Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ポルトガル・カステラ@京都 「カステラ・ド・パウロ」

2015-12-30 15:55:31 | 食べ歩き
スロベニアン・ディナーで満腹した翌朝、京都に来たからには麗しい仏像も拝んでおかねば、とホテルから近い東寺へ。

 もう紅葉はおわってしまったけれど
 
講堂の立体曼荼羅に金堂の薬師如来、何度見ても素晴らしい。
さて、それではお目当ての彼にお目にかかろうかと思っていると、「イケメンの帝釈天はこちらですよ」と係りのおじさん。
 門前の交番にもかっこいいポスターがあるが、これがポリスのこととは外国人にはわかるまい。

さて、本日のメインイベントは京都でポルトガル人の焼くポルトガル菓子を食べること。
ということで地下鉄、バスを乗り継いで北野天満宮へ。

参道の前でバスを降りて、すぐに見えたこちらに直行。
 
真っ白い蔵に入った 「カステラ・ド・パウロ」
 
店内一階にはポルトガル菓子の並ぶショーケース、奥ではお菓子を焼いているところも見える。
ここにもテーブルがいくつかあるが、ここもまた急な階段を上がるとロフトになった2階は落ち着いたいい雰囲気。
 
壁には様々なお菓子作りの道具がぶら下がり、ポルトガルの民族衣装を着たマネキンさんもいるし、
 
クリスマスらしい人形も飾られている。

それでは早速この店自慢のカステラをいただこうと注文したのは「食文化比較体験プレート」。
 
御大層な名前が付いているがメニューにある通り、ポルトガル各地のパォンドローというカステラの原型となったお菓子と、長崎で発展したカステラを食べ比べてくださいというもの。
器に入ったバイラ・リトラル地方のものは中がトロトロの半熟、その下の物も中心がかなり柔らかくて自分はこれが一番好き、長崎カステラが一番しっかりした食感で甘さも一番。
 こちらはおすすめ3点セットで一番奥がナタというエッグタルト、手前右はプディングジェーマという濃厚なプリン、左のマミーニャシュはナボナのようなフワフワしたケーキ。
 さらにショーケースから鶏卵素麺の乗ったエクレアとロールケーキ、スフレケーキのようなものを選んでみんなで食べ比べてみたが、どれも甘さはとても控えめ。
おいしいけれど、いずれも粉と卵だけの素朴なお菓子なので形は違っても味のバリエーションはあまりない。

帰ってからここを紹介してくれたコッコロのマダムに連絡したら、ここのフルーツケーキが絶品とのことでこれは食べ損ねた。
それにしても京都には面白い店がある。

と、お腹を満足させたところでやっと道真公のおひざ元へ。
 
参道の牛をなで
 
山門に掲げられた大きな猿の絵馬を見上げて
 もう学業には縁がないが一応お参り。

   
大宰府に飛んで行ったはずの飛梅がなぜかここにもあるが、その他にも境内には梅の木がたくさんあって、暖冬のためか早くも花が咲いている木もある。

そしてこれらの梅の木に実がなると巫女さんたちがこれを塩漬けにして干して、年の瀬にはこれを大福梅としていただける。
 と言うわけで無事にこれをゲット。700円。
元旦の朝にこれを初茶として飲み、「一年間生気に満ちた健康な日々を過ごすことを祈る」のだそうだ。

天神様にお参りした後は、この近くにある鶴屋吉信の本店へ。
 
ウィンドーもすっかりお正月らしく
 これが干支の猿だとわかるデザインセンスがすばらしい。

ここでは目の前で和生菓子が作られるところを見ながらお茶を頂けると言うことだったのだが、年末のためお茶屋さんはお休み。
 そこでいかにもお正月らしいお菓子を買って京都駅へ。
 ここでももちろんいろいろ買いこんで、正月の用意はできた。
たった25時間の滞在でも京都は楽しい。


この一年も海外、国内、楽しく旅行できたことに感謝。
何かと物騒になってきた世の中ではあるが、来年も好きな時に好きなところに行けますように。

皆様、良い年をお迎えください。


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スロベニアン・クリスマス@京都「ピカポロンツァ」

2015-12-28 20:01:19 | 食べ歩き
共にブータンに行った仲間との私設「ブータン友の会」、忘年会をしようと相談しているうちに日本で唯一のスロベニア料理レストランに行こう、ということになった。

