Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

ザンスカール再訪 10 ゾンクル・ゴンパとダライラマ説法会

2018-08-30 12:59:49 | チベット文化圏
7月23日

朝5時のアティン村。
 

一家の主婦はもう起きだして、5時半には家の裏にいる牛の乳搾りを始める。
 
ここにいる仔牛が柔らかい毛でかわいい。

やがて同じように乳搾りが済んだのだろう牛やヤクたちが山へ出勤して行き
 
仔羊をかかえたお兄さんたちもどこかへ出かけて行った。

家の裏では番犬がしっかり仕事をしているが
 
この家にはもう一匹小さな室内犬がいて、芸など仕込まれているものの待遇がだいぶちがう。

絞ったばかりの牛乳は沸かして朝のおめざ。
 思ったほど乳脂肪分は高くないようでさっぱりしている。

さらにお父さんがチャパティを焼いてくれて
 
自家製ヨーグルトも添えた朝ご飯。しぼりたての牛乳と持参のフィルターコーヒーでカフェオレを作ったら、これがもう最高においしかった。

朝食が済んだらオーナー一家とお別れ。
 これから一家でダライラマの説法会に行くのでおしゃれしている。

 アティン村を出た我々は幹線道路をはずれて少し山の中に入る。
 
すぐに岸壁の中ほどに見えてくるのが11世紀にナーローパが開いたとされるゾンクル・ゴンパ。

 
下から見上げると本堂は崖の中にめり込んでいるように見えるが、実際この本堂の最上階にあるナーローパが瞑想修行したとされる部屋は岩窟そのまま。
撮影禁止の内部は暗いうえに灯明の煤で壁が真っ黒だが、懐中電灯で照らしてみると煤の下に古い壁画が残っているのがわかったのには感激した。

瞑想部屋の下には聖水が滴っているという小部屋があり、これをありがたくいただいたら
 
きれいなドゥカンでダライラマと対面。

 
本堂の脇には僧坊が並び、その頭上にはもう一つの瞑想石窟が鳥取の投入堂のように見える。
12年前にはあそこまで上ったが、今回はこの後の行程を考えて自粛。

ところでこの僧院のお坊さんたち、今日はダライラマの説法会のためにみんな出払ってしまい、我々はあやうく中に入れなかったところなのだが、ドライバーが出かけようとしているお坊さんを一人つかまえてくれた。
 
まだ17歳というイケメンの鍵番、頭の形のすばらしいこと。

お礼にこのお坊さんを車に乗せて、我々もダライラマの説法会へ行くべくパドゥムへ向かう。

会場は町のはずれ、何もない原っぱの中にたくさんの車が停まっている。
 その周りには物売りがたくさんいて、まるで縁日みたい。

門の前には金属探知用のゲートが設置され、現地人はすぐに通されるが外国人は厳重な荷物検査があって、カメラの動作確認までされる徹底ぶり。
 
そこを過ぎてしばらく行くと前方に建物が見えてきて
 
まわりは文字通り人の海。
ダライラマはほぼ毎年ラダックを訪問されるが、ザンスカールにまではなかなかいらっしゃらないのだろう。
訪問の日程は直前まで決まらなかったようだが、それでもこの人出。どういう情報システムになっているのか。

 
前の方ではご老人方が熱心にお話に耳を傾けているが、周りでは一家総出でピクニックを楽しんでいたり、若い子たちも着飾っておデートしたり、ナンパしたり。

ハレの日ということでぺラクというこの地方独特の頭飾りや絞り染めのストールを身に付けた人も多くて
  
  
特にトルコ石と銀細工で飾られたぺラクが見事だ。

混み合っている会場だが、一角に外国人席が設けられ、英語訳の流れるこちらに割り込ませていただく。
 
ダライラマのお姿はシルエットでかろうじて見えるだけだが、チベット語で話すお声が聞こえ、その後にはラダック語の訳が続く。

お話しは「宗教や宗派が違ってもみんな仲良くするように」みたいな内容だったと思うが、英語訳が聞きづらいのであまりよくわからない。
しかし合間合間にお経を誦される声に張りがあって耳に心地よく、今年83歳になられたがまだまだお元気な様子。

