Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

エブル体験教室@トルコ文化センター

2013-09-29 20:15:02 | 雑談
トルコにエブルという伝統工芸がある。

これは水に浮かべた絵具を紙に写し取るマーブリングという技法の一種で、ヨーロッパでは古い本の装丁などに使われ、特にベネチアのものが有名。
 

しかしこの技法は実は中央アジアで生まれ、それが東に伝わって日本では墨流しとなり

西に伝わったものはトルコでエブルとして花開き、それがオスマン帝国からヨーロッパに広がったという。
(ただしその起源と日本の墨流しとの関係については諸説あって定かではないよう)

トルコのエブルは特にアラビア書道を飾るものとして発展したが

最近では絵画のような作品を作る作家も大勢いるようだ。
  
特にマーブリングで花などを描いたりする技法はトルコ独自のものとか。
(上記の写真はすべてウェブから拝借)

このマーブリング、大昔の中学生のころ、なぜか一度だけ家庭科の授業で真似事をしたことがあり、たいそう面白くてまたやってみたいと思っていた。
調べてみると新宿のトルコ文化センターで教室があり、1回限りの体験もできるということが分かったので行ってみた。

指定された時間に行ってみると体験希望者は3名。
先生はスカーフをかぶったムスリマだが日本の方。

通された小さな部屋のテーブルの上には水盤が2つ。
 この水には海藻の成分が混ぜられているのでどろっとしている。
 この上に乗せる絵具は10色ほど用意されていたが、水性で日本画の岩絵の具のように鉱物などをすりつぶしたものが本式とか。これに牛の胆汁(手前の茶色い液体)を混ぜることで色が浮くのだそうだが、色によっては鼻を近づけるとすごいにおいがする(なぜか色によってにおい方が違うとか)。

この絵具を荒い穂先の筆にたっぷり含ませ、それを指先で軽くしごいてから筆のお尻の方を軽くつまみ、手首のスナップを効かせながら筆先を左手の指に軽く当てて絵具を水盤に落としていく。
 
これを3色ほど繰り返せばいちばん基本的な模様の出来上がり。
この上に空気が入らないように注意しながら白い紙をかぶせ、それを手前から水盤の縁にこすりつけながら引いて上げるのだが、こすっても模様が擦れないのが何とも不思議。
 引き上げたら網に乗せて乾かす。

最初に先生が見本を見せ、その後はこの基本を各自2枚づつやってみる。
やることは実に単純なのだが、実際にやってみると全く思ったように絵具が飛ばない。絵具の量、筆の振り方で水滴が大きくなったり、小さくなったりするのだが、初心者としては当然のごとくコントロールが効かない。
色のコンビネーションも思ったようにいかないのだが、これはセンスの問題とともに色を落とす順番の問題でもあるのだと終わりごろになってやっと気が付いた。

次には細い棒を使って色をひっかく方法。
 
色を落とした水面をまずは左右にひっかき、さらにそれを上下にひっかくとヘリンボーン模様になる。
これまた実際にやってみると自分のは大雑把で繊細さがない  

ヘリンボーン2枚の後、最後の一枚は好きなようにやってみてください、ということで合計5枚。
1時間強で体験レッスンは終了。

 その後はお茶とケーキをいただきつつ先生にいろいろ聞きたいことを聞いて、生徒同士でおしゃべり。
先生はトルコで師匠に弟子入りして修業したそうだが、熱心にやりすぎて普通よりずっと早く技術を習得してしまい、おかげで師匠はもう二度と日本人の弟子は取らないと言っているとか。

紙が乾かないので作ったものは持ち帰れなかった(後で取りに来てください、と言われた)が、1500円のこの体験レッスンはとてもおもしろかった。
生徒は随時募集中とのこと、花が思うように描けるようになるには何年かかかるようだが、エブル教室、始めてみようかしら。


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タジキスタン周遊 11 カライクム~ホルグ

2013-09-27 18:55:07 | 中央アジア
8月11日

夜はいささか寝苦しかったカライクムも朝の気温は22℃ほどでさわやか。
朝食の用意ができるまで村をちょっと散歩してみる。

 
宿の前の道をちょっと行くとT字路。人がたむろっているのはホルグ行きの車を待っているのだろう。橋の下を流れる川はパンジ川にそそぐ。 
  
カライクム銀座を歩きちょっと路地に入ると柔道場を発見。こんなところにまで普及しているとは、大したものだ。

今日も一日パミールの中心の町ホルグまで、アフガニスタンとの国境をパンジ川に沿って240キロ走る。
 川幅は狭くなったり

広くなったり。川の流れが緩やかなところには見張り塔があるが、ほとんどのところでは急流なので長い国境線をすべて監視しているわけではなさそうだ。

  
  
