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Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

バングラデシュの旅 11 犠牲祭

2009-12-30 00:27:30 | 南アジア
注: この時期になんですが、本日スプラッター画像満載です。お嫌いな方はパスしてください。

11月28日 続き

前にも書いたとおり、この日はバングラデシュではコロバニイードと呼ばれるイスラム教の大切なお祭り。他の国ではイード・アル・アドハーとかクルバン・バイラムとか呼ばれる犠牲祭で、牛や山羊を屠って親類、貧者と分かち合う日だという。

このお祭りのために前日の大渋滞の中にも牛を満載したトラックをたくさん見た。
 あきらめ顔の牛さんたちがフロントガラスからこちらを覗き込む。

町や村の近くでは臨時の牛市が立ち、
 ダッカ市内の道路わきにさえ市が立つ。
 カウラン・バザールにいたこの山羊たちも犠牲祭のための商品。
 
買われた牛や山羊はドナ、ドナと引いていかれ、家や店の前でメーメーと運命の時を待つ。

宗教的なお祭りなので朝はまずモスクでお祈りを捧げるのだそう。朝、モスクから大勢の人が出てきたのもそんな理由。

そして汚れてもいい服に着替えたら
 
家畜の首を大刀でバッサリ。こんなスプラッターな光景が一国の首都の大通りで次々に展開するのだから初めて見るこちらはびっくり。
 町から郊外に出ると、こちらは川や池など、水辺の広いところで、まるでピクニックのように大勢の人が家畜を屠っている。

さて、ここまではショナルガオンへの行きの光景。
2時間ほどの観光の帰りに同じところを通ると
  
牛は見事に皮一枚を残し、後は大量のお肉に変わっている。
内臓ももちろんきれいに分けられ、あますところなく処理されている。

市内に戻ると道端には残った皮がペロンと広げられているが、
 
見ているとこれを回収してまわる人たちがいる。皮の加工業者だ。

ガイドの説明によると、肉の3分の1は家族で食べ、3分の1は親戚へ、そして残りの3分の1は貧しい人に分け与えるのが決まりだと言う。そして回収された皮の代金は施設などに寄付するものだとか。
バスから覗いていても、貧しい身なりの女性たちが袋に入れられた肉をもらっている姿を見かけた。お祭りの精神は見事に実践されていると感心する。

ただ残念だったのはツアーに同行した日本人のおじ様方の反応。町中が場と化した光景にショックを受け、それだけで「だからイスラムは理解できない」と拒絶反応を起こしてしまった人が多かった。ガイドや添乗員が一生懸命、喜捨の考えを説明してもそこはスルー。好き好んで旅行する人たちでさえこうなのだから、異文化理解は難しいということだろうか。

それにしても国を挙げてのこのお祭り、牛1頭は3万円ぐらいするらしい。全人口1億4千万人のうち、1000人に一人が買ったとしても14万頭、金額にしたら42億円が一日に動く、と添乗員と思わず計算。お祭りのパワーってやっぱりすごい。

スプラッターとはいえ、珍しい光景が見られてとてもラッキーだった。


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バングラデシュの旅 10 朝の市場とショナルガオン

2009-12-28 20:32:25 | 南アジア
11月28日

毎朝8時には出発していた今回の旅、今日だけはゆっくりした日程なので朝食の後、ホテルの周りを散歩してみた。

 
豪華5つ星ホテル、パンパシフィックの前は新市街の大通りで、バングラデシュ到着一日目には車が動かなかったところ。それが今朝は閑散と、人も車もほとんど通らない。正月元旦の東京の真ん中と同じだ。

道を渡って北側に行くと、そこにはカウラン・バザールという大きな市場が広がっている。
 前の晩にバスで通り過ぎた時は人でごった返していたここも、ゴミが散乱して閑散。しかし誰もいないわけではなく、ぽつぽつと仕事をしている人がいる。
 
たまねぎの皮むきはなぜか赤い電灯の下で黙々と。つやつやと緑色の野菜はなんだろう。
  
豆も香菜も地面にてんこ盛り。
  
キュウリ屋の男の子はなぜか写真を嫌がって大暴れ。

市場の中の細い路地をふらふらしていたら食堂の並ぶ一角があった。
 
店先ではチャパティが焼かれ、奥にはいくつもの惣菜の鍋が並ぶ。
食べて行きなよ、と声をかけられたが、朝食を食べたばかりだし、なによりもう使わないだろうと現地通貨を使い切ってしまっていた。ここの朝ごはん、食べたかったな。

