Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

市ヶ谷でブータン料理@「LASOLA」

2024-01-22 16:40:09 | ブータン

友人に誘われて、東京で二軒目となるブータン料理の店に行ってきた。

都営新宿線の市ヶ谷駅から徒歩5分の「LASOLA」

  
随分とかわいらしい「仲良しの図」の看板が出ている、その横の階段を上がるとそっけない扉。

 
が、店内は鮮やかなオレンジ色の壁に天井にはタルチョ、壁の絵もすっかりブータンだ。

ブータン料理屋といえばもう18年前にできた代々木上原の「ガテモタブン」が東京で唯一の店だったが、そこで10年働いた日本人シェフがコロナ禍真っただ中に開いたのがこの店とのこと。
 ランチメニューはこれだけだけれど、夜のグランドメニューも見せてもらうと干し肉やモツの料理もあって本格的。

ランチメニューの中で一番辛いのはエマダツィだそうだが、ブータン好きとはいえ辛いのは得意ではないので鶏とキャベツのジャシャパを選択。
 
やってきたお皿には大ぶりの鶏肉ががっつり。大きな乾燥赤唐辛子が乗り、唐辛子粉もたくさん見えるけれど、自分でも全く問題なく食べられるほど穏やかな辛さで、ブータン人からしたら全く辛くないだろう。鶏もブータンで食べたことがあっただろうか、大きな動物を大人数で食べる方が罪が軽いと考える国なので、これは随分と贅沢な料理。でもおいしくて、ご飯少な目ではなく普通盛りにしてもらえばよかった(頼めばお替り自由だけれど)。

この日、ここにやってきたのはをずっとブータン・ツアーを企画してきた「ヤクランド」さんのお声がけがあったため。そのためブータンに行ったことのある人、ブータンの織物を習っている人など主催者も含めて9人の集まりになった。

しかしそのブータン、コロナ中はもちろん国境封鎖、その後観光客の受け入れを再開したが、何を勘違いしたか元々高かった政府指定の旅行費用をとんでもなく値上げしてしまって観光客激減、ただでさえ困っていた観光従事者は干乾しになって、個人的に何度も世話になったブータン人ガイドも最近オーストラリアに移住してしまったらしい。

あわてて去年の秋から費用を半額にしたというのがブータンらしいが、日本人にとっては円安もあってもうおいそれとは行けない。
店のご主人も、ヤクランドさんでさえコロナ後の再訪はまだ果たせていないとか。
一時期ははまりまくって毎年のように行っていた自分も、現国王の戴冠式以来、もう15年もご無沙汰している。
その後どう変わったか、そろそろまた行ってみたい。


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ブータンのコロナ事情

2020-07-01 10:36:53 | ブータン

あるご縁から日本ブータン友好協会会報の6月号をいただいた。

トップ記事の一つは王様に第二王子が誕生、というものだが、中に首都ティンプー在住の方の近況報告があって、これがすこぶる興味深い。

ブータンはインドと接していることもあって3月の頭には国境を閉鎖、それでも中東などからの帰国者から6月中旬までに67人の新型コロナ感染者が出たとのこと。
幸いにして死者は0だそうだが、学校も早々に閉鎖になったそう。

驚くのはその先で、学校に通えない生徒たちのために国営ラジオやテレビを通じてオンライン授業が実施され、SNSを通じて毎日宿題が送られてくるとか。
しかもデータ受信の経済負担を軽減する為に、生徒対象のデータ通信割引サービスまであるのだそうだ。

さらに4月中旬からは追跡アプリが導入されて、市場にもQRコードをスキャンして入場するとか。

思えば初めてブータンに行ったのは1996年。その時にはまだテレビ放送さえ始まっていなかった。
最後に行ったのは2008年で、その時でも携帯電話を持っている人はほとんどいなかったと思う。

