Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

コーカサス周遊 8 テラヴィの市場と農家ワイナリー

2015-05-29 18:24:29 | コーカサス
5月3日

今朝もテラスで民家らしい朝食。
 チーズは塩辛いけどミルクの香りが強く、ハムと自家製リンゴジャムがおいしい。

あいにくの雨の中、今日はまずテラヴィの町中にある市場へ。
 
それほど大きくないローカル・バザールだが、屋根があるので助かった。

市場で目立つのはもちろん色鮮やかな八百屋さん。
 
毎食のテーブルに登場するハーブ類が山ほど売られておいしそう。
 
小指の先ほどの玉ねぎ(?)とか、黒くて干からびたカブのような野菜とか、見たことのない物もちらほら。
 
チーズもたくさん売られているが、これはみんなしょっぱいんだろうな。

この地方らしいのはナッツやドライ・フルーツがたくさん売られているところ。
  
アゼルバイジャンにもあったフルーツ・シートはさらに薄くなって種類も豊富、ろうそくのようなものは中にナッツが入っていて、これはシリアやキプロスでもよく見た。
  
アゼルバイジャンではヘーゼルナッツが多かったが、ここいら辺はクルミの産地。日本と同じような干し柿もあるし、赤い実はイランのゼレシュクと同じものだろうか。

 
蜜蝋も売っているはちみつ屋さんにパン屋のおばちゃん。
 
鶏も豚さんも大胆なディスプレーで
 このおじちゃんの前にあるのはなんと木の魚。売り物はちゃんと後ろの冷蔵庫に入っているらしい。

生の魚は別の一角で。
 結構大きいけれど、どれも淡水魚のようだ。

と一回りしたところでちょっとお買いもの。
  クルミとはちみつとザクロを一つ。
重さも計らずに買わされたザクロだったけれど、これは甘くてものすごくおいしかった。

  
市場見学の後はテラヴィを出て、ブドウ畑の中のヴェリツィハという村へ。

中の大きな一軒の門にノダリ・ワイナリーの看板がある。
 
 
入ると小さな中庭の向こうが母屋、右手の扉がワイン・セラーの入り口で
  
ここでノダリさんの一族が300年前から変わらない方法でワインを作っていると言う。

中ではパンとグラスが用意されていて
  
ノダリさんが床の壺からワインを汲みだしてふるまってくれる。
 ごちそうになった辛口の白は5年、それよりちょっと甘口の赤は7年熟成されていたそうで、昨日の大手ワイナリーよりすっきりとおいしいと思う(飲めないけど)。

さらにこちらに並んだ大きな瓶。
 
一番右は15年物の赤ワインで、これがとろりとデザートワインのように甘い。
真ん中辺にはコニャックもあって、これもとてもおいしかった(飲めないけど)。

試飲の後は好きなワインを売ってもらう。
が、ここは量り売りなので自分でボトルを持っていかなければならない。
 空のペットボトルがもっとあれば、と嘆きつつ、全員なにがしかをお買い上げ。

 そのおかげかどうか知らないが、ノダリさんのガレージにはおベンツ様が。
村の中ではおんぼろのラーダを何台も見かけたが、ガイドさんによるとこの村はワインのおかげでみんな金持ちで、ラーダは普段の農作業用、お出かけの時はベンツやトヨタなのだそうだ。

気持ちよくほろ酔いになったところでカヘティ地方を後にした。


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コーカサス周遊 7 カヘティ観光

2015-05-28 14:21:41 | コーカサス
5月2日 続き

農家の昼食で自家製ワインをいただきご機嫌の一行、次に訪れたのもワイナリー。

 
入口は小さいが中は広いキンズマラウリ・ワイナリー。クヴァレリ地区と言うこの辺りでしか作られていないサペラヴィ種のブドウを使ったワインで有名なところだとか。

入ると早速案内係が付いて簡単なワイナリー・ツアー。
 
ジョージアは8000年の歴史を持つワイン発祥の地を自認していて、その製法はつぶしたブドウを地面に埋め込んだ大きな素焼きの壺の中で発酵させると言うもの。お昼を食べた農家のワインはこの製法で作ったもの、ここにも貯蔵所があるがこれは説明のためにあるだけで現在は使われておらず
 