対岸はほとんど灰色の岩山が続く景色。それだけにその間に点在する緑の村がまさにオアシスのよう。

  
川幅の狭いところではコンデジでも望遠で家の様子が見え、人の姿も見える。
  
例の青いブルカをかぶったお母さんたちも見えるが、村の中では背中にたらしている。
 
川辺には遊んでいる子供たちや、水浴びをする親子の姿も見え、こちらから眺める限りは平和な田舎の村の風景だ。
 
途中にはロバで移動する人の姿も見えて、く~、やっぱりアフガニスタン、行きたい! 

タジキスタン側では途中の小川で水浴びをしている子供たちに出くわした。
 
バシャバシャ泳いで、体が冷えたら熱い砂の上に寝転んで気持ちよさそう。
 でもちょっと育つとやっぱりこうなる。

しばらく行くと一台の車の調子が悪くなり、修理のために止まってしまった。
 周りには牛と羊しかいないようなところだが、しばらくすると子供が寄ってきた。
これ幸いと捕まえて、またアポなし家庭訪問を依頼する添乗員。

子供について行くと庭先でお母さんが働いていた。
 大きな石で粉にしているのはアンズの種。これにミルクを加えたお粥を朝食に食べるとか。
アンズの種はラダックなどでもそのまま食べたり、油を採ったりしていたが、こんな風に粉にするのは初めて見た。やってみると石は重くて、これは重労働。

さらに図々しくお願いすると、ためらいもなく家の中にまで招き入れてくださる。
 外からは特徴もなく見える家だが内部はパミール様式。
  
2本の柱をくぐって部屋に入ると四方がちょうど腰かけられるぐらいの高さの段になっていて、天井は真ん中に明り取りの穴の開いた独特の形状。ラテルネンデッケといってチベット文化圏でも見かけるもの。
床や壁には絨毯が敷き詰められ、そこに布を敷いてパンやお菓子、お茶を出してくださる。

家族構成のことやら、暮らし向きのことやら散々伺って、さあそれではお暇しましょう、と腰を上げると
  
お父さんが庭のリンゴを落とし、さらに干してあった桑の実まで袋に入れて持っていきなさいとおっしゃる。
「こんなにたくさん、結構ですよ」「いいのよ、いいのよ、みんなで食べてちょうだい」というガイドとお母さんのやり取りが日本の田舎みたい。
 本当に突然おしかけたのに温かくもてなしてくださったパミールのホスピタリティーに感謝。

ホルグの宿に到着したのは17時半。
  
本日のパミール・ロッジは貸し切りのようで、くじ引きをしたらベッドが3つもある部屋を一人で使うことになった。

ただしこの宿、町の中心からはすごく遠くて
  
まわりにはサッカー場と放牧地しかなかった。

 
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渋谷でアフリカ料理 「ロス・バルバドス」

2013-09-24 19:57:51 | 食べ歩き
渋谷に飲食店は無数にあるが、おいしいところにはなかなか当たらない。

人生も残り少なくなってきて、さらには余計なカロリーは腹回りの脂肪になるだけとなると、はずれ店に入ってしまった時の悔しさは大きい。
カウントダウンに入っている食事、どうせならおいしいものを脂肪に変えたいのだ。

というわけで先日渋谷で映画、美術展のはしごをした後、食事はどこでしようかと考えた。
できたらちょっと珍しいものを、と検索して選んだのは 「ロス・バルバドス」

センター街のずーっと奥、東急本店の近くだけれど薄暗い一角、さらに雑居ビルの一番奥に店はあった。
 表から見るとまるっきりバー。
入ってみると本当に小さな店で、厨房を囲むカウンターに8人座ったらギチギチだ。

カウンターにはいろいろ珍しいお酒も並んでいるようだが、飲めない自分には無関係。
食べ物は黒板に書きだされているが、びっくりするほどメニューが多く、その半分はベジタリアン・メニュー、半分は肉や魚を使ったメニュー。
そしてどのメニューもアラブやらカメルーンやらセネガルやら、珍しい料理がいっぱい。
店名は「バルバドス」だが、カリブや南米の料理は少なく、中東、アフリカが得意なようだ。

カウンターの中にいる、てきぱきとしてとても感じのいい女性にまずミントティーをお願いし、さて何を注文しようか。
ファラフェル、キッベ、野菜とピタパンのセットにも惹かれるが、知っているものより珍しいものがいい。
「レユニオンのルガイユ」とはなんだろう?