首都と田舎ではだいぶ事情も違うだろうが、それでも奥地の村でスマホを持っている人に出会っても今やもう驚くにはあたらないのだろう。

周回遅れとか言われながら、ブータンはある意味もう日本を追い抜いてしまったよう。
自由に動けるようになったら、久しぶりにブータンに行ってみようか。


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チベット文化圏の民族衣装 3 ブータン

2011-12-27 18:52:01 | ブータン
さて、チベット文化圏でも一番の着倒れと言えばブータン人。

先日の国王夫妻来日でも話題になった通り、ブータンの民族衣装は日本の着物に良く似ており、国王夫妻のお召し物は当然、最高級の絹製、毎回2人の衣装の色合わせが考えられているのが素敵だった。


ブータンの織物についてはこちら

このブータンの衣装、女性の着物はキラと言って、ブラウスを着た上にシングルのベッドカバーほどの一枚布を巻きつけて着る。
 布の前後ろは肩の所のブローチで止め、腰にきつく帯を締めて長さの調整をする。
キラの着付けは脇の合わせ目、裾の長さがポイントで、この着付け方、ブラウス、キラとその上に着る上着の色、柄の合わせ方でおしゃれかダサいかが決まるのだそうだ。

 
基本的には同系色でまとめるか、柄の一色をブラウスや上着に持ってくる。
ここいらへんの感覚も日本の着物に良く似ていて、ブータン人はセンスがいい。

ただしブータン人は日差しの強い国らしく、日本人よりもはっきりした色が好み。
 なので大勢の人が集まると色とりどりで実に華やか。

   
男性の衣装はゴと言って、これこそ日本の着物にそっくり。ただやはり腰の所で帯をきつく締めて長い裾を膝丈にたくし上げ、長い袖を折って中に着た白いシャツを見せる。
この着付けのポイントは後ろ姿にあり、後ろにとったダーツを決めるためにブータン人はとても気を使う。
足元は伝統的にはチベット風のブーツだが、現代の正装ではハイソックスに革靴。座った時にちらっと見える膝小僧がセクシーだったりする。

ブータンでは伝統文化を守るため、家の外に出る時には基本、民族衣装の着用が義務付けられている。
  
だから普段着ももちろん民族衣装。
おじさんやおばさんのふところが膨らんでいるのは身がたっぷり詰まっているからだけではなく、財布から携帯からなんでもここに入れて持ち運ぶため。

民族衣装着用は子供にも及び、ブータンの学校では制服もキラとゴ。
  
学校ごとに色、柄が異なっていて、これが実にかわいい。

ブータンの国営航空会社、ドゥルック・エアのCAの制服ももちろんキラ。
  
左は2000年の制服、右は2008年でちょっとおしゃれになった。

民族衣装が義務付けられているとはいえ、ブータンももちろん世界の流れには抗しがたく、特に若い子たちはジーンズやTシャツ、スタジャンを着たがる。
しかしわれわれの目から見ればブータン人に似合うのはやはりゴとキラ、特に男の子は民族衣装を着ていた方が3割は男前に見える。

明治時代に日本に来たイザベラ・バードも、日本人は着物だとさまになるが洋装だと貧弱に見えて仕方がない、と言っていた。

その国の風土、人種に合わせて発達した民族衣装はそれぞれおそらくもっとも合理的な衣装だと思うが、一度失われてしまうと元に戻すのは容易ではない。

10年後、ブータンの人々は何を着ているだろうか。


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もう一つのロイヤル・ウェディング

2011-05-23 01:24:13 | ブータン
ロイヤル・ウェディングと言えばついこの間イギリスが沸いていたけれど、今度はブータンでおめでたいお話。

2008年の戴冠のお祝いに参加させていただいたブータンの王様がとうとう結婚を発表されたのだ。

お相手は20歳のJetsun Pema嬢。
 写真を見ると典型的ブータン美人。
今年31歳の王様とお似合いのカップルだ。

この王様、イギリスとアメリカに留学していて、当時は日本人のガールフレンドがいるなんて噂もあったようだが、アイデンティティの存続に必死なこの国のこと、外国人の王妃はやはり許されまい。

