートル離れるように言われているが、5メートル離れるだけのスペースがないほどペンギンがいる。

 砂浜からちょっと上がったところは草地になっていて、草の上にはオットセイたちがゴロゴロ。

その草地の上に上ってみると、その向こうに

なんだ、このペンギンの数は!

20万羽いるというこのコロニーの大きさとペンギンの鳴き声は動画でなければ捉えられない。



 キング・ペンギンは皇帝ペンギンにそっくりだけれど、体長が90cmほどで皇帝ペンギンよりは小さく、南極大陸には生息していない。 
   
大きな黒い脚で歩く姿がなんだか人間くさくて、つい話しかけてしまう。

 
ペンギンの中では一番好奇心が強くて、こちらがじっとしていると向こうから近づいてくる。
  
近づきすぎたら写真が撮れないよ!

ペンギンの群れの中にはまるで大きな蓑をかぶったような茶色いのがいるが、これはヒナ。
 
親はそっくりなのに、ヒナは皇帝ペンギンとは全く違うのが面白い。
 もう夏も終わりなのでだいぶ大人になっている。

 こちらは同じように羽が抜け替わっているが立派な大人。ペンギンは年に一度、羽が抜け替わるそうで、その最中は撥水性がないので海に入ることができず、エネルギーもいるのですごく消耗するのだそうだ。 

 
 こちらはペンギンたちと同居している南極オットセイ。
英語だとSouth American Fur Sealでアザラシみたいだが、後足が前を向いていて陸上を歩くことができ、小さな耳があるのはアシカ科でアザラシとは区別される。
 この写真の手前が耳のあるオットセイ、大きいのは耳のないゾウアザラシの子供。 

でこのオットセイ、島にいるのは子供と母親ばかり。父親はもうお役御免で海に帰ってしまったらしい。
 
子供はかわいいのだが、
 それを守ろうとする母親は結構狂暴。近づくと歯をむいてくるし、走るのが早くて怖いのだ。雑菌だらけの歯でかまれたらえらいことになると聞いていたので、最初に駆け寄られた時はこちらも走ってしまった。しかし犬と一緒で、じっと睨みつけるのが一番いいんだって。
 ペンギンもツンツンしてくれるし。

 
海で遊ぶオットセイやペンギンを見ているうちに
 
雪が降ってきた。 
   
 
動物たちにバイバイし
  
ペンギンたちに見送られて、3時間遊んだ海岸にさようなら。


ペンギンとオットセイをもっと見たい方はこちら↓



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南極旅行 13 フォークランド~サウス・ジョージア

2014-03-28 19:29:36 | 北米/南米/南極
2月10日

 フォークランド諸島から次の寄港地、サウス・ジョージアまでは約1,000kmあるということで、2日間は海の上。

 今朝はこれまでで一番の快晴。海は穏やかだし、気温も早朝6時で7℃とまだ暖かく、デッキで日向ぼっこが気持ちいい。

洋上の一日はレクチャーがいっぱいで、午前中まずは海洋ほ乳類のお話。
Cetacean (クジラ目)とか porpoise(小さいイルカ類)とか、聞いたこともない英単語が山のように出てくる。
そしてクジラの話となれば捕鯨と保護の話になるわけで、「日本に捕鯨をやめさせることはできないの?」なんて質問がアメリカ人から飛び出してくる。
講演者はちゃんと「現在も捕鯨を続けているのは日本だけではない」と言ってくれるが、どこの国とは名指ししないし、とにかく欧米人の頭の中では「捕鯨=日本」の図式が固まっているらしい。鯨を絶滅寸前まで獲りまくったのは自分たちのくせに。
日本と言う国はPRや自己主張がほんとに下手だと実感する。

その後は写真撮影講座で、船に乗り込んでいるプロカメラマンが自分の作品を紹介しながら風景写真のコツを説明。
一眼を買ったばかりなので興味津々。

午後からはまずペンギンの話。
これから行くサウス・ジョージアこそペンギンの宝庫なので期待が膨らむ。

続いてはアーネスト・シャクルトンの話。
サウス・ジョージアはエンデュアランス号の出発地であり、シャクルトンが救援を求めて戻ってきた場所でもあるので島に着くまでは「シャクルトン」一色。
前日の夜もドキュメンタリー番組をみせていたし、これらの話を聞いていればそれだけでもシャクルトン通になれるが、このコースに来るなら彼の航海記は絶対に読んでおいた方がいい。
ある程度の思い入れがないと「またシャクルトンの話なの」とぼやくことになる。

レクチャーの合間にデッキに出てみればアホウドリの中でも一番大きいワタリアホウドリがいっぱい飛んでいる。
 
羽を広げると3メートルもあるそうで、船上から見ていてもさすがに大きい。
ほとんど羽ばたくことなく風に乗って飛び回る姿は実に気持ちよさそう。

 夕方まで快晴が続いたが、空気のきれいすぎる南極では夕日で空が真っ赤に染まることはないのだそうだ。


2月11日

サウス・ジョージアに向かって、本日も航海の一日。
 今日も朝から快晴が続く。

午前中にビデオなどを使ってサウス・ジョージアの説明がある。

サウス・ジョージアは1775年にキャプテン・クックによって発見され、1908年からはサウス・サンドイッチ諸島とともに英領フォークランドの行政下にあったが、1985年からは独立行政区となっている。
と言ってもサウス・ジョージアの「住人」は夏で30人、冬には10人ほど。
ただし夏の観光シーズンにはクルーズ船やヨットで訪問者が7000人ほどあるのだそうだ。