「野菜がいっぱいの煮込みです。ちょっとピリ辛ですが、別添えの辛いソースで調整できます」というのでそれを注文。
レユニオンとはカリブだったか、アフリカだったか、とさだかにわからないが聞きもせず、まあいいや。
(後で調べたらレユニオンはマダガスカルの沖にあるフランスの海外県だった)

そして待つことしばし、出てきたのがこちら。
 上はクスクス、真ん中が野菜が何種類も入った煮込み。別皿のレンズ豆を自分で加えて、辛いのが好きなら赤いソースを入れろとのこと。

早速煮込みをクスクスにかけて食べてみると、野菜の甘みにスパイシーなソース。とてもおいしいがピリ辛というよりはこれだけでもかなり辛い。
赤いソースの方をなめてみると、こちらはフレッシュトマトにたまねぎと唐辛子のようで、こちらはもっと辛い。あまり辛いのが得意ではない自分としてはとても入れられないが、このフレッシュなのを入れたら煮込みがもっとおいしくなるだろうことはわかる。

煮込みにはお肉(鶏?)も入っていたはずだが、野菜のインパクトがずっと大きい。
ソースが辛いのでなすやらズッキーニを拾ってクスクスと混ぜて食べるが、クスクスはおなかの中で膨れるのでものすごく満腹になる。

ルガイユはちょっと自分には辛すぎたが、おいしいし、ほかにも食べてみたい料理がいっぱい。
ここは友人を誘ってまた来よう。
ただし狭い店だし、常連さんが多いようなので、夕方は早く来た方がいいようだ。

渋谷でも探せばいい店もあるのね。


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タジキスタン周遊 10 アフガニスタン国境へ

2013-09-23 18:46:21 | 中央アジア
8月10日

いよいよドゥシャンベを出発してアフガニスタンとの国境へ向かう。

証文の出し遅れのようだが、ここでタジキスタンの地図と今回のルートをご紹介。

本日の目的地は国境沿いにあるカライクムと言う町。
通常であればドゥシャンベからは点線で示した3232メートルのハブロボト峠越えルートを行くのだが、途中の橋が洪水で壊れたままなので、今日は大きく南下してからアフガニスタン国境沿いを北上する遠回りになるという。

 南へ下る道はきれいに舗装されて快適だが、標高1000メートル以下では乾燥して暑い。

出発して1時間ちょっとでノラクと言う町に到着。ここにはヴァクシー川をせき止めたタジキスタン最大のダムがある。
  
ダムから流れ出る川は思いのほかきれい。
 牛も歩く橋を渡れば
  
川でとれた魚のフライを売っているおばちゃんもいる。この魚、野菜のスープをかけて食べるのだろうか。
  
ダムを見下ろす場所には休憩所もあって人気のようだが、ここをせき止めるとヴァクシー川が合流するアムダリアの水量が減るということで、ウズベキスタンともめる原因になっているのだそうだ。

 ダムから降りると周りの景色はますますカラカラになって、遠くに羊の群れが見えるだけ。

やがてクロブの手前、ブリストンと言う町まで来るとやけにきれいな要塞が見えた。
 この城壁はもちろんごく最近再現されたものだが、これは9~11世紀のフタロン王国のホルボック要塞。
  
閉じた門から中を覗き込んでいると、「今日はお休みだけれど君たちは日本人だから」と管理人のおじさんが開けて中を案内してくれた。
  
現在発掘中のこちら、日本の東京文化財研究所が援助しているのだそうで、だから我々も中を見せてもらえたわけ。  
 

クロブの町でゆっくり昼食をとって、1950メートルの峠を越えると
 いよいよ川の合流先がパンジ川、その向こうに見える山はアフガニスタン!
 