そこでめったに乗らない東海道新幹線で
 
お子様ランチちっくな見た目の割に結構ボリュームのあるチキン弁当を食べながら京都へ。

駅前のホテルに荷を解き、まずはものすごく久しぶりの嵐山へ。

  
駅の北側の嵯峨野は歩く人もなく、静かでしっとりと楽しめたが
  
小さな野宮神社まで来たらアジア系の若いお兄ちゃん、お姉ちゃんであふれていてびっくり。
縁結びのおみくじやらお守りやらが飛ぶように売れている。

  
竹林も渡月橋も若い観光客でいっぱいだったけれど、期待していたライトアップはなんと20日で終了していた。
なんでクリスマスや年末にやってくれないんだろう。

土産物屋が立ち並ぶ中でひときわ目立つ建物はなんと嵐電嵐山駅。
  
構内の壁や天井は竹で覆われ、ホームには友禅の布を使ったポールを何百本も並べて「京都らしさ」を演出。
 
そのホームに入ってくる市電のような車両もレトロで、いささかベタだが嵐電はがんばっているかも。

半分近くは外国人で超満員の電車で15分ほど。
嵐電天神川で降りて、店などなにもない国道沿いをいささか不安になりつつ歩くこと8分。

良かった、お店があった。
 今回の旅の目的、スロベニア・レストランの「ピカポロンツァ」 

店名はスロベニア語で「てんとう虫」の意味とのことで、かわいい店内も赤を多用。
 
予約時間よりかなり早く来てしまったので、1階のカフェスペースでハーブティーをいただきながら待つ。

やがてディナー開始の時間になり、靴を脱ぎ、急な階段を上がって2階へ。
 
こちらは白基調のすっきりした部屋で、キッチンには赤い服で奮闘するシェフの姿も見える。

まずはスロベニア式歓迎のパンと塩のアレンジでクラッカーとオリーブが登場。パンかごには白いパンとそば粉の黒いパン。
  
そしてテーブルには本日のメニューが置かれているが、「思いっきりディナーコース」をお願いしておいたらすごいことに。

 始まりはかわいらしく、紅大根の上にチキン巻。
 次に登場したフィロ包みの中にはしっかり味付けして焼かれた鴨。プルーンのソースとりんごのソテーが鴨によく合っておいし~。
 お口直しです、と出されたこれはまるでコーヒーゼリーのようだが、実は牛肉のコンソメにポルチーニが入り、上に乗ったホースラディッシュ・クリームがよく合う。

と、ここまでが「農家のごちそう」だそうで、続いては「漁師のごちそう」ということで
 前菜が鮪のマリネを焼いたもの。
きゅうりのように見える緑のビタミン大根があまくておいしい。
 立派な金目鯛はスロベニアでは食べそうにないが、トマトの効いたスープ仕立てにアーティチョークなどの野菜もごろごろ。
 こちらのお口直しはリンゴのスープだが、シナモンの効いた暖かいものが出てくるとは意外。

そしてディナーはまだ終わらない。次は「狩人のごちそう」で
 これぞスロベニアらしい猪のサラミ。
今度の付け合せはきれいな紫の大根だが、中までこういう色の品種なんだそうな。
 メインも狩人らしく、右が鹿肉、左が猪肉のボグラチというパプリカを使った煮込み。ジビエらしいワイルドさがあって、自分はちょっと硬い鹿より猪が好み。
添えられたシュトゥルクリは東欧でおなじみの蒸し団子のようなものだが、中にネギとクリームチーズが巻いてあって、お腹は苦しいがうまい。
 こちらのお口直しはあっさりと洋ナシのワイン・コンポートでほっとしていると、甘ーい香りのデザートが登場。
 
中にプルーンが入ったこれはクネドゥリといってジャガイモを使った皮だそうだが、ちょっとむちっとした食感が何かに似ているが何だったか思い出せない。
 次に登場はスロベニアを代表するお菓子のポティツァ。クルミのペーストが巻き込まれていて香ばしい。
 いちいよこれで最後、フルーツコンポート、と思ったら
 まだピスタチオのアイスクリームが来た!でもおいしいから残せない。

最後はハーブティーをいただいて、食べ終わるまで約4時間。
よく最後まで完走した、と自分で自分をほめたいが、予想外の料理が多くて本当に楽しめた。

一人でこれだけの料理を用意してくださったスロベニア人シェフに帰り際にご挨拶すると、
 小さなクリスマス・プレゼントをいただいた。

この秋にスロベニアに行き5日間滞在したと言うと「普通はみんな一日しか行かないのに」と喜んでくれて、次回また行くならコースの相談に乗ると約束してくれた。
スロベニアはぜひまた行きたいし、このお店にもまた来たい。

京都まで来た甲斐があった。


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15年秋の欧州旅 17 ドゥオモのテラス・ツアー

2015-12-26 01:55:31 | ヨーロッパ
10月19日

朝10時、昨日の晩も見たドゥオモの前にまたやって来た。

 
すると教会の周りには長蛇の列。今日は主な美術館が休みの月曜なので、いつも以上にドームに上がろうと言う人が殺到しているようだ。

しかし我々はこの列には並ばない。
前もってドゥオモのテラス・ツアーと言う物に申し込んであり、ガイドについて行けば最優先で入れるからだ。

さて、それではオンラインのバウチャーをチケットに交換しよう、とチケット売り場を探すがどこにあるのかわからない。
洗礼堂の前にあるということだが見つからないので洗礼堂の入り口にいる係員に聞くと、なんとすぐお向かい。
  