絶海の孤島なので固有の動植物が多い。
それを保護するために、レクチャーの後には全員で「バキューム・パーティー」。
 掃除機で服やバックパックなどの持ち物を吸い取り、種子などを持ち込まないようにする。

お昼を過ぎた頃、特徴的な三角岩が見えてきた。
 Shag's Rock と呼ばれているこの岩
 望遠で見てみると黒い鳥がいっぱい。
Shag とは鵜のことなのだ。

この岩のあるあたりから南極収束線の南に入る。
南極収束線とは南極の冷たい海水と亜南極の比較的暖かい海水が出会う潮境のことだそうで、外に出ていると風が明らかに冷たくなったのがわかる。

時差もあるとのことで、夜寝る前に時計を1時間進める。


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日本橋散歩でブータン&レバノン

2014-03-27 18:54:09 | 食べ歩き
桜も開花してようやく暖かくなったので、珍しくも日本橋なんぞにおでかけ。

まずは三越で開催中の「知るカフェ ブータンウィーク」。

 
本館1階の中央ホールにテーブルが並べられ、まわりにはブータンがらみの書籍や乾燥松茸、そば、工芸品などを陳列、販売。
 コウケンテツ(ちょっと前にNHKの番組でブータンに行っていたよね)のブータン弁当なんてものも売っていたが、かご入りで2500円とお高い。
 
  
ステージではブータンに関するトークが行われていたので、それを聞きながらミルク入りの磚茶を注文。
アイスを頼んだら激甘でびっくり。現地では磚茶に砂糖を入れることはないし、もちろんアイスにすることもないけれど、こんなに甘くすることはないだろう。
器はブータンで焼かれたものだそうだが、シンプルでなかなかいい。昔はこんなにしゃれたものはなかったし、ほしいと思ったがなぜかこれは売っていない。

トークも内容が浅いし、全体に何をアピールしたいのかがよくわからず、まわりに並んでいるブータン人留学生たちもどうしていいのか戸惑い気味なのが残念。
とはいえ三越でこんな風にブータンが取り上げられるとは、とちょっと感慨深い。

  
入口ではミス・ブータン(左端)が散華(仏様に備える豆の種)をくれるが、背が高くて顔がちっちゃ~い。現王妃もそうだが、小づくりでちょっと釣り目がブータン美人の条件らしい。

三越を出てみると、オープンしたばかりのコレド室町がたくさんのお客でにぎわっている。
歩くと島根とか三重とかのアンテナ・ショップもあって
 つい何か買っちゃうんだよな。

日本橋もおしゃれになった、と感心しながら馬喰町まで歩き、次のお目当てはこちら。
   
地味なビルのさらに地味な階段を上がると古い事務所の入り口のような扉。
ここが「馬喰町 Art+Eat」というギャラリーカフェ。

 
現在は「散歩とごはんのくりかえし」という旅行の写真展を開催中で、大きなポスターがいい感じに貼られている。
 テーブルの上のランチョンマット代わりにも食べ物の写真のコピーが使われていて、席ごとに異なる一枚一枚に撮影者の手書きコメントが付けられているのはとてもいいアイデアだ。

ここはレバノン料理が売りとのことなので
 レバノンチキンのバーベキュープレートを注文。
大好きなタブーリ・サラダの味付けがよく、野菜がたっぷり。チキンもおいしくてピタパンにはさむのにちょうどいいが、味付けはそれほど「レバノン風」ではなく、量はお嬢様サイズでいささか物足りない。

レバノン料理目当てに行くと言うより、近くでおしゃれにお茶するのにちょうどいい、というところだろうか。

しかしこういう店が増えてくれるのはとてもうれしい。


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南極旅行 12 フォークランド島、ポート・スタンリー

2014-03-25 15:29:40 | 北米/南米/南極
2月9日


昨日のウェストポイント島から一晩航海してきたが、朝にはまだ首都のポート・スタンリーに到着していない。

朝食を終えてからようやくスタンリーが見えてきた。
 
小さな家の屋根がカラフルだ。

 船が接岸したのは貨物用の埠頭のようだが、いかにもイギリスっぽい公衆電話ボックスが並んでいる。

 
タラップが降ろされると入国管理のための小屋がフォークリフトで運ばれてくるので笑ってしまった。
下船の際には番号の付いたカードが渡されるが、これがないと再び乗船できないのでなくさないように注意しないといけない。
 そしてパスポートにはこんな入国スタンプが押される。
フォークランドはイギリス領だが、自治が認められているので独自の旗や通貨まであるのだ。
全島の住人約3500人、そのうちスタンリーに2000人が住んでいるそう。

