Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

「運慶」&「フランス人間国宝展」@東京国立博物館

2017-09-30 02:58:08 | 機内食・映画・美術展
今週始まったばかりの展覧会、まだ混まないうちに、と東京国立博物館へ。

 
お目当てはもちろん「運慶」展

平日の午後だったので入場に行列はなく、館内はさすがに人が多かったけれど、そこそこ自分のペースで見られたので一安心。
2人組おしゃべりおばさんが少なかったのもよかったが、その代わり年配の男性がかなり多かったみたい。

展示は平成館の2階すべてを使っているものの、奈良の「快慶」展に比べると仏像の数は少なかったように思う。
それと言うのも多くの仏師を抱える工房の頭であった運慶自身の作は31体しかないのだそうで、今回の出品がそのうちの22体、父親や息子、弟子たちの作品も並べられているものの、目玉作品はゆったりした配置で背中までぐるりと回ってみることができたのはとても良かった。

そして弟子たちの作と比べると運慶の作るものの力の差が歴然。
阿弥陀仏をひたすら作った快慶と比べても作品の幅が広いし、動きのある作品の造形、静かな作品の表情、どれもすごい。

 
パンフレットの表紙になっている世親菩薩と八大童子は中でもハイライトだし
 巨大な四天王像の中でも腕を高く上げた多聞天のなんとかっこいいこと。

運慶以外では父親、康慶の法相六祖、息子康弁の龍燈鬼がすばらしく、さすが血筋とはすごいものだと思う。
龍燈鬼は後ろに回って力強いお尻を見るのが特におすすめ。

これで快慶・阿修羅・運慶のスタンプラリーも無事終了。
 何かもらえるかな。


鎌倉時代の仏像を堪能したあとは、表慶館へ回って今度は現代のフランス。
 
「フランス人間国宝展」

人間国宝と言っても結構若い15人の工芸家たちの陶器やバッグ、銀器などが集められているのだが、作品のおもしろさよりもむしろ展示の仕方がとてもしゃれていて、ヨーロッパの宮殿を模したような表慶館にぴったり。


ここはあっさりと短時間で観終わってしまったので、最後は東洋館へ。
 こちらでは「マジカル・アジア」となうって収蔵品の中でも呪術関係の品々をハイライトしているのだが
 その一環としてチベット仏教関係も特集。
この博物館の収蔵品はほとんどが清代の中国で作られたもののようだが
  
 
小さくても質の良いものが揃い、熱心に見る人たちが結構いるのがうれしい。

上階でもお気に入りを発見して
  
 
年間パスポートも十二分に元を取った。

しかし去年は4100円で全国の国立博物館の特別展に6回入れたこの制度、今年は5000円に値上がりして、東京の特別展だけ、しかも4回しか入れなくなってしまった。
残念。


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スピティ再訪 6 カザ~タボ

2017-09-27 15:56:32 | チベット文化圏
7月18日

早く床に付けば早く目が覚める。

そこで朝食前にカザの町の散歩へ。

 正面の山に朝日が当たり始めるのを眺めながら涸れ川の上流に向かうと
 
岩山の麓にきらびやかなカザ・ゴンパが建っている。
ここは2009年に建てられたばかりの新しいサキャ派の僧院。
 
さらに華やかなお寺の中ではお坊さんがたった一人、太鼓を叩きながら読経をしていたが、少し離れた所にはまるで学校の様な僧坊があったので、それなりの数の僧侶がいるのではないかと思われる。

 お寺の門の向かいにはこれも真新しいチョルテンが並び
 その前の道をしばらく行くと新市街も終わってしまう。

 
新市街には文字通り新しい建物が並んでいて、役所や警察、軍関係の施設に、14年前にはなかったホテルもいくつかできている。

 とは言え見るべきものもないので涸れ川の河原を渡ると
 
昨日の夕方来た町はずれの畑に出て

花畑の向こうに旧市街

正面の山の麓にはスピティ川が流れているのが見える。

カザの町は標高3600m。
インドでも一番平均気温の低い町の一つなのだそうで、冬は当然氷点下になるが、暖房がほとんどないので厚着をしてがまんするしかない、とはこの町に住むインド人ガイドの話。
しかし一番大変なのは水の確保だそうで、「雪や氷を溶かせばいいんじゃないの」と言うと「そんな余分な燃料はない」と言われてしまった。

そろそろ朝食の時間、とホテルの厨房を覗くと
 
スタッフが生地を伸ばし、マダムが鉄板の上でそれを焼いてスピティ・パンを作っている。
イーストとベーキングパウダーを入れて一晩寝かせたというパンは焼くとぷっくりと膨れて、アラブのピタパンにそっくり。
 一緒に出されたバターがおいし~。