さらにちょっと山を下ると国境の橋がよく見えるが、これが渡れないのだね。

 川のこちら側、タジキスタンには緑の畑が多いのに比べて、あちら側アフガニスタンは荒涼として見える。

 
道はパンジ川沿いに上がったり下がったりしているが、向こうの山が迫って川幅はいくらもなく、場所によっては本当に手が届きそう。
 
よく見ればあちら側も川沿いに細い道が延々と続いていて、たまに歩いている人やバイクの人が見える。
こんな荒涼として何もないところをどこまで行くんだろうと思っていると
  
 
山からの細流があるらしいところにだけ緑が見え、その間に家が見える。
  
家は茶色い箱で、小さな窓にはガラスもはまっていない家が多いようだが、よく見ればパラボラアンテナを立てている家が結構ある。電柱は見当たらないので、おそらくソーラーを使っているのだろう。
アフガニスタン・サイドもきっと我々の想像以上に情報は入っているに違いない。

タジキスタン・サイドの道は国境沿いはさすがに未舗装が多くなったがところどころは舗装されている。
 
「ここはトルコの援助」、「こちらはイランの援助」と解説がつくのが面白い

やがて日もだいぶ傾いた18時半、途中2時間の休憩を含めて11時間で無事にカライクムに到着。
ドゥシャンベからの距離は360キロ。

今夜の宿はスルタン・ショーさんのホームステイ。
  
階段を下りていくとリンゴの木が何本も植わった中庭があり、川沿いに昔ながらのトイレやシャワールームがある。
 家は2つに分かれていて、1階にキッチンや家族の部屋、2階にゲストルーム。
 
キッチンを覗かせてもらうと冷蔵庫もあり、料理にはIH調理器を使っている。
 
思いのほか多くの部屋に区切られた2階は清潔で、床に敷く布団も薄いながら問題なかったが、1300メートル近い標高でも夜で29℃あって暑かった。


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スリランカ・フェスティバル 2013

2013-09-21 19:35:02 | 食べ歩き
毎年、代々木公園で開催されている「スリランカ・フェスティバル」。
今年も友人がお手伝いしている店が参加するというので覗きに行ってみた。

正午をちょっとまわったあたりで到着してみると、今年はゲートに看板もないがたいした人出。
 
  
特に食べ物屋台に多くの人が群がるのはいつものことだけれど、前回来たおととしよりも明らかにお客さんが増えている。

スリランカ料理屋台の他は紅茶や香辛料、雑貨とおなじみの顔ぶれ。
アーユルベーダを紹介するところがちょっと増え、おととし宿泊したシッダレーパ・リゾートの看板が出ていたので行ってみると、最近日本でシッダレーパ社の歯磨き粉と軟膏を売り始めたとか。
 現地で買ってとても良かったと言うと、日本語の達者なおじさんに「みんなに宣伝してね」とサンプルをもらった。
リゾートで買ったフェイシャル・パックがすごく良かったので、あれも売ってほしいな。

 
ステージでは選ばれてやってきたというティーンエイジャーの踊り子さんがキャンディのダンスを披露。
 今年はこんなリアルな象さんも家族連れに人気。

と一回りしたところで友人の屋台へ。
  
紅茶専門店 「セイロンドロップ」は毎年水出し紅茶やキリティーを販売しているが、今年はカレープレートも始めた。
テーブルが混んでいるので「スリランカのお弁当スタイル」をお願いすると
 ちゃんと現地の新聞紙で包んでくれるのがしゃれている。
 たっぷりのご飯にかけられているのはマイルドな味の冬瓜カレーとチキンカレー。辛さはココナッツフレークに唐辛子とモルディブフィッシュを混ぜたポルサンボルで調節、酸味の効いたアッチャールで口の中をさっぱりさせる。これで600円はずいぶん良心的な値段だ。

せっかく出かけてきたのでもうちょっと何か買って帰ろう。
  
スリランカならでは、ということでコットゥロティ。薄いクレープ生地のようなロティを千切りにして肉、野菜と炒めたもので、知らなければ平たい米粉の焼きそばかと思ってしまう。ただしお味はスリランカらしく、しっかり辛い。

 デザートには水牛ヨーグルトの椰子シロップがけ。これ、おととしも食べたが、入れ物が素焼きになっていい感じ。 
 飲み物にはスリランカ特産のキングココナッツのジュース。実を割ったものも売っていたが、こんなおしゃれな瓶入りも登場した。

内戦の正式な終了からまだ4年だけれど、最近のスリランカはイメージも良くなっているし、こうやって人気が出ている様子が見られるのもうれしい。
またアーユルベーダに行きたいな。

  
代々木公園の紅白の彼岸花がきれいだった。


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レオナール・フジタ展@Bunkamura ザ・ミュージアム