上陸してまずはバスに乗り、
 
こんな景色の中を15分ほど走って Gypsy Cove というビーチへ。
 
崖の下に小さな白砂の浜辺が見えるが、
 ここはマゼラン・ペンギンの営巣地。
 
巣は草地の中に穴があるようだが、遊歩道には柵があって、昨日のように近くには寄れないのがもどかしい。

そしてこの柵がある理由の一つは地雷が残っているかもしれないから。
 
丘の上には高射砲も残っているし、こののどかなビーチはフォークランド紛争の戦場跡なのだ。

1時間半ほどビーチを歩いた後、またバスに乗って今度はスタンリーの街中へ。
  ビジターセンターの前で解散して夕方まで自由時間。

ちょうどお昼なのでドイツ人、イスラエル人のお兄ちゃんたちと食事ができるところを探す。

入ったのは港からちょっと離れた一軒のパブ。
 
客はいかにも地元の漁師っぽいおじちゃんたちばかりで、テレビに映っているのはイギリスの番組。
 フィッシュケーキ・バーガーにレモネードを頼んで、お支払いはUS$7。 
現地通貨は英ポンドだが、どこでも米ドルを受け取ってくれる。
ちなみにフォークランド・ポンドというのもあるそうだが、残念ながら見ることはなかった。

食後はぶらぶらと、クルーズ・スタッフのカメラマンから写真撮影のアドバイスなど受けながら街の散策。
 正面には穏やかな湾が広がり、横に広い町には
  
教会やタウンホール
  
警察署に総督官邸
  
19世紀末に建てられたテラスハウスなど、とてもイギリスっぽい。

 
島にはペンギン・ニュースという新聞社があるし、どうもテレビ局もあるらしい。
 ゴミ箱にまで誇らしげにフォークランドの紋章がついている。

町の端まで歩いたところにあるのは博物館。
 
中はちょっと骨董屋のようだけれど
 
奥にはフォークランド紛争の部屋もあり、リアルタイムで知っているのでついこの間のことのように思っていたが、もう30年以上経っているのだとホコリくさい展示が教えてくれる。

 こちらは海岸ぺりにある「1982解放メモリアル」。
奥の壁に戦死者の名前が刻まれているが、イギリス側の戦死者は256名。対するアルゼンチン側は645名亡くなったそうだ。

これでスタンリーの見どころはほぼ網羅してしまったので、最後はスーパーを覗いてみる。
 町に2軒あるうちの1軒らしいが、他は土産物屋ばかりなのでさすがに大きい。
  
お菓子や飲み物など、やはりイギリスらしい品揃えで、「こんなところでウェイトローズの品を見るとは思わなかったわ」とイギリス人もびっくり。
 
肉だけはさすがにフォークランド産のビーフやマトンが並んでいて、ランプステーキがキロ10.47ポンド(約1800円)と安い。しかし他は野菜も含めてほぼ冷凍食品ばかり。魚はどうも見た覚えがない。

夕方5時半にビジターセンターに戻り、
 この出国小屋を通って
 今度はゴムボートで沖合に停泊中の船に戻る。

 夏のフォークランドはきれいでかわいかった。


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南極旅行 11 フォークランド諸島、ウェストポイント島上陸

2014-03-22 14:15:09 | 北米/南米/南極
2月8日

朝、目を覚ますと船はすでにフォークランドに到着して、島の沖合に停泊していた。


東西二つに分かれたフォークランド島のうち、西島のさらに沖に浮かぶウェストポイントという小島。

気もそぞろに朝食をとり、レンタルの防寒着を着込んでマッドルームへ。
 ここは泥の付いたブーツを置いておくので「泥の部屋」。ここでブーツを履き、小さな救命胴衣を着けたら船側に並んでゾディアックというゴムボートに乗る。

  
タラップを降りて乗り込んだら、ヤマハのエンジンでビューン。

 
この島には農家が一軒だけあり、その家の下にある石ころだらけの浜に上陸。

と浜にはジープが一台停まっており、その下にもぐりこんだペンギンを発見!
  
おまたせしました、今回の旅のペンギン第一号。これはマゼラン・ペンギンだ。

この浜から島の対岸まで3km、ジープでも行けるが歩いてもいいと言うので歩くことにする。

 
ちょっと丘を登ると入ってきた湾がきれいに見え
 翻っているのは英領フォークランドの旗だ。

  
風がいつも強いのか、わずかに植えられた木は傾いでいて
  
地面は丈の低い草と苔に覆われている。

この日は曇り空ながら、夏のこととて気温は10℃近くもあり、厚い防寒着を着て重いブーツで歩いていると大汗をかいてしまう。
やがて前方に海が見え、鳥の鳴き声が聞こえて、ちょっと怪しげな匂いもしてきた。
 草地に入り、背の高い草を分け入って行くと

 
うわ~、鳥がいっぱい!しかも手の届くところにごしゃごしゃいる。

 ここは Black-browed Albatross(マユグロアホウドリ)と Rockhopper Penguin(イワトビペンギン)が同居する営巣地。アホウドリはペンギンの卵を食べないので、トウゾクカモメなどから子供を守るためにこうして同居しているらしい。

  
イワトビペンギンはこのあたりのペンギンの中では一番小さくて背の高さが5,60センチ。黄色い眉毛が目を細めているように見えるが、その下の目は赤く、トサカがファンキー。
 子供はこの時期もうかなり大きくなっているが、トサカがなく、くちばしも黒いのですぐ見分けがつく。
  
名前の通り岩場が好きらしいが、草の中に巣を作っているのもいて、気を付けて歩かないと踏んづけてしまいそうになり、
 ちっこいくせに時々大きな声を出して鳴くので、いきなり近くでやられるとびっくりする。