朝食をゆっくりとって、今朝は10時に宿を出発。
 
町を出る前に給油したガソリンスタンドには「世界最高所のスタンド」とあったが、本当だろうか。
インドと中国は「世界一」が大好きだ。

カザからスピティ川に沿って南東に向かう道沿いにはほとんど緑がなく
  
 
触れれば崩れそうな岩と、雨が降ればたちまち土砂崩れを起こしそうな崖ばかりだが、この辺りの道はかなりよくなっていて道路封鎖もなく
 やがて緑の畑が見えてきて、1時間40分でタボの町に着いてしまった。

タボでの宿はまだ出来たばかりらしいマイトレーヤ・リージェンシー。
 
フロントの壁にはダライ・ラマの肖像が掛かっているが、この町にはヘリポートもあって猊下も度々いらっしゃるらしい。
猊下は引退してこの町で隠居するという噂があるが、と山本氏があとでお寺のお坊さんに聞くと、「そりゃいらっしゃればうれしいが、こんな田舎町に隠居はなされないよ」と笑い飛ばされてしまった。
チベット僧はみんな冷静で現実的だ。

 
このホテルの部屋も明るくてとてもきれい。
 テラスから家がずいぶん増えたタボの町を眺めて、さあ、それではこの旅のハイライトの一つ、タボ・ゴンパに行こう。

 
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スピティ再訪 5 カザ到着

2017-09-25 11:49:42 | チベット文化圏
7月17日 続き

 昼食休憩後、車はまた高度を上げ、40分ほどで今回の旅の最高地点、標高4550mのクンザム・ラに到着。


チベット仏教エリアらしく無数の五色の旗タルチョや白いダルシンが翻る峠。
 
この手の届きそうな濃いブルーの空が見たくてこういう所に戻ってきてしまうのかもしれない。

この峠を下るとすぐにチェック・ポストのあるロサール村。
 
 
ここからが本格的にチベット仏教徒の住むエリアになるのだが、係官のおやじはイスラエル人の若いお姉ちゃんたちと写真を撮らせてご満悦。

 土のために真っ黒なスピティ川を渡り
 
ヤクと牛を交配させたゾの群れに遭遇したりしながら行くと
 
西日に照らされる景色はますます荒涼としてくる。

 やがて山の中腹にキ・ゴンパが見えたら今夜の宿はもうすぐ。

というわけで、18時半に無事スピティ一大きな町、カザに到着。
  
本日の宿は旧市街から橋を渡ってすぐの所にあるオールド・モンク・ホテル。
 
もらった部屋は明るくて広く、バスルームのお湯もちゃんと出る。

テラスの前は旧市街との境である石ころだらけの河原だが、14年前に比べるとこの辺りに新しいホテルがいくつも建ったようだ。

日もだいぶ傾いてきたが、暗くなる前に山本氏のガイドでカザの旧市街にお散歩。
 
マニ壁を回って少し行った所が町の中心。この辺りは以前とあまり変わっていないような。
 街角では仕事帰りのおばちゃんたちが立ち話。
そのおばちゃんたちが働いていた町はずれの畑に出てみると
 
夕焼けがきれいで、明日の天気は大丈夫そう。

  
 
懐かしいような裸電球や蛍光灯で照らされたお店を覗きながらホテルに戻る。

今夜は広々としたホテルの食堂で
 
料理自慢の宿のマダムに指揮されたスタッフの料理を食べる。

 
最初に登場したのはツァンパのスープだが、こちらではチルペと呼ぶ乾燥チーズや豆、青菜が入り、さらっとしてまるでお味噌汁のよう。こういうツァンパ・スープは初めてだがとてもおいしい。
 
山本氏が絶賛するダルやチキンカレー、炒飯なども確かにおいしくて、要するに味付けのセンスがとても良いのだな。こういう所は何を食べてもはずれない。
ご飯を食べすぎて、中国のマントウと同じティモックという蒸しパンが出るころにはもう入らなかった。

長旅で疲れたし、それではシャワーを浴びて寝ましょう、とバスルームに入ろうとすると停電になってしまった。
しかしまあ、こういう所の停電は予想済み、持参のヘッドランプを近くに置いてお湯を出していると、自家発電でLED電球が一つ付いた。

このLEDが一つでも煌々と明るくて、それはいいのだがいざ寝ようとスイッチを探すがどこにもない。
どうやら部屋の中のどのスイッチともつながっていないらしくて、明るいと寝られない自分は仕方がないのでアイマスクをして寝た。

翌朝、同行者たちに聞いてみるとどの部屋もやはり状況は同じで、男性二人は電球を外して寝たとのこと。
後で宿の主人に聞くとそれが正解だった模様。
サービス、良すぎかも。


