Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

アルジェリア縦断 13 コンスタンティーヌとティムガッド

2008-01-31 01:16:50 | 中近東/北アフリカ
1月2日 コンスタンティーヌからアルジェ

コンスタンティーヌで泊まったホテルはまた雰囲気のあるコロニアル建築。イスラム風にアールヌーボーが混ざって魅力的。
  
アルジェリア第3の都市だけに、ホテルの前の通りは朝から人も車も多い。


この町は立地が面白く、深い渓谷に周りをぐるっと囲まれた島のような台地に建物がぎっしり乗っている。まずは警官の護衛付きでそんな町の見学。
 
渓谷には町に入るための橋がたくさん架かっていて、右の写真の車も通る175メートルの高さの橋は自殺の名所とか。
 
こちらのメラ・スリマン橋は歩行者専用。これも100メートルの高さがあり、町に入るにはさらに階段5階分ほど登らなければならないので有料のエレベーターがついている。
階段の途中、渓谷を見晴らす所にはなぜかシャワー屋さん。
 
そしてエレベーターを出ると旧市街が広がっている。
 
観光地などではないが、ブラブラ歩いたら面白そうな町。ほんのちょっとしか覗けなかったのが心残り。

この後はまたパトカーに先導されて郊外のティムガッド遺跡へ。
  
アルジェリアの海岸部は治安が悪く、特に東部は独立運動が始まった所なので今もいろいろあるらしい。そんな理由で管轄区ごとに次々警官が交代しながら付いてきたのだが、幸いにして我々の滞在中は何事もなかったのでパトカーの先導もとばすための口実みたい。
 こんなものを抜き身で持たれるとちょっと緊張もするけど。
それにしてもアルジェリアは警官の多い国だ。

2時間弱でティムガッド遺跡に到着。ここもまた1世紀から7世紀まで栄えたローマ人の町。
 
ジェミラよりも広々とした平地にあり、規模も大きい。遠くには雪を戴いた山も見える。
 
 市場にはきれいなフリース
 おなじみ公共トイレにもイルカの彫刻があっておしゃれだ。

ところでアルジェリアの遺跡はデート場所として人気があるらしい。
 
ここに限らず、どの遺跡でもあちこちにカップルがいた。なんとも健全なデートでほのぼのする。
 こちらは我々の護衛のおまわりさん。1人でお気の毒。

この後はコンスタンティーヌに戻って早い夕食、アルジェに向かうため空港へ。
早々と着いたものの飛行機は4時間も遅れて、おかげで6時間も底冷えのするロビーで待たされる羽目になった。

アルジェに到着したのは午前1時半。2時近くに空港ビルを出ると、すごい人の波が目の前を通り過ぎて行く。そういえば国内線ターミナルの隣に巡礼用ターミナルがあり、ちょうどハッジの時期にあたったのだが、それにしても人が多すぎる。とそこで気がついた、巡礼に行った人を一族郎党で出迎えに来ていたのだと。夜中にもかかわらず子供まで引き連れ、みんなお祭り騒ぎ。アルジェリアがイスラム国であることを再認識した。


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アルジェリア縦断 12 ベニ・ハマッドとジェミラ

2008-01-29 17:51:22 | 中近東/北アフリカ
1月1日 ブサーダからコンスタンティーヌ

元旦なので、朝食にインスタント雑煮と乾燥餅。
このそっけなさがアルジェリアの正月にはちょうどいい。
まだ真っ暗な6時にホテル出発。
 ブサーダのホテルはイスラム風味のコロニアル建築でいい雰囲気。町にも大きなモスクや古い家があっておもしろそうだが、暗いうちの出発で何も見えないのが残念。

また北に向かって山の中のイスラム遺跡ベニ・ハマッドへ。
 
11世紀、ほんのわずかの期間だけ繁栄したというベルベル人のハマッド王朝の要塞都市。世界遺産にも登録されているが、観光客などまず来ないマイナーな遺跡。
 
だが唯一そびえる25メートルのミナレットはシンプルで美しいし、そのてっぺんに上るとモスクの柱の跡がきれいに見えて、どんなに壮麗な建物が建っていたのだろうと思う。

モスクの裏手には宮殿の跡。
 
 
壁の一部しか残っておらず、昔を想像するのはさらに難しいが、床にはモザイクの一部が残り、裏に回ると彩色タイルがたくさん転がっている。模様はなく、ブルーとグリーンの色だけ。シンプルでシックな装飾だったんじゃないだろうか。
 宮殿からの眺めも素晴らしく、なるほどここからなら周囲ににらみをきかせることができただろう。こういう誰もいない遺跡はいい。