2013-09-19 13:09:07 | 機内食・映画・美術展
貧乏性なものでせっかくでかけたからにはあれもこれも一度に済ませてしまおうとする癖がある。

今回もせっかくBunkamuraまで来たのだから、と映画2本見た後にさらにザ・ミュージアムで 「レオナール・フジタ展」


今回の展示は箱根にあるポーラ美術館の収蔵品がほとんどなのだが、ここには藤田嗣治の国内最大級のコレクションがあるとか。とは言え辺鄙なところにある美術館なので、これが渋谷で見られるのはありがたい。

展示はパリ時代からほぼ年代順に並べられ、パリ時代に影響を受けたアンリ・ルソーやモディリアニもある。
もちろんあの有名な乳白色の肌の裸婦像もあり、それらを制作していた時代の土門拳による写真があるのもとてもおもしろい。

しかし展示の半分を占めるのは画家の晩年に多く描かれた子供をモチーフとした絵。
 
頭でっかちでつりあがった眼など顔の道具が真ん中に寄った子供たちは笑うこともなく、ちょっと不気味でさえあるのになぜか引き付けられてしまう。

そしてさらに面白いのは画家のパリのアトリエの壁に貼られていたというたくさんの小さなタイル。
  
 
いろいろな職人を子供たちで表しているのだが、これが何ともユーモラスで、画家が楽しんで描いていたであろうと思わせる。

1920年代のパリで大成功した藤田は戦争中は軍部に協力して戦争画を多く描き、戦後そのことを糾弾されて日本を去った。
その知識があるのでなんとなく暗い晩年を想像していたが、これらの子供の絵を見ると穏やかな晩年だったようでなんだかほっとする。
5回も結婚を繰り返した藤田は最後に結婚した日本女性とは30年以上添い遂げ、しかし子供には恵まれなかったとか。この子供たちは藤田がほしかった子供たちなのだろうか。

Bunkamura ザ・ミュージアムは大きさも手ごろで、ライティングがいいのかとても見やすい。
内容もわかりやすく、とてもいい展示だった。


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大統領映画2本立て@Bunkamura ル・シネマ

2013-09-18 13:47:35 | 機内食・映画・美術展
ル・シネマのサービスデー、今回は大統領の映画を2本見てきた。

1本目はフランス映画。
 「大統領の料理人」 Les Saveurs du Palais

行ってみると映画館にはまたも女性たちが行列を作り、上映30分前には満席。ネット予約をしておいてよかった。
みなさんやっぱりおフランスと食べ物には弱いのね、自分もそうだけど。

ストーリーはミッテラン大統領のプライベートシェフとなった女性がエリゼー宮で男性社会と衝突しながらおいしい料理を作って大統領を喜ばせる、というもの。

まず驚いたのは大勢のスタッフを抱える厨房があるにもかかわらず、それとは別に私的な集まりのためのプライベートシェフがいるということ。
そしてこの女性シェフがきれいにお化粧しているのはいいとして、仕事中もハイヒールをはき、いつも長い真珠のネックレスをしていること。
この主人公には実在のモデルがいるそうなのでまったくのでたらめは見せられないだろう。いつもこんな格好で料理を作っていたとしたら本当に驚きだ。

出てくる料理はさすがフランス、作るところから出来上がりまで本当においしそう。
大統領が分刻みのスケジュールも無視して夢中になって料理の話をする、なんてところもフランスの面目躍如。
しかし「祖母が作ったようなシンプルな料理が食べたいんだ」と言うリクエストに、出される料理がフォワグラやトリュフだらけってどうよ。
主人公はエリゼー宮を辞してから南極料理人になるのだが、そこで作る料理にもフォワグラやトリュフって本当なんだろうか。
日本の南極越冬隊もストレス解消のために贅沢な材料がふんだんに用意されていると聞いたことはあるが。

予告編では田舎の名もないシェフがいきなりエリゼー宮に呼ばれた、と言う風に見せていたがもちろんそんなことがあるわけもなく、モデルは料理学校で名を挙げた人らしい。
モデルはともかく、映画の中の主人公はやたらプライドが高く、昔からいる厨房スタッフや大統領の側近と衝突するのも無理ないんじゃないかと思ってしまう。絶対に自分を曲げようとしないのだから。
実際にそんな人だとしたらあまりお近づきになりたくないが、それでもあまり反感を感じずに最後まで見てしまうのは主役のカトリーヌ・フロの力かもしれない。フランス人ならこういう強烈なキャラクターがいそう、と納得してしまうのだ。