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スピティ再訪 4 スピティ谷への道

2017-09-22 19:31:00 | チベット文化圏
7月17日

旅もここからが本番、14年ぶり2回目のスピティ谷へ向かうべく、まだ暗い5時にホテルを出発。

車はトヨタのイノーバというミニバンが2台、一台の運転手は昨日デリーから来た男がそのままだが、代えがいないというので山本氏が厳しく見張ることに。
もう一人はダラムサラの出身だと言うが、やはりこちらの方が山道の運転に慣れていてうまい。

マナリを出るとすぐにロータン・パスへの登り道になるが
 外は激しい雨で景色はほとんど見えず。
標高3978mのロータン・パスも霧の中なので停まることなく通過。

峠を越えて反対側に出ると、ようやく景色が少し見え始めた。
 

九十九折の道を下り、昨年キーロンから通ったコクサールの手前で道は分岐して、いよいよスピティ谷方面へ。
 
峠の下の斜面は大きな岩だらけ、薄い表土によく木が生えると感心する。

 
道路の下を並行して流れているのはチャンドラ川、反対側の斜面には羊がゴマ塩のようにちらばっている。

山の斜面からは下の川に向かっていくつも細い流れが落ちているが、我々の一台がその一つでスタック。
 
するとすぐに後続の車から人が降りてきて、車を押したり、タイヤの下の石を動かしたりと助けてくれる。
 何しろこの細い道、一台が動けなくなったらみんな動けないのだから。

と、ここはそれほど時間もかからず通過できたのだが、この先に最大の難所が待っていた。
 
水が滝のように落ちてきて路面に大きな石がゴロゴロしている所に、荷物を満載した大型トラックがはまってしまっている。
大勢の人が押したり引いたりいろいろしているが、トラックは微動だにせず、これは時間がかかりそう。

 ということで、ここでホテルからもらってきた朝食のお弁当を食べ
  
 
周辺に咲いている花の写真など撮って遊ぶ。

 そうしているうちにも待っている車の列はどんどん伸びる。

 やがてトラックを少し脇に寄せられたのだろうか、先頭の車がトラックの横をすり抜けることに成功。
 他の車も後に続こうとするが、これがまたスタックしてしまって大変。

どのドライバーも苦労する中、一人のドライバーが実に運転がうまくて、彼がこの難所を我々のも含めて他の車もうまく通してくれた。
周りで見守っていた乗客たちからは拍手喝采。
それにしてもいつもは身勝手としか思えない運転をするインド人、こういう時の協力の仕方には心底感心する。

結局この難所を通過するのに2時間掛かったが、これぐらいのタイムロスですめば御の字。

 
この先は谷もますます深くなって緑は減って行くが、天気が良くなってきているのがうれしい。

 
チョッタダーラで標高3700m、この辺りは河原に大きな岩がゴロゴロしていて道もガタガタ。
道路状況は14年前とさほど変わらないようだ。

 尖った山の斜面の氷河など見るうち、チャンドラタールとの分岐点に到着。
 
標高4000m弱のこの場所に食堂テントがいくつかあるので、14時近く、ここでお昼。
  
 
こういう所で食べるマギーはおいしいのだ。

 ここから本日の宿泊地まではあと100キロほど。

昼食後にヒッチハイクをしていたイスラエル人のおねえちゃんを2人乗せてあげたが、1年半の兵役(男子は3年)を終えて世界中を気の向くままに旅行しているとのこと。
動くのが好きらしくて「日本でもトレッキングできる?」なんて聞いていたが、行き先の文化にはほとんど興味がなさそうだった。


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スピティ再訪 3 マナリ到着

2017-09-21 23:33:43 | インド
7月16日

デリーの空港で合流したのはGNH主催の「スピティ谷の旅」ツアー。
一昨年ラダックでお世話になった山本高樹氏がまたガイドを務めてくださる。

しかしこのツアーの出発はマナリから。
そのため本日インドに到着した他の3名とともに徹夜のドライブでマナリに行くべく車の手配がされている。

国際線の到着ゲート前に行ってみるとラダックでもご一緒した方が2名、初めてお会いする方が1名。
無事に合流して迎えを待つが、約束の時間になってもそれらしき者は現れず、渋滞のためとかで30分ほど遅れてやって来たのはいつものインドらしいこと。

そんなわけで空港を出発したのは22時15分。
狭い車内だけれどマナリまで寝て行こうか、と考えていると、どうも運転手の様子がおかしい。
やたらとあくびをして見るからに眠そうで、始めは話しかけていたりしたガイドの女の子も途中から寝てしまって、そうなると居眠り運転が心配でこちらは寝るどころではない。

道端に車を停めて噛みタバコを買ったり路上トイレを繰り返し、その後はこちらのトイレ休憩も兼ねてドライブインでチャイ休憩。
 
チャイはしゃれたレストランよりもこういう所の方がおいしいのでそれはいいのだが、
 その後もチャイ休憩を繰り返して、明るくなってからはとうとう30分の睡眠時間を与えたのだが、それでも運転手はしゃきっとしない。