しかし小さな入口で、しかも看板がまったく目立たない。洗礼堂の係員は毎日何百人にこの売り場の場所を聞かれていることだろう。

この入口を入った奥のチケット売り場でまた問題発生。
今回参加するテラス・ツアーはオンラインで支払いをし、すると支払完了のメールと、それとは別にバウチャーへのリンクを知らせるメールが来て、このバウチャーをプリントアウトして持ってこなければならないというややこしいシステム。ところが一緒に行ったKさんは最初のメールのプリントアウトだけでバウチャーは持ってこなかったのだ。
このツアーは30ユーロもするし、ちゃんと支払った証拠もあるのに、「バウチャーのプリントアウトがなきゃダメ」の一点張りでまったく融通を利かせてくれない。結局Kさんは迷った挙句にもう30ユーロ払うことになって、ものすごく高いツアーになってしまった。イタリア人、なんでこんな時ばかりお役所的なんだか。

ともあれ時間になり、女性ガイドについて行くのは女性ばかり6人。
長い列に並ぶ人たちの前を悠然と通り、教会の中に入るとロープで仕切られた中へ。
 
この中央に入れるのは我々だけなのでかなり優越感に浸れる(笑)。

ガイドさんは早口の英語で教会の歴史やらこぼれ話を説明してくれる。
その中で面白いのは正面にある時計。
  
パオロ・ウッチェッロが文字盤をデザインしたという時計は15世紀以来、今も正確に動いているそうだが、数字が24まであり、示している数字も現在時刻と違う。というのもこの時計は日没の時間に針が真下に来るように作られているからだそうだが、頭がこんがらがってよくわからん。

ここで教会の解説が一通り終わると巨大なドームの真下へ移動。
 
ここもロープで仕切られた特別な一角で、ガイド付きでなければ入ることはできない。

真下から眺めるヴァザーリの「最後の審判」
 
 
天国の情景よりも地獄の方が面白い。 

ここからは誰も通らない階段を上がって、彫刻の並ぶ小さな部屋に出る。
 ここに並ぶ彫刻は大理石ではなく石膏でできた「安物」で、長く外に出してはおけないのでこの部屋に並べてあるらしい。

そしてこの部屋を出るといよいよドゥオモのテラス。
  
  
壁や屋根、塔が間近に見られ、ドームの上に人がいっぱいいるのも見える。

  
赤い屋根のつらなりの向こうに山の見える景色もよく
 
下を覗けば相変わらずの長蛇、洗礼堂の天国の門にも人が群がっているのがよく見える。

ガイド付きツアーはここで終了だが、彫刻の部屋からはドームに上がる列に横入りすることができる。
遅々としてなかなか進まない列に従っていくとドーム天井のすぐ下に出る。
 
 
ここでもやっぱり天使より悪魔。
 
ドーム中央の突起部分も、ドーム下のステンドグラスもよく見え、
  教会の床も美しい。

 さらに二重構造になったドームの湾曲部分を上がって行ってやっと頂上へ。

テラスからの眺めも良かったが、さすがは90mの高さ。
 
隣のジョットの鐘楼の上の人たちも見下ろすことができる。
 かなたにはフィレンツェ駅も見ることができて、ここまで登った甲斐はある。

教会ツアーの間には天気もすっかり良くなって、ドームから降りると
 
この快晴。

30ユーロは高いと思ったがガイドの話も面白く、優越感に浸りながらこれだけドゥオモを満喫できればその価値はあったと認めよう。

お昼はアパートの近所でおいしいパンを買って
 
これを食べたら一足先に帰るコッコロ・マダムとKさんとはお別れ。

Sさんと自分とはもうちょっとフィレンツェで遊ぶのだ。


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15年秋の欧州旅 16 フィレンツェの夜

2015-12-24 21:45:02 | ヨーロッパ
10月18日 続き

マッラーディから帰宅し、買い物を置いたら夕食のためまた外へ。

今夜は泊まっているアパートを仲介してくれた日本人のNさんとイタリア人のご主人とお会いすることになっている。

待ち合わせはドゥオモの前なのだが
 
 
37年ぶりに見るドゥオモ、こんなに大きかったっけ。
夜のライティングに照らされる姿は圧倒されるほど美しく、ガキの頃はこの価値をちゃんと理解できなかったなと改めて思う。

無事にご夫妻と会えたところで中央市場へ。
大きな屋内市場は昼過ぎには営業が終わってしまうが、2階がフードコートになっていて、ここは夜中まで開いている。
 
1874年にできたこの市場の2階がこのように生まれ変わったのは去年の春だそうで、たくさんあるテーブルもほぼ埋め尽くされた盛況ぶり。
 
お店の表示もかわいくて楽しい。
 皿こそ使い捨てだがカルパッチョもタルタルステーキもおいしくて、ワインが進むにつれてNさんご夫妻とも初対面とは思えないほど盛り上がる。

イタリア人のご主人はアルコール類が大好きで、最近日本酒をイタリアに紹介する仕事を始めたと言うことでコッコロ・マダムと意気投合。
「では今度はビールのおいしい店に行きましょう」とショバを移してパブへ。
奥のカウンターで飲み物を注文してふと横を見ると、
 