 
マユグロアホウドリは名前の通り、立派な眉毛がある。ヒナは灰色でモフモフ、巣の中に一匹づつ納まっている姿がかわいい。
アホウドリの中では中サイズだそうだが、羽を広げると2メートルもあり
 
飛ぶ姿はかっこいい。

と言うわけでアホウドリの舞う営巣地のビデオはこちら:


ペンギンをもっと見たい方はこちら:


ペンギンはいくら見ていても見飽きない。

とは言ってもいつまでもここにいるわけにはいかないので、帰りはジープで上陸した場所まで送ってもらう。

ボートに乗る前にはこの島唯一のお宅訪問。
 
 
住人はドイツ人とスウェーデン人のカップルで、普段は二人っきり、2年前からこの島に住んでいるのだそう。
羊を飼っているとのことだが、夏の間、我々のように島を訪れる観光客にお茶を出すのも生計の一部のようで、テーブルいっぱいに広げられたおいしいお菓子はすべて手作り、カップは100組もそろえているとか。
島の「首都」スタンレーまでは船で6時間。いろんな人がいるものだ。

初めての上陸、ペンギンとの遭遇にすっかり満足してお昼に船に戻る。

午後はすぐ隣の Carcass Island にまた上陸の予定

だったのだが、天気は良くなったものの、波が荒いということで上陸は中止。
 一度おろしたゴムボートがクレーンで戻される。

 この砂浜も遠望しただけで上陸はなし。 
 でもよく見ると浜はペンギンでいっぱい。

その代わりというか、夕方になると船の近くにイルカが遊びに来た。
 
まるでパンダのように白黒のこのイルカ、Commerson's Dolphin と言って日本語名はイロワケイルカというそう。
 かなり長い間、船の周りを泳ぎ回っていた。


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南極旅行 10 洋上の一日

2014-03-19 18:02:29 | 北米/南米/南極
2月7日

船上で過ごす一日目、朝の6時に目が覚めた。

船では毎日のアクティビティに合わせて食事時間などが決められるため、毎朝スピーカーでモーニング・コールがある。
しかしベッドに入るのが早いためか、毎朝モーニング・コールよりかなり前に目が覚めてしまって、すっかり早起き族になってしまった。

まずは外の様子を見ようと最上階(6階)にあるブリッジにあがってみる。
 外はどんよりとした曇り空だが、外気温は8℃もあって、フリースでも着ていれば十分。ちなみに船の中は24℃もあって、Tシャツ一枚でも暑いくらい。

この船では「オープン・ブリッジ・ポリシー」を採っていて、天候が悪かったり、入出港で忙しい時以外はブリッジに自由に入ることができる。
 
船長は小柄ながら白いひげで威厳たっぷりのロシア人。しかしこのキャプテンはまったく愛想がなくて、自分だけではなく、クルーにも乗客とのやり取りを禁じているらしい。姉妹船のロシア人船長やクルーはすごくフレンドリーだった、と乗ったことのある人が話していたから、船の雰囲気というのはリーダーの性格や考え方で決まるらしい。
キャプテンは王様なのだ。

ブリッジの左半分では航海士が常に海上を見張っているが、右半分ではツアースタッフの鳥類学者が朝から鳥の姿を確認し、何が見えたか記録を付けている。
 
スイスイと飛ぶ鳥を「あれはなに、これはなに」と教えてくれるのだが、こちらはアルバトロスがアホウドリぐらいしかわからないし、細かい違いなど見分けもつかない。それでも教えを受けているうちには興味もわいてくるが、飛んでいる鳥の写真を撮るのは難しい。

ブリッジと同じ6階にはバーラウンジがあって、ここは明るくて気持ちがいいので暇な時はたいていここで過ごすことになる。
朝食の30分前になると、バーテンダーのおじさんが毎朝スムージーを作ってくれる。
 
ちなみにこのイギリス人のおじさん、大阪に10年住んでいたとかで、暇な時は日本語でおしゃべりしてくれた。
ツアースタッフはユニークな人が多くておもしろい。

さて、今回の19日間の航海ルートは地図の赤線の通り。

本日はフォークランド諸島へ向かってウシュアイアから北東へ一日海の上。
おかげで悪名高きドレーク海峡を通過することなく、海はいたって穏やか。
乗客の多くが船酔い止めのパッチを耳の後ろに貼っているが、そんなもの必要なさそう。
 その証拠に朝食のテーブルに空きはほとんど見られなかった。

朝食の後には明日からいよいよゴムボートに乗って上陸が始まるため、まずは全員必須のゴムボートの乗り降り説明会。
 プレゼンテーションの部屋は船の一番下、デッキ1にあるので、ここまで階段を上り下りすると結構いい運動になる。

その後はアルゼンチン人の南極研究者からフォークランドの植物についてのレクチャー。
フォークランドには固有種が13あるのだが、イギリス人入植者の持ち込んだ羊が増えすぎて、ほっておくと絶滅してしまうとか。

昼食とお昼寝タイムの後にはツアーリーダーのレクチャー。
今回のリーダーはオーストラリア人だが、南極に何十回と来ているベテランで、著書や関わった映画、テレビ番組多数。
船の運航と安全に関しては船長が、停泊地での活動に関してはツアーリーダーが責任を負うことになる。

