Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

福島応援 2 会津若松

2011-12-31 01:39:52 | 国内旅行
朝9時半に宿の送りの車に乗り、福島駅前からは高速バスに乗って会津若松まで直行。

郡山を過ぎ、西に向かって会津盆地に入ると景色は真っ白。
 でも幸いにして今日は風もなく、空は青い。

会津若松市内に入ると道路は乾いていて一安心。
まずはいつも通り、高い所から市内を見ようと鶴ヶ城へ向かう。

  
お堀を越えて城内に入ると古木や石垣が苔むしていい感じ。
 そして現れる白壁に赤瓦の鶴ヶ城天守閣。
と言ってももちろんオリジナルは戊辰戦争の後に取り壊されているので、これは昭和40年に再建されたもの。

中は郷土博物館になっていてお殿様関連の物から会津地方の風物まで、各層にコンパクトにまとめられている。がちょっとコンパクトすぎて全体にあっさり。鶴ヶ城の歴史もCGを使ったビデオで見せているのだが、もっと長くてもいいのにと思うほど短い。

さくさくと見て回って最上階はもちろん展望室。
 市街の向こうに会津磐梯山がきれいに見える。

お城の見学を終えたら市内をお散歩。
会津若松市内も戊辰戦争で焼き尽くされたそうだが、その後明治、大正時代に建てられた建物がよく残されていて
  
  
蔵がお店やカフェになっていたり
  
  
ちょっとハイカラな建物があったり。

  
1934年に建てられた紀州屋さんの店内には赤いボンネットバスがカフェとして鎮座している。

  
  
左のまるで銀行のような建物は漆器屋さん、Tsukahara Gofukutenとローマ字で書かれた建物はスポーツ用品店。
こういう建物をそのまま残して、お土産屋さんでも表に下品な看板などは出さないところが実にセンスがいい。

今年は弘前、松江、会津若松と城下町を訪れたが、それぞれ町全体に誇りと品の良さを感じるところが素晴らしい。

3時を過ぎたが食事をしようと入ったのは郷土料理の店、渋川問屋。
  
ここも大正時代に建てられた海産物問屋だったという。

ここではもちろん会津のお料理をいただく。
 コースはにごり酒と突き出しの切り干し大根から始まり
 ニシンの昆布巻きと山椒漬け
 棒ダラ煮と、海から遠い地方らしい料理が続く。
右の漆器に入っているのはこづゆと言って、野菜と小さなお麩、干し貝柱ときくらげが入って上品な味のお吸い物。
 天ぷらもニシンと言うのが珍しく
 締めはひじきご飯とそば粒がゆ。

どの料理も程よい味付けでとてもおいしくいただいた。

この店のすぐそばには只見線の七日町駅。
  
一見駅とはわからないようなファンシーな駅舎で、中にはお土産屋さんとカフェがある。

ここでゆっくりしたかったがバスが来てしまったので会津若松駅まで戻り
  
磐越西線で郡山、新幹線に乗りついで東京へ。
会津はどうもアカベコのキャラクター「アカベエ」を売り出したいらしく、列車の前やら側面、改札口までアカベエだらけ。でもこのキャラクター、結構かわいい

東京駅に着いたのはクリスマスイブ。
女同士でなんだけれど、ライトアップと言うやつをちょっと見ていこうと丸の内側に出てみる。
 通りの真ん中にあったのは震災復興祈願と言うキャンドル。
それぞれに有名人やら東北、東京の小学生の言葉や絵が描かれている。

福島応援温泉旅行の最後にはふさわしいイベントだったかも。

 

来年は今年の不運に釣り合うような幸運が世界に訪れますように。
皆様、良い年をお迎えください。


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福島応援 1 新野地温泉 「相模屋旅館」

2011-12-30 02:41:06 | 国内旅行
今頃、と遅きに失した感はあるが、福島の経済活動にささやかながら貢献しようと友人と2人、温泉に行ってきた。

新幹線に乗れば1時間半で着いてしまう福島。
駅前には宿のワゴンが迎えに来てくれている。
連休初日のためか本日のお迎えは7人。
風評などに惑わされず、ちゃんとお客さんは来ているんだ、とうれしくなる。

良く晴れた福島市内を過ぎ、徐々に高度があがって吾妻スカイラインに入ると周りの景色は雪で白くなり、路面は凍っていかにも運転が難しそう。
吾妻スカイラインは冬は通行止めだが、新野地温泉までは隣の野地温泉と除雪をしているそうだ。

45分かけて到着した新野地温泉は標高1200メートル。
 
宿の前の道路はこの通り真っ白、正面を見下ろすと福島市街が見える。

 
宿は思ったより大きくて近代的な姿、玄関は雪対策に囲われていてまるでガレージのよう。

 フロントで記帳をするとロビーでリンゴジュースが出された。これが絞りたてですごくおいしい。

そして案内された部屋は10畳と広く、トイレと洗面所もついて文句なし。
  
窓から外を眺めるとすぐ下に湯屋、その先に通路が作られ、木の柵で囲われたところが野天風呂らしい。
その先からは盛大に温泉の湯気が吹き上がり、宿に着いたとたんに硫黄の香りがした訳を納得。

窓を開けて写真を撮ろうとしたが2重になった外の窓がどうしても開かない。
「窓、凍っちゃったかな~」と案内してくれたフィリピン人のお姉さん。こんな寒い所でお仕事ご苦労様。
そんなわけで写真には窓の格子が入ってしまった。

さあ、それでは明るいうちに野天に入らねば、と早速出動。

  
この階段を降り、部屋の下に見えた長い廊下を歩いていくと左手には内湯ののれんがかかり、つきあたりには外に出る扉がある。

と、お迎えのバスで一緒だったおばさまが扉を開けて入ってきて「無理、無理、脱衣かごにも雪が積もってとても入れないわよ」とおっしゃる。
外は風が強くていかにも寒そうだし、それではまず内湯で暖まってから外に挑戦しよう、と暖簾をくぐる。

 脱衣場は狭くてシンプルな造り。
隙間風も入って寒いのでさっさと浴衣を脱いで浴室へ。

幸いにして他にお客さんのいない内湯、すべて木造りでいい感じ~。
 
浴室内には強烈な硫黄の香り、お湯は白く濁っていかにも温泉。湯温は43、4度だろうか
窓ガラスには霜がついて外の景色は見えず、隙間風が入って来るが、これが露天のように頭を冷やしてくれるので熱いお湯につかっているのにちょうどいい。

この内湯は実にいいが、やはりここに来たからには野天に入りたい、と浴衣をひっかけ、根性を出して突き当りの扉を開ける。
  
用意されたスリッパで雪の積もった通路を慎重に登る。左手には小高い山が見え、その手前にはお隣の野地温泉のホテルが見える。

そして柵の内側にあるのがこのお風呂。
  
やっぱりこれよ~、とどっぷり顎までつかる。
湯温は外気に冷やされて内湯よりだいぶ低め、風がビュービュー吹いているので顔は時々お湯をかけないと痛くなるほど冷たいし、頭に巻いた濡れタオルは何分もしないうちに凍ってしまった! 
しかし目の前には温泉の蒸気が吹き上げ、秘湯感満点。これはいいわ~。

湯温は低くてもさすが硫黄泉、しばらく入っていたら内側からポカポカしてきた。
カランも使いたいのでまた内湯に移動しようと扉まで戻ると、男性が二人顔を出した。しかしこの方たち、「こんな寒くちゃ無理!」とお風呂まで到達することもなく撤退。ああ、もったいない。

館内に入って向かったのは宿の2階にある大浴場。
 おなじみ「秘湯を守る会」の提灯が下がるここのお風呂は脱衣場も広く、カランやシャワーもある。
  
こちらの浴室も壁から浴槽からすべて木造りでこれがとてもいい。お湯も下の内湯と変わりなく、すぐ外に露天もついているのでほとんどのお客はこちらに来る様子。
でも露天はやっぱり目の前に蒸気の上がる外の方がいいなあ。

3ヵ所もお風呂を巡っていたら食事の用意の時間になってしまった。
この宿の夕食は部屋食ということで、フィリピン人のお姉さんがこのお膳を一度に運んでくる。
  
一見地味な品ぞろえ、しかし山の食材ばかりのお膳は5色こんにゃくから漬物まですべて自家製らしく、味付けも濃すぎずにちょうどいい。
ただ量は少なめかな、と思っていたらご飯と一緒に
 これが来た。
魚が冷たかったのは残念だが、山芋、かぼちゃ、シイタケの天ぷらは暖かくて満腹。

夜にもう一回、朝もお風呂に入って、朝食に大広間に行ってみると、こんなに泊まっていたのかと驚くほど大勢のお客さんがいた。ほとんどは年配のご夫婦で、平均年齢はかなり高そう。
  
これまた派手さはないがちゃんと手のかけられたおかずに麦とろごはんをいただけば、「ここはお風呂も食事もいいから」と昨晩お風呂で言葉をかわしたおばちゃんのいう意味がよくわかる。

これで2人1室、1泊¥13,650。
福島は近くて安くて、これはもっと来なきゃ。 
  


 
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チベット文化圏の民族衣装 3 ブータン

2011-12-27 18:52:01 | ブータン
さて、チベット文化圏でも一番の着倒れと言えばブータン人。

先日の国王夫妻来日でも話題になった通り、ブータンの民族衣装は日本の着物に良く似ており、国王夫妻のお召し物は当然、最高級の絹製、毎回2人の衣装の色合わせが考えられているのが素敵だった。


ブータンの織物についてはこちら

このブータンの衣装、女性の着物はキラと言って、ブラウスを着た上にシングルのベッドカバーほどの一枚布を巻きつけて着る。
 布の前後ろは肩の所のブローチで止め、腰にきつく帯を締めて長さの調整をする。
キラの着付けは脇の合わせ目、裾の長さがポイントで、この着付け方、ブラウス、キラとその上に着る上着の色、柄の合わせ方でおしゃれかダサいかが決まるのだそうだ。

 
基本的には同系色でまとめるか、柄の一色をブラウスや上着に持ってくる。
ここいらへんの感覚も日本の着物に良く似ていて、ブータン人はセンスがいい。

ただしブータン人は日差しの強い国らしく、日本人よりもはっきりした色が好み。
 なので大勢の人が集まると色とりどりで実に華やか。

   
男性の衣装はゴと言って、これこそ日本の着物にそっくり。ただやはり腰の所で帯をきつく締めて長い裾を膝丈にたくし上げ、長い袖を折って中に着た白いシャツを見せる。
この着付けのポイントは後ろ姿にあり、後ろにとったダーツを決めるためにブータン人はとても気を使う。
足元は伝統的にはチベット風のブーツだが、現代の正装ではハイソックスに革靴。座った時にちらっと見える膝小僧がセクシーだったりする。

ブータンでは伝統文化を守るため、家の外に出る時には基本、民族衣装の着用が義務付けられている。
  
だから普段着ももちろん民族衣装。
おじさんやおばさんのふところが膨らんでいるのは身がたっぷり詰まっているからだけではなく、財布から携帯からなんでもここに入れて持ち運ぶため。

民族衣装着用は子供にも及び、ブータンの学校では制服もキラとゴ。
  
学校ごとに色、柄が異なっていて、これが実にかわいい。

ブータンの国営航空会社、ドゥルック・エアのCAの制服ももちろんキラ。
  
左は2000年の制服、右は2008年でちょっとおしゃれになった。

民族衣装が義務付けられているとはいえ、ブータンももちろん世界の流れには抗しがたく、特に若い子たちはジーンズやTシャツ、スタジャンを着たがる。
しかしわれわれの目から見ればブータン人に似合うのはやはりゴとキラ、特に男の子は民族衣装を着ていた方が3割は男前に見える。

明治時代に日本に来たイザベラ・バードも、日本人は着物だとさまになるが洋装だと貧弱に見えて仕方がない、と言っていた。

その国の風土、人種に合わせて発達した民族衣装はそれぞれおそらくもっとも合理的な衣装だと思うが、一度失われてしまうと元に戻すのは容易ではない。

10年後、ブータンの人々は何を着ているだろうか。


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チベット文化圏の民族衣装 2 インド・ネパール

2011-12-25 18:37:46 | チベット文化圏
チベット高原の南側、現在はインドやネパール領内にもチベット文化圏は広がっている。

この夏に行ったムスタンはネパール領内だが、女性の衣装はチベットそのまま。
  
ただ腰に斜めに巻いた布が特徴的で、前にはさらに例の縞のエプロンをしめる。
寒い土地で腰を守る知恵だろう。

  
男性の正装もチベット服だが、こちらはお祭りの時に着るだけで普段は洋装になっている。

ネパールの東、ブータンとの間に挟まれたシッキム王国も今はインド領になってしまったがチベット文化圏。
  
おばちゃんたちはチベット服姿だったが、ここやダージリンなどでは残念ながらパンジャビスーツを着る女性たちの方が多い。

チベットの西端と接するインドのヒマーチャル・プラデシュ州のスピティではまだ独特の衣装が健在。
 
これはタボのガイドさんが見せてくれた伝統衣装。女性が肩にかけたショールに特徴がある。

タボから北に上がったラホール地方のキーロンもチベット仏教の土地だが、
 
この町の女性たちは老いも若きもみな同じようなえんじ色の服を着ている。
長いスカートにテイラードジャケットを着ているので、まるで学校の制服のよう。

さらに北へ上がるとジャンムー・カシミール州に組み込まれたラダック。
  
左が普段着姿、右は何かお祭りごとがあった様子だが、頭の上にちょこんと乗せた帽子が特徴的。

  
こちらはお祭りの時の踊りを披露してくれた舞踊団。女性がかぶるペラクという頭飾りにはびっしりとトルコ石が縫い付けられていてとても重い。
 靴もつま先が反り返っておもしろい。

ラダックの西側のダー・ハヌー地区にはドクパという人々がいる。
彼らもチベット仏教を信仰しているのだが、アーリア系人種なので他のラダッキとは顔つきが違い、衣装も異なる。
 
普段はパンジャビ姿だが頭飾りには針がびっしりさされ
  
お祭りともなれば女性も男性も花やほおずきを頭に飾る。

ここから南に下るとザンスカール。
  
ここの女性たちの普段着はワンピースの上にベストのようなものを着ているが、背中には絞り染めで模様を描いた肩掛けを背負い、これをとても大切にしている。
  
お祭りの時には銀細工や淡水真珠、トルコ石のアクセサリーをつけ、さらに裕福な人はペラクをつける。

  
こちらは男性の衣装。
お祭りと言えども地味なものだ。


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チベット文化圏の民族衣装 1 チベット本土

2011-12-22 18:53:09 | チベット文化圏
チベット文化圏の民族衣装を一つに並べてみようと古い写真を引っ張り出してみたら、結構な数になってしまったので何回かに分けてご紹介。

まずはチベット本土から。

チベットの中心と言えばもちろん中央チベットのラサだが、中央チベットの衣装はかなり地味。
   

ブラウスの上にくすんだ色のチュバというジャンパースカートのようなものを巻きつけて着て、必ず縞模様のエプロンをする。
この縞のエプロンがチベット族女性のアイデンティティのようで、未既婚によって柄が違うと聞いたような気もするがこれはよくわからない。

男性の方はほとんどが普通の洋服姿、
 たまにこんな袖の長い伝統衣装を見かける程度。

ラサから東、コンボ地区へ行くと独特のポンチョ姿に遭遇。
  
ただしこれは何か特別な行事があったようで、普段からこの格好をしているわけではなさそう。

さらに東、現在は青海省や四川省に入れられてしまったエリアまで行くと様子は変わる。
このエリアはカム、アムド地方と呼ばれ、ここの住民はチベットの中でもおしゃれで通っているので
  
普段からこんな華やかな頭飾り。

  
峠で出会ったお嬢さんも見事なロングヘア。

  
左の写真は西チベットのお茶屋さんだが、おそらく東からの出稼ぎだろう。四川省のきれいどころ同様、髪をたくさんの細い三つ編みにしている。

このエリアでは男性もまたおしゃれで
 長い三つ編みを赤い毛糸でまとめている。

そして彼らが大好きなのが毛皮で
  
さすがに最近はフェイクファーだが、普段からこんな恰好。
 これでバイクも飛ばす。

  お祭りともなれば一段とおしゃれにも力が入り、男も女も満艦飾。

チベットの民族衣装を見るなら東チベットが断然おもしろい。


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「灼熱の魂」

2011-12-21 19:54:08 | 機内食・映画・美術展
久しぶりに劇場へ映画を見に行った。

見たかったのは 「灼熱の魂」 Incendies



開巻早々、会話がフランス語で面食らうが、これはある中東の国からカナダへやってきた母親と双子の姉弟の話。
母親が急死をして、その遺言に従ってすでに成人している姉弟が母国へ父親と、存在すら知らなかった兄を探しに行く。

母親の、中東の母国での悲惨な過去を旅する話、と言うのは知っていたので、パレスチナがらみ、イスラムとイスラエルの話かと思っていた。
しかし実際はそれよりもさらに悲惨な内戦の話。

映画の中で中東の国は特定されていないが、原作者はレバノン出身だというし、ちらちらと映る国旗はレバノンやシリア、イラクに共通する赤、白、黒の三色旗。
パレスチナからの難民が押し寄せ、それに触発されて国内のイスラム教徒とキリスト教徒の間で摩擦が起こり、報復に次ぐ報復で内戦状態へ、と言えばやはりレバノンを思い起こさずにはいられない。

おそらく昨日までは何事もなく共存していた2つのグループが次の日からは宗教やら支持政党やらのイデオロギーで殺しあう、なんと悲惨なことだろうか。
この物語の主人公がキリスト教徒というのもポイントで、彼らも「敵」と同じように非寛容でしかない。
それが示されるオープニングのシーン、最も暴力的な砂漠のシーンを欧米人の観客はどのように見ただろうか。

母親の物語は壮絶で悲劇的なのだが、母親のシーン、それをたどる子供たちのシーンは交錯しながらもとてもわかりやすい。
ヨルダンでロケしたらしい中東の風景も説得力があって、舞台劇が原作とは思えないほど映画的。

徐々に明らかになる家族の秘密に引き込まれるので2時間10分の上映時間に長さは感じない。
最後に明かされる謎解きも「悲劇」なのだが、そこに「寛容」を求めるテーマは重い、けれど救いがないわけではない。

久しぶりにどっしりと考えさせられる映画。
風景のせいもあって、見ている間中シリアのことを考えていた。
イスラムと様々なキリスト教会派の共存する国、独裁者に抑えつけられていたが、それがひっくり返った時、今まで通り平穏に共存できるのか。
旅をして大好きになった国だからこそ、今とても気にかかる。

それにしてもこの映画、レディースデイだったせいか、平日の昼なのに劇場は満席。
「地味な映画だから空いていると思ったのに」と考えている通りのことを他のお客さんもぼやいていて笑っちゃう。
こういう映画にお客が入るとは、この国も捨てたもんじゃないかも。


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小泉八雲のこと

2011-12-19 20:50:25 | 雑談
出雲に行く前、泥縄式に小泉八雲の本を読んだ。

八雲と言えば怪談が有名で、耳なし芳一や雪女の話は記憶していた通り。
それよりも日本に関するエッセイ、特に日本到着早々のエッセイが面白い。

八雲が日本にやって来たのは明治23年、1890年のこと。
すでに主要都市には鉄道が通り、お雇い外国人も大勢いただろうが、八雲が赴任した出雲はまだまだ昔の日本のままだった。そんな日本に八雲は恋をした。

意地の悪い見方をすれば八雲と言う人は欧米社会ではコンプレックスの塊だったと思われる。
イギリスでは差別をされるアイルランド人、しかもギリシャ人との混血、身長が低いことも欧米ではハンデになる。
それが日本に来てみれば日本の男は自分よりもさらに背が低く、イギリスとアイルランドの区別も普通の日本人にはつけようがない。
そんなところで「先生様」と持ち上げられれば誰だって悪い気はしないだろう。

しかしそんな中で八雲は西洋風をひけらかすことなく、和服を着、日本家屋に住んで日本人の心を理解しようとした。だから出雲の人たちにも愛され、八雲の日本に対する恋心は相思相愛になった。

現代の目で八雲のエッセイを読むと、確かに日本を美化しすぎているように思われて面映ゆい所もないではない。しかしさすがにジャーナリストだけあって歴史などに関する記述は正確だし、欧米人を対象に書いているのでわかりやすい。
そして何よりも近代化をすすめる日本への懸念が的を射ていて、今読んでも古臭さを感じない。

八雲と同じような感情を、現代の我々はたとえばブータンのような国へ行くと経験する。
我々が捨て去ってしまったものを残した昔の日本のように感じ、何も変わらないでほしい、などと思う。
しかしどこの国の人間にも便利さ、快適さを追求する権利はあるわけで、それを入手してしまった国の人間が他の国の人間にそれを否定することはできない。
ただ八雲のように外から美点を評価し、先に存在するかもしれない落とし穴を前もって知らせることは有効かもしれない。相手に聞く耳さえあれば。

出雲に行かなければわざわざ読もうとは思わなかっただろう小泉八雲、読んでよかった。


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四万温泉散策

2011-12-16 18:26:39 | 国内旅行
積善館を10時にチェックアウト、帰りのバスは13時45分なので四万温泉の探検に出かける。

旅館の前の赤い橋を渡ると正面にレトロな店の並ぶ細い通りがちょっと曲がりながら続く。
 
この道が昔は中之条から山を越えてやって来るメインの街道だったとか。

四万川を渡ってしばらく行くと道の向こうに四万川ダムが見えてくる。
  
治水と水道・灌漑用水のためのダムだそうだが
 近づいてみるとなかなか立派。

ここまで来たら当然その向こうのダム湖が見たいわけだが、まっすぐにあがる階段などはなく、山をぐるっと回る自動車道を上がらなくてはならなくて、これが距離も勾配もあって結構大変。
途中でくじけそうになるが、他にやることもないのだからと汗をかきながらがんばった。

そして到着した奥四万湖。
 
青く見えるのは空を映しているからだけではなく、水そのものがきれいなブルー。
 だからこの湖から流れ出る四万川の水もきれいな青色。

なぜこの湖水が青いのか、近くに説明看板があったが「青く見える物質が多く含まれているわけではなく、青い光を分散する粒子が特定されているわけでもない」と結局よくわからない説明。
でもきれいだからいいや。

ダム湖からまた温泉街に下りて、次に向かったのは温泉郷の一番奥にある日向見薬師堂。
  
1598年に建てられた小さなお堂は重要文化財、その手前のお籠堂も1614年に建てられたもので、昔は湯治客がここに籠もって病気平癒祈願をしたのだそうだ。
 中に祀られている薬師如来像は新しいもののようだが、くすんだ茅葺き屋根は温泉にピッタリの風情がある。

この薬師堂の隣には広い駐車場に囲まれた真新しい共同浴場、「御夢想の湯」がある。
 
  
玄関を入ると右手にウォシュレット付きのきれいなトイレ、正面に洗面ボールが一つあって、左手には脱衣用の棚、そこから階段を下りると家庭のお風呂ほどの小さな浴槽が一つ、カランなどはない。
しかしこの黒い石造りの浴槽には源泉がかけ流されていて、お湯が熱いのでホースで水を入れさせてもらったが、「元禄の湯」と同様に温泉の新鮮さが実感されてとてもいい。
湯口にコップがあったので飲んでみると、ここのお湯には塩味はなく、白湯でもごくごく飲めるほどとてもおいしい。
  
高い天井も気持ちよく、他に誰も来ないのでのんびりさせてもらった。入浴料は寸志のみ。

このお風呂がとても気持ちよく、まだ時間もたっぷりあるのでもう一つ共同浴場に行ってみることにする。
 お店が並ぶが平日のためか静かな中心街を通り、
山口地区にある「上の湯」へ。
  
こちらは普通に脱衣場とガラス扉で仕切られた浴室。浴槽は二人入ればいっぱいの物が2つ、ちょっと熱めの温度に違いはない。
この共同浴場もとてもきれいに保たれていて、地元の方たちが大切にされているのがよくわかる。

こちらのお湯もとてもいいが、次の人たちが入ってきたので場所を譲り、小腹が減ったのでおやつを購入。
 四万温泉はイノシシ肉を名物にしようとしているらしい。
普通のひき肉よりはちょっと肉肉しいくせがあるが、からっと揚がったコロッケはじゃがいもが甘い。

 さらにこじゃれたカフェでバナナケーキとカプチーノ。
このカプチーノには温泉マークが描かれているはずだったのに、普通のハートマークでちょっとがっかり。

以前福島に行ったときにも感じたが、北関東の人と言うのは親切心がないわけではないのだろうが、どうもサービス精神にはいささか欠けるような気がする。言えばやってくれるけれど言わなければ気をまわしてはくれないような。
東北とか山陰の人たちの方が愛想はよかった、と思ってしまう。

とは言え、四万の温泉、特に共同浴場はよかった。

 最後はこちらのちょっと塩味の温泉を飲んでバスに乗車。
 高坂のSAでこんにゃくと芋羊羹の入ったお弁当を買って2日間の湯治終了。


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四万温泉 積善館

2011-12-13 17:57:15 | 国内旅行
寒くなってきたもので島根以来、温泉熱に火が付いた。

ここのところ仕事も暇なので、前から行きたいと思っていた四万温泉へ軽く一泊。

四万温泉へは東京駅から直通の高速バスが出ている。
 東京駅八重洲口を朝の10時半に出発、途中のSAで30分休憩して四万温泉には14時前に到着。
鉄道で行こうとすると面倒な四万温泉にこれなら簡単に行けるし、往復5000円も鉄道より安い。

とは言え3時間以上の旅なので、東京駅で得意の駅弁調達。
 880円のお弁当は思っていたよりいくらが乗っていたが、おこわが固くてちょっともたれる。
駅弁はやっぱり列車の中で食べた方がおいしい、と思うのはこちらの勝手な思い込みだけど。

バスの終点は四万グランドホテルの玄関先。
そこから歩いて1分、目立つ赤い橋を渡ったところに今夜の宿 「積善館」 がある。
  
ここは1691年(元禄4年)創業と言う歴史あるお宿。
玄関のある建物が元禄時代からのもので、その両脇に明治、大正、昭和と増築を重ね、さらに奥の山の斜面沿いにより新しい宿泊棟が建つという何とも入り組んだ造り。

  
橋のこちら側にも、いかにも昔の温泉湯治宿らしい建物があって本館と渡り廊下でつながれているが、ここは現在は宿泊には使われていない。

今回一人泊で用意されたお部屋は壱番館と言う建物の一階。
 職員宿舎の1階を一人客用に提供しているようで
  
部屋は殺風景なほどシンプルな6畳間。しかしテレビも冷蔵庫もあるし、暖房は効きすぎるほど効いている。
廊下のお向かいにはウォシュレット付き男女別のトイレもあるし、お風呂にも近い。

本当は本館の部屋に泊まりたいと思っていたのだが、結果的にはこちらが正解だったよう。
なにしろ本館、と言っても最古の建物の隣に明治・大正期に増築された部屋。
 こんな感じで趣はないし、トイレは遠くて男女共用だ。

部屋をチェックしたところで早速この宿の名物風呂へ。
 昭和5年に作られた「元禄の湯」

扉の前で履き物を脱ぎ、のれんをくぐってドアを引くと
 目の前にいきなり浴槽が並んでいる。
 こちらは浴槽側から入り口を見たところ。
脱衣所とお風呂場がつながっているのは台湾の温泉でおなじみだが、なるほどこれが原型なのね、と納得する。

浴槽は一番手前がやや大きく、後の4つは2、3人でいっぱいの大きさ。
  
蛇口には緑青が吹いているが、お湯は浴槽の底の穴から湧き続け、縁からあふれる源泉かけ流し。
どの浴槽も温度は変わらず、加水していないそうだが見事に42,3度の適温に調整されている。

ここのお湯は古い分類でいう石膏泉だそうで、入り口の飲泉所で飲んでみると薄い塩味がする。
無色の透明なお湯にほんのわずか茶色い湯の花が混じり、匂いはほとんどしないと思ったが何度もお風呂に入っていたら浴衣から独特の香りがしてきたので体に染みついたのだろう。

壁には小さな扉が二つ並んでいて、これは蒸し風呂の入り口。
  
体を二つに折って中に入るとタイル張りの寝椅子があるのだが、張り紙にある通り、なぜか現在はこの部屋の温度が上がらないらしく、部屋の中はかび臭くて清潔感が感じられないのも残念なところ。

というわけで5つの浴槽の中から自分の縄張りを決め、半円形の窓を見上げながらぼーっと新鮮なお湯を楽しむのがこのお風呂での正しい過ごし方。本当に昭和の初めに戻ったようで、実に気持ちいい。

1回目のお風呂をゆっくり楽しんだところで、4時から館主による館内ツアーがあるというので参加してみる。
まずは本館の3階に集合。
  
ここでプロジェクターを使って古い写真など見せながら四万温泉の歴史から説明。
  
さらに1階の歴史資料室で積善館の歴史を説明。
  
この天井の太い梁は元禄時代からの物、内階段を作るためにそれを切った、なんて話が面白く、さらに四万はその昔、三国街道とは別の関東から越後に抜ける街道沿いの宿場町だったなんて話も、ここのところ司馬遼太郎の「街道を行く」にかぶれている身としては興味深い。

ここの館主は19代目だそうだが、宿のPRなど企業努力に熱心な様子。
それでもこの古い建物を維持、活用するのはさぞ大変なことだろう。

館内ツアーで体が冷えたので、2度目のお風呂は一番新しい「杜の湯」へ。
 新館へはこんなトンネルを通り、エレベーターを2回も乗り継いでいかなければならない。

 
そしてたどり着いたお風呂は広々とした現代的な浴場、露天風呂もついているのだが、源泉かけ流しの表示にもかかわらずお湯はなんだか塩素のにおいがする。「元禄の湯」と同じ源泉のはずなのに肌触りも違うのは鮮度の差だろうか。いままでお湯の鮮度なんて気にかけたことはなかったのだが、比べるとこんなに違うのかとびっくり。

お湯から上がって、18時からは大広間で夕食。
  
今回はこの宿で一番お安い湯治プランなので、テーブルの上にはお弁当箱が一つ、ご飯とみそ汁、お茶だけ暖かいものをもらってくる。
 なんだか社員食堂のようだが、こんにゃくと野菜の煮物類だけの夕食、こういう食事をしていれば温泉に行っても太らないで済むんだよな。物足りないかと思ったが意外にお腹がいっぱいになったし。

食後は自分で布団を敷いてテレビを見ながらごろごろ。
そして寝る前にもう一風呂、今度は大広間のそばにある岩風呂へ。
 
脱衣所は男女別になっているこのお風呂、中は一つになっていて、20時から23時までは女性専用、それ以外の時間は混浴となっている。
こういう岩風呂は昭和3、40年代のはやりだったのだろうか。お風呂は大きいし、お湯の鮮度も「元禄の湯」と変わらず問題ないが、混浴をしてまで入る必要はない。
やっぱりこの宿のお風呂は「元禄の湯」に限る。

ということでゆっくり休ませていただいた翌朝はまた「元禄の湯」を楽しませてもらって、また大広間で朝ごはん。
 これはちと寂しい。

が往復のバス代も含めて1泊12500円。
普段使いには悪くない。


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新宿でウイグル料理 「シルクロード・タリムウイグルレストラン」

2011-12-09 22:56:16 | 食べ歩き
旅行仲間とのちょっと早い忘年会。

ということで珍しいウイグル料理の店 「シルクロード・タリムウイグルレストラン」 へ。

場所は初台の駅から3分。甲州街道沿いに看板が見えたらそこから入った路地にある。
 
 店内は結構広く、店員はオーナー、シェフをはじめ、全員ウイグル人。ウルムチ、トルファン、カシュガル、と出身地を聞くだけで心が躍る。

ウイグルだの、ブータンだの、ネパールだのの話をしながら次々に注文。

 
トマトサラダは赤いけれど辛くはない。春雨サラダは韓国のチャプチェみたい。

そしてウイグルと言えばもちろんこれ。 
  
シシカバブとラグメン。使っているラムはオーストラリア産だそうだが、柔らかくてうま~い。
スパイスとニンニクでウイグルの香りがする。ラグメンもコシがある。

  
こちらは珍しい湯葉のサラダとえのきのサラダ。湯葉といっても豆腐の水分を抜いた豆干の細切り。面白い食感で結構好き。

 パイは2種類。
 
ゴシ・ナンはミートパイ、タリム・カワ・ナンはかぼちゃ入り。スパイスが効いていない分、羊が苦手な人には厳しいかも。

そろそろ満腹、と言いつつ、やっぱりこれは頼まなきゃ、とポロ。
 中央アジアのポロやらピラウは鍋の中が油の海だが、ここのはもちろんそんなことはなく、ちょっと甘めだがあっさり。

え、まだ頼むの、でもう一品。
 
メニューには豆麺スープとあって、その名前の通り、豆の入った汁麺。とても優しい味で、あっさり完食。

日本には現在1000人ほどウイグル人が住んでいるそうで、特に岩手の大学にたくさん留学していると聞いてちょっとびっくり。

いろんな意味で、がんばれウイグル。
おいしい一夜、ごちそうさま。


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