なにより話のつなぎに「オー、ヤー」とおっしゃっる、その言い方がかわいくて、ザンスカールでこの説法会に遭遇できたのは実に幸運だった。


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ザンスカール再訪 9 カルギル~アティン

2018-08-27 15:44:34 | チベット文化圏
7月22日

本日の予定は長時間ドライブ。
 そのためまだ真っ暗な朝5時にカルギルのホテルを出発。

1時間走った所でスル渓谷の入り口にあるサンクという村でチャイ休憩。
 
この辺りはイスラム教徒がほとんどだが、入ったお茶屋さんの壁にはイランのホメイニ師の写真があってびっくり。
隣のパキスタンのほとんどはスンニ派だと思うし、北のフンザはシーア派の中でもアガ・カーンを崇めるイスマイル派だが、この辺りは正統シーア派とは意外だった。
 
お茶屋さんのお向かいでは早朝からパンを焼いていて、焼き立てはほんとにおいしい。

 しばらく行くとチェックポストがあって、この手前あたりから道はもう未舗装のガタガタ。

 
 
しかし次第に雪をかぶった山が見え始め、緑の畑に囲まれた村々は美しい。

9時にパルカチック氷河の麓のお茶屋さんに到着して、ここでやっと朝食。
 
氷河の向こうにはヌン峰、クン峰という7000mを越える山があるが、頂上は残念ながら雲の中。

パルカチック氷河も後退しているとのことなので12年前に全く同じ場所で撮った写真(左)と比べてみると
 
確かに幅が狭くなって、左側の土が多く露出している。たった12年なのに。

 
こちらはルンゴー氷河。他にも小さな氷河を遠くに眺めるうちに
 
チョルテンの立つ峠を越えてまた仏教圏に入り、谷が次第に開けてくる。

 この辺りは湿原になっていてきれいな池があちこちに見え
 
馬や牛、ヤクが放牧されているかと思うと
 草原にはマーモットの姿が。見ればあちこちに出現して、ある人が数えたら50数匹見たとか。

12時半にランドゥムに到着。
 
ここはこの道を通る車が必ず休憩をする場所だけれど、12年前にはこんなに立派なホテルはなかったような。
 食事はカレーかマギーの二択なので、本日はカレーをおいしくいただく。

ここから少し行くとちょっとした村があり、そのはずれの丘の上にランドゥム・ゴンパがある。
 
丘の麓ではインド軍の検問があるが、これはこの僧院が2000年にムスリム過激派に襲撃されて僧侶が3人殺されたことがあるためだそう。
 
本堂は新しくてなかなか立派。お坊さんの羽織ものの置き方が面白い。

カルギルからザンスカールへの道の最高所、標高4400mのペンジ・ラには16時に到達。
 
大抵実際よりも高い表示の看板、ここは「4000m」と珍しく控えめ(笑)。

この峠を越え、大きなドゥルンドゥン氷河を過ぎると
 
谷が開けていよいよザンスカールに入る。

 
谷に降りて2時間ほど、お家に帰る羊たちを見ながら最後のお茶休憩をしたら、その先には村が続く。
この辺り出身だというドライバーは通りかかる人がみんな知り合いらしくて挨拶に忙しい。
ザンスカール全体でも人口は1万人ほどらしい。

あたりもいよいよ暗くなりはじめた頃、ザンスカール川を渡ってようやく今夜の宿泊地、アティン村に到着したのが20時。
道中は順調、休憩をたくさん挟んだとはいえ15時間のドライブで運転手さんたちは疲れただろう。
こちらもまったく歩いていなかったとはいえ、スマホの万歩計アプリは15000歩を示していて、運動は十分だったらしい。

今夜の宿はこちら。
 
パドゥムのホテルの支配人が今年から自宅でホームステイを始めたそうで、家に入るなり子供が大勢いてびっくりした(子供3人に近所の子がテレビを見に来ていた)が、部屋も寝具もきれいで水洗トイレもある。

遅く着いたが今日はザンスカールにダライラマがいらっしゃり、支配人はその食事のお世話をしていたのでこちらの夕食の支度はこれからとのこと。
 
早速きれいな台所で奥さんと上の娘が野菜を刻み始め
 
お父さんが小麦粉を練って餃子の皮のようなものを作り始めた。すると我々のドライバーとガイドもすぐに手伝い始めたので聞くと、ザンスカールの男性は誰でも料理をするとのこと。
 