本日のお題は「フォークランドの自然と歴史」。

フォークランド諸島は1592年にイギリス人によって発見され、1776年から正式にイギリス領となったのだが、1540年に先にスペイン人が発見したとの説もあって、それがアルゼンチンが領有を主張する根拠になっているとか。でもそれならアルゼンチンじゃなくてスペイン領なんじゃないの、と意地悪く思ってしまう。

1982年のフォークランド紛争は時のアルゼンチン軍事政権が不人気を挽回するために起こしたもので、まさか軍事的に反撃されるとは思っていなかったところ、強気なサッチャーがやはり自国での不人気挽回のために実力行使に出て戦争になった。
国内の不満を領土問題で愛国心をあおってそらそうとするのはどこの国でも常套手段らしい。

紛争当時は実際の利益というより両国の威信が重要だったようだが、現在では海底油田の可能性や漁業権の問題があってやはり両国譲れないらしい。
「フォークランドを取り戻せば油田で金が入るからアルゼンチンも冬季オリンピックに選手が送れるんだ」とは選手団を送っていないアルゼンチン人スタッフの主張。
フォークランドの領有権問題はいまだ根が深いようだ。

わかりやすいレクチャーを楽しんでいるとすぐにお茶の時間になって、夕食の時間。
食後は映画の上映もあったが、部屋に帰って寝てしまった。
洋上の一日も退屈することなく、船の揺れが心地よくて、夜もよく寝られる。



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南極旅行 9 ようやくクルーズ船に乗船

2014-03-16 20:41:50 | 北米/南米/南極
2月6日 続き

午後3時半、指定された集合場所であるホテルのレストランへ。

スタッフに帰国便情報を紙に書いて渡し、パスポートを預ける。
クルーズ船の場合には下船までパスポートは船任せになるのだ。

4時になって乗客全員がバスに乗せられ、埠頭に着岸している船の下へ。
埠頭はすぐ目の前なのだが、乗船の際にはバラバラに行ってはいけない決まりなのだそう。これで一応アルゼンチン出国ということになるのだろうか。ただし南極行きの場合、ここで出国スタンプは押されない。

今回乗船したのはアカデミック・サージ・バビロフ号。
 
ロシア船籍の耐氷船で6450トン。隣に停泊する豪華大型クルーズ船に比べるといかにも小さいし、でっかいコンテナーを乗せたような外観はかっこいいとは言い難い。
 が、とにかく日本出国から6日目にしてようやく乗船。

船内に入り、ロビーで名前を告げるとすぐに割り当てられた船室に向かう。

今回の自分の部屋はデッキ4のツイン・ルーム。
  
窓の下に一つ、ドア脇に一つベッドがあるが、窓の下は先に入っていた同室のアメリカ人のお姉ちゃんに既に取られていたのでドア脇の方がこれから19日間の我が住処となる。

部屋の広さは10㎡と狭く、ベッドの他に机が一つとキャビネットが一つ、下半分には冷蔵庫が入っている。
  
しかしベッドの下にも奥行の深い引き出しがあり、荷物を整理すると結構すっきりと納まってしまう。
空になったスーツケースは廊下に出しておけば他で保管しておいてくれるので邪魔にならず助かる。

  小さなバスルームにはトイレと洗面台、シャワー。
この部屋の場合は隣のツインルームと共同で使うが、両側に鍵があるので、出る時は両方開けておかないといけない。

ちなみに隣の部屋はイギリス人のお姉さん一人。同室になるはずだったカナダ人が飛行機に乗り遅れて間に合わなかったとかで、結局バスルームは3人で使うことになり、お湯もふんだんに出て何の問題もなし。
それにしても出港に間に合わないとは、自分ももう一つ間違えばそうなりかねなかっただけに、おそろしや。

荷物を一通り片づけたら、一番上のデッキにあるバーラウンジに全員集合。
 
お茶を飲みながらツアーリーダーから簡単なオリエンテーションがあり、全員胸に名札をつける。
知らない者同士、この名札は大いに助かる。3,4日もするとみんなはずしてしまったが、結構名前を覚えるものだ。

ちなみに今回の船、クルー、ツアースタッフも含めた乗船者の内訳は:

ロシア人 45名(客室係も含めた船のクルー)
オーストラリア人 14名
アメリカ人 22名
アルゼンチン人 5名(すべてスタッフ)
イギリス人 14名
カナダ人 13名
デンマーク人 1名
オランダ人 1名
フィリピン人 3名(キッチンスタッフ)
ドイツ人 2名
アイルランド人 3名
イスラエル人 22名
ニュージーランド人 2名
トルコ人 2名
日本人 1名

キッチンのフィリピン人を除いてはアジア人が自分以外一人もいなかったのはちょっと意外。
中国人ぐらいはいるかと思っていたが、英語圏中心ではあるものの、国籍は航海によってさまざまなんだそうだ。

オリエンテーションが済んだ後は、船に乗ったら必ずしなければならない避難訓練。
 船室に備えられた救命胴衣のつけ方を教わり、左右に一つづつある救命ボートのそばに集合する。
 