なんだ、この日本語は!と笑い転げていると
 「これ、俺が書いたんだ。あってる?」と変なイタリア人。
ちょっと違う、と書き直してやると一生懸命練習していておかしい。

 こんなものを食べながらまた盛り上がって
 外に出てみるとこんな標識が。
これ、本物の交通標識にフィレンツェ在住のフランス人アーティストが細工しているらしいが、これが許されてそのままになっているところがイタリアらしいというか、すごい。

仕事の範囲を超えて付き合ってくださったNさんご夫妻に感謝。
Nさんが面倒を見てくださるフィレンツェのアパート紹介はこちらから→ Buona giornata


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15年秋の欧州旅 15 マッラーディの栗祭り

2015-12-23 01:28:45 | ヨーロッパ
10月18日

フィレンツェのアパートの台所で食べる朝ご飯。
  
一足先に来ていた先発隊が用意してくれていたのは、イチジクに乗せて食べれば素敵においしい生ハムに大好きなブッラータ・チーズ。ブドウがたくさん乗ったパンはスキャッチャータ・ディ・ウーヴァと言ってトスカーナ地方で秋にだけ作られるものとか。パンはフォカッチャと同じものだそうだが、ブドウの乗ったところがまるでカスタードのようにとろけていておいしい。

ゆったりと朝を楽しんで、アパートからすぐのサンタ・マリア・ノヴェッラは昨晩も通りかかった所。
 
教会の前の広場には早くも団体がいくつも来ているが、日曜のため中ではミサが行われていて入ることはできなかった。

さて、フィレンツェに来たのはなんと37年ぶり。
ではあるが初日の今日は駅から郊外へ出てしまう。

構内にトイレもなくて使いづらい大きなフィレンツェ駅にはイタロやイタリア国鉄の特急列車が顔をそろえているが
 
我々が乗るのはローカル列車。

町を出ると周りの景色はすぐにのどかな畑になり、
 
 
次第に緑が増えて山の中に入って行く。 

 1時間15分で目的地、Marradiに到着。
人口4000人にも満たないこの山の中の村では毎年10月の毎日曜日に栗祭りが行われていると聞いてやってきたのだ。

駅を一歩出るともう早速屋台が並んでいて
  
 
おじさんがフライパンで焼く栗がおいしそうなので買ってみると自然な甘みでうまい。

が、ここはまだ会場ではなく、人の流れについて10分ほど歩いて行くと、おお、すごい人。
 
村の中心への入り口で入場料2ユーロを支払って、いざ狭いメインストリートに突入。
  
主役はもちろんこの村の名産品である栗で
 
村の青年団やら消防団やら、村中総出で栗を焼いて売っている。

道の両側にはいろいろな屋台が出ていて楽しいのだが、お昼もだいぶまわっているのでまずは腹ごしらえ、と食堂の表示の方へ行ってみると
 
普段は市場として使われていると思しきスペースにテーブルが並べられ、表では豪快に炭火焼をしている。
 
カフェテリア形式でいろいろ盛ってもらうと、これで21ユーロ。安くはないがハーブの効いたローストチキンとグリル野菜がおいしく、なによりこういうところで食べるのが楽しい。

お腹を満たしたところで落ち着いて屋台を眺めて行くと
 
カスタニャッチョというういろうのような食感のものやらタルトやら、栗を使ったお菓子がいっぱい。
  
栗粉や、それで焼いたパンもあるし
 ジャムやらマロングラッセももちろんいっぱい売っていて栗祭りの名前通り。

その他にもハムやチーズはイタリアのこういうお祭りには欠かせないし
 
  
 
きのこやら唐辛子やらも見ているだけで楽しい。

  
 
川の流れる村のたたずまいもとてもいい感じで、静かな時に来ても楽しそうなところだ。
しかし昨年行った魚祭りといい、トリュフ祭りといい、イタリアの小さな町はこういうお祭りが上手だと感心してしまう。

いろいろとおいしそうなものを買い込んで、あまり本数のない帰りの列車に乗るべく駅へ戻る。
すると前夜Iさんにも言われていた通り、駅は人でいっぱいで列車の中など満員の通勤電車状態。
 
行きの列車は普通に座れたのに、帰りはこんなに混雑してしまうのはなぜなんだろう。

それでも途中からは何とか座れて、無事にアパートに帰宅。
 もろもろ少しづつ買ってみた栗菓子を4人で試食してみたが、栗粉は思ったほど栗の味がしなくてパサパサしていることを確認。
結局焼き栗が一番おいしかったが、栗祭りの一日は楽しかった。


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15年秋の欧州旅 14 フィレンツェ到着

2015-12-19 02:32:38 | ヨーロッパ
10月17日 続き

泊まっていたホテルから荷物を引っ張ってトリエステ駅。
 
正面はそれほど大きくもなく、クラシカルなたたずまいだが
 
内部は現代風に増築されて広々、コンビニなどもあって便利だ。

この駅から乗り込むのはローカル列車。
 
出発を待つ間に屋外市場で買ったフォカッチャを昼食にしたが、これはパサパサしていまいち。

定刻に出発した列車は海辺をちょっと走ったらすぐに内陸に入ってしまい、周りの景色は収穫の済んだ畑ばかりであまりおもしろくない。
この列車に揺られること2時間でヴェネチアに到着。
 