丸い皮は指に巻いて筒にし、両端を真ん中で合わせてつまむ。こちらも皮造りに参加して、写真の倍は作っただろう。
 
これを羊肉や野菜と煮込むのだが、ストーブの燃料は牛糞、鍋は古い石鍋で、もうこんなに大きな石鍋は手に入らないとか。
 こうして出来上がった料理はチュタギ。
普通の乾麺を使ったうどんはトゥクパ、手で生地を伸ばしたすいとんはテントゥクと言うが、この面白い形にすると汁が良く絡むと言うことで、肉の出汁の良く出たこの料理、とてもおいしかった。

が、この夕食にありついたのが22時半、食べ終わったらすぐに電気が消えてしまった。


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ザンスカール再訪 8 レー~カルギル

2018-08-23 22:45:11 | チベット文化圏
旅行記8回目にしてようやく本題のザンスカールへ出発。

7月21日

朝8時、宿に車がピックアップに来てくれていよいよツアーの開始。
今回は車3台の一行、参加者はそれぞれ別の宿に前泊しているので一人づつ拾っていく。

運転手の顔ぶれを見ていると一人見覚えのある顔が。
12年前のツアーで一番若かったドライバーだ。
途中居眠りなんかして危なっかしかったのでよく覚えているのだが、12年経ったらさすがにおじさんになった。

 レーの街を出てエアインディアが空港に降りてくるところを眺め、
 ニンム―の道路脇でチャイ休憩。
揚げたてのサモサがおいしい。

3日前に通ったばかりの同じ道をたどって、アルチやリゾン・ゴンパへの分岐も順調に通過。
舗装が良くなっているのでこれは楽勝と思いきや
 インダス川を渡る橋がなにやら工事中で車を停めている。

ラダックは2015年の夏にひどい洪水被害で橋のほとんどが流され、今掛かっているのは仮の橋とのこと。
 
そのためここでも新しい頑丈な橋を建設中なのだが、仮の橋も補修しながら使っている様子。
ただこの辺りではう回路などないので、こういう時にはとにかく待つしかない。
 そうこうするうち我々の後ろも、橋の反対側も車の列はどんどん伸びる。

暇なので外に出て見ているとインド人の学生たちだろうか、一台に男ばかりいっぱい乗った車が何台もあり、そいつらがやたらに自撮りに励んだり、音楽をかけて踊りだしたり、見ているだけでおもしろい。

やがて2時間もたってようやく車が動き出した。
するとインド人の常、我先に通ろうと反対車線に突っ込む車が何台もあり、軍だか警察だかの制服も見えるが交通規制をしようとしない。
するとさっきまで遊んでいた学生たちが割りこもうとする車を止めたりして自主的に交通規制、インド人って本当に面白い。

そんなこともあってカルツェの町に着いたのは14時半。ここでようやくお昼。
 
レストランは店の裏に中庭があって、ここのテーブルがとても気持ちいい。
 カリフラワー入りのパラタにはたっぷりのヨーグルトがついて、トゥクパ以外の選択ができるのがうれしい。

カルツェを出たらほどなくラマユル。
 
月世界のようと言われる岩山を背景にそびえるゴンパの写真を撮ったら
 
九十九折を上って4100mのフォトゥ・ラを通過。

 
川沿いの村や、まるで象の皮膚のような山肌を見ながら先へ進む。

 
大きな磨崖仏があるムルベクには17時に到着。
 
7,8世紀ごろに彫られたと言われる弥勒菩薩の足元の小さな2つの像は寄進者だろうか。
 
その脇には小さなお堂があって、千手観音像の隣にはダライラマの写真も見える。

この向かいのお茶屋さんで最後の休憩をしたら、ここからカルギルまでは45分。
 標高2700m、カシミールからラダックへの中継地だが、パキスタンとの休戦ラインから10キロも離れていないため、町の周りはインド軍の基地だらけだ。

橋で2時間のロスはあったものの、レーから245キロ、18時半には今夜の宿、Hotel D'Zojilaに無事到着。
 
12年前にも泊まったこのホテル、部屋は狭くて暗いが相変わらずこの町では一番のホテルとのこと。

 
今夜は本格的カシミール・カレーが食べられるかと期待していたのだが、このホテルの食事は残念至極であった。


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ザンスカール再訪 7 Central Asian Museum

2018-08-22 18:43:23 | チベット文化圏
7月20日

朝、ゆっくりと宿の中庭で朝ご飯。
 ホットサンドの中身はトマトとヤクのチーズ。味が濃くておいしい。

明日からは今年もまたGNH主催、著述家、山本高樹氏ガイドによるザンスカール・ツアーに参加するので、11時にHidden Himalayaのオフィスで顔合わせ。
今回の参加者は女性ばかり6名。そのうちラダックに来たことがあるのは自分の他に1名だけ、ラダックはおろかインドも初めてと言う人が3名もいてこれにはびっくり。