おお、「キャプテン・フィリップス」に出てきたようなボートだ、と思ったが、この一隻で60名収容できるそう。
もう雨風にさらされるような救命ボートじゃないんだ。

船はまだ港にいるが、7時からは夕食。
 この船の食堂には一度に100名が座れるので全員一緒にお食事。
 
初日のメニューはサラダにひよこ豆のカレー風味、チョコレートムース。ふ~ん。

やがて8時半になり、出港準備ができたようなのでデッキに出てみる。
 
埠頭にある青い屋根の建物は出国管理事務所。舳の向こうにはかわいいウシュアイアの町が一望。
 もやい綱が解かれていよいよ出港。
 
隣の大型クルーズ船に見送られて

さらば、南米大陸。 


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南極旅行 8 ウシュアイア

2014-03-15 16:45:35 | 北米/南米/南極
2月6日

朝3時に起床。
4時にお願いしておいたレミースがちゃんと来てくれたので、土砂降りの中、ホテルから15分のホルヘ・ニューベリー空港へ。

日本から予約してもらったウシュアイア行きの飛行機は5時半の出発。1時間15分あるので大丈夫だろう、と思ったら甘かった。

予約を変更したので発券しなおしてもらおうと窓口へ行くと、係りの人は二人いるが結構な人数が並んでいる。しかも一人一人に時間がかかっていっこうに前に進まないのだ。

国内線のチェックインは出発45分前と書いてあるが、このままでは間に合いそうにない。
ダメ元、とチェックインカウンターに行ってみれば案の定、チケットを買いなおさないとダメ、とにべもなく断られる。
発券カウンターに戻ればまた一人列が長くなっている。こんな時に一人は不便、とまた泣きそうになる。

やがて係りの職員がもう一人出勤してきて、ようやく順番が巡ってきたのは出発45分前。
さすがに係りのお姉さんもあせって、チェックインカウンターに何やら言いに走ってくれた。このお姉さんが親切でよかった~。
新しいチケットをもらって荷物をチェックインしたら、「もう搭乗が始まっているからゲートまで走って」と言われる。これに乗り遅れるとほんとにやばい、と大汗かいてゲートまで走る。

機内に入ってやっと一安心。
遅延やキャンセルが多いので悪名高いアルゼンチン航空だが、今日は定刻に出発してくれた。

ブエノスアイレスから南米大陸の南端ウシュアイアまでは3時間半。
朝ご飯ぐらい出るだろうと思ったのだが、配られた箱に入っていたのは
 クラッカーとチョコビスケット、クリームビスケットとお菓子ばかり。
アルゼンチンの名所が紹介された箱は何種類もあってかわいいんだけど。

 やがて高度を下げ始めた窓外には雪山が見え始めて、ほとんど観光客と思しき機内は期待に満ちた雰囲気になる。

無事空港に到着し、預けた荷物もちゃんと出てきて、これで本当に心配はなくなった。
 外の景色のさわやかなことよ。

空港から町の中心まではタクシーで15分。
クルーズ船の集合場所であるアルバトロス・ホテルまで行ってもらう。
 埠頭の目の前にある大きなホテル。

しかし時間はまだ10時を回ったばかり、集合時間の3時半までたっぷりあるので、フロントに大きな荷物を預けてぶらぶらと町歩きに出かける。

目の前に広がるのは海。

大小さまざまなクルーズ船が港に停泊していてわくわくする。

小さな町は雪山に向かって坂道になっており
  
 
カラフルな家がかわいく
 
公園や庭先には花がいっぱいできれい。
 日本からは17127キロ。
本当はこの町で一泊するはずだったのに~、とうらめしい。

町の東端には海軍基地があり、この敷地内に元監獄の博物館がある。
 
ウシュアイア監獄&船舶博物館、入場料110ペソ。

ここは1902年から1950年まで、主に長期や終身刑の囚人を収監していたそうで
   
中には有名な犯罪者の展示などもあって、思わず読みふけってしまう。
囚人たちは監獄内での労働の他に町や鉄道の建設に従事させられたそうだが、夏はともかく、冬はどれだけ大変だったろうか。

独房内には博物館の名前の通り、船舶の展示もいろいろあって、当然南極探検の展示が多い。
 これはダーウィンの乗ったビーグル号。
 
スコットが1回目の探検に使ったディスカバリー号に
 シャクルトンのエンデュアランス号。
帆船で南極に行っていたのはたった100年前だ。

 博物館内には大型クルーズ船で寄港しているお客さんたちが大勢来ていて、そんな観光客のために大きなギフトショップがある。
 売り物はもちろんペンギン。というわけで早速Tシャツと絵葉書、ステッカーをお買い上げ。
 博物館の目の前でもペンギンたちが運動していて、本物との遭遇ももうすぐ、と期待が高まる。

博物館からちょっと歩いたところにはスーパーがあったので下見がてら覗いてみる。
 
この町では何でも空輸しなければならないので物価が高いと聞いていたが、それでもふんだんにある牛肉はリブロースでキロ900円弱、パックのお肉はどれも500グラム以上と、さすがアルゼンチン。

ここは港町ではあるけれど、この国で一度もお肉を食べないのはもったいない。
というわけでお昼は炭火焼肉の店に入ることにした。
 
店頭のガラス窓から肉を焼いているところが見える「ラ・エスタンシア」。

アルゼンチンはもちろん牛肉が有名だが、パタゴニアでは羊も美味しいと聞いたのでラム・ローストを所望。
 
やってきたのは骨付きのでっかい塊。しかしこれにチミチュリというお酢とハーブのソースをかけるとさっぱりとして、脂っこさのないお肉なのでペロペロと完食してしまった。
 サラダバーとお水をつけて200ペソで大満足。
おじさん、ごちそうさま。