父上の先代国王は政治的な配慮もあって4姉妹を王妃にされたが、これも急速に近代化、国際化する今日のブータンではもうできないだろう。

賢くて性格もよさそうな王様のこと、若い王妃をしっかりリードして幸せな家庭を築かれるに違いない。
ロイヤル・ウェディングは10月で、「はでなことはしないように」と指示されたそうだが、果たしてどんなイベントが行われるのか。

恋愛ごとの大好きなブータン人たちは盛り上がっているだろうな。
できることなら一緒に盛り上がりたい。


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ブータンの切手

2009-01-09 00:46:41 | ブータン
ブータン名物の一つは郵便切手である。

今はどうか知らないが、一昔前は珍しい切手の発行で外貨稼ぎをしていた。
そんなわけで国立博物館の最上階には古い切手のコレクションがあるし、首都ティンプーの市内観光といえば必ず中央郵便局に行く。
 今年は郵便局も戴冠式のためにライトアップ

以前にここで買った切手を眺めてみると、
 
 高山植物シリーズとか
 仏具シリーズとか

いかにもブータンな図柄がいっぱい


愛知万博の記念切手もブータンの仮面舞踊


前国王の50歳の誕生日にもこんな記念切手が出た。

今回のブータン訪問で入手したのはこちら
 
ウォンチュク王朝100周年記念切手

もう一つは変り種
 CD切手

ブータンでは以前にもソノシートの切手を発行しているが、時代は変わっていまやCD。このまま貼れば切手として通用し、封筒から出せばCDが見られるという寸法。
CDの中身が気になるが、もったいなくて封が切れない。


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ブータンの王様コレクション

2008-12-18 02:38:08 | ブータン
戴冠式の期間中、ブータンはいたるところ王様の写真であふれていた。

まずは到着早々、空港で。
 新国王の戴冠式ばかりでなく、今年はワンチュク王朝成立100年のお祝いでもあるので、歴代5人の王様の写真がお客様をお出迎え。
 バゲッジ・クレーム・エリアでも。
 
街中の電飾でも。

歴代の王様はお札の顔でもある。
 
左から初代、3代目、4代目、5代目(2代目だけ抜けちゃった)。
 発行されたばかりの新国王のお札は2種類あるが、50ヌルタム札の肖像はなんだかいまいち。

町を歩けばその新国王がそこここに。
 
街灯の柱やロータリー
  
イベント会場や郵便局にもいらっしゃる。

 土産物屋では王様の写真がよりどりみどりだが
 空港で売っていたTシャツは・・・微妙。

オールバックの横顔がアントニオ猪木に似ているとツアー一同に指摘された新国王だが、正面から見るお顔は甘い二枚目だとフォローしておこう。

こちらは競技場前の特設テントにあった王朝100周年グッズ。
  
置時計にも心惹かれつつ、チベット文字の腕時計をゲット。
しかしブータン・デザイン、タイ製というこの時計がとんだくわせもの。
まずは買って早々、文字盤を叩いたら針がグルグル動くのに仰天。しばらく叩いて遊んでいたら落ち着いたものの、長針と短針の角度が微妙に変。それでもむりやり時間を合わせて様子を見たら、実際の時間より遅れてみたり、進んでみたり、もう勝手放題。

デザインだけでなく時間までブータン流とは、ブータン時計恐るべし。


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ブータン戴冠式ツアー 9

2008-12-16 19:29:41 | ブータン
11月10日

早くも帰国日。

 気温の下がる早朝、パロの町には霧がかかっている。

出発前はこんな景色を眺めながらのんびりしたいものだが、過半数がブータン初訪問の今回のツアー、張り切り添乗員はギリギリまで観光予定を入れている。良心的といえば良心的だけど。