他に一名、昨年のスピティでもご一緒した男性が参加予定だったが、昨晩デリーで入国後にパスポートを紛失して来られなくなったとのこと。旅慣れた方なのにそんなこともあるのか、とこれにもびっくり。
どれだけ気落ちしていらっしゃることか、とこちらまで胸が痛む。

翌日からの注意事項など聞き、みんなでお昼に。
多国籍アジア料理屋の「チョップスティック」へ行き、モモとトゥクパ以外の物を食べようと思ったのだが
 ついワンタン麺を頼んでしまった。これでは同じ粉もので変わりがない。
ベジタリアン・トンカツなる謎のメニューを頼めばよかった。

午後は地図にCentral Asian Museumなる物を見つけたので行ってみることに。

 旧市街の北、細い路地のさらに奥に目立たない入口を発見。
入るとすぐにチケットブースがあって、入場料は50ルピー。

 
石造りの建物は伝統的なラダックの建築様式だが最近作られたもので、この博物館のオープンは2016年12月。
中央アジア博物館とあるのはラダックが20世紀半ばまではチベットとカシミールやトゥルキスタンを結ぶ交易ルートにあったからで、この博物館の敷地も昔はキャラバンサライがあったところなのだとか。

内部は写真撮影禁止だが、キャラバンに使われた道具など正直たいした展示はない。
ただ19世紀末から20世紀初めごろのレーの写真がたくさんあって、これが一番興味深い。

 建物最上階はぐるりとベランダになっていてベンチなども置かれ

ここに座ってのんびりするだけでもここに来る価値はあるかもしれない。

 博物館の出口はちょっとした橋になっていて
 
中庭には古いキッチンを再現したカフェがある。
 すぐ隣には新しいシーク教寺院も建設中、その向こうには復元された王宮も見えて、レーも少しづつ変わっている。

  
博物館を出たらチョルテンをくぐる旧市街の道をちょっとうろついて
 夕食にはメインバザール通りの角にある「ブラジル・カフェ」を選んでみた。
 
 
建物の脇にある危なっかしい階段を上がり、2階のカウンターでブラジル人らしき英語の達者なお兄さんに注文。
  さらに3階に上がると
  
メインバザールをそぞろ歩く人たちがよく見える。

 ブラジル風チキンサンドは鶏肉がマヨネーズであえてあってボリューム満点、コーヒーが看板に恥じないおいしさだった。


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ご近所グルメでニシンサンドと小籠包

2018-08-20 16:49:52 | 食べ歩き
わが町、武蔵小山にベルギービールのバーがある。

 スマークリック

自分は下戸なので夜はご縁がないのだが、ここがしばらく前からお昼にキューバサンドを始めた。
ベルギービールの店なのになぜキューバサンド?と店主に聞くと、「「シェフ」と言う映画で見ておいしそうだったから」。
なるほどくだらん映画だがあれはおいしそうだった、と一度試したがお肉にハム、チーズのサンドイッチはヘビーでリピートしていなかった。

それが先日通りかかるとランチメニューが増えて、「クラウンマッチェス ニシンのサンドイッチ」とあるではないか。
これはもしや、と思ってテイクアウトをお願いすると
 まさしくオランダではまった塩漬けニシンをはさんだサンドイッチ。
ニシン自体は軽い塩味、他にキャベツときゅうりのピクルスがたっぷり入って、これはさっぱりしておいしい。

作ってくれたお姉さんによるとこの店のオーナーは昼は食品卸の仕事をしているとのことなので、このニシンもオランダから輸入したものだろう。
日本の、しかもご近所でこのニシンが食べられるとは。


もう一か所、こちらは大岡山の駅から徒歩5分、東工大のそばにあるお店。

 HarunAtsu Cafe

カウンターの他に2人掛けテーブルが4つあるだけの小さな店だが、店主が台湾の有名店で修行したとかで
 この小籠包がとにかくうまい!
透けるように薄い皮の中に肉汁がタプタプに入って、これは絶対にあの店仕込み。