敷地内には現代的な巨大タンクがたくさん並んでいる。瓶詰ももちろん機械だが、ラベル貼りを手作業でしているのには驚いた。

そそこさとツアーが終了した後はもちろん試飲販売コーナーへ。
 
愛想のないお姉さんだけれど、試飲は辛口の白を2種類、やや甘口の赤も2種類、結構気前よくついでくれる。
今回のツアー一行15名のうち、完全な下戸は自分一人、ワイン目当てでこのコースに来た人も多いので皆さん飲む、飲む。
日常飲みに良さそうなワインなのでヨーロッパの観光客はおそらくケース買いをするのだろう、手ごろなワインしか紹介しないが、何本も持って帰れない日本人にはもっと高いワインも紹介すればいいのに。
このあたり、まだ商売が下手だ。

ワイナリーを出るとすぐ隣には渋いパン屋さんがあったので勝手に見学。
  
  
細長い舟型に成型してタンドールのような釜に張り付けて焼くところがアジアっぽい。

クヴァレリの次に立ち寄ったのはグレミ教会。
  
1565年に造られた丘の上の教会は2つの青い尖塔がかっこいい。

  
中に入るとドーム天井がとても高くて、これがジョージア正教の教会建築の特徴の一つだそう。
正面にイコノスタシスがあり、堂内に椅子がないのが正教らしい。
  
状態はあまり良くないが壁面も16世紀のフレスコ画で覆われていて、キリスト教世界にやって来たなという実感がわく。

  
少し離れると華やかな門の向こうに雪山を背負った教会の全体像も見えてきれいだ。

ここから30分ほどでカヘティ地方の最大都市、人口3万人弱のテラヴィ。
今夜の宿は町の中心から坂を上がったところにあるゲストハウス。
 
表には何の表示もないが、中に入ると中庭の左手がオーナーの住まい、右手の建物の2階が宿泊棟で10部屋もある。
  部屋は簡素そのものだが各部屋にバスルームが付いているのがありがたく、夜には暖房も入れてくれた。
ここは標高が1000m近くあるので夜は寒いのだ。

そして部屋の前には広いベランダがあり、目の前に広がるのは大カフカス山脈。

あいにくの天気で山がはっきり見えないが、晴天の日にはさぞかし見事な景色だろう。

寒いと言いながらも食事はベランダのテーブルでジョージアの家庭料理。
 
焼きナスは中にクルミとニンニクのペースト入り、その向こうはトウモロコシ粉でできたパンケーキで中にチーズが入っている。トウモロコシが香ばしくておいしい。
 
野菜スープにロールキャベツ
 焼いた豚肉は昼食と一緒だがシンプルなので飽きない。
 そしてテーブルに置かれたピッチャー、お茶のように見えるが地元産の白ワイン。これがまた飲み放題で、さすがはワインの産地。ベッドまで徒歩30秒なのでみんな心置きなく飲める。

しかしこんなによく飲むツアーは初めてだ。  


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コーカサス周遊 6 ジョージア入国

2015-05-26 20:18:09 | コーカサス
5月2日

朝8時半にシェキのホテルを出発。

 シェキは小さいけれどいい町だった。

しばらく行って山の中腹に見えたのはアルバニア教会。
 
同じように見えるがここはアゼルバイジャンなので間違ってもアルニア教会ではない。

 道の両側に続くヘーゼルナッツの畑を抜け
 ザガタラと言うちょっと大きな町を通り過ぎれば国境はもうすぐ。

と言うことで11時にバラカンの国境に到着。
 
バスの外では写真を撮ってはダメと言われたがあまり神経質そうな雰囲気もなく、通関のトラックなどもほとんどいないのはここがトビリシへ続く幹線道路ではないからだろう。

 バスに乗ったまま橋を渡るが、下を流れるこの川が国境線。

 前方にジョージア側の入国事務所が見えたところでバスを降り、荷物を持って入国。すぐにまたバスに乗るのでほとんど歩くこともない。

この越境はとてもスムーズで、一つしかないトイレの順番待ちがなければ20分ほどで終了していただろう。
ただしアルメニアから逆ルートで来ると入国審査が面倒、とはすれ違ったシンガポール人の情報。

ジョージアはもちろんついこの間までのグルジアでこの呼び方にはまだなじまないが、ロシア風の「グルジア」をロシア嫌いのジョージア人はいやだそうなのでここからはジョージアで通そう。

国境で出迎えてくれた今度のガイドさんはまだ24歳の女の子だが日本語ガイド。白い肌に青い目で、濃い眉と黒い目だったアゼルバイジャンとは明らかに民族が変わったことがわかり、ここは確かにヨーロッパという感じがする。
ガイドさんによればジョージア正教はギリシャ正教やロシア正教に非常に近いので彼らとの結婚はありだが、イスラム教徒であるアゼリーとはもちろん、アルメニアも宗派が違うので通婚はないのだと言う。
この狭いエリアでソ連時代でも混血が進まなかった理由を納得。