天気がいいからまあ、いいか、と付いて行った最初はドゥゲ・ゾン。焼け落ちた城の手前にジョモラリのビューポイントがあるのだ。
 戴冠式晴れの空の下、思ったとおり山がよく見える。
 真っ白に雪を戴いたその姿はまさに女神の山。この山をもっと間近に見にトレッキングに行きたいなあ。

ドゥゲ・ゾンもタクツァン僧院も遠望して、最後はキチュ・ラカン。
   
ブータン最古の寺と言われ、王室の加護もあるという由緒ある寺だが、朝のお勤め中の堂内で一生懸命なにかしている坊主の手元を見ると、なんとドマ(ビンロウジュの実を咬む嗜好品)を作っている。やっぱりブータンだわ。

滑走路のすぐ脇にパロ・ゾンのそびえる空港には帰国便が既に待っている。
  
お金持ちの訪問の多い最近のブータン、プライベート・ジェットがゾンに突っ込みそうになったこともあるとか。

 機内で出迎えてくれたスッチーの、ユニフォームが来た時とは変わっている?これも王様の戴冠記念だろうか。

 無事に飛び立つとヒマラヤの山々が素晴らしくきれいに見える。
今回は本当に天気に恵まれた。戴冠式の日取りを決めたブータン占星術のおかげ?

帰りは直行便とは行かず、コルカタを経由して無事バンコクへ。
空港内で6時間の長ーいトランジットを過ごして、翌朝成田着。

たった5日間のブータン滞在はあまりにも短かった。
しかし今回はまさに一生一度の経験。やっぱり行って良かった!


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ブータン戴冠式ツアー 8

2008-12-15 01:13:53 | ブータン
11月9日 続き

午後はパロ谷の反対側、こちらも崖の上に建てられたゾンタカ・ゴンパへ行く。


数年前にも来た事があって、その時はキラを着てのんびり行った覚えがあるので楽勝と思いきや、今日のガイドはとんでもない崖道をよじ登っていく。
早いことは早いが、おいおい、と思っているうちに見覚えのある村に出た。
 
  
軒先には魔よけのポー(男性のシンボル)がぶら下がり、屋根の上に唐辛子が干してある姿は以前と変わらず。
  
かまどではお母さんがお茶請けの米を煎り、子供たちは珍客の到来に大喜び。

 
ナントカ上人(忘れた)ゆかりのカエルの岩を過ぎればゴンパはすぐ。
 手前には一年に一度しか開かれないというストゥーパを収めたお堂、その奥に仏間がある。
ここも観光客はめったに来ないところだが、実はパロのお祭りの最初と最後はここから始まると言う由緒あるお寺。そのためか仏間の壁画など古くはないが手の込んだ見事なものだった。
 お堂から見下ろすパロ谷ものどかで美しい。

帰りもまた道を間違えながら降りていくと、これまた見事な唐辛子の屋根。
  
すれちがったおばちゃんの背中のかごも唐辛子で一杯。

いい運動の後はホテルで石風呂をいただき、友人であるホテルオーナーとおしゃべりしてブータン最後の夜は更けていった。


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ブータン戴冠式ツアー 7

2008-12-10 00:54:24 | ブータン
11月9日

本日もまた晴天。
今日はパロの郊外、ダカルポというグル・リンポチェゆかりの聖地を目指す。

幹線道路からそれて村の中を通り過ぎ、細い道をしばらく登って自動車道の終点まで。ここから先は歩きだが、ガイドも子供の時以来来ていないのでどれだけかかるか分からないと言う。
地元民には人気の巡礼地だが、外国人観光客が来ることなどめったにないらしい。

山道をてくてく歩いて上の村へ。
 
民家がいくつか集まり、お寺とチョルテンがある静かな村。

パロの谷が眼下に見渡せて実に気持ちがいい。
 
しばらく眺めていると飛行機の音が聞こえてきた。
 パロ空港は恐らく世界でも最もアプローチの難しい空港の一つ。到着便は谷筋に沿って右に左に旋回しながら高度を下げて行く。その姿はパイロットの腕を誇示するようでかっこいい。