市場の脇にはモスクがあり、門の前には貧しそうな女性たちが座り込んでいる。
  
 やがてお祈りの時間が終わって、モスクからは白い帽子をかぶったムスリムの男性たちが大勢湧いて出てきた。犠牲祭のこの日、女性たちは喜捨を期待して待っていたのだ。

散歩の後はバスに乗ってダッカの郊外、ショナルガオンへ。道がすいているので本日はすいすい。

はじめに立ち寄ったのは1519年築というゴアルディ・モスク。
 
  
細部にきれいな装飾の残る小さいながらも魅力的な建物だが、近くに新しいモスクが建てられて現役は引退した模様。

次に向かったのはパナム・ナガール。
20世紀のはじめ、裕福なヒンディーの商人たちが作った町が東パキスタン独立後、打ち捨てられてしまったという。
  
狭い道の両側にしゃれた窓やバルコニーのある家が300メートルほど続く。

  
 
きれいに修復すればしゃれたレストランやホテルになりそうな建物だが、中国の「土産物屋街」のようになるよりはましかもしれない。

ぽつぽつと人が住み、リキシャだけがやたらに元気よく走り抜けていく道を歩いてからダッカに戻った。


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バングラデシュの旅 9 ボグラ~ダッカ

2009-12-27 00:20:06 | 南アジア
11月27日

北のボグラからダッカまで、230キロを戻るだけの一日。

途中、あまりにも何もないためだろう、織物で有名だと言うタンガイルで織物工場の見学。
工場と言っても町中のトタン張りの小屋。
 中にはほとんど隙間なく20ほども織機が並び、壁際には板敷きのベッドが並んでいる。労働条件の過酷さがしのばれる環境。

ただしこの日はコロバニイード(犠牲祭)の前日の金曜日、全国一斉1週間のお休みの初日と言うことで職人さんたちはみんな里帰りしている。
  
唯一の職人さんが織りかたのデモ。手織りとはいえ、模様の入れ方などはパンチカードのようなもので制御されたすすんだ織機だ。

この後は当然、ここで作られたサリーの即売会かと思ったら、別の薄暗い部屋に品物がいくつか置いてあるだけで布を広げるのも嫌がる。この商売っ気のなさがいかにも観光客慣れしていなくて新鮮。あと何年かしたらショールームでもできていたりするのだろうか。

タンガイルからはひたすらダッカまでの道を走る。
ジョムナー川を渡る大橋につながるこの道は北へ向かう大幹線というわけで、日本で言えば大晦日にあたるこの日は下り車線が大変なことになっている。
 
道にはぎっしり乗用車、バス、トラックが並び、バスは中はもちろん、屋根の上までお客さんでいっぱい。
  
すれちがうバスのほとんどがこの調子で、一度停まっているバスの上の乗客を数えたら50人ほどもいてびっくり。

 
バスより安いと思われるトラックの荷台もこの通り。

さらにダッカの町を出る列車も。
 

車はほとんど動かないし、最悪の移動手段だと我々は思ってしまうのだが、屋根の上の乗客たちにイライラした雰囲気はなく、なんとなく楽しそうでさえある。慣れているし、やっぱり田舎に帰るのはうれしいものね。

この帰省渋滞、反対車線の我々には関係ないかと思ったら、交差点などに信号がないため、要所要所でこちら側も渋滞。結局ダッカに戻るのに通常より2時間ほど余計にかかってしまった。面白かったけど。

帰り着いた大都会、ダッカでは翌日は店がすべて閉まってしまうということで大急ぎでショッピング。

まずは外国人御用達らしい高級スーパーで
 
マンゴーもの各種とお料理ヘルパー。

さらにNGOが経営すると言うアーロンという手工芸品のお店でベンガル地方特産のノクシカタ刺繍。
  
この店の刺繍製品はとてもしゃれていて、値段も日本では考えられないほど安い。
 こんな手の込んだ手刺繍のクッションカバーが1000円なんてうれしすぎて、時間があればいくらでも見ていたかったが、与えられた時間はたったの30分。なんとか時間内に会計を終えて出てみると、ツアーの皆さんはとっくにバスに戻っている。おじ様方の中には2,3分で出てきてしまった人もいるとかで、ツアーはこういうところが不便。