美味しそうな料理が見たい、という期待は裏切らない映画。


続けて見た2本目はこちら。
 「私が愛した大統領」 Hyde Park on Hudson

ビル・マーレイがフランクリン・D・ルーズベルトを演じるというので興味を持った。
あばた面でいつも無愛想なビル・マーレイ、なぜかサダデーナイトライブ(古い!)のころから好きなのだ。

FDRはよく知られているようにポリオの後遺症で脚が不自由ながら、大恐慌後から第二次大戦時まで3期もアメリカ大統領を務めた人。
同時に何人もの愛人がいて、そのために夫人のエレノアが政治活動に熱心になったのではないかと言われている。

今回の映画でも中心人物はFDRの遠縁のいとこで愛人だったデイジー。
これをローラ・リニーが地味に演じていて、FDRとドライブに行く場面など美しい景色が楽しめる。
原題のHyde Parkはニューヨーク州のハドソン河畔にあってとてもきれいなのだ。

この田舎町のルーズベルト家へ戦争協力を頼もうとイギリスのジョージ6世とエリザベス王妃がやってくる。
その姿がいささか滑稽に描かれ、また迎えるアメリカ側、特にエレノアの無礼ぶりも大げさに描かれる。王妃にむかって「エリザベスって呼んでいいわよね」なんて、イギリスの学校に通っていたエレノアが言うだろうか。

物語は自信のない若い国王をFDRが父親のように励まし、「こうしてアメリカとイギリスはしっかり手を組みました」と言う話になるのだが、こうなると中心人物のはずのデイジーの役割がさっぱりわからない。英雄色を好む、FDRは立派な政治家だったのだから愛人が何人いたっていいじゃないか、というテーマなのだろうか。確かに昔はプライベートなことまで何もかも暴かれるわけじゃなかったし、クリントンのスキャンダルだって公にして何かいいことがあったのかって話。

デイジーやそのほかの愛人たちの関係、それ以上に夫人のエレノアの複雑な立場の方がずっと興味深いのだがそちらはちょっと触れるだけでほったらかし。
FDRを演じるビル・マーレイもがんばってはいるが、カリスマ性のある大統領には見えない。

なによりがっかりなのはジョージ6世とエリザベス王妃に全く品がないこと。
この映画はなんとイギリス映画で、この国が自国の王室を遠慮なく描くのは今に始まったことではないが、もうちょっといい役者はいなかったのか。

「英国王のスピーチ」がいかにいい映画だったか、よくわかった。


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タジキスタン周遊 9 ドゥシャンベ

2013-09-15 18:39:48 | 中央アジア
8月9日 続き

博物館の後はドゥシャンベの市内観光。

 
ドゥシャンベは1920年代以降、ソ連によって作られた街なので、広い通りは背の高い並木に縁どられ、建物もロシア風でなかなか風情がある。

ホテルにほど近いルダーキ公園の向こうに見える大きな建物は迎賓館。
 

大きな国旗の下に立っているのはまた登場した詩人のルダーキーさん。
 
きれいに整備された公園ではあるのだが、真昼間に歩くと暑さでヘロヘロになる。なにしろ空気は乾き切り、気温は確実に35度以上あるのだから。

 公園の正面にあるのは巨大な国立図書館。
 
その両脇には国章の乗った塔と、国家のシンボルにしたいらしいイスマイル・ソモニの像。ちなみにイスマイル・ソモ二は9世紀のサーマーン朝の王様で、ゾロアスター教を否定してイスラムを信奉したと言う。
なんでもでっかくしたがるのはソ連時代からの癖が抜けないのか、中央アジア的なのか。

首都とは言え他に見る物もない小さな街なので、またバザールに行って買い物をしようと言うことになる。
 
電気屋やら旅行会社やらが並ぶ道をてくてく歩いてやっとバザールの門に到着。
ところがラマダンが明けて2日目、本日は市場はお休みだという。
 
市場の周りで肉屋や果物屋は店を広げていたが、ちょっと寂しい。

 貸しビデオ屋があったので中を見学。
 
人気があるのは怪しげなお色気系と、ムキムキマッチョがやたら人を殺すアクション系らしい。
ちなみにテレビをつけると衛星放送で入るのはロシアの番組ばかり。やっぱりきわどい濡れ場と暴力シーン満載の映画やドラマが多い。