のんびりと小一時間も歩いただろうか、やっと崖の上に建つお寺が見えてきた。
 
しかしここは山全体が聖地ということで、すぐには寺に向かわず、周りをコルラすることにする。

巡礼路には真っ暗な岩の中をくぐる胎内くぐりあり、グル・リンポチェが瞑想したと言う洞窟あり。
  
 この2つに割れた岩はグル・リンポチェが悪魔を退治した際に割ったというもの。この裂け目を通れば身の穢れはすべてなくなるというので、もちろんしっかり通ってきた。

山の中は静かで出会ったのは香草採りの尼さんと巡礼中のおばあちゃんだけ。
 
この人たちは恐らく一日中、お経を唱えながらお寺の周りを歩いているのだろう。

山をぐるっと一回りして、ようやくお寺の入り口へ。
 
崖の上に張り出した廊下を通り、急な階段を登ってお堂の中に入ると、岩がむき出しの壁にはグル・リンポチェの手形や足型があり、布に隠されているが古くていい壁画も残っている。いつもお坊さんがたった一人で守っていると言うこのお寺、まさに瞑想場所と言う感じだ。
 そのお坊さんに見送られながら山を降りる。

 
村のお寺では中庭で日向ぼっこをしながら燈芯を作る作業中。こちらは日常の中のお寺という感じ。

午前のお参りを終えてパロの町のレストランに入ると
 なぜか松村が王様と並んでいた。


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ブータン戴冠式ツアー 6

2008-11-28 04:24:31 | ブータン
11月8日 続き

王様のお出ましから始まった記念式典3日目、今日は軍事色や宗教色はなく、一般の国民によるものばかりでぐっとくだけた雰囲気。

 高校生の踊りやら
 小学生の踊り
 村人の踊り

 
軍楽隊のマーチは伝統的なゴにピカピカのヘルメットが遠目にもかわいい。


 国王をたたえるため、ある高校が作った何百メートルもの横断幕が登場すると
 王様も貴賓席から降りて熱心に閲覧。

この後は各県代表による力自慢競技会。
 100キロ以上の玉を持ち上げたり
  
米袋やタイヤを抱えて走ったり。
 丸太を押し合う相撲のような競技もある。
満員の観客も大喜びで声援を送り、まるで村の運動会のような楽しさ。
 競技に使う道具は力自慢の競技者達に用意させ、役員は指示しかしないのもやけにおかしい。

お昼を過ぎて我々はタイムアップ、競技場を離れたが、テレビによるとこの後、王様は観客席で国民に混じって行事を見学され、さらに夕方にはインドの大統領の見送りから戻られた前国王も一緒に、VIP,一般国民入り混じって競技場一杯の円になって踊りを踊られたらしい。一緒に踊れなくて残念!

 なお一連の記念式典はTBSの「世界不思議発見」がずっと取材をしていた。振袖姿のレポーターが目立っていたが、放送は1月10日だそうだ。

この後は3代目国王のメモリアル・チョルテンの周りをぐるっと一周して見学。
  
新しく出来た女神の噴水は後姿がなまめかしい。

  
ティンプーを離れ、チョルテンの建つ川の合流点からパロへ。

途中、タントンギャルポ創建と言うタチョ・ラカンに立ち寄り。
  
在家の家族が管理する古い寺で以前にも寄ったことがあったが、今回は中に入れてもらうことが出来た。内部は本尊の納められた内陣の周りをまた外壁が囲む造りで、昔は壁画があったと思われる壁が新しくセメントで塗り替えられてしまっていたのが残念。

パロではいつものマンダラ・リゾートにチェックイン。
 くじ引きをしたら一番いい部屋に当たった。
 窓から見えるパロ・ゾンのライトアップがきれいだ。


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