バングラデシュの手工芸品に関してはぜひリベンジがしたいものだ。


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バングラデシュの旅 8 マハスターン

2009-12-25 00:03:59 | 南アジア
11月26日 続き

カンタナガル寺院のあるエリア、ディナシプールはバングラデシュの中でもおいしい米の取れる所として、日本の新潟県魚沼郡のように有名だと言う。
 確かに回りは一面の田んぼ。ちょうど黄金色に実って刈入れをしている姿もたくさん見られる。
それならばバングラデシュ一というお米を買ってみたい、とガイドさんに要望。ソイヨドプール(たぶん)の町のお米屋さんに寄ってもらう。
  
いつもの通り、好奇心いっぱいの地元民の皆さんに囲まれつつ、2種類のお米を購入。
左側がこの地方でも一番と言うお米。とても小さな粒だが、もち米のように白く、食感もモチモチしているらしい。こちらは1キロ70タカ(90円ぐらい)。
右は比較のためにと買ってみた、ごく一般的な長粒米。こちらは1キロ40タカ(50円ぐらい)。
どちらもまだ日本では食べていないが、さて、どうやって炊こうか。

ところでバングラデシュではお米の貯蔵法が日本とは違う。
日本では刈り入れた米はそのまま干すが、こちらでは一度蒸してから干すと言う。
 見学させてもらったこちらでは底に蓋のあるこの二つの筒に籾を入れ、上から蒸気を通して蒸し上げ、その後底の蓋を開ける。
 そして落ちてきた籾をこのように地面に広げて乾燥させる。
同じお米でもずいぶん違うものだ。

さらに次の目的地に向かう途中、今度は野菜の市場を見かけた。
 
地面いっぱいにカリフラワーや大根が広げられ、

 
大きなウリやかぼちゃ、苦瓜やねぎも大量にある。
近隣の畑で獲れたもののようで、どの野菜もとてもきれいでおいしそう。
最貧国と言われるバングラデシュだが、米といい、魚といい、野菜といい、食糧自給国の豊かさを感じる。

 添乗員が大根を買ったら、いつものごとく、この人だかり。
でもチーズおろしで作ってくれた大根おろしはとてもおいしかった。

ラングプールからはまた南に下り、先日のパハルプールの東にあるマハスターン遺跡へ。
今回も最初は博物館。
 
入り口の左右に部屋が広がるだけの小さな博物館だが、中身はパハルプールより充実している。特にマハスターン出土という8世紀ごろのテラコッタにとてもいいものがあって、これにはうっとり。仏像ではない人物像や動物なのだが、ガンダーラのものに似たところがあるように感じる。

しかし惜しいかな、ここも説明がほとんどなく、図録も絵葉書もないのに写真撮影も禁止。
記憶容量の少ない脳みそでは「素敵だった」ということぐらいしか覚えていられないんだよー(泣)。

博物館を出ると目の前に6世紀のヒンドゥー寺院跡。
 
想像力を要する遺跡よりも、周りに広がる農村風景が魅力的だ。

 バショルゴールは7世紀の仏教寺院跡。
おそらくパハルプールの中央の僧院と同じようなものだったのではないかと思われるが、研究はあまり進んでいない様子。
 この遺跡から眺める夕日はなかなかロマンチックだと思うが、イスラム国では男同士で仲良く眺めていた。


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バングラデシュの旅 7 カンタナガル寺院

2009-12-23 22:49:15 | 南アジア
11月26日

宿泊地のラングプールを出て道は西へ。
今朝は個人的に今回の旅のハイライトであるカンタナガル寺院へ向かう。

大通りをはずれ、田んぼの中の田舎道をしばらく行った先に目的のヒンドゥー寺院はあった。
 1752年建立の赤レンガ造りのお寺。
元は9つの塔があったそうだが19世紀の地震で崩れてしまったとかで、塔があったと思しき場所にはなぜか十字架のような棒が立てられている。