 こちらはドゥシャンベの銀座、ルダーキー通り。
ここにあるツム・デパートも本日はお休みで買い物はできず。

  
カウントダウン付き歩行者信号まであるが、ドゥシャンベはのんびりした街だった。


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タジキスタン周遊 8 ヒッサール要塞と国立博物館

2013-09-13 16:05:16 | 中央アジア
8月9日

昼間は暑いドゥシャンベ、少しでも涼しいうちに、と郊外のヒッサール要塞へ向かう。

ヒッサールは19世紀までブハラ汗国の都市だったところ。
今は要塞の周囲が公園のように整備されている。

 まず向かうのは16~18世紀に造られたというメドレッセ。
  
ドームや塔がきれいに修復され、中庭を囲むたくさんの小部屋はちょっとした博物館になっている。

付近から出土したものや昔の道具などを展示した素朴なものだが
 
とぼけた馬や脚の付いた木靴のようなおもしろいものもあり
 
おなじみのスザニやお茶を入れたという小袋なども興味深い。丸い太陽のような模様はタジクのスザニの特徴なのだそう。
  
古い民族衣装の絵もツボだ。

メドレッセのお向かいには要塞の門がそびえる。
 ただしこれは最近再建されたもの。
  
内部は例によって空き地で、小高い丘もあるが気温が体温ほどもある中ではとても登る気にはなれない。

冷房付きバスに感謝しつつ市内に戻り、次に向かったのは国立博物館。
 なんと日本語もあるHPはこちら 

ドゥシャンベには今年の春にできたばかりという大きな国立博物館がもう一つあるのだが、こちらの古い博物館の収蔵品が移されるわけではないという。となると新しい博物館には一体何があるのか、と不思議に思うほどここはお宝の山。
本来は写真撮影禁止の館内だが、今回は添乗員の機転で館長の許可がいただけた 

まずは古い時代から、5000年ほど前の「サラズムのプリンセス」
 
ペンジケントの近くの古代遺跡から出土した若い女性は大きな腕輪をはめ、体の周りに色とりどりのビーズが散らばっているのは服に縫い付けられていたのだろうか。身長は170cm以上あるのだそうだ。

こちらはタジキスタン南部、タフティ・サンギンから出土した紀元前後1世紀の象牙細工。
  
 ヘレニズム期バクトリアの見事な彫刻はアフガニスタンからの出土品でも見たことがある。

この博物館で最も有名なアジナ・テペから出土した7~8世紀の涅槃仏。
 
12メートルの仏像はバーミヤンの仏像が破壊されてしまった今では中央アジア最大なのだそう。
発掘時にバラバラにされたとかで、補填された部分が思ったより多い。
 
自分としてはこういうパーツの方が萌える。

ゴロゴロと並べられた石碑の一つはなんと、ムガール帝国を開いたバーブルの銘文だという。
 
サマルカンドを追われて流浪の身となった時、その行く末を思った詩が刻まれているとか。
貴重なお宝だと思うが全く何の解説もなく、ガイドさんに聞かなければわからない。
ただ後から来たインド人も写真を撮っていたからさすがにインド人には有名と見える。

そして念願のペンジケントの壁画のオリジナル。
 こちらも無造作に廊下に並べられ、床には改装作業のためのシートなど敷かれていたが、日本から来たのだから、と近くからじっくり見せていただく。

 
 

状態がいいとは言い難いが、細部の筆遣いなどにうっとり。

ペンジケント以外の壁画もほんの一部分と言えども素敵なのでこちらでどうぞ。

タジキスタン国立博物館の壁画

 
これはやっぱりエルミタージュに行かないと、と改めて思う。

古めかしい博物館だけれど、ここは行く価値があった。


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タジキスタン周遊 7 ペンジケント遺跡~ドゥシャンベ

2013-09-12 15:50:44 | 中央アジア
8月8日

朝一番、町はずれの小高い丘の上にあるペンジケント遺跡へ。

ペンジケントは5世紀頃から8世紀のアラブ人侵入まで栄えたというソグド人の都市。
ここまでいくつも見てきた遺跡を築いたソグド人はシルクロードの商業で栄えた民族で、その勢力範囲の中心はサマルカンドやブハラにあった。王国ではあったが商人の国なので絶対王政ではなく、王様といえども商人組合の長ぐらいの地位で、「政治的結束より商売優先。だからアラブ人にあっさり負けちゃったんですよね、きっと」とは自称前世ソグド人の弁。