さらに進路を北にとり、ジェミラへ向かう。
途中で見かけたマーケットはおやじワールド。
 
地中海に近づくにつれてどんどん緑が増えてくる。
 ここいらへんはアルジェリアの穀倉地帯なのだそうだ。

昼にジェミラ到着。食事をしてからローマ遺跡の観光。
2世紀頃から6世紀末まで栄えたと言う町だが、ここは立地が素晴らしい。
 なだらかな山の斜面に広がり、周りも穏やかな緑の山。防衛もしやすかっただろうが、なんと言っても景色がいい。
  
  
  
規模も大きすぎず、女性的なセンスの良さを感じる。

そのセンスの良さは博物館に入るともっとよくわかる。
 
3部屋しかない小さな博物館だが、大きな壁をぎっしり覆うモザイクは素晴らしいものばかり。神話や狩猟の場面を描いた具象的なものは技巧がすごいし、抽象的な文様はしゃれていて、カーペットにして使いたいと思わせる。

残念ながら内部は撮影禁止、写真集や絵葉書もない。
研究者と思われる人たちが寸法を記録していたので、ちゃんとした記録もまだこれからなのだろう。

ところでこの研究者の1人、同行の友人がヒジャーブをつけているのに興味を持って話しかけてきた。日本人なのにムスリマなのかと不思議に思ったらしい。趣味でつけていると言ったら余計面白がって、写真を撮って、撮って、と大騒ぎ。
 
おかげでこちらもアルジェリア美人の写真が手に入った。


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自由が丘 「コッコロ」 リニューアル

2008-01-27 00:08:26 | 食べ歩き
友達が自由が丘でやっている店 「コッコロ」 が開店5周年を機にリニューアル。
今まではシェフと二人で創作和食を売りにしてきたが、これからは1人でワイン処として営業すると言う。

とは言え開店初日の昨日も牛すね肉のワイン煮込みとかホットサラダとか、食べるものも相変わらずおいしい。
リニューアル祝いに集まった知り合いばかりで初日は大騒ぎだったが、普段はこじんまりと落ち着ける大人の店。

 

酒好きのオーナーがおいしいワインをそろえてお待ちしています。

和食をベースにイタリアンテイストを加えた創作料理とお酒のお店 自由が丘 コッコロ


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アルジェリア縦断 11 ムザブの人々

2008-01-25 01:44:34 | 中近東/北アフリカ
ムザブの谷は昔ながらの町並みが世界遺産に登録されているが、建物自体は地味で、例えばイエメンの装飾的な建築などに比べると面白みがない。

この町で面白いのは実はおおっぴらに写真が撮れない人々の服装なのだ。

最も特徴的なのはムザビ・パンツと呼ばれる男性のズボン。
 
工事現場の人がはいているニッカボッカーに似ているが、股下がずっとゆったりしていて、しかもきれいなプリーツになっている。動きやすく、男性の健康に大変いいのだそうだ。

 
ベニ・イスゲンの町に大勢いたのはこの白い袖なしローブの人々。子供だけではなく大人も着ていたので、別に学校の制服と言うわけではないようだ。これに白い縁なし帽をかぶった姿はなんとなく学者のように見える。

そして女性はと言うと 
  
白い服の上に頭から白い布をすっぽりかぶり、片目だけ出して歩いている。しかも布は片手でおさえているのでずいぶん不便だろうと思う。これに比べたらアフガニスタンのブルカの方がずっと楽そうだ。
 後姿はまるで西洋のおばけ。

ただしムザブの女性が全員このようなかっこうをしているわけではなく、このような姿はたぶん保守的な少数派。
よく見かけたのはこんなマスクの女性達。
 
 張りのあるレースでできていて、横から見るとくちばしのように見える。
一番ひらけたガルダイアの町ではスカーフだけの人も多く、これはアルジェリアの他の町でも一緒。スカーフもしていない女性はアルジェ以外では見かけなかった。