12時過ぎに国境を出発すると
 早速現れるジョージア文字。
ジョージアの言語と文字は独特で、近隣の国のどことも似通ったところがないのだそうだ。

周りの景色は緑一色。
 
カヘティ地方というこのあたりはワインで有名な通り、車窓にはブドウ畑が続く。

やがてバスはガヴァジィという村の一軒の農家へ。
 
本日はこちらで昼食。本来は庭にテーブルを出すのだろうが、直前まで雨が降っていたので室内に用意してくださった様子。
テーブルにはトマトやキュウリ、キャベツやビーツのサラダが乗っているがこれがおいしく
 
大きなロールキャベツも減るとどんどん補充される。
ワインももちろん自家製。色の濃い白ワインは辛口、赤の方がちょっと甘いのでジョージアでは女性向きとされているとか。

そしてメインはおじいちゃんが庭で焼いていた豚の串焼き。
  
最高の焼き加減で、これはうまい!

 こちらは串焼き以外の料理を作ってくれたお嫁さんと、甘えん坊の末っ子。

こういうアレンジをしてもらえるところ、ツアーは便利だ。


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コーカサス周遊 5 シェキ

2015-05-24 16:07:15 | コーカサス
5月1日 続き

昼食後、バスでしばらく行くうちに緑が濃くなって牛や羊の姿が増え、右手には雪をかぶった山が見えてきた。
 
この大カフカス山脈の向こうはロシアだ。

やがて到着したのはシェキの町。
すぐに向かうのは世界遺産の候補にも挙がっているシェキ・ハーンの宮殿。
 
城壁の中に元々は多くの建物があったらしいが、宮殿で今も残るのは大きな木に守られた夏の離宮だけ。
 17世紀末に建てられた2階建てのかわいい宮殿だが、壁のモザイクやたくさんの窓の細工が美しく
 
  
 軒下まで華やかに装飾されている。

中に入るとそれぞれの部屋は大きくはないが、壁から天井までは一面のフレスコ画、窓はステンドグラスで飾られていて見事。
内部は撮影禁止なので写真は絵葉書から
  
 
2階の一室では目の高さに狩や戦闘の絵のパネルが部屋を一周していて、これがえぐいようなほのぼのしたようなヘタウマ絵で、見れば見るほど面白い。

この宮殿のすぐ近くには小さな博物館があるが
  
中はいかにも田舎の博物館と言った感じで
 
干からびた展示の最後には近所のおばさんたちがガラクタのような土産品を売っている。
こういう博物館、大好き。

宮殿の門から伸びる石畳の道沿いにはこの町の特徴だと言うやはり石造りの建物が並んでいて
 
映画館も渋い石造り。
 
老舗のお菓子屋さんではこの町の名物菓子シェキ・ハルヴァを売っているが、トルコのバクラヴァそっくりで甘~い。

並びにはこれまた渋いおじさんの作る帽子屋があったり
 
  
楽器屋や陶器屋があったりで、この一角はとてもいい雰囲気。

外はまだ明るいが夕食の時間と言うことで、レストランに案内されるとまたオープンエアのテーブル。
 
この季節はこれが当たり前のようだが、確かに暑くも寒くもなくてとても気持ちがいい。

 
もうおなじみになったハーブや塩辛いチーズに続いて野菜スープが出されると、あれ、味がない?
 
山盛りの塩味ピラフの上にはまるでカステラのように見えるおこげが乗っているが、一緒に出された鶏の煮込みがまた味がない。
シェキ・ハルヴァだけが激甘で、お昼がおいしかっただけにここは残念。

食後はロビーのランプが素敵なシェキ・サライ・ホテルにチェックイン。
 
ここは町の中心にあるので夜はシェキ銀座を散歩してみたが、
 治安も良さそうで何の問題もなし。

ただしアゼルバイジャンで4番目に大きい、と言っても人口6万の田舎町、スーパーの他にはほとんど店もなかった。


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「コッコロ」のチーズ祭り

2015-05-22 19:35:11 | 食べ歩き
まいどおなじみ自由ヶ丘のコッコロ、マダムがおフランスにチーズを仕入れに行ってきたと言うので「チーズ祭り フランス編」に参加させていただいた。