と言っても運河のあるヴェネチア島にあるサンタ・ルチア駅ではなく、本土側のメステレ駅なので、大きな駅ではあるが風情はなく、駅前も普通の郊外の町と言った感じ。

実はヴェネチアは来たことがないので今回はここに泊まるというオプションもあった。
しかしコッコロのマダムがフィレンツェまで行くと聞くと、ヴェネチア派よりフィレンツェの方が見たい絵がある、ということでここはあっさり通過することに決定。

30分の乗り継ぎで、次は特急列車のフレッチャアルジェントに乗車。
 
鼻ずらの形が昔の山形新幹線にちょっと似ていて、ボディの塗装もスマート。
 
車内も飛行機っぽくて見た目はいいのだが、実際に乗ってみるとこれが使いづらい。
まず座席が微妙に座り心地が悪いし、頭の脇についている読書灯がどこをどう探してもスイッチが見つからない。
頭上の荷物入れは狭すぎて、どのお客さんもボストンバッグが入れられなくて困っているし
 テーブルは妙な縁がついて使いづらい。
なるほどこれがイタリアン・デザインか。  
 こういうところに日本語ではなく中国語ももう慣れた。

この路線も景色は単調で、畑の中をまた2時間でフィレンツェに到着。
 
さすがに大きな駅が世界中からの観光客でごったがえしている。
 動線のわかりづらい駅をなんとか抜けると外観は意外にあっさり、というか特徴がない。

ここからまた荷物を引きづり、地図を見ながら観光客をかき分けつつ今夜の宿へ。
思ったよりも近く、無事に到着したのはここ。
 
今夜からの4泊はアパートに泊まるので先に到着していた先発隊に迎えられ、この狭くて急な階段を2階へ上がる。
 
玄関を入るとすぐ左手には椅子の並んだスペース、正面にはベッドルームが2つ並び、
 
右手にはソファのある居間がある。
玄関脇のスペースの奥に入るとキッチンがあって
 
大きな冷蔵庫に電子レンジ、洗濯機まで完備。
我が家より広い85平米もあるので4人で泊まっても楽々。
ここを探してくれたコッコロ・マダムに感謝。

さて、到着したのが18時半だったので、荷物を置いたら早速夕食へ。

今夜は昨年のトリュフ祭にご一緒したフィレンツェ在住のIさんがレストランを予約してくださったとのことで
 サンタ・マリア・ノヴェッラの前を通り、庶民的な道に入ってしばらく行くと
 お目当ての「Trattoria Sostanza」に到着。
ここは1869年創業の老舗だそうで、セレブも訪れる有名店とか。
  
店内の壁には写真がいっぱい飾られているが、小さな店なのでお客さんでぎっしり。当然予約なしでは入れないらしい。

ところでこのお店を選んでもらったのはこれを食べるため。
 フィレンツェ名物、Tボーンステーキ。
なにしろ1キロもあるので5人揃ったこんな時でなければ頼むことができない。

そしてこれが焼きあがるのを待つ間にはこれもこの店の名物と言うアーティチョークのオムレツ。
 
これが大きいのに中は半熟のトロトロ、塩加減もちょうど良くてうま~い!
5人でも分けられるぐらい大きいけれど、これなら一人で一つ食べたいぐらいおいしい。これは名人技。

そして登場のTボーンステーキは炭火で焼かれていい香り。大きいので焼き具合にムラがあり、自分の好みではレアぎみのところがサシも入らずあっさりとしていておいしい。
 
青菜のソテーにポルチーニもいっぱいいただいて大満足。
しかし常連のIさん曰く、この店ではパスタやデザートはいまいちなので注文してはいけない、つまり素材をそのまま出すような料理が得意な店なんだそうだ。

お腹いっぱいになって、明日の準備はできた。


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15年秋の欧州旅 13 トリエステの朝

2015-12-17 01:28:30 | ヨーロッパ
10月17日

本日4人組のうち2人は早朝にトリエステを発ったが、残り2人はもう少しこの町を見たいのでゆっくり朝ご飯。
  
落ち着いた朝食部屋に用意されているのは冷たい物ばかりだが、パンやシリアルがふんだんに並べられていて楽しい。

食事を済ませたところで向かったのはホテルの目の前のトラム乗り場。
 この町には1路線だけ、わずか5キロの市電が走っているのだが
  
レトロな車両の正面には自転車を引っかけて運ぶ棒が突き出ているのが面白い。
 
1935年製と言う車両は運転台も客車もシンプルそのもので、とてもきれいに保たれている。

このトラムに乗ってオベルダン広場を出発すると、すぐに急坂にさしかかる。
すると登場するのがこれ↓ ケーブルカー・ユニット
 
勾配があまりにも急なのでこの台車のような物を後ろにつけてケーブルで引っ張り上げるわけだが、このユニットはトラムに連結されるわけではなく、なんと重力で押し付けられているだけなのだそうだ。
 窓の外を見れば勾配のきつさがよくわかる。
  