サマルカンドやブハラがソグド人の後にも次々と都市を築かれたのに対して、ペンジケントは8世紀以降は放棄されて、おかげで1933年に発見されるまで遺跡は埋もれたままだった。その後は1950年代からロシアの考古学者たちに発掘されている。

とは言え遺跡の発掘、特に日干し煉瓦の遺跡は崩れやすいので、掘って研究したら埋め戻すのが基本。
だから我々の目に映るのはでこぼこした地面だけ。
 
知識がないとこれを楽しむのは難しい。

 ほとんど唯一建物らしいのは拝火教神殿の跡。
ソグド人はゾロアスター教徒だったが商人の国なので異教にも寛容で、すぐ隣にはヒンドゥー寺院やら仏教寺院もあったとか。

丘の端に立つと眼下に現在のペンジケントの町が広がる。
 
小さな町だが緑が多くて気持ちがいい。

タジクの子供たちはソグド人のことを学校で教わるのかと聞くと、「教科書に名前がちょっと出てくるだけでほとんどのタジク人はソグドのことは知りません。皆さんの方がずっとくわしいです」とタジク人ガイドさんはくやしそう。
アラブ人に滅ぼされたので、イスラム回帰中のこの国ではあまり触れたくないのではないかと言う。

遺跡を見て回っていると現在発掘作業中の現場に出くわした。
 
作業員は地元の学生アルバイトで、教授が食事中なのでみんな日陰でだべっている。

声をかけると助手らしい英語を話せる子が壁画が出たと見せてくれた。
 
おお、確かに波型装飾がはっきり見える!
裕福なソグド人の住居は華やかな壁画で飾られていて、出土した主なものはエルミタージュに持って行かれたが、ドゥシャンベの国立博物館にもあると言うので楽しみだ。

 
見物しているうちに責任者のロシア人教授が戻ってきて、とたんに学生たちが働き出すのがおかしい。
暑い夏の発掘は大変じゃないですか、と聞くと「早朝から作業しているから大丈夫。ウズベキスタンでの発掘に比べれば全然楽」なのだそうだ。

遺跡の入り口には小さな博物館がある。
  
  
土器や文字の書かれた木簡が並べられているが、貴重なものは壁画ともどもロシアだろう。

ペンジケントを出たら元来た道をアイニまで戻り、南のドゥシャンベを目指す。

  
川沿いには緑があるが、周りの山は茶色い岩山ばかり。

 
この古いミナレットがあったのはなんという町だろうか。

ドゥシャンベに入る手前にはまた高い山脈があり、この山越えのアンゾーブ峠にも標高2635メートルにトンネルができている。
  
イランが作ったこのトンネルはしかし悪名が高い。というのも地質学者が水が出ることを警告したにもかかわらず強行してしまったとかで、実際2本のトンネルの片方は川になっている。

トンネルに入ると中は照明がなく真っ暗。道はデコボコで、途中からは路面が水浸し。しかも狭い坑内に対向車もあり、通気もよくないので5.8キロの道のりが長い。
出た時にはほっとしたが、「今日はたいして水が出ていなかった」と添乗員はちょっとがっかりした様子。ひどい時には本当に洪水のようになるのだとか。

 トンネルを出ると道はぐんぐん標高を下げていく。

1時間ほどして川のほとりまで下りると車はストップ。
 と言うのもここで洗車をするため。
ドゥシャンベに入る車はすべて事前にきれいにしなければならないという決まりがあるのだそうで、汚いままのところを発見されると罰金を取られるとか。
若いお兄ちゃんが洗剤も使ってきれいにして、一台300円ほどの料金。
ここに日本の洗車機を持ってきたらいい商売になるんじゃないだろうか。

さらに山を下りていくと途中にはこぎれいな別荘やプールや遊園施設のついたリゾートホテル、撮影禁止の豪華な大統領の別荘などが立ち並んでいる。標高900メートルにあるドゥシャンベは暑いので、山の中に避暑地があるわけだ。
どんな人が別荘を持てるのかと聞くと「政府のお役人」とは、さもありなん。

避暑地から30分ほどでようやくドゥシャンベ市内。
 ソ連時代に作られた首都は広い道の両側に大きな木が立ち並んでなかなかきれいだ。

 
さすがに首都には普通のホテルがある。

ペンジケントからドゥシャンベまで、昼食休憩を入れて8時間弱かかった。


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コメント (5)
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