 
しょっぱなから登場するフランス・チーズの8種盛り。
なじみのあるもの、ないもの、どれもおいしいけれど、熟成コンテの皮の方はびっくりするほどの濃厚さ。まるで古漬けのような味わいで、同じ発酵食品であることを実感。
一番奥の Delice de Pommard は初めてお目にかかったが、砕いたマスタードの種をまぶしたクリームチーズだそう。クリームに酸味が効いて、パンなどにつけたらいくらでも食べられそう。

 サラダに添えられたシェーブルは羊が苦手な友人が卒倒しそうになったほど強烈に羊。だからおいしいのに。
 カブのソテーにカマンベールも合うんだねえ。

ここにグルジアとアルメニアから持ち帰ったチーズも飛び入り参加させていただく。
  
グルジアの紐を束ねたようなものはスモークされていて、裂きながら食べると味も食感も裂きイカにそっくり。
アルメニアの3色チーズも縦に裂けるが色による味の違いはない。
しかしこの両国のチーズはどれもとても塩辛くて、おフランスの多彩な味には残念ながら遠く及ばない。

とこれらをつまみながら、店内満席のお客さま方はワインがすすむ、すすむ。
そんななか、この日唯一の下戸である自分にはこんなものを出してくれたが
    イタリア産というこのバラデン・コーラがおいし~
食品添加物一切不使用、100%天然素材だけで造った初のコーラだそうだが、確かにそこらのC社やP社のコーラとは全然違う。
さすがコッコロ。

チーズ祭りは今度の日曜、24日にも開催されるので、ご興味ある方は上のリンクへどうぞ。


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コーカサス周遊 4 バクー~シャマフ

2015-05-20 19:39:27 | コーカサス
5月1日

 朝のバクーを出発。
 
市の中心にはクラシックなアパート、ちょっとはずれるとモダンなアパート。
 
さらに離れたところにある、まるで工場のような建物は大きなバス・ターミナル。その向こうにも家並が広がっている。

 きれいに舗装された道路を快調に飛ばすうちにまわりはしだいに乾燥した景色になって来て
 
野原には黄色い菜の花や赤いポピーがたくさん咲いている。

小一時間ほど走ったマラザと言う町でちょっと幹線道路を外れ、バスは谷へ下りて行く。
 崖にくっついて建っているのは15世紀初めの「ディリ・ババの墓」。
  
建物の中に入り、さらに高いステップを上がったホールには近所の村の子だろうか、やる気のなさそうな墓守がいて、ここに続く崖をくりぬいた部屋がディリ・ババの墓。実際はシルヴァン朝の王の墓らしいが、イスラムの聖人の墓と信じられていて、ここで願い事をするとかなうと言うことで地元では人気のスポットなのだそうだ。

ホールからはさらに上に上がる階段があるので行ってみると、墓の屋上ではなく、崖の上に出てしまった。
 周りの地形がよくわかって見晴らし最高。

さらに30分ほどでシャマフの街に到着。
ここでまず立ち寄ったのは金曜モスク。
 
ここは743年、アゼルバイジャンで最初に建てられたモスクなのだそうだが、現在の建物は2013年に改築されたばかりの物。正面の池のある庭が最初のモスクの跡だとか。
  
異教徒でも中には入れるが、この日はちょうど金曜日だったためお祈りの場所が男女で分けられていて、女性は仕切りの隙間から中を覗き見られただけ。

アゼルバイジャンは一応90%がイスラム教徒の国、バクーでも夕方にはアザーンが聞こえたが、元ソ連領の国らしく戒律はゆるゆる、どこでもアルコールがふんだんにあるし、街中でスカーフをかぶっている女性もほとんど見かけない。
今回の旅ではモスクはこの一か所しか訪れることはなかった。

シャマフではもう一か所、高台にあるイェッディ・ギュムベズへ。
 
ここは今も現役の墓地なのだが中に3基、18~19世紀のこの地の支配者の霊廟が残っていて、
  
裏に馬や銃器などの絵が彫られた墓標もおもしろいが

この高台から見下ろす景色が素晴らしい。眠るならここに、という気持ちがよくわかる。

 シャマフを出ると乾燥した景色も次第に緑が増えてきて
 
野菜や果物が採れるエリアなのだろう、道端でジャムやピクルスを売っている。
ぶら下げられた丸い円盤は果物でできた半生のシートのようなもの。添乗員が一つ買って味見をさせてくれたが、まあ想像通りの味。酸味が強いが、嫌いな味ではない。