ところで上の片目だけ出した女性達、当然のことながら隠れて望遠で撮った。
いやがるものをなぜ無理してでも撮りたがるのだろう、と自分でも不思議に思っていたが、先日NHK-BSの「奇跡の映像 よみがえる100年前の世界」と言う番組で100年前のカラー写真を見ていて、ああ、そうか、と思った。つまり、やがて消えてしまうに違いない風俗だから記録に残したいのだと。

上の番組、アルべール・カーンというフランスの富豪が世界各地に写真家を派遣して動画とカラー写真の記録を残した、そのコレクションの紹介だったのだが、白黒の動画よりもスチルのカラー写真の方がリアリティがあるので驚いた。
白黒の映像だとたとえ動いていてもいかにも昔の記録、と言う感じがするのだが、それに色が付くだけでまるで今もいる人々のように感じてしまうのだ。
そしてわずか100年前、ヨーロッパも含めて世界はいかにそれぞれの民族のアイデンティティを保持していたことか。
グローバル化と称される最近の文化の均一化はひどく安っぽい。

たとえ素人の個人写真でも消え行くユニークさを残したい、だから撮りたいのだ、とはやっぱり隠し撮りの言い訳か。


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アルジェリア縦断 10 ムザブの谷 

2008-01-24 01:51:54 | 中近東/北アフリカ
12月31日 ガルダイアからブサーダ

朝、町の外にあるヤシ園へ。
夏は酷暑となるムザブの谷、そのため町の人は家の他にヤシ園を持ち、夏の間はその別荘に滞在するのだそうだ。
 地下には高度な貯水施設を持ち、庭にはオレンジ、レモン、石榴やブドウの木が茂る。とても快適そうで、これなら一年中ここに住めばいいのではないかと思うが、あくまで夏の住まいとか。

ムザブの谷を走り回っていると、いやでも特徴的なミナレットが目に付く。
 
  
先すぼまりの四角錐で、てっぺんには四隅に王冠のような角がある。何の飾りもない砂色だが、細いのやら太っちょのやら、かわいらしい。

3つ目の町はメリカ。
 この町の外側には広大な墓所が広がり、そこに有力者シディ・アイサの墓というのがある。この白い墓の形こそ特徴的なミナレットの原型とか。

 
この町の窓も小さいが、子供の後ろからはしっかりお母さんも外を覗いている。

 
メリカから望むガルダイアの町の全景。フランスの建築家、ルコルビジエがこの景色を好んだというが、四角い建物が折り重なっている様は確かにコルビジエ的かも。

4つ目の町、エル・アトフ。この町も入るにはガイドが要る。
 
が井戸で気楽にポーズを取ってくれるガイドさんもにこやかだし、子供の多い街の雰囲気はベニ・イスゲンに比べてずっとなごやかだ。
  
 

この町の外にもシディ・ブラヒムという学者の墓がある。
 
漆喰塗りで真っ白な、何の飾りもないシンプルさは700年前のものとは思えないほどモダンな感じがする。

町でお昼を食べ、午後は谷を出てまた北に向かう。
 サハラ・アトラスの丘陵に入るとわずかずつだが緑が増えてくる。
標高はまた1000メートル前後と高くなり、大分北に来たので寒い。
 
男達の着ているとんがり頭巾のコートが暖かそうだ。


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アルジェリア縦断 9 ムザブの谷

2008-01-23 02:21:27 | 中近東/北アフリカ
12月30日 ワルグラからガルダイア

ワルグラのホテルをゆっくり出発してムザブの谷へ向かう。
途中、道路脇のデザート・ローズのお店に立ち寄り。
 
 
砂が何かの作用でバラの形に固まったもの。そうどこでも出来るわけではないらしく、アルジェリア人も買い物に立ち寄っていたから人気があるのだろう。
余談ながらここで大きなデザート・ローズを買ったツアーのお客さん、その後国内線の飛行機に乗る時に警官にいちゃもんをつけられて取り上げられてしまった。本当は取り上げられる理由などないので、単に欲しかったんじゃないだろうか。そういう横暴もまかり通る国らしい。