お腹はいっぱいだけれど、これも食べておかなければとデザートはアイスクリーム屋さんへ。
  
アルゼンチンのアイスクリーム屋はメニューが壁に張り出され、容器には蓋がされているので見た目で適当に選ぶことができない。
わからないスペイン語を想像力で補いつつ、選んだのはアルゼンチン人熱愛というドルチェ・デ・レチェのアーモンド入り。
これが濃厚キャラメル味に粒ごとアーモンドがふんだんに入ってすごくうまい!
こんなにおいしいなら昨日も無理してでもアイスクリームを食べればよかった・・・。

と後悔しているうちにやっと集合時間が近づいてきた。
 坂道を下ってホテルに戻ろう。 
 

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南極旅行 7 ブエノスアイレス到着

2014-03-13 15:05:52 | 北米/南米/南極
2月5日

朝の10時40分、ほぼ定刻通りブエノスアイレスのエセイサ国際空港に到着。

イミグレは窓口もすべて稼働中でサクサク通過。アメリカよりずっと効率的。
バゲッジクレーム場は安全検査の機械が止まってしまったらしくて大混乱、さらにモニターに出ている番号、ベルトに出ている便名、実際に出てきたベルトが全部ちがって右往左往させられたが、それでも1時間かからずに税関を通ることができた。

空港から市内まではレミースというハイヤーを利用。
通関してすぐのところに窓口があり、英語が通じるしクレジットカードが使える。
US$43とお高いが、初めての南米上陸、安全最優先で行く。

空港から市の中心にあるホテルまではちょうど1時間。
運転手氏は全く英語が通じないが親切だった。

お泊りはBooking.comを通じて申し込んだ NH Latino。
 
直前に予約を変更しても何も問題なかったし、部屋も明るくて広い。
 
ホテルは大通りに面していて安心だし
 
地下鉄駅もすぐ目の前。歩いて1分のところに片側7車線の7月9日大通りが通り、ブエノスアイレスのランドマーク、オベリスクがある。これで1万円ちょっとなのだから、ブエノスアイレスのホテルはリーズナブル。

シャワーを浴び、夏服に着替えたらまずはお昼を食べに行こう。
お目当てがあるので、地図を見ながらテクテク歩く。

歩くこと10分ほどでたどり着いたのは5月広場。
正面にはピンクの大統領府。
 
 
周囲は大聖堂などヨーロッパ風の重厚な建物で囲まれている。
広場の入り口付近では小さなデモ隊らしき一団が太鼓をたたいて騒いでいたが
 
芝生の中ではのんびりお昼を食べたり、昼寝をしている人がいっぱい。
明らかにサラリーマンと思える人たちものんびりしていたけれど、時計はもう2時を回っていた。

大統領府の裏側にはラプラタ川が流れ、その川岸は再開発されてカフェやレストランになっている。

 

 橋を渡った向こう側も最近開発が進んでいるようで、高層ビルや高級そうなマンションがいっぱい。

ここをまだ先に進むが、気温は30℃越え。冬のニューヨークから来た身にはいきなりの暑さが厳しく、地図で想像したよりもブエノスアイレスの町は規模がずっと大きくて、なかなか目的地にたどり着かない。
やっぱり南米を甘く見ちゃいかん。

大汗かきつつ、ようやく着いたのは海岸沿いで屋台が並ぶ通り。
 
海岸と言っても目の前は湿地のようになっていて海は見えないのだが、この遊歩道沿いにかなりの間隔を保ちつつ、屋台が延々と続いている。
そしてこれらの屋台で売られているのが「チョリパン」。
 
チョリソーにパンでチョリパンなのだが、チョリソーと言ってもスペインのそれのように辛くはなく、肉に塩だけのシンプルなもの。
注文するとソーセージを焼いてパンにはさんで渡されるので、それにテーブルに並んだ野菜やソースを好きなように加える。ただし皿はなく紙ナプキンのみ、野菜を欲張るとパンが閉まらなくなるので食べにくいことこの上ない。

期待して食べに来たチョリパンだが、ソーセージの肉々しさはともかく、塩気がちょっと強すぎる。
でかいのでおなか一杯になるが、途中でいささか飽きも来る。
しかし一つ15ペソ(150円ぐらい)のものなので、文句を言うようなものでもない。

お腹を満たし、汗をぬぐったところで、さあ、市内観光に行こう。
ブエノスアイレス・バスという市内循環観光バスがあるので、一番近い停留所に行ってみるとすぐに2階建てのバスがやってきた。
ところが車掌の兄ちゃんにチケットを買いたいと言うと、決められた出発点でしかチケットは買えないし、今日はもう終わりだと言う。まだ4時前だと言うのにやる気ないのか。

出鼻をくじかれてすっかり観光する意欲がそがれてしまった。
地下鉄に乗ることも考えたが、一番の繁華街、フロリダ通りだけ歩いてみることにする。

 
フロリダ通りはそれほど大きな通りではないが、大通りをいくつも横切りながら続く歩行者天国。
人出も多くにぎやかなのだが、ここを歩けば「カンビオ、カンビオ」の声がひっきりなしに聞こえる。闇両替の呼び込みだが、警官がすぐそばにいてもお構いなし。半ば公然と闇両替が行われているわけだ。