 本日のお昼はこちらのレストラン。
 
庭に屋根だけのあずまやがいくつも並び、我々のテーブルは木陰のオープンエア。
どんなものが出てくるかと心配したが
 
鶏とお米が入ったサフラン風味のスープは今回の旅でも一番のおいしさ。
 羊のケバブもおいしくて、おみそれしました。


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「インドの仏」展と「2k540」&「Chabara」

2015-05-18 16:49:40 | 機内食・映画・美術展
まるで夏のような日差しの日曜日、すごく久しぶりに上野へ。

公園内は驚くほどの人出でおおにぎわい。
 
新潟県のイベントが行われている広場には小さな雪の山が作られていて、暑いので子供たちも大喜び。

さて、上野と言えば目指すのは国立博物館。
現在ここでは「鳥獣戯画 京都 高山寺の至宝」展が開催中とあって
 
会場である平成館には入るだけで3時間待ち、さらに一番有名なウサギやカエルが描かれた甲巻を見るためには館内でさらに2時間待ちとの表示。

日曜のお昼前でこの状態、どこかのおじさんが警備員に聞くと「平日の開館時間でももう長蛇の列ですよ」だそうで、こらえ性のない者には到底見られない。

と言うわけで自分が向かうのはこちら。

「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」展。
実はこの日が最終日、前日にネットで偶然この展覧会の存在を知り、ぎりぎりで飛び込んだ次第。

 会場である表慶館は本館に向かって左側に建つクラシックな建物。
1909年、大正天皇の成婚を祝う目的で開館したそうだが、ここに入るのは初めて。
 
吹き抜けになった中央ロビーのドーム天井が見事で、みうらじゅんによる展覧会のロゴがミスマッチ。

展示の方はタイトル通り、コルカタのインド博物館の仏像をテーマごとに展示していて、それが制作年代ごとにはなっていないので様々な様式を並べて見られるのが面白い。

現在のパキスタンやバングラデシュからの出土品も多いのはインド博物館が1814年、イギリス植民地時代に創立されたからで、
  写真はHPから
ガンダーラ仏はいつみても男前、ライティングもいいので彫りの深いお顔のベストアングルを探しながら見るのも楽しい。

 ガンダーラに比べるとインドの仏様たちはふっくら丸いが、後の時代よりも紀元1,2世紀のマトゥラーの仏様は表情もやわらかくて素敵だ。

 展示の最後にはミャンマーの部屋もあって唐突に感じるが、考えてみればミャンマーはインドの隣、イギリスにしてみれば同じ植民地だったのでコルカタに収蔵するのは不思議ではなかったわけだ。

展覧会の最終日とあってそこそこの入りの会場ながら自分のペースで見ることができ、満足してミュージアム・ショップへ。
   
ゲットしたのは経典柄の絆創膏。この経典はまさにこういう形をしているのでこのアイディアは秀逸。最近のミュージアム・グッズの中ではピカイチだ。

国立博物館を出た後は、せっかく上野方面に来たので少し前から気になっていたこちらへ。
 御徒町と秋葉原のちょうど中間にある「2k540」
JR東日本が線路の高架下に手造りショップを集めた施設で、不思議な名前は東京駅からの距離を表しているとか。
 
来てみると高架の構造はそのまま
  
アクセサリーやら靴やらバッグやら焼き物やら小さな店がたくさん並び
 
一つ一つ覗いて回ると楽しくて、ついつばの広い帽子と
 こんなステッカーを買ってしまった。

さらに秋葉原方面へ高架に沿って歩くと、
 こちらは日本中からおいしいものを集めたと言う「CHABARA」
 
有楽町の交通会館にある「むらからまちから館」と同じコンセプトだが、こちらの方がずっとゆったりとして品数も多い。
 というわけで調子に乗って買い込んだら荷物が重くなってしまった。

JRもすっかり商売上手になった。


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コーカサス周遊 3 バクー新市街

2015-05-16 16:19:38 | コーカサス
4月30日 続き

昼食の後はまたバスに乗って、バクーの郊外へ向かう。

30分ほどで到着したのはヤナル・ダグ。「燃える山」と言う意味だそうで確かに地面から火が吹き出ているが、これは自然に湧出する天然ガスが燃えているのだそう。
 
とは言え燃えているのはほんの10メートルほどで、名前負けしていること甚だしい。
「せっかくなら芋でも焼けばいいのに」と冗談を言いながら、ツアー客はみなすぐに丘の上に上がってしまう。
 丘の上は一面の菜の花。
 