途中にはすれ違いポイントもあり、高度がぐんぐん上がってトリエステの街並みが眼下に広がる。

このケーブルで距離800m、高度差160mを上がるとユニットは離れ、後は普通のトラムになって終点のヴィラ・オピチナまで約30分。
 
周りは普通の住宅街で見る物もないのでそのまま折り返し電車に乗ってもいいが
  
せっかくなので美しい車両を愛で、駅のカフェでコーヒーをいただいた。

そして帰路には駅名表示もアナウンスもないので苦労しながらオベリスコ駅で途中下車。
 ここからは隣のプロセッコ村まで「ナポレオンの道」と呼ばれる3.7キロの遊歩道が続いていて、ジョギングをする人やら犬の散歩をする人やら楽しそうなのだが
 
展望台からの眺めの素晴らしいこと。突き出た半島の向こうはスロベニアだよね。
 眼下のトリエステ港には巨大なクルーズ船が入っているのも見えるが、周りのどの建物よりも大きい!

トラムの切符は1時間有効なので、途中下車しなければ1.35ユーロで往復できる。これはおすすめ。

山の上からの景色を楽しんだ後は町の中心に戻り、サン・ジュスト大聖堂を目指す。

途中の広場では農産物市場を発見。近郊の生産者が自分で作ったものを売っているらしく
  
 
ワインなんてペットボトル入り。にこやかなおじさんちのピーチネクターは自然そのままの味でおいしかった。

この広場の先には凝った階段があって
 
これを上がったさらに上にはサン・ジュスト城の頑丈そうな城壁がそびえる。


この城のすぐ脇に目指す大聖堂があるのだが、入口がわからなくて城壁をぐるり一周する羽目になり、大汗かいてやっと到着。
 
しかしここは苦労してでも来る価値があった。
14世紀に古い2つの教会を1つにつなげたという大聖堂の外観は飾りもなく質素だが
 中央のアプスには1933年に作られた新しい紫のモザイク。
 
左右の側廊には13世紀のビザンチン・スタイルのモザイクがあり
 その下にはやはり13世紀のフレスコ画も残っている。
  
それ以外にも聖遺物入れやら古そうな彫像やらお宝がいっぱいで
 中でもこの水槽に入った彫像が何とも不思議。どうも海から引き揚げられたもののようだが、結局なんだかわからず。

 予想外に充実した大聖堂からは海を目指して坂を下り
 再び今度は昼間のイタリア統一広場へ。
 
このバルコニーからムッソリーニが演説したと言う県庁も昼間見ると壁の装飾が華やか。

そして海の方へ目をやると
 山の上から見えたクルーズ船がまさにビルのよう。
  
広場でも運河沿いでもカフェが人であふれているのはこのクルーズ船のお客だろうか。

と、ここでタイムアップ。
我々もカフェに入りたいところだが、もう駅に向かわなければならない。

トリエステは観光地ではないが、海あり山あり、オーストリアとイタリアのいいとこどりをしているようでもあり、住んでみたいと思う町だった。


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15年秋の欧州旅 12 トリエステの夜

2015-12-15 01:17:09 | ヨーロッパ
10月16日 続き

セチョヴィリエ塩田からはまたコペルを通り、何もない国境を素通りしてイタリアへ入国。
スロベニアの海岸線は47キロしかないので30分ほどしかかからない。

すぐにトリエステの郊外に入ると雑然とした感じがスロベニアとは違う。
しかし中心部に入るにつれていかにも元オーストリア領らしい重厚な建物が多くなり、やがて駅にほど近い今夜の宿に到着。
 
こんな立派な建物に挟まれた
  
小さな3つ星の Hotel Albergo Alla Posta は部屋も狭いけれど
 トラムも走る大通りに面している割には静かで落ち着いている。

部屋で一休みしたところで夕方のトリエステの町へ。

ちょっと歩くと外には大量のポルチーニ、店内にも様々なきのこを並べたきのこ専門店を発見。
 
ここのきのこを扱うレストランはないかと聞いてみたが、「どこでも食べられるよ」とそっけない返事しかもらえなかったのは次々にお客さんが来て忙しかったせいだろうか。

さらに行くと素敵なお菓子屋さん。
  
 
柴犬を連れた常連さんが来た途端、店中大騒ぎで犬をかわいがるところがいかにもヨーロッパ。
14世紀から第一次大戦後までオーストリア領だったトリエステなので、この店のお菓子もオーストリア風だ。