デザート・ローズについては詳しい解説と素晴らしい写真がこちらで見られます。
→ 写真でイスラーム:◆サンドローズ(砂漠のバラ)

お昼にはガルダイアのホテルに着いて、昼食後早速観光へ。

ムザブの谷はイスラム教の中でも少数派のイバディ・イスラムと呼ばれる人々が11世紀、主流派アラブ人に迫害されて逃げ込んだところ。コーランを厳格に解釈し、平等を実践したため、ベルベル人が多く信徒になったという。

谷には5つの町があるが、まずはその中でも最も保守的というベニ・イスゲンへ。
 この門をくぐって壁に囲まれた町に入るにはガイドが要り、この中では人の姿を写真にとってはいけないことになっている。
  
 
狭い路地にはびっしりと家が立ち並んでいるが、どの家も道に面する窓は極端に小さく、でも好奇心に駆られて人が覗いているのは分かる。
すれちがう人も男は表情が硬く、敵意さえ感じるが、ベールから目だけ覗かせた女性はやはり好奇心で一杯。
 ロバも興味津々。

町の一番高いところにはさらに高い見張り台があり、ここに登ると周りの谷が一望できる。
 
 壁の中の家も、中庭があり、内側の壁がきれいな水色に塗られているのが分かる。

しばらく歩いて階段を下りていくと井戸のある広場に出た。
  
この井戸の前では大勢の男どもが集まり、家から持ち出してきたガラクタ(としか見えない)をにぎやかに売っていた。古いミシンとか、テレビとか。写真はガイドのおじさんだが、こんな人がわんさか。面白い光景だった。

ベニ・イスゲンの町を出て、この谷で一番大きなガルダイアの町の中心に出る。

大きな広場の周りに土産物屋が並び、人が大勢出て活気がある。
 絨毯など売っている土産物屋は、でもあまり商売熱心ではない。

広場から伸びる道の一本は市場通り。
 売り子も買い手も男ばかり。
  
こういうところをうろつくのが一番好き。

 ガルダイアの表通りは保守的なムザブの谷と言えどももうすっかり近代都市。
 マックだってちゃんとある。ピザ屋だけど。

 
夕べの祈りのアザーンとともに町の賑わいは潮を引くように消えていった。


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アルジェリア縦断 8 さらに砂漠を北へ

2008-01-22 01:04:22 | 中近東/北アフリカ
12月29日 イリーズィからワルグラ

この日の起床は朝3時、ホテル出発4時。
というのも一日で砂漠を1200キロ以上走破しなければならないからだ。
車は4WDから中型バスに変わったが、この長距離(東京から福岡までと同じ)を走るのに運転手は1人、アシスタントも付かない。

いささかの不安を抱えつつ、バスは真っ暗だがきれいに舗装された道路を走り出す。
と30分ほど走ったところで突然、バスの床下から「ガ、ガ、ガ」とひどい騒音が。なんと早くもタイヤがバーストしてしまったのだ。

ドライバーがすぐに修理にかかるが、他の国の経験からすぐ済むだろうと思ったタイヤ交換がなかなかはかどらない。あろうことか、ドライバーはタイヤ交換に慣れていないばかりでなく、積んでいたジャッキが小さすぎて車体が持ち上がらないと言うのだ。

朝方の5時、めったに通らない夜行バスとトラックを止め、ジャッキと手を借りてようやくタイヤ交換が済むまで2時間。せっかく4時に出かけてきたのに、この先が思いやられる。

早朝の出発には距離のほかにもう一つ理由があった。ほとんど砂漠ばかりで町もないこのルート、警察と軍警察のチェックポストが10ヶ所以上もあって、運が悪いと何時間もとめられることがあると言う。写真は厳禁、皆さん、愛想良くして下さい、そうすれば早く抜けられます、と添乗員の注意。本当かね。

8時を過ぎてようやく日の出。周りの景色が見えてくる。
 砂漠。
 また砂漠。
 きれいな砂丘が見えるところは楽しいが
 ほとんどはこんな景色。何もない。

やがて噂のチェックポスト。銃を抱えた兵隊がいるが、珍しい日本人の女ばかり(16人中14人が女)の団体にニコニコ顔。まじめな顔をしてバスに乗り込んできた上司も目的は顔を眺めて好奇心を満たすことと見た。そんなわけでチェックは5分で終了、お互いにこやかに手を振って通過。