朝9時になって、どこの町だったか、こぎれいなレストランで朝ご飯。
 
店内にはここを訪れた映画スターや有名人の写真などもあって
 ラチャ・パラタ&ジンジャーティー、60ルピーもおいしい。

車はすでにチャンディガールを過ぎて山道に入っていて、このあたり(がどこかはっきりしないが)はマンゴーの産地らしく、道端にマンゴー屋台が出ている。
 
カザに住んでいるガイドがスピティでは買えないから、と車を停めるので、我々もマンゴーをお買い上げ。この3つで30ルピー、小さいのが特に甘くておいしかった。
ちなみに屋台の横に立っている青いシャツの男が居眠り運転手、こんな時にはしっかり起きている。

道はさらにくねくねと険しくなって、結局一睡もしないままマナリに到着したのは14時10分。
600キロの道程で16時間もかかったが、運転手のためにたびたび休憩しなければ2時間は早く到着したはず。
インドでもプロの運転手なら夜中の運転とわかっている時はそれなりの準備をしているはず、とブリブリ怒りながら今夜の宿へ。

ツアー・リーダーの山本氏が待っていてくれたのはSnow Peak Retreat
 
スイスあたりにでもありそうなしゃれた外観のホテルだが、我々一行5名に割り当てられたのは背後の別館で、なんとこの1棟が貸し切り。
 建物の真ん中にはこんな共用スペースがあり
 
広い部屋にはテラスも付いて、ここでお茶をいただき、山本氏に運転手の不満をぶちまけたらすっかりご機嫌も直ってしまった。単純。

さて一休みしたら時刻はすでに16時過ぎ、このホテルは町の中心からはかなり離れた山の上にあるので町に出ることはやめ、すぐ近くにあるハディンバ・デヴィ寺院にお参りに。

入口の前には毛糸の編み物などの土産物屋台がたくさん並び
 
 簡単な食堂の並ぶ向こうには遊園地まである。

 
寺院の門を入るとヤクや、中型犬ほどの大きさがあるアンゴラウサギを抱えたおばさんがいて、これらは観光客との写真用。

このお寺に来たのは14年ぶりだが、昔はこんなのはなかった、と思いながらこれも見違えるほど立派になった参道を行くと
 
小さな寺院の周りに中で参拝しようと言う人たちがぐるりと列を作っていてびっくり。
以前は杉林の中の静かな寺院で、インド人の姿など見かけなかったのだが。

この寺の中にはご神体である大きな岩があるのだそうで、大きな木製の屋根と白い土壁が日本的にさえ見えるこの建物は1553年創建。
  
 
柱や屋根の下にもたくさんの彫刻がある。
ハディンバとはマハーバーラタに登場する女神さまだそうだ。

寺の門を出て、土産物屋台の並ぶ向かい側にはハディンバの息子、ガトートカチャを祀る祠もある。
 
と言っても大きな木の根元にいろいろな捧げものが置かれているだけなのだが
 なぜか女の子たちに人気のようで、次々にお参りに来ていた。

ここからホテルの方に戻り、さらにその先まで小路をたどってみると
 
また小さな祠のある、なかなかいい雰囲気の村。

標高2000mのここにはリンゴの木がいっぱいで、さすがに汗だくだったデリーとは気温がまったく違ってさわやか。

徹夜の長旅で疲れているのでこの夜はおとなしくホテルで夕食になったが
 インド人向けのビュッフェは辛いばかりで、残念ながらあまりおいしくなかった。


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スピティ再訪 2 クラフト・ミュージアムと階段井戸

2017-09-19 23:58:08 | インド
7月15日

Hotel Palace Heights は朝食付きなので、7時過ぎにレストランへ。

フロントに続くレストランの窓外には緑が見えて、コンノートプレイスのどまんなかとは思えないさわやかな景色。
 
予想通り、まだ誰もいないレストランにビュッフェの用意はできていて、しかしいささか寂しい品ぞろえだなと思っていたらメニューを渡された。
 
そこでフルーツに加えてプレーン・パラタを注文。ヨーグルトも付いてきて、これがおいしいんだな。
このホテルのレストラン、「Zaffran」はおいしいと評判がいいらしい。

食後はチェックアウトして荷物を預け、ホテルの前にたくさんいるオートリキシャの一台を拾ってクラフト・ミュージアムへ。
 ここはたぶん3回目だけれど、何年振りだろうか。
最近まで無料だったそうだが、現在外国人の入場料は200ルピー、インド人なら20ルピー。

 
中庭にはグジャラートで見た素焼きの馬や面白い門扉、その他にも大きなブロンズ像などが並び
  
建物の壁にはインド各地の様々なスタイルの壁画が描かれていてこれがプリミティブな壁画好きにはたまらないのだが、その前にあちこちワンコが寝ていて、このゆる~い雰囲気もたまらない。