遠くにバクーの市街が広がって気持ちがいい。

ヤナル・ダグの観光もそこそこにバスはすぐまたバクー市内に戻るが、おもしろいのはその道中。

 ヤナル・ダグの近くには無数の石油掘削用やぐらが並んでいる。
ノーベル賞のアルフレッド・ノーベルも兄弟とアゼルバイジャンで石油会社を設立し、ダイナマイトは掘削に使われていたとか。

市街に近づくと新しいマンションが次々に建てられている。
 
ガイドさんによればこのようなマンションは平米あたり30万円ほどらしい。

  さらに面白い形のオフィスビルの数々。
 
早朝、空港の近くで光り輝いていたのはオリンピック・スタジアム。フリルのような日よけが付いているのも別の競技場。
バクーでは今年の6月に第一回ヨーロピアン・ゲームズと言うのが開かれるため新しい競技場がたくさん作られたらしいが、アゼルバイジャンはヨーロッパにカウントされるのか?

道中でも特に目を引かれたのはヘイエル・アリエフ・センター。
 
ソウルのDDPも手掛けたザハ・ハディッドの設計で、この人のデザインは実に特徴的。
中は会議場やギャラリー、さらにヘイエル・アリエフ博物館になっているそうだ。

 市内に入って目立つガラスのピラミッドのような大屋根は地下鉄の入り口。朝にはここから大勢の人が吐き出されていて、男女ともきちんとしたスーツ姿が多いので、旅行着姿のこちらは気後れしてしまう。
地下鉄に乗る時間がなかったのがとても残念。

市内の中心に戻るとカスピ海の沿岸はきれいな公園になっていて、次にはこの中の大きなショッピング・センターへ。
  
 中には世界中でおなじみのブランドがいっぱい、大きなスーパーもあるが、その話題はまたいずれ。

ここでしばしお買い物タイムの後は、すぐ近くの桟橋からカスピ海クルーズの船に乗る。
 デッキにはあちこちからの観光客がいっぱいだが、さすがに東洋人は我々以外には見当たらない。

やがて出港すると目の前の噴水から水があがった。
 
この噴水、バクー市長がジュネーブ湖の噴水に触発されて作ったそうだが、規模はもちろんずっと小さい。このしょぼさが石油成金の現在のバクーの何かを象徴しているような気がする。

沿岸には巨大な政府庁舎や不思議な蹄鉄型のビルが見え
 
 
沖合にあるクリスタルホールというもう一つの競技場の近くまで来たら船はUターン、建築中の新しいビルを見ながら30分でクルーズは終了。特に見どころはないのでこれぐらいでちょうどいい。

7時を過ぎても空はまだまだ明るいが、夕食は旧市街に戻ってキャラバンサライへ。
 
外国人には定番の食事処らしく、中はどこかの会社のレセプション客でいっぱい。
テーブルは中庭に並べられているが、雨の少ないこの地ではあまり困ることもないのだろう。

  
ナスのサラダ類の前菜にたっぷりハーブが添えられているのがうれしく、スープには小さな小さな餃子がいっぱい。おいしいけれどこれを包むのは大変だろうなあ。
 
次に来たのはトルコのラフマジュンそっくりなもの。一つには羊のひき肉、もう一つには野菜が入っているが、これを全部食べたら次の羊と鶏のケバブが入らない。これにヨーグルトとスマックが添えられているのもトルコ風で
 デザートも甘~いバクラヴァ。

 
食事の間にはボリュームたっぷりのお姉さんのベリーダンスや地味なことこの上ない火吹きのパフォーマンスなどもあったが、2回も前に引っ張り出されてしまったのはなぜだ。

食事が終わった9時ごろになってようやく空も真っ暗になった。
そこで食後はすぐそばの乙女の塔の前まで行ってみると
 期待通り、フレームタワーの炎のイルミネーションがよく見える。
LEDによるこのイルミネーション、炎、国旗、旗を振る人の絵が動きながら次々に変わるのでその様子はこちらの動画で↓



ホテルまで歩いて戻ると黄色い街灯に照らされた旧市街は趣がある。
  
長い一日だったが、バクーは予想以上に楽しめた。


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コーカサス周遊 2 バクー旧市街

2015-05-14 18:16:52 | コーカサス
4月30日

空港からバスで市内に向かううち空が次第に明るくなった。

本日のお泊りは旧市街の城壁内にある Atropat Hotel。
 
小さくて豪華でもないけれど静かだ。

ホテルに到着したのが朝7時、すぐに部屋に入れたがこれはS社のツアー、午前中は休養なんてことはない。
「異存がなければ8時50分に集合して観光に出発します」との添乗員の声に反対の声は一つもない。