 
この日は他にパクチーサラダと豚とエビの揚げ春巻きを頼んだがどちらもおいしく
 五目炒飯はすごい具だくさんで、大体ここの炒飯はどれを頼んでもおいしい。

お値段もリーズナブルで、これまたご近所であの小籠包が食べられる幸せ。
これだからこの近辺から離れられない。


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ザンスカール再訪 6 18年夏のレー

2018-08-18 16:56:00 | チベット文化圏
7月19日 続き

お昼を回った所でレーに到着、宿に直行してもらう。

今回はBooking.comから予約したMentokling Guest Houseというところ。
 
チャンスパ通りを入ってすぐ、入口を入ると中庭がカフェになっていて、こちらの顔を見たダスティン・ホフマンそっくりのオーナーは名前も聞かずに「部屋は2階だよ」とチェックイン手続きもない。

 
通された部屋はちょっとびっくりの広さ。バスルームも清潔でお湯の出もばっちり。
ルーターはあるもののWiFiがつながらなかったり、中庭のカフェが夜10時ごろまでにぎやかだったりはしたが、メインバザールまで徒歩5分、これで1泊2800円ほどならなんの文句があろうか。

荷物を下ろしたらすぐ近くのHidden Himalayaに救援物資を届けに行き、代わりにレーのお店マップをもらってお昼を食べに。

選んだのは宿から目と鼻の先にある「アミーゴ」という店。
 
名前はメキシカンのようだがこれがなんと韓国料理屋で、門からちょっと奥まった店でいただいたのは
 野菜たっぷりのビビンバ。ちゃんとキムチとカクテキ、わかめスープも付いているし、上位回線の脆弱なレーでもちゃんとWiFiがつながるところがさすが韓国?

おなかがいっぱいになったら3年ぶりのレーの町の偵察へ。

 
前回は工事中でほこりっぽかったメインバザールがすっかりきれいになっている。
その代わり角にある大きなモスクが建て替え工事中。

 道沿いに野菜売りのおばちゃんたちが並んでいる姿は変わらず、歩行者天国の道路では犬どもが寝ている。

この道の突き当りには乾物やチベット系の土産物を売る屋台が並んでいて
 こちらはなぜかおじちゃんばかり。

その脇に並ぶのはイスラム系のお店で
  肉屋やパン屋
 ケバブもおいしそうだ。

道端に並ぶおばちゃんたちからアンズを買おうと近寄ると、このおばちゃんが味見に一つ差し出した。
 
一番奥の箱に入ったちょっと白っぽい種類だが、これが齧ると果汁があふれるほどみずみずしくて、今まで食べたことがないほど甘くておいしい。
50ルピー分をもらうと写真+2個しか来なくて、これはおばちゃんにぼられたかと思ったが、後で聞くとこれは今の時期しか出まわらない最高品種とのこと。他ではもっと高くて、おばちゃん、疑ってごめんよ。

宿に戻る途中では前回も行ったゾムサに寄って
 
おいしいアプリコット・ラッシーを1杯。20ルピーが35ルピーに値上がりしているが、これは毎日飲みたい。

さらにここと隣のアプリコット・ストアで
 
アプリコット・ジャムにアプリコット・バター、アプリコット・クリームをお買い上げ。
紙袋に入っているのはYos Mixなるものだが
 Yosとは炒った大麦のことだそうで、これに杏仁やくるみが入って香ばしくておいしい。
この店、東京にもほしいぐらい。

しばらく部屋で休んで、夕食は何か軽いものにしようと「3 Wise Monkeys」というカフェへ。
ホテル・リンジーの前の道をしばらく下った所、大きな柱のかげになって気を付けていないと見落としてしまうが
  
東京にあってもおかしくないようなこぎれいなカフェで、おいしいカフェオレとチキンサンドをいただく。

この店、なんと日本人がオーナー、この6月末に開業したばかり、10月いっぱい休みなし、朝7時から夜10時まで営業するとのこと。
 
「今日は朝から日本人が3人いらっしゃいました」と言っていたが、自分と入れ替わりにはインド人バイカー達がやってきてこの店を気に入っている様子。
ケーキやクッキーなども手造りしていると言うオーナー、ぜひがんばっていただきたい。

レーに日本食レストランができるのももうすぐ?