 素焼きの馬たちの間を通って博物館に入場するが、ここから先は残念ながら写真撮影禁止。

入ってすぐの展示室は最近改装されたらしくて、エアコンも入り快適。
様々な少数民族の工芸品が見やすく展示されていて、さすがにクラフト・ミュージアムも変わった、と思った。

ところが改装が済んでいるのはこの最初の一室だけ、後はまだ作業中のようで、奥の方の一角などは工事中。
この博物館の目玉とも言える布地類の展示室など20年前にはじめて来た時のままで古色蒼然、照明は暗いし、エアコンがないので見学しているうちに汗だくになる。
しかしここに収められているのはまさにミュージアム・ピースの織りや染め、超絶技巧の刺繍の数々で、朝一で入ったので誰もいない中、ため息をつきながら堪能させてもらった。

見学を終えたらこの敷地内に4年前にできたCafe Lotaへ。
 
ここと、この隣のギフトショップは改装されてとてもおしゃれ。
ここで2年前にもお会いしたデリー在住の青蓮さんサントーシーさんにまたお付き合いいただいたのだ。

朝8時から営業のこちらのカフェ、11時ではまだ朝食メニューしかオーダーできなかったのだが
 
普通は左のお好み焼きの様な姿のウッタパムが、ここではラギという穀物入りのひどく健康そうな色合いで香ばしい。

 豆粉の皮でチーズを巻いたチッラという一皿も美しく、しかし一番驚いたのは
 このバナナパンケーキ。
バナナが極薄にスライスされて、まるでケーキのよう。
美術館でこのようなものが食べられるとは、インドも確実に進化している。

食事とおしゃべりを楽しんで、青蓮さんとはここでお別れしたが、サントーシーさんには午後もお付き合いいただいた。

コンノートプレイスの近くで買い物に付き合ってもらい、さらにこの近くで以前一度入れなかったことのある階段井戸へ。

アグラセン・キ・バオリはコンノートから歩いてでも来れる位置にあるが、だれがいつ作ったかなど、詳しいことはわからないらしい。
 
入口を入った右手には崩れかけたモスクがあり、左手を見ると
 
おお、立派な階段井戸だ。思っていたよりずっと大きく、保存状態も良好。

階段の一番下まで降りてさらに奥を覗き込むと

水槽の下にわずかに汚い水が溜まっている。

グジャラートで見て以来、大好きな階段井戸だが、このアグラセン・キ・バオリも期待以上。
それにしてもここは入場無料のせいか、ジモティーらしき若い子たちに大人気で、こんなに人が来ているとは思ってもいなかった。
日本ならば立ち入り禁止になりそうな囲いもない高い所にも平気で上って盛んに写真を撮っているが、聞くところによれば危ない所でのセルフィーに夢中になって死んでしまう「セルフィー自殺」はインド人が一番多いのだとか。さもありなん。

サントーシーさんには早い夕食まで付き合っていただいて、ホテルのすぐ隣にあるThe Embassyへ。
 ここは1948年創業の老舗だそうで、内部は落ち着いたインテリアに客層の年齢もかなり高い。
銀座の煉瓦亭とか資生堂パーラーのような感じだろうか。

まだディナーにはかなり早い時間だったのでタンドーリ料理はできないとのことで
 
季節の野菜(カリフラワー)のカレーと、チキンティカとグリーン・ピースのカレーを注文。
野菜カレーはスパイスが香りながらさっぱり、チキンカレーの方はクリームシチューのように濃厚で、どちらも素材の味がよく出たおいしさ。インドでもお上品な所は辛くしないものなのか、全体にとてもマイルド。
 
ハンカチのように薄いルマリ・ロティやピクルスも美しくて、大ベテランぞろいのウェイターもいかにも老舗らしい。

これで1500ルピー(約2500円)。こういう所があるのもインド。

この後はホテルに預けた荷物をピックアップして、またオートリキシャを拾ってメトロのシバジ・スタジアム駅まで、10分、50ルピー。

ここから初めてエアポート・エクスプレス線を使って空港に行こうと言うわけだが
 
荷物のX線検査もある地下鉄駅はピカピカながらだだっぴろくてガラガラ。
 窓口で切符を買うとこんなかわいいトークンが来て、空港までこちらも50ルピー。
 ホームにはガラス扉がついていて安全。
 
やって来た車両は香港のエアポート・エクスプレスにそっくりで、空港までは3駅、20分で到着。

このメトロは早いし安いしきれいだし、言うことなし。
シバジ・スタジアム駅で簡単にオートリキシャやタクシーをつかまえられることもわかったし、これから空港からの移動はメトロに決定。