結局この後もチェックポストはどこも問題なく、心配は杞憂に終わった。日本人のグループも初めてではないので慣れてきたのだろうか。中には一番若い女の子(まあ、相対的に、ということですが)に投げキスをするやつがいたり、携帯で写真を撮ろうとするやつがいたり、単調な行程で楽しませてもらった。

タイヤ交換の後は順調に走って、昼前リビアとの国境にほど近いイン・アメナスの町に到着。
町のロータリーの素敵なモニュメントに一同大喜び。
 
りりしい石油労働者と目つきの悪いラクダ。

ここから道は西に折れ、大オリエンタル砂漠に入る。
荒涼とした砂漠の中にぽつん、ぽつんと石油採掘場や精製所が見える。

アルジェリアは良質の天然ガスと石油の産出国で、そのおかげで経済指標ではアフリカでもリビア、チュニジアについで第3位なのだそうだ。その富の分配の仕方にどうも問題があるようなのだが。

バスはトイレ・ストップ以外まったく止まらず、ひたすら北を目指す。
 道は状態がいいところはこんな感じでスピードも出せるのだが、悲しいかな、こういうところばかりではない。
 唯一立ち寄ったカフェ。
 ここの愛想のない子供の入れてくれたエスプレッソは、しかしアルジェリア滞在中一番おいしかった。

 午後からは雲が多くなり、少しだが雨が降った。
おかげで砂漠の虹も目撃。
 
 そして夕暮れ。
しかし目的地まではまだまだ。日が暮れてからが長い。

この日は食事も3食バスの中。
 朝食
 昼食
 そして夕食

夕食の後はiPodで音楽を聴いたり、うとうとしたり。
やがて石油精製所の明かりが増え、町も増えてきて24時17分、無事目的地ワルグラ到着。

出だしこそつまづいたものの、20時間を1人で走りきったドライバーのアイサさん。
 ありがとう!

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アルジェリア縦断 7 砂漠を北へ

2008-01-21 00:32:14 | 中近東/北アフリカ
12月27日

3日ぶりにアスファルト舗装の道路に出る。
  
東はリビアとの国境へ通じる道をラクダに注意しながら西のジャネットへ戻る。

 初日の晩に泊まったホテルへ再びチェックイン。
とるものもとりあえずまずは熱いシャワー、と蛇口をひねるが、電気温水器の水は一向に熱くならない。ずいぶん待ってもだめなので、これはもうこれ以上熱くならない、と見切りをつけて覚悟を決めて日なた水程度のシャワーを浴びた。その後、同室の友人もシャワーを浴びて洗濯をしていると「なんだかお湯があったかくなってきたみたい」。私が洗濯を終わる頃には熱々のお湯になった。キーッ。

12月28日 

ジャネットを離れる前に町の観光。小さな町のはずれのテント屋根で覆われたマーケットへ。
  
衣料品やら食器やら、日用品は何でもある。
 銀細工の店もいくつか並ぶが、トゥアレグはやっぱり商売っ気がない。
 マーケットの裏の囲いにはヤギが一杯いたが、売り物なのかどうか分からず。

 町の民家は山肌に密集して建っている。
家と家の間の細い路地を上がっていくと壁を白く塗ったギリシャかスペインのような家があったり、モスクのミナレットが見えたり。
  
 家々の前にはヤシ畑が広がっている。

ジャネットの町を出れば周りはすぐに砂漠。
 砂ばかりのところから
 やがて土漠へ。
 標高1600メートルほどの峠をいくつも越えて北へ向かう。
 お昼の弁当も今日は車の中。卵焼きはともかく、サンドイッチの中身がフライドポテトってのは焼きそばパンみたいなものか。
 