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ザンスカール再訪 5 スムダ・チュン

2018-08-17 17:08:13 | チベット文化圏
7月19日

ホテルの朝食。
 クレープやチャパティ、卵焼きの他に日本的なお粥まで出してくれたのはここが日本人ツアーの定宿だからだろう。
しかし昨夜ここに泊まったのは自分一人。アルチに宿は増えているが、道が良くなったのでここに宿泊する観光客は減っているらしい。

朝食後は昨日入れなかった村の中のツァツァプリ・ゴンパへ。
 今朝はちゃんと鍵番のおばさんが来てくれたが、おばさんは写真撮影禁止だと言う。
ここは後日再訪して、その時には写真を撮らせてもらえたのでこの内部の紹介はまた後ほど。

アルチを出たらインダス川とザンスカール川の合流点まで戻り、ザンスカール方面への道に入る。
30分ほど行くとスムダ・ドという村があり、ここからさらに脇道へ入って行く。

 
道は車1台がやっと通れるだけ。 
 
途中ではヤクに邪魔されたりもするが、実はここを車で来られるようになったのはこの春から。
川の対岸にはもう使われなくなったらしい道が細々と続いている。

そしてスムダ・ドからわずか30分で目指すスムダ・チュンに到着。
ここも11年前に訪れているが、その時にはスムダ・ドから徒歩1時間の場所でキャンプ、さらに3時間歩いてやっとたどり着いたのだった。
この道を歩いて来たなんて、今となっては信じられない!

そんな苦労をしたのもこのお寺を見たい一心だったのだが
 
丘の麓に車を停めてみれば、今やなんとホームステイにWiFiの看板まである。WiFiは予想通りつながらなかったけれど。

お寺の門前まで上がり、来た道を改めて眺める。
 
お寺の麓には村の家が固まっているが、ここの住人は10世帯ほどらしい。

 
しばらく待つうちに鍵番のおじさんがやってきて、ドゥカンの扉を開けてもらうと
 正面のすばらしい立体曼荼羅がいきなり目に入る。

以前は前面にガラス扉があって全体の姿が良く見えなかったのだが、
  
扉がなくなったおかげで11世紀頃のものらしい金剛界曼荼羅の隅々まで良く見える!

壁もまた曼荼羅図で飾られていて右手はかなり新しいもの。
 これも丁寧に描かれていてなかなか質のいいものだが
 左手の古いカシミール様式には到底及ばない。
 

と言うわけで、このお寺の曼荼羅をさらに堪能したい方はこちら↓ 


ドゥカンを堪能したら大きな菩薩像を納めた両脇の小堂をお参り。
 
黄色いお姿はチャンバ(弥勒菩薩)、白いお姿はチェンレジ(観音菩薩)。

 
さらにお堂の裏に回ると崩れかけたチョルテンがあって
  
この中の色褪せた曼荼羅も再確認。

 こんな辺鄙な所の地味なお寺にお宝が埋まっている、だからチベット仏教圏は面白いのだ。

新しい車道のおかげで2度目のスムダ・チュンを楽に堪能させていただき、次はザンスカールへの道をさらに進んだ先にあるチリン村へ向かう。

政権が変わって中断していた工事が再開したとのガイドの言葉通り、道路はあちこちで工事中。
  
ところがそのために途中で車が止められ、並んでいる車の前の方はもう1時間も待っているとか。

まだまだ工事は続きそうなので、さっさとあきらめてレーに戻ることにした。
チリン村に壁画はないので未練はないのだ。


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ザンスカール再訪 4 サスポル&アルチ

2018-08-14 17:43:21 | チベット文化圏
7月18日 続き

マンギュからはレー方面に戻り、アルチの向かいにあるサスポル村へ。

この村の崖の途中には壁画に覆われた小さなお堂があって、ここも11年ぶり、3度目の訪問。

以前は幹線道路沿いに車を停め、村の中を通って崖を上ったのだが、今はなんと崖のすぐ下まで自動車道ができている。
しかも崖の上からはヨーロッパ人のグループが下りてくるところで、以前は知る人ぞ知るお堂だったが有名になったらしい。