 よく見ると天使か悪魔のような翼の付いた銀色の旅人達に迎えられて、空港では今日の飛行機で到着した3名と合流し、ここからは心配不要のツアーの一員となった。


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スピティ再訪 1 デリー到着

2017-09-17 16:14:41 | インド
もう夏も終わる所で、今年の夏休みの記録、第一弾。

2017年7月14日から26日まで 北インド、スピティの旅

7月14日

定時12時30分発のJLでニューデリーへ。

20分ほど早く到着し、イミグレや荷物の受け取りも順調に進んで18時前には空港を出発。
デリー中心部へはどうやって行こうかといろいろ検討したあげく、プリペイドより信用できるらしいとメータータクシーを選択。

しかし乗り込んだタクシーはおんぼろで、メーターも壊れている。
それを指摘すると「走行距離でちゃんと計算するから」と必死なので、空港内に書いてあった1キロ当たりの料金を覚えておいてよかった、とそのまま乗車(いくらだったか、もう忘れてしまったが)。

ちょうど帰宅のラッシュアワーなので、空港からコンノートプレイスまで1時間もかかった。
ホテルの住所を教えても予想通り運転手はうろうろ、一方通行も多いので近くで降りると、距離はちゃんと出たもののタックスがかかるだのなんだの言って、さらにおつりもないもので1000ルピー払う羽目に。
これは細かい札を用意しておかなかったこちらのミスでもあるが、しょっぱなからこういうことがあるから個人でのデリー到着は気が重いのだ。

デリーでの宿は最近すっかりヘビーユーザー化しているBooking.comで予約したHotel Palace Heights
 名前は立派だが、ホテルは写真の建物の最上階1フロアだけ。
入口も小さいので見つけづらいが、エレベーター前にいるドアマンは親切だ。

チェックインして通された部屋はそこそこ広くて清潔。ウェルカム・ドリンクは部屋まで持って来てくれる。
  
 窓の外には夕暮れのコンノートプレイスも見えていいのだが、この部屋には一つ問題がある。
それはこの部屋の真下の路上に公衆トイレがあること。そのため室内、特に窓に近寄ると消毒薬と小便の匂いがするのだ。
これさえなければ何かと便利なこのホテル、一泊9000円ほどで文句はないのだが。

お茶を飲んで一息入れたところで、夕食を探しに外へ。
宿はコンノートプレイスの中心からすぐなので
 
列柱の間をそぞろ歩く人たちがいっぱい、サークルの真ん中には大きなインド国旗も翻る。
 ブランドショップも並ぶこの銀座のどまんなかのような所で、服やら何やら露天商が店開きし、そこに人が群がっているのもインドっぽい。

さて、お腹もさほど減っていないし、軽くスナックでも、とホテルの並びにあったインドの有名スナックブランド、ハルディラムのレストランも覗いてみたが、レジのあまりのカオスぶりにあえなく撃沈。
とても人気があるようで、ケースの中の物もおいしそうだったのだが。

うろつくうちにBurger Singhなる気になる看板を発見。シーク・ファンとしては試してみなければ、と入ってみると
 
殺風景な店内に、お客はそこそこ入っている。
 シークの経営するお店なら当然マトン・バーガーでしょう、と一番スタンダードそうなAchari Mutton Burgerなるものを注文。それにアイスティーを付けたら331ルピー(約560円)になってしまって、これなら日本でバーガーを食べた方が安い、とデリーの物価高に改めて驚く。

10分ほども待って、出来上がったバーガーはテイクアウト。部屋に戻って食べてみると
 
マトンのパティは大きいが、何の肉でできているのかも怪しい人造肉みたい。しかも不必要に辛くて、トッピングのオニオンはお粗末、入っているはずのチーズは影も形もない。
あまりのまずさに2口ほどでギブアップ。高かったし、ブランド・ロゴはいいんだけどね。

ちなみにお支払いに使ったインドの新しいお札はこちら。
 
高額紙幣がなんだか安っぽくなってしまったが、裏面のガンジー・メガネがかわいい。


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アンダルシアの戦利品

2017-09-14 18:31:53 | ヨーロッパ
恒例、戦利品シリーズ、今回のスペイン旅行で買いこんできたもの。

まずはマドリッドのプラド美術館にて。
 大好きなボッシュの「七つの大罪」マウスパッド。
去年、オランダのボッシュ展にはなぜかこういう物がなかったのでとてもうれしい。

コルドバではたくさんある銀細工の工房の一つで、ペンダントトップ。
 このモチーフはコルドバ郊外にあるイスラム時代の遺跡、メディナ・アサアラから取ったとのこと。

グラナダのアルハンブラでクリアフォルダーとTシャツ、土産物屋でコースター。
 
透かし模様のコースターはどう使おうか、思案中。

フリヒリアナの地味な手作りチョコレート屋さんではマーブル・チョコ。
 
と言っても砂糖掛けしてあるわけではなく、それぞれフルーツの味がしてとてもおいしい。
 町の黒糖工場のシロップは一番小さい瓶がたったの1.5ユーロ。軽くていい、とこのサイズにしたが、おいしいのでもっと大きいのを買えばよかった。