現在アルゼンチンは通貨危機の真っ最中。ドルが枯渇しているとのことなので闇のレートがどれほどのものか興味があった。
これだけ公然とやっているなら危険もあるまい、と女性を選んで声をかけて見る。
レートを聞くと「50ドル札なら1ドル12.10ペソ」とのことだが、空港の銀行では1ドルが7.8ペソだったのでなんと50%以上も違う。
レートでOKというと、近くのビルの1階の空き店舗のようなところに案内された。中には換金窓口があって、渡された札束を確認するだけの簡単さ。
それにしても聞きしに勝るレートの差だ。

思ったよりもずっと長いフロリダ通りを歩いて、やがて立派な店にたどり着いた。
  
 
「ガレリア・パシフィコ」と言うショッピングモールで内装が見事。
旅行はこれからなので何も買うわけにはいかず、お腹もいっぱいなのでフードコートも眺めるだけだが
 なんじゃこりゃ。

フロリダ通りを往復するだけでもかなりの距離を歩いて、ホテルに戻って一休み。
治安が良くないと言うこの町で暗くなってから一人歩きはしたくないので、まだ日のあるうちに夕食の調達に出かける。
一晩しか滞在しないブエノスアイレスでちゃんとしたものを食べられないのは残念だが、量が食べられないのはわかっているので
 
作っているところの見られるお店でエンパナーダを購入。
 左がビーフ、右がチキンでどちらも一つ9ペソ。
どちらも具がみっちり入っておいしいが、やっぱりアルゼンチンはビーフかな。

ブエノスアイレス観光は以上で終了。


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南極旅行 6 ヒューストン市内観光

2014-03-11 16:18:34 | 北米/南米/南極
2月4日

さて、全く予定していなかったヒューストンに丸一日いることになってしまった。

外は雨が降っているし、とりあえずロビーに朝ご飯を食べに行く。
自分でワッフルが焼けるようになっているので一枚焼いてみると、この形はテキサス州じゃなかろうか。
  さすが、おらが国自慢のテキサス!

午前中は部屋でゆっくりさせてもらい、お昼にチェックアウトして空港まで送ってもらう。
身軽になるために荷物をチェックインしようとカウンターに行くと、なんと日本人の職員がいる。
東京からの直行便があるのでいらっしゃるのだろうが、アルゼンチンから南極へ行くと言うと「研究者ですか?」って、まさかね。

ヒューストンの見どころを聞いても「観光するところは何もないですよ」と言いつつ、お向かいのインフォメーション・カウンターに行くことを勧められた。
カウンターのおばさんは「時間があるなら市バスで町の中心まで行ってみれば?1ドル25セントしかかからないし、古いビルがあるわよ」と地図やパンフレットをくれた。
ホテルでも空港でも、ニューヨークに比べてヒューストンの人は親切で感じがいい。

30分に1本ほどのバスで、空港からヒューストン中心部まではのんびりと1時間以上かかる。
途中の景色はべったりと殺風景な平地にところどころ郊外住宅が見えるぐらいであまり面白くもない。
しかし外は結構な雨脚だし、時間をつぶすにはちょうどいい。

やがて中心部に差し掛かると、タイミングのいいことに雨が上がった。
 もらったパンフレットにレストランの情報があったので
 
早速カジュアルなレストランでテックスメックス。山のようなレタスの上にふんだんにスモークチキンが乗り、さらにたっぷりのサワークリームにワカモーレ、トマトサルサ。
いかにもな料理だがおいしく、飲み物とチップを入れても15ドルと適正値段。
しかしヒューストンは肥満率が全米でも一位なんだそうな。

エネルギー補給をしたところで町歩きを開始。
ヒューストンの中心部は碁盤目状になっているのでわかりやすい。

  
 
食事をしたあたりはレストランやカフェの多いエリア。低層の古い建物がかわいい。

  
一番賑やかそうな通りには市電が走っていて
  
   
まわりのビルは1920~30年代頃からのものだろうか、クラシックで古いアメリカ映画にでてきそう。

 
こんな看板もよく残っていると思うが、さすがに最近は建て直しが進んでいると見えてあちらこちらで工事中。

   
金融街と思しきエリアにはいかにも現代風の超高層ビルが建てられ、スーツにネクタイ姿が忙しげに行きかうが、ちょっと脇道に入ると人通りが少なくなって、ホームレスやジャンキーっぽい姿もちらほら見える。
景気がいいのか悪いのか、よくわからない街だ。

 警察本部がやたらに立派なところ、やっぱり治安はあまり良くないのかな。

他に見どころもなさそうなので、暗くなる前にはまたバスに乗って空港に戻る。
 今夜はさすがにもう波乱なし。
ブエノスアイレス行きのユナイテッド機は定刻出発で、ようやくホッ。

 夜中に出される夕食も
 到着前に出される朝食も

アメリカの飛行機のエコノミーに乗っていれば肥満の心配はいらないだろうという量だし、映画はつまらないし、ほとんど倒れない座席では全く眠れないが、予定通りに到着してくれればもう何も文句はございません。


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