 すぐ下まで車で来ても、標高3000mの高地に着いたばかりではこの崖のぼりがきつい。
それでも息を切らしながら目指す洞窟入口までたどりつけば

相変わらずのどかなサスポル村の全景が見え、洞内に入れば

びっしりと壁画。ここにはじめて来た時の感動は忘れられない。

以前来た時には天井の岩が今にも崩れそうな危うい状態だったが、今回は一部セメントで固められて修復の跡が見える。
  
 崖そのものも一部工事がされていて、オランダの援助が入った様子。日本も技術援助したとのことで、これでこのお堂も一安心。

ということでまた写真を撮りまくるが
  
 
以前の物と比べてみると結局同じ所ばかり同じように撮っている。進歩がない。

崖を降りたら川を渡り、対岸を少し行ったアルチへ。
こちらはラダックでも一番の見所なので
 
駐車場には車があふれ、参道の土産物屋は以前からあったが、カフェやレストランが増えている。

到着したのがちょうどお昼、アルチ・チョスコルはお昼休みとのことなのでホテルへチェックイン。
 今回のお泊りはHotel Samdupling。
 
部屋は明るく、お湯もちゃんと出る。

しばらく休んで、涼しくなった16時にお寺さんへ。
 
毎度おなじみ、素晴らしい細密画の見られる三層堂に
 
圧巻の曼荼羅に覆われたドゥカン。2つ並んでいるのはロツァヴァ・ラカンとジャムヤン・ラカンだが、この2堂の壁画はへたな修復で見所がない。

11年ぶりにアルチに来て驚いたのは内部に蛍光灯の明かりが点いたこと。
以前は真っ暗で懐中電灯がなくてはほとんど何も見えず、それも雰囲気があってよかったが、やはり明るいと全体がよく見え、なにより以前はかすかにしか見えなかった三層堂の二層目、三層目まで見える!

そもそもアルチは自分がチベット仏教圏の壁画巡りをするきっかけになった所なので初恋の人のようなもの。
今回が4度目の訪問になるが、何度来てもやはりここはすばらしくて飽きることがない。

内部は写真撮影厳禁なので
 
表の彫刻を撮ってマンギュの扉の枠と似ていることを確認したり
  
 
これも大好きなチョルテンの中を覗いたり。

そして以前来た時にはなかったこの本。
 重いし、2500ルピーもしたけど買ってしまった。
写真も印刷も質がいいし、解説もしっかりしているので納得だが、壁画をすべて網羅した本があったらいくらでも出すんだけどな。

ホテルの裏手には村が広がり、その一番高い所にツァツァプリ・ゴンパがある。
 
ここも見ようと上って来たが、鍵番のおばさんがどこかに出かけてしまって本日は空振り。
明朝また来ることにして、おとなしくホテルに戻る。

 夕食はホテルの食堂で。
 
べジ・モモをお願いしたら何の野菜だろうか、シャキシャキした歯触りの葉野菜が絶妙の味加減で、これは今回の旅で一番おいしいモモだった。
デザートはそこいらじゅうにたわわに生っているアンズ。

午後8時過ぎにようやく暗くなって、長い一日が終わった。


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ザンスカール再訪 3 マンギュ

2018-08-12 17:15:20 | チベット文化圏
7月18日 続き

リゾン・ゴンパからはほんの30分で幹線道路から山の方に入ったマンギュ村へ。
ここに来るのは2007年以来、11年ぶり。

 眼下にきれいな畑が広がる景色は変わらないが
 
ゴンパへの看板も立った村の中には以前はなかったゲストハウスなどもできている。

そしてめざすお寺に来てみると
 2007年にはこんな感じだった外観が
 
壁はきれいに塗り直され、脇にはきれいな宿泊所ができて、表ではタイル貼りの工事をしている。
なんでも近々どなたかリンポチェがいらっしゃるそうで、その準備のためらしいが、ラダックではえらいお坊さんが来るとなると道から何から整備して大変なのだ。

 鍵番のおばあさんに扉を開けてもらって、2つ並んだお堂のまずは右側のドゥカンへ。
 
ここは正面に仏像の入った棚が置かれ、その周りの壁は曼荼羅に覆われている。
 
ただし状態はあまり良くなくて、稚拙な修復をされてしまっている部分もあるのが残念。
 
それでもラピスラズリの青が美しく、よく見れば明らかにカシミール様式の絵も残っている。

この隣のお堂はチューチクザル、観音堂。
 
アルチにそっくりな彫刻の入り口を入れば
 ここも正面に千手観音の納められたガラス棚。
 
まわりはやはり曼荼羅だが、こちらの方が状態が良くて12世紀ごろのオリジナルのままの部分が多い。

 
入り口脇や、入って右手の曼荼羅もいいが
 左手のブルーが美しく、その横にある上下2つの観音像。
 
特に下段の白い観音様にまたお目にかかりたくて再びやって来たのだ。
記憶とはいい加減なもので、もっと大きくて上の方にあると思っていたのだが、美しさは変わらない。

2つのお堂の両脇には小さな部屋があって、まずは右手。
 
大きな菩薩像の腰衣にはよく見ると仏伝が細かく描かれ
 
四方の千仏画の中にも美しい菩薩像がある。

そして左手、こちらは前回訪問時には不覚にも見逃してしまったところだが
 
こちらの大きな菩薩の両脇の壁画
 これは素晴らしい!
 