 セテニルで買った大きなパンはこの町の名物らしいのだが、ふわふわの生地にほんのすこし甘い餡が入っていて、餡はアルメニアのガタをちょっと思い出す。アラブつながりだろうか。
瓶詰は初めて見たオリーブオイルのジャム。勝手にオリーブの実のジャムを想像したが、食べてみると本当にオイルがほのかに甘い。ちょっと油臭いので、普通にパンに付けるより何か別の利用法が良さそう。

 ロンダでは地元産のチーズを買ったが、山羊乳を使っているようで匂いが強烈。塩気の強い味は悪くないが、さすがにいささか食べにくい。スーパーで買った物も山羊か羊が入っているようだったが、こちらはそれほど癖が強くない。

セビリアの大聖堂前ではちょうど工芸フェアのようなものを開催中。
 
陶器や革製品、様々なアクセサリーなどを売るブースが並ぶ中、日本人女性のブースを発見。
 Taller Kuu というこちらの陶器は使い捨て容器を型取りし、そこに動物をあしらったユニークなもの。実はこの同じ陶器はマドリッドのティッセン・ボルネミッサのミュージアム・ショップで見てほしいと思ったが、旅の初めなのであきらめたもの。ここで、しかも制作者にお会いするとは何たるご縁!
 ということで白熊のついたお皿を一つゲット。他のブースではタイルの時計も。

しばらく作者の北原さんとお話しさせていただいたが、最近はセビリアに来る日本人旅行者がめっきり減ってしまったとのこと。そう言えば行く先々で見かける東洋系は韓国や中国の人たちばかりだった。

最後はいつもの通り、スーパーで買いこんだもの。
 
チョコレートの半分はスペイン製じゃないけど、おいしそうなものでつい。右の小さい箱の中身はパテの缶詰だが、さすがのイベリコ豚も安い缶詰ではいまいち。

そして今回の旅で一番気に入った食べ物は、グラナダのパラドールの朝食で見つけたこれ。
 Tortas de Aceite とは「油パイ」の意味で、オリーブオイルがなんと24%も使われているお菓子。だから持つと指がべとべとになるのだが、食べるとサクサクとしてしつこくなく、実においしい。
ブランドはいくつもあるらしいが、セビリアのこの Ines Rosales が最初に作ったとのことで味も一番とのこと。セビリア空港でもたくさん売られていたが、スーパーで買えば6枚入りのパックが確か2ユーロちょっと。
おすすめ。   


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アンダルシアの旅 21 カルモナから帰国

2017-09-13 17:13:19 | ヨーロッパ
5月13日

夜中にドン・ペドロやマルティン・ロペスが登場することもなく、朝早くに目を覚ますと町が朝日に赤く染まっている。
 

太陽が顔を覗かせているが、雲は低く、平原はもやっている。

そんな景色を眺めていると、眼下の庭園には勤勉な我が同胞の姿が。
そうだ、朝日に照らされるこのパラドールを外から見なければ、と我々もあわてて階下へ。

 
パラドールのプールサイドからなんとか日の当たる姿に間に合った。こちらは食堂やラウンジの並ぶ側。
 我々の部屋はテラスの張り出したこちら側。
こうして外から見ると、古い城は下の方だけであることが良くわかる。 

 
朝食の用意ができたところで食堂へ。

 
こちらのパラドールではチーズが充実、甘いものが多いのはスペインの特徴だろうか。
 ちなみに奥のバラの花のような形のパンはパサパサと硬くておいしくなかった。
イタリアもそうだったが、南欧のパンは塩気がなくて、大体あまりおいしくない。

 部屋に戻って、出発まではテラスでもやの晴れてきた大平原を堪能する。
 
眼下の農家の庭先にはヤギや鶏、
 
出勤準備中の羊たちや馬も見えて実にのどか。ここにもう一泊して、周りを散歩してみたかった。

チェックアウト後は呼んでもらったタクシーでセビリア空港まで25分、42ユーロ。
 
かわいらしい空港だけれど、一応アンダルシア土産の店や免税店もある。

 フランクフルト行きのルフトハンザは到着が遅れて、出発も35分遅れ。
 
上空からセビリアの橋や唯一の高層ビルを確認して、アンダルシアの平原にさようなら。

 
2時間50分のフライトでフランクフルトに近づくとまた黄色いパッチワークが見えてきたが、これは菜の花畑だろう。

到着も40分遅れて、アメリカへの乗り継ぎ客は時間がなくなって大慌て。
我々は2時間半の乗り継ぎを取っていたので問題なかったが
 広い空港を移動すると遊んでいる時間はなかった。