ここが一番のハイライトである理由はもちろん、全面が細かい装飾テラコッタで覆われているから。
 
壁と言わず、柱と言わず、扉と言わず、どこもかしこも装飾だらけ。

 
大きな石ではなく、小さなレンガ造りなので一つ一つのパネルが小さく、それぞれが白い漆喰で縁取られているのも余計装飾的な感じがする。

 
ラーマーヤナがモチーフというテラコッタは、プティアの19世紀のものよりずっと細工が繊細で洗練されている。


いい~
たっぷり時間をもらったので壁の写真を撮りまくる。

 しかしここは現役の寺院、しかも今日はなにかのお祭りとかで真剣に祈る人もいる。
いい加減に壁に張り付くのはやめてちょっと外に出てみる。

 
と、沿道には日本の縁日さながら、おもちゃやら神様グッズやらの屋台がいっぱい。しかし午前中ではまだ人出はなく、きっと夕方には大勢の参拝客であふれるのだろう。

お寺を出て元来たラングプール方面へ戻る。
と、途中に魚くさ~い一角が。
 道路わきで小魚を広げて干しているのだ。
  
ちょっと奥に入れば干魚の問屋さんがずらり。煮干のようなものから大きなものまで、どれも川魚だと思うが、こんなに魚の種類があるのかと思うほどいろいろある。

喜んで写真を撮っていたらおじさんに片手いっぱいの干物をもらってしまった。
 と、すかさずビニール袋を差し出してくれる別のおじさん。
 これは翌日のお昼に出てきた煮干のカレー。たまねぎとトマトと煮てある。煮干のバングラ風の食べ方を私が聞いたのでガイドさんが気を利かせてくれたらしい。

バングラデシュ人の親切に感謝。


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バングラデシュの旅 6 パハルプール

2009-12-19 02:10:19 | 南アジア
11月25日

ラジシャヒのホテルを出発して町のはずれの交差点に差し掛かると巨大なマンゴーのモニュメントがある。
 このあたりはバングラデシュでも有名なマンゴーの産地で、夏のシーズン中はダッカ在住の日本人がツアーを組んでマンゴー狩りにやってくるとか。
「マンゴー、ライチー、ジャックフルーツが食べ放題ですよ」とはなんとも魅力的。

街路樹までマンゴーの道を北上することしばし、本日最初に立ち寄ったのはクスンバ・モスク。
 
小さな村の中にひっそりと建つモスクだが、赤いレンガ造りの建物の多いバングラデシュで玄武岩で作られた黒い外観は異彩を放つ。
 1588年に作られたと言うモスクの中にはバルコニーのようなものがあり、上に登ることもできる。
 
内部の装飾もやわらかいレンガとは違う、かっちりとした細かさで、あまり有名ではないこのモスクは拾い物。

さらに北上して到着したのは本日のメインイベント、世界遺産にも指定されているパハルプールの遺跡。

ここに到着して最初に現れたのは黒い制服の一団。
 おなじみ護衛の警察なのだが、みなガタイがよくて迫力がある。
黒い制服の彼らはRAB(Rapid Action Battalion)と言って、警察官、軍の中から選びぬかれた特殊機動部隊なんだそうだ。
要人の警護やテロ対策が仕事で、警察の中でもあこがれのエリート、とのことだが、我々の警護についてにこやかに写真に納まるお兄ちゃんたちにあまりエリートらしさは感じない。

彼らに守られ(?)つつ、まずは博物館の見学。
 結構展示室の広い博物館だが、中に収められているものはどこかで見たことのあるようなヒンドゥー教の石像ばかり。その中に一つだけ、8世紀ごろのものらしいブロンズの仏像があって、これは優しい顔立ちがすばらしい。

ブロンズ像がなぜ一つしかないのか、そもそも仏教遺跡なのになぜ仏像が少ないのか。これはどうやらお金がなくて発掘が進まないためらしい。掘ればもっとお宝が出るかもしれない、というのはロマンだが、仏像の絵葉書一つ売っていない博物館はちょっと悲しい。

博物館を出てやっと遺跡へ。
 
広大な敷地内はきれいに整備され、真ん中の大きな仏塔のまわりに僧房の跡がたくさん見える。
8世紀から12世紀まで、ここはインドで最後の仏教の中心だったのだそうだ。

 
仏塔の周りは2段のバルコニーになっていて、その壁にテラコッタの彫刻を施したパネルが取り付けてある。最下段のパネルは最近作られたレプリカだが
 
上段のものは8世紀のオリジナル。自由に踊るような姿が多く、おおらかで面白いが
 状態は決して良くない。特に顔をほとんど削られているのは異教徒の仕業だろうか。

パネルを見ながらぐるっと仏塔を回ると、作りがインドネシアのボロブドールにそっくりだと実感する。もちろん、こちらがオリジナルなのだけれど。

ゆっくり見学していたらきれいな鳥が飛んできた。
 幸せの青い鳥?

レストハウスでお弁当を開くと中はマーガリンを塗っただけのサンドイッチ。
 「でもこれ、妙においしいですよね」と添乗員。
「中華じゃないからじゃない」

遺跡見学の後は今夜の宿泊地、ラングプールへ向かう。

途中、鉄道駅のあるジョイプールハットでマーケットをちょっと見学。
  
ここのマーケットは線路のすぐ脇に古着屋が延々と続く。中には線路の上で商売する果物屋も。列車は一日に一本か二本らしい。
 
ここで今まで見たことのない果物を発見。硬い皮に覆われたこれはコックベルというらしい。一つ味見をさせてもらうと、割って塩と香辛料を振りかけられた。香りは先日、秋田で見つけたポポーのように癖が強くて甘いが、味は甘くなくて渋みがある。決しておいしいとは言えない。

こんなことをしていると回りはたちまち大群衆に囲まれる。


動けなくなる前に、さあ、宿へ向かおう。


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バングラデシュの旅 5 ラロン廟とプティア

2009-12-15 20:12:39 | 南アジア
11月24日

クルナの町を出て北へ向かう。
 町を出れば回りは見渡す限りの田んぼ。
黄色く実った稲を大勢で鎌で刈り取ったり、牛車や人力で運んだり。昔ながらの農作業の風景があまりにも自然だ。

やがて到着したのはクシュティアという町のラロン聖者廟。
 
バングラデシュにはイスラムでもヒンドゥーでもないバウルという「歌う修行者」たちがおり、ラロンというのは18世紀に生まれた最も人気のあるバウルなんだそうだ。

形はイスラムっぽい聖者廟をちらりと覗いたら、すぐにその奥にそびえる学校の校舎のような建物の最上階にあがる。
 ここで我々団体のためにバウルのミニ・コンサートが開かれる。
 最初に歌ってくれたのは白いひげがいかにもな年配の男性。
よく通るいい声だ。
 
インドでおなじみの楽器を持ったバック・ミュージシャンたちを従え、結構明るい曲調が心地いい。
  
その後も次々に男女5人の歌い手が曲を披露。歌い手は一弦の楽器を時々つまびきながらドラマチックに歌う。

ガイドの通訳によると愛の歌とかが多いらしい。宗教や哲学などの難しい歌ではなく、また予想していたような民謡風でもなく、日本で言えば駅前で若い子が歌っているような、そんな感じの曲じゃないだろうか。

バウルという人々、今はどうか知らないが、昔はおそらくアウトカーストのような存在だっただろう。それだけに力強く、民衆が好むような曲を歌い続けてきたのではないかと想像する。

30分ほどのコンサートは正直、予備知識もなく、あまり期待していなかった分、とてもよかった。CDが欲しいと思ったが日本で聞けるようなものはなく、この辺の商売っ気のなさがここの良さかもしれない。

クシュティアからはさらに北上してプティアへ。
小さな町の入り口でバスを降りると真ん中に大きな池があり

そのまわりに19世紀に建てられたヒンドゥー寺院が点在している。

はじめに見たのは並んで建っているゴヴィンダ寺院とアニク寺院。
 
まるでわらぶき屋根のような形の小さな建物はレンガで作られていて、壁面はテラコッタの装飾で覆われている。
 
人物像などはあまり洗練されていないが、びっしりと隙間なく施された装飾にオタク心が反応する。

 人家の裏庭にひっそり建つさらにちいさなエク・バングラ寺院
 
こちらはさらに装飾が細かくて萌え萌え~。

これらの小さな建物はもう寺院としては機能していないようだが、大きなゴヴィンダ寺院は今も現役のようで中には入れない。
  
 
壁面装飾もいいが、この寺院は全体の形が美しい。

 ドルモンチョと言うこの建物は王様一家がホーリーを楽しむために作ったとか。望楼で中には何もない。
 その隣のシヴァ寺院にはおなじみ、シヴァ・リンガが祭られている。

プティアを出て今夜の宿泊地、ラジシャヒに到着するともう夕方。
 水の少ない乾季のガンジス川で夕日を眺めていると
 我々を眺める地元民に囲まれる。
バスをみんなで手を振って見送ってくれて、諸君、ありがとう。

 政府観光局が経営するポルジャトン・モーテルにチェックインすると、今夜は町一番のレストランで食事だと言う。

で連れて行かれた先は 「タイ・中華レストラン 南京」。

ああ。


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バングラデシュの旅 4 シュンドルボン国立公園

2009-12-13 16:22:36 | 南アジア
11月23日 続き

バゲルハットの見学を終え、次はモングラという港へ。
 
たくさんの小さな渡し船が行き来するこの桟橋から、ボートで沖合いのクルーズ船まで行く。乾季のため船を岸に着けられないらしい。
 乗り込