そこで英語ガイドのおじさんに先導されて、まず向かったのはホテルから徒歩5分の「乙女の塔」。
 
12世紀の見張り塔で本来は屋上に上がって旧市街を見渡せるそうなのだが、最近ここから落ちた観光客がいたので屋上は封鎖中とのこと。
すぐ隣にあるのはバクーの第一次石油ブーム(19世紀末~20世紀初め)の際の石油成金のお屋敷だそうで
 
城壁のすぐ外側にはこんな重厚な建物がいくつもある。

 乙女の塔の前からは、おお、これが見たかった、バクーのシンボル的フレームタワーが見える。
バスに乗って次に向かうのはこのタワーの真下と言うことで
 着いてみると高台にある190mのガラス張りのビルは圧巻。
3棟ある建物はホテル、オフィス、マンションになっているそうだが、不思議な形で使いにくくはないだろうか。

このビルのお向かいには殉教者の小路と呼ばれる墓地があって、1990年のソ連軍の侵攻による犠牲者、1991年~1994年のナゴルノカラバフ紛争の犠牲者が葬られている。
ここでガイドさん、「写真なんて撮ってないでまずは私の話を聞きなさい」とおっしゃるのでツアー一同、日本ではあまりなじみのないアゼルバイジャンの近現代史に神妙に耳を傾ける。おかげでこの辺りの写真を撮りそこなったが、アゼリー(アゼルバイジャン人)のロシアへの恨みの強さは良くわかった。

ガイド氏の講義を聞き終わって墓地から先へ進むと、高台の公園からはカスピ海が一望できる。

第二次石油ブームで景気のいいこの国のこと、町中に新しいビルを建設している様子もよくわかる。

フレームタワーの前にモスクが見えるのはイスラム教国らしいが、公園にいっぱい来ていた女子高校生たちはポーズを取ったり自撮りをしたりおおはしゃぎ。
 
日本人は珍しいと見えて「一緒に写真に入って」とまた大騒ぎ。
眉もまつ毛も真っ黒なアゼリーはトルコ人やイラン人よりも濃厚な顔立ちで、イラン人同様に人懐っこい。

カスピ海を眺めた後はまた旧市街へ。
  
城壁には3つの炎をかたどったバクーの紋章が見えるが、炎と言うより心臓か白菜みたい。

城壁のすぐそばにあるのは16世紀以前にこの辺りを治めていたシルヴァン朝の王宮、シルヴァン・シャー・サラユ。
 
と言っても地味な建物で内部は博物館になっているが
  
ドーム天井のきれいな模様がよく見ると映像の投影で絵柄が変わったり、見せ方はかなり工夫されている。

 ここで旧市街の全体像を把握して街歩きへ。

 
一番大きな門は13世紀のシャマフ門。

建物はどれもきれいに修復されているが、木製のベランダが突き出ている造りはオスマントルコの影響だろうか。
 
猫が覗く窓があったり、旧市街歩きは楽しいが、道が狭くて入り組んでいるので
 パトカーもこんなにかわいい。

 
朝には開いていなかったお土産屋さんも店を広げていて
 
木彫りのザクロがよくできている。

 
お昼になってコーカサス最初の食事は地下のレストランで。
 
サラダ類に塩辛いフェタのようなチーズと生のハーブ類が必ず出されるのがこちらのお約束らしく、
 
結構大きな鱒はカスピ海で獲れたものだろうか、おいしくいただいて〆は甘いサクランボのジャムとトルコ風のチャイ。
アゼルバイジャンの南でもお茶が作られているそうだが、アゼリーとトルコは兄弟のような近さで言葉もそのままでも通じるそうで、食文化もかなり近そうだ。


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コーカサス周遊 1 バクーへの長い道のり

2015-05-11 16:21:36 | コーカサス
2015年4月29日から5月8日 コーカサス3か国周遊

4月29日

久しぶりに使用するおなじみS社のツアー、早朝7時に成田集合、東京からは8名、大阪・名古屋からは7名の総勢15名、自分と友人、母子で参加のもう1組を除いては皆さん一人参加なのはいつもの通り、男性6名はツアーにしては男性比率が高い。

成田からまずはソウル仁川空港へ満席のアシアナ航空で。

 叉焼ご飯を食べながらすぐに映画を見始めるも、2時間半の飛行時間では2時間強の映画をおしまいまで見られない。
ハン・ソッキュが宮廷の衣装係の長を務める「The Royal Tailor」と言う映画、おもしろかったのにラスト推定10分を残して時間切れ。くやし~。