5月14日

満席のB747で無事帰国。
 

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アンダルシアの旅 20 カルモナ

2017-09-11 21:28:46 | ヨーロッパ
5月12日 続き

アパートに戻って大きな荷物を引き取り、近くの広場からタクシーを拾う。
セビリアのアパートのフロント前には荷物預け用のロッカーが並んでいて、この宿は本当によく出来ていると感心した。

セビリアから最後の宿泊地、カルモナまでは車で40分ほど。
ただし拾った車のおっちゃんは普段市内からはあまり出ないらしくてカルモナの近くでちょっと迷い、旧市街では狭い石畳の急坂に苦労してやっと宿に到着。
 この狭い門もなんとか通ってくれたのでチップをはずむと、当然と言う顔をして帰って行った。

門を入った所にあるのはカルモナのパラドール。
 
ここは元々アラブの要塞だった所をドン・ペドロが城に作り変えたということで、Alcazar del Rey Don Pedroと呼ばれている。

と言っても内部はもちろんホテルのために改装されているので14世紀の面影はないが
 タイルの美しいフロントに
 
ムデハル様式の中庭。
 
ラウンジなどもグラナダのパラドールよりも雰囲気がある。

一番上の階の部屋をもらえたのでエレベーターで向かうと
 
部屋の広さや造りなどは普通でどうということもないが
 テラスがあるので出てみると

この素晴らしい眺め。
 パッチワークの中にはヒマワリの黄色も見えて、ドン・ペドロもこの景色を眺めたのかと思うと感慨無量。
天正遣欧使節や支倉常長もこの城を訪れたのだそうだ。

せっかくなので町も見てみようと、雨が降ったり晴れたりの外へ。

 
パラドールのすぐ隣にはドン・ペドロ時代の防塁が廃墟になっていて、ここは現在修復中の様子。

お城があるのは町のはずれの一番高い所なのでここから旧市街へは下って行くことになるが
  
アラブ時代に作られた道は狭くて見通しが効かなくて、ここを車で通るのは大変。

適当に歩いていると十字架のモニュメントがあって、なにやらカラトラバ騎士団の名前がある。
ここはカラトラバ騎士団長だったマルティン・ロペスの最後の地だからそれに関係があるかも、と興奮。
 
その隣の真っ白い建物はサンティアゴ教会なので入ってみると
 
あっさりとした中に美しいタイルがあって清々しい。

この町はいたる所教会だらけなのだが、ここは塔に登れるらしいということで次はサンタクララ修道院に入ってみる。
  
入口のアフリカ系のシスターに2ユーロの入場料を払って中に入ると、内部には特に見るべきものもないが
 
ここにもまた修道女たちのための格子窓があって、その向こうの礼拝堂は驚くほど豪華だ。

さらに窓から外を眺めると白壁の家々とその向こうの平原が見え
 
 
さっき入ったサンティアゴ教会を始め、ムデハル様式の塔がたくさん建っているのがよくわかる。

塔を降りて門を出ようとすると、受付のシスターがここでも「礼拝堂を見て行って」と重い扉を開けてくれた。
 この教会は15世紀の終わりに建てられたそうだが、主祭壇や壁の絵は17世紀の物。
 
壁を飾るのは聖人や天使の絵だそうだが、豪華な雰囲気なので王侯貴族の肖像画のように見える。

礼拝堂の奥を覗いてみるとここにもムデハル様式の見えるきれいな中庭。
 
今も現役の修道院、ここでもお菓子が買えたのに買わなかったことを今さら後悔。

古い家々やたくさんの教会を見ながら坂を下って行くうちに旧市街の入り口であるセビリア門に着いた。
 

このすぐ外、向かい側に建つのはサンペドロ教会。
 15世紀に建てられたこの教会の塔はセビリアのヒラルダをコピーしているとか。

城壁内に戻って立ち寄ったのは市場。
 アーケードの中には土産物屋やバルが何軒かあるが、夕方のせいか人影もなく寂しい。
ここに毎日市が立つのだと思っていたのだが、あとでパラドールの愛想のないフロントで聞くと、市が立つのは週に一日だけとのことで、結局見られず残念。

パラドールに戻ってラウンジでお茶を飲んでいると
 
テラスの向こうに虹が立った。

スペインもとうとう最後の夜なので、ディナーもこのパラドールのレストランで。
 元々城の食堂だったという天井が高くて広いダイニングルーム、大きなテーブルを占めるのは久しぶりに会った日本人ツアー客だ。
 
突き出しの野菜マリネはグラナダに比べるとかなり残念な感じ。オレンジのサラダも
 
カルモナ名物というほうれん草と豆の煮こみも正直あまり感心しなかったが
 イベリコ豚はさすがにおいしくて
 最後だから、と頼んだイチジクのアイスクリームもおいしかったのでよしとしよう。 
  

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