 ローマ風のファサードが立派な建物はカトリックのサンタントニオ教会。

そのすぐ脇にはセルビア正教の聖スピリドン聖堂。
  
  
金を多用してきらびやかな内部だが、荘厳な雰囲気が素敵だ。

この教会の前にはマリア・テレジア時代に作られたと言う運河。
 
 運河の先には夕焼けの海。

そして海に面して広がっているのがイタリア統一広場。

左手が県庁、中央奥が市庁舎、右手はロイド・トリエスティーノ館という元海運会社だそうだが
 夕暮れのライトアップが美しくて息をのむ。

さて、トリエステはカフェの町として有名だそうで、コーヒーメーカーのイリ―も本社はここにある。
そこでコーヒーを買おうと向かったのはこの町に住む人のブログで見つけたこちらの店。
 
中にはコーヒーやお茶がたくさん並び、奥にはコーヒーカウンターのあるレトロなお店。
決しておしゃれではないが、コーヒーを買いたいそぶりを見せた途端にマダムが香りを嗅がせてくれたコーヒーは素晴らしくおいしそう。
 
「有名なイリ―は工場生産、うちは手で焙煎しているからね」と自慢するコーヒーを買うとこれまた素敵にレトロな包装をしてくれてうれしくなる。
順序は逆ながら、コーヒー豆を買った後でカウンターのカフェも一杯お願いすると、英語を話す息子が淹れてくれた。
 「今日はクレマがうまく立った。コーヒーをおいしく淹れるには湿度が大切なんだ」と満足そうな息子のコーヒーは酸味と苦みのバランスがよくて本当においしかった。買って帰ったコーヒーもおいしくて満足。

今夜は夕食もカフェで摂ろうと、トリエステに何軒かある老舗カフェの中でも食事がちゃんと摂れると聞いた Caffe` Tommaso へ。
 ここは1830年創業という有名店なのだが、表があまりにも地味で最初行き過ぎてしまった。
  
中も派手なところはなく、落ち着いた雰囲気。
 食事はさらに落ち着いたこちらのテーブルに案内されて
 前菜のシーフードはイワシもタコも鱈もさっぱりとした味付けがよく
 メニューに30分かかると書かれたパッケリというパスタは登場してみると巨大マカロニ。なるほどこれは茹でるのに時間がかかるだろうと思うが、歯ごたえがあって食べごたえ十分。ツナとオリーブのトマトソースともよく合っていた。

丁寧なサービスも気持ちよく店を後にしたが、そう言えばこのカフェでコーヒーは飲まなかったような。


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15年秋の欧州旅 11 パドナ村とセチョヴィリエ塩田

2015-12-13 01:45:34 | ヨーロッパ
10月16日 続き

ピランの観光を終え、ホテルのチェックアウトをすると本日の運転手氏が時間通りに登場。
今度は地学の研究者と言うまたまたインテリの若いお兄さん。スロベニアの学者さんは副業をしないと苦しいのだろうか。

ピランを出た車はすぐ隣のリゾート地、ポルトローシュを過ぎると海岸を離れ、山の中に入って行く。
この辺りはオリーブの栽培が盛んで、中でもパドナと言う村はオリーブオイルで有名との情報を得たのでそこへ連れて行ってもらうことにしたのだ。

走ること30分ほど、思ったよりもかなり山の上まで上がり、まわり中オリーブ畑になったところで目指すパドナ村に到着。
 確かに村の紋章までオリーブ。

ここはクルーズ船のオプショナル・ツアーが訪れるところとの情報だったのでちょっとした土産物屋やカフェの一つや二つあるところだろうと思ってきたのだが、村の中に入ってみると
  
 
古い石造りの家が並び、それはそれで趣があるのだが、店はおろか人っ子一人歩いていない。
歴史のありそうな尖塔のある教会も、中を覗いてみると修復中で入れず。

すると一軒の家の庭先に車が停まってなにやら人がいる。
覗くと客らしいおじさんが怖い顔で「何の用だ、何が欲しいんだ」と言うので「お邪魔しました」と一度は退散したが、車が行ってしまった後でおばちゃんがやって来てイタリア語でなにか一生懸命に言っている。
これはもしやオリーブオイルを売っているのでは、と付いて行ってみると案の定
 
自家製オリーブオイルの量り売り。さっきのおじさんもどうも顔が怖かっただけで助けてくれようとしていたらしいが、イタリア語しか通じないおばちゃん相手にコッコロ・マダムががんばって、水の空きボトルにオリーブオイルをゲット。

やれやれ、と思っていたらこの家の孫娘らしい若い女の子が出てきて「日本人ですか」となんと日本語で話しかけてきた。
聞けばリュブリャナ大学で日本語を勉強しているとのことで、「ここで日本語を聞くとは思わなかった」と言ったら、「この村で日本人に会ったのも初めてです」だって。
もう少し早く出てきてくれればもっとうれしかったのだけれど。