道中唯一のカフェで Tea in the Sahara (ちょっとピンボケ)。

悪路400キロを8時間でイリーズィ到着。4WDのドライバー達とはここでお別れ。
町で唯一のホテルにチェックイン。
  
まあまあ清潔な部屋にシャワーはあったが、排水されないので使えなかった。


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アルジェリア縦断 6 トゥアレグ族

2008-01-19 01:57:58 | 中近東/北アフリカ
タッシリに滞在中、現地ガイドをはじめドライバー、コックなどのスタッフは全員がトゥアレグ族だった。

  
大活躍の砂漠ガイド、アポロ。岩絵のガイドはもちろん、自分達の食事を作ったりお茶を入れたり、お客さんの様子にもよく気配りする働き者。
彼のターバンはラメかオイルをひいたように光っているが、これは藍染め。布が触れるとその色が落ちて顔や首筋が青くなる。日焼け止めになるんだそうだ。さらに好きな女の子がいる時はこの布で鼻筋を一なでして青い線をつけるとか。

 
ドライバー達。我々が岩絵を見ている間は大抵座り込んで、お茶を飲みながらタバコを吸っている。それぞれ個性があって面白いが、リビアの時よりは統制が取れていて、車に順番が付けられるとそれを決して崩そうとしなかった。
 でもライを聞きながら両手両足を離して運転するのはやめてくれ~。

このドライバー達、キャンプ地に着くとまずは焚き火を起こしてパンをこね始める。
  
そして熱い灰をかぶせて40分ほど。
 堅焼きのパンが出来上がる。
焼き立てを食べさせてもらうと堅い皮の中はもっちりしておいしい。
だが彼らはそのまま食べることはせず、せっかく焼きあがったパンをバラバラにほぐしてしまう。そして野菜の入ったトマト味のスープの中へ。
 スープを吸ったパンはスイトンのような感じ(おねだりして味見させてもらった)。残ったパンはまた翌日の昼食、ということで毎食同じものを大きな洗面器のような器からみんなで食べていた。

そして食後は焚き火を囲んでゆっくりお茶。
  
「砂漠で食べて、寝て。それがトゥアレグさ」だって。かっこいい!

 こちらは我々の食事を作ってくれたコックさんとキッチン。

朝はパンとインスタントスープだけ。
昼はサラダとアルファ米 
そして夜は羊のスープに羊と野菜のシチュー。
メニューはリビアのキャンプと大差ないが、味が違う。こちらの方が断然おいしい。
 2日目の夕食のハニーレモン・クスクスも甘くてデザートのようだがおいしかった。
腕のいいコックさんに当たって良かった。

ベルベル人のうち、アラブ人の流入で砂漠に追いやられた遊牧民がトゥアレグだとガイドブックには書いてあるが、トゥアレグ族に言わせると「ベルベル人の祖先がトゥアレグだ。」
誇り高く、その昔は砂漠の襲撃者だったトゥアレグ。
でも我々の接したトゥアレグはみんな親切でやさしかった。

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アルジェリア縦断 5 タッシリの岩絵

2008-01-18 01:14:29 | 中近東/北アフリカ
タッシリ・ナジェールと言えば先史時代の岩絵。古いものは紀元前1万年、多くは紀元前6千年~2千年に描かれたものが今に残る。

リビアと同じく、最も古いのは象やキリンの絵。
  
 彩色画も線刻画もあるが、リビアとちがってアルジェリアでは線刻画より彩色画に古いものが多いのだそうだ。顔料の違いにより、アルジェリアの方が古いものが残っている、ということらしい。
 お気に入り、うんちする子象。しっぽを上げているところがリアル。この砂漠が昔はサバンナだった証拠だ。

動物の絵で最も多いのは牛。
 
 
 古い時代のものほど表現が洗練されている。

こちらは線刻画で「泣く牛」と呼ばれるもの。
  
まるでピカソかミロの絵のようだが、なぜ牛が泣いているのか。いかにも「特別」な岩に掘られているからには意味があったのだろう。

これより時代の新しい馬の時代になると
 
 絵が雑になる。

動物より興味があるのは人間の絵。
 
  
 
踊っていたり、狩をしていたり。
大きな動物の中に見える小さな人間の姿が妙にいとおしい。

ところでタッシリでも有名な白い巨人とか泳ぐ人の絵には今回はお目にかかれなかった。と言うのも、これらの大作を見るには砂漠の中に見えたテーブルマウンテンの上まで崖をよじ登り、さらに徒歩で数時間歩かなければいけないのだ。
冬で気温が低いとは言え、日差しは強烈なサハラ。
さて、次は歩くか・・・。

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