後ろの壁などはもう崩壊寸前だが、創建時にはどれだけ華やかだったことか。

たっぷりとお堂の中を堪能させていただき、外のチョルテンもチェック。
 ここも外側は化粧直しされているが
 
内部は以前と変わらず、リンチェン・サンポの姿も見える。

マンギュ、やっぱり再訪してよかった!


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ザンスカール再訪 2 ラダックへ

2018-08-09 20:41:11 | チベット文化圏
7月18日

ラウンジの仮眠室で3時起床、ここを出て階段を上がればすぐに国内線の出発ロビーなのでさすがに楽チン。

 
T3の国内線ロビーは象の親子もいてきれい。早朝の3時台でも大勢の人でにぎわっている。

スムーズにチェックイン手続きを終えたらおみやげ売店を見下ろす2階にある国内線出発用プラザ・プレミアム・ラウンジへ。
 
国内線の方にはインドのカルビー、ハルディラムやファブインディアの売店があって国際線よりいいなあ。
デリー空港にはラウンジがたくさんあって、今回ほどプライオリティパスのありがたみを感じたことはない。

国内線も国際線と同じ位の大きさがあるがかなりいっぱい。
 
こんな時間なのでマフィンぐらいしか食べ物がないのは仕方がないが、コーヒーメーカーは作動させてもらいたかった。

やがて時間になり、沖止めのレー行きジェットエアウェイズに搭乗。
 
機材はB737-700。人気の夏のラダック行きとは言え、さすがに5時20分発だからか、搭乗率は4割ほど。

 定時にはようやく明るくなってきたデリーを出発して、すぐに機内食の配布。

 
ノンベジの箱の中身は卵のラップサンドとまたマフィン。
 インドの機内食にはなぜか必ず入っている不思議な包み方のタマリンド・キャンディー。これが結構好き。

やがて緑の全く見えない荒涼とした山が見えてきて
 
山間の平地が見えたらそこがレー。

1時間10分の飛行で無事に到着。3年ぶりの空港の建物にまったく変化はないが
 
早朝から出迎えの人や車がいっぱい。
聞けば夏のレー空港には多い日には12便が到着するそうで、それらはすべて午前中に集中している。
初めてラダックに来た17年前にはせいぜい2,3便だったのだからそこはずいぶん変わったものだ。

出迎えてくれた今回のガイドは現地旅行社、Hidden Himalayaの社長さん。
本来トレッキングが専門だが、今年は話題の某大学山岳部が来なくて暇、ということで御自ら来てくださった。

早速車に乗り込んで、7時に空港を出発。
 レー市内には寄らずにすぐに西へ。
ラダックの道路舗装もずいぶんきれいになって快適。

やがておなじみのインダス川(左)とザンスカール川(正面)の合流点。
 
ザンスカール川沿いをパドゥムまで通じる予定の道路は聞けばまだ完成していなくて、ここは初めて来た時から「あと5年」と言われ続けている。
途中止まっていた工事が政権が変わってまた再開しているそうだが、さて完成はいつになるか。
完成すれば今は丸2日かかるレーからパドゥムまでがほんの数時間に短縮されるそうだが。

川の合流点手前に見える建物はラフティングボートの降り場。
ここ数年ザンスカール川のラフティングが大人気だそうで、実際この少し先の村はいたるところラフティングの店になっていてびっくり。
ただしラフティングをするのはインド人ばかり、西欧人はもっぱらトレッキングで、日本人は寺巡りだそうだ。

と言うわけで正しい日本人らしく、やってきたのはリゾン・ゴンパ。
 
この僧院には初めて来たが、目の前には荒涼とした山しか見えず、修行のためにこもるにはふさわしい所に見える。

 
このお寺はラダックでは比較的新しい1833年創建で、エキゾチックな風貌のお坊さんに開けていただいたお堂(写真撮影禁止)もオタク心を刺激するものではない。
しかしここの僧院長であったスラ・リンポチェがダライ・ラマによってゲルク派の最高位である「ガンデン・ティパ」に指名されたこともあってこのお寺はラダックでも地位が高いのだそうだ。

と、ここで軽く準備運動をして、次からいよいよ壁画めぐりがスタートする。


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