無事にオリーブオイルを入手したところで、この村で唯一と思われる村はずれのレストランへ。
 
やはりクルーズ船の客が来るのか、やけに立派なレストラン。
これがスロベニア最後の食事ということで
 
ポルチーニのソテーに、トリュフのタリアテッレ。このトリュフがたっぷりと掛かって香りもとても良く、しかし値段はいくらだったか驚くほど安かった。
 
カラマリ・フライは昨晩の方がおいしくて、どうもこのレストランのシェフの腕はいまいちだが、素材がいいのはまちがいない。

 
レストランの隣にはハーブやオリーブの畑が広がり
 今年のオリーブは豊作らしい。

山のてっぺんにある村からの眺めも素晴らしく
 
 周りの村もオリーブ畑に囲まれている。

山の上からの景色を堪能した後はまた海岸へりへ戻り、今度はセチョヴィリエ塩田の見学。

入口で6ユーロの入場料を払って中に入ると、眼の前にはまっすぐな木の桟橋が延々と伸びている。
 
この両側に広がっているのがアドリア海の海水を引き込んだ塩田。
 
昔ながらの製法での塩づくりは夏の間しか行われないので今は浅い水が広がっているばかりだが
 
水に映る景色がきれいで
 野鳥もたくさんいるらしい。

桟橋の途中にはギフトショップがあるが、これを過ぎて1キロほども歩いてやっとビジターセンターに到着。
 
中には塩づくりの様子を説明したパネルなどが少しあるだけでやけにさびしいと思ったら、他に立派な塩の博物館があるらしいのだが、そちらは一度クロアチア領を通らないと行けないらしい。

ちょっと前まで晴れていたのに雲行きが怪しくなってきたので急いで桟橋を引きかえし、ギフトショップでお買いもの。
 
 もちろん塩と、ほんのり塩気を感じるおいしいダークチョコレートをお買い上げ。
パッケージもシックだが、紙袋のデザインかわいい。

が、ここで買い物をしているうちに外はものすごい雨になってしまった。
入口まではまだだいぶあるのにどうしよう、と思っているとすかさず売店のおばさん、スタッフに電話をして迎えの車を呼んでくれた。
スロベニア人の気の利きよう、その自然さには最後まで感心させられっぱなし。

これにてスロベニア観光は終了、そのあまりの居心地の良さに後ろ髪引かれつつイタリアへ向かった。


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15年秋の欧州旅 10 ピランの朝

2015-12-10 00:06:57 | ヨーロッパ
10月16日

 
海の見える食堂でガッツリ朝ご飯。
 
海まで10メートル、魚を獲る小さなボートの向こうに見える町はクロアチアだ。

また雨が降ってきてしまったが、朝のピランを見に外へ。


昼間見るタルティーニ広場はパステルカラーの家々に囲まれている。

この広場の裏には小さな屋外市場があるが、
 
雨のためか屋台は半分も開いておらず、かなり寂しい。

市場に面してあるのは小さな魚屋さん。
 
魚の種類はさすがに豊富。

パン屋さんにはオーストリアの影響が強そうなパンやケーキが並び、ここでようやくブレッドの名物になっているクリームケーキを食べてみる。 
 
が、見た目の通りひたすらカスタードと生クリームはしつこくて、4人で1個ももてあます。
そう言えば以前ウィーンのデメルでもこのケーキにはギブアップしたっけ。

スロベニアとは今日でお別れなので、市場の裏手のスーパーでお買いもの。
 
スロベニア産のチョコレートは安くておいしい!

買い物を済ませたところでピランの旧市街の探検へ。

ピランは13世紀から18世紀までベネチアの支配下にあったので
  
ベネチア風のしゃれた窓の建物もちらほら。

さらに石畳の細い路地を歩いてみれば
   
生活感あふれる家々の間に
  
小さな広場があったり
  
カラフルな一角があったりで何とも楽しい。

雨は止んだが強風の中を町の突端の灯台まで行ってみると
 
海に虹がかかった。

これに気をよくして坂道を上がり、町の一番高いところにある聖ジョージ大聖堂へ。
 
  
1344年に建立され、1609年に建て直されたと言う教会の内部はまさにバロックなのだが、なんと
 中はインド人だらけで映画の撮影準備中。
  
教会の中を落ち着きなく行ったり来たりしている白スーツの男がどうやら主役、青いジャージの女性が結婚相手だろうか。
と眺めているとなにやら嗅いだことのある怪しいにおいが漂ってくる。で、ふと見ると
 キリスト教会にガネーシャの祭壇っていいのか?

インド映画にはよく唐突に外国のシーンが出てくるが、スロベニアのピランでまでロケとは、恐れ入った。

クルーに邪魔にされるので教会を出て、隣にそびえる47メートルの鐘楼へ。
 上に登れるとガイドブックにはあったのだが、この日は鍵が掛かっていて登れず。

しかし鐘楼に上らずともこの教会からの眺めはすばらしい。
 
 
眼下にはタルティーニ広場も見えるので、わずかに残る15世紀の城壁など見ながら坂を下りて行く。

その途中にちょっと奥まってあるのはフランシスコ会の修道院。
  
 
大きなシャコガイの聖水盤が港町らしく、ここにはインド人もいなくて静かだ。

半日もかからずに回れてしまうが、ピランはかわいくて魅力的な町だった。


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