2時間の乗り継ぎはあっという間で、次はモスクワ行きに搭乗。
便名はSUとアエロフロートだが、ラッキーなことに大韓航空とのコードシェア便。

 飲み物にはちゃんとナッツが付くし
 
大韓航空となればもちろんビビンバを食べなければならない。今回は春らしい青菜がいっぱいのビビンバ、やっぱり最高の機内食だと思う。

こちらの機内には残念ながら先の韓国映画はなくて、しかたがないので「博士と彼女のセオリー The Theory of Everything」を選択。主演のエディ・レッドメインがスティーブン・ホーキングを演じた映画だが、徐々に体が動かなくなるところ、動けなくなってからも目で感情を表すところなど、アカデミー主演男優賞は妥当だと思わせる。イギリス人俳優は本当に芝居がうまい。

映画のストーリーはホーキング博士の最初の奥さんの自伝が元になっていて、覚悟しつつ病気の進む博士と結婚した女性の喜びと苦悩が品よく描かれる。もちろん現実はもっとドロドロしたものもあっただろうが、まだ存命中の人の映画としてはこれぐらいの描写で十分だと思う。

他に見たいものもなく、本を読んだりウトウトしたりしているうちに2回目の食事。
 牛肉と豆腐の牡蠣油炒めはいかにも機内食の味、フルーツの梨がシャリシャリとみずみずしくておいしい。
韓国では一年中梨が使われるが、保存技術がよほどいいのだろうか。

やがて見えてきたモスクワ郊外の景色。
 なにやら画一的なアパートばかりが並んであまり魅力的ではない。

9時間半のフライトで定刻通りモスクワ、シェレメチェボ空港に到着。
 
最初に到着したターミナルDは天井が低くていかにも古そうな建物。
 
そして乗り継ぎ便の出発するターミナルFまではなんと23分かかるとある。

添乗員に先導されてテクテクと歩いて行くと
 
途中のターミナルEは広々と明るいけれど
 
ターミナルFは狭い通路の両脇にびっしり店が並び、座るところもほとんどない。

さて、これから次の出発までは7時間もある。
他の国であれば入国して街歩きの一つもしたいところだが、ロシアではビザが必要なのでそれもできない。
幸いにして今回は友人と一緒なので、広い空港の端から端まで見て歩くことにする。

土産物屋でまず目立つのはロシアと言えば、のマトリューシカ。
 
 政治家物のマトリューシカもあるがこれは米露対決のチェスのセット。

免税店にはアルコール類がふんだんに並び
 これはなんと4.5ℓ入りのウィスキーの大びん。
他のブランドもこのサイズがいくつも並び、しかも他のものが異常に高いのに比べてこのサイズで1万円ほどとやけに安い。ロシア人、いったいどれだけ飲むんだか。

しかしこの空港で一番目立つのはこのお方。
  
 
国家英雄ガガーリンもかすむプーチンTシャツのオンパレード。

さらにこんなものまで発見。
  
プーチンTシャツと携帯カバーの自販機!
リビアのカダフィ・グッズもこれには負ける。

が、さすがにプーチンTシャツは着る気にならないので
 こちらにしておいた。26ドルもしたけど。

広い空港を時間をかけて一巡りした後はターミナルEのこぎれいなカフェで一休み。
 ケーキとハーブティーを頼んだらこれが思いのほかおいしかったので
 ロシアの水餃子、ペリメニも追加。
溶かしバターがたっぷりかかっていたがこれまたしっかりした味付けでおいしくて、これなら将来ロシア旅行もありかもしれない。

友人とおしゃべりしているうちに意外にも早く時間が経って、日付が変わったところでようやくモスクワを出発。
今度こそは正真正銘のアエロフロートでアゼルバイジャンのバクーへ。

アエロフロートに乗るのは実は初めてなのだが
 鮮やかなスッチーの制服、レトロな帽子がいかしている。

モニターのない座席も夜中に3時間のフライトでは気になることもなく
 
飲み物につまみはつかないし、わけわからん肉の煮込みの機内食もアメリカの航空会社並みだけれど思ったほど悪くはない。

そして朝の5時、ようやく定刻通りバクーのヘイダル・アリエフ国際空港に到着。
 
2年前にできたばかりという国際線ターミナルは大きくてピカピカ。

まだ真っ暗な外に出ると
 前方の光り輝くパビリオンは国内線ターミナルだって。

さすが石油成金の国、ここまで長い道のりだったがこの先に期待してワクワクする。


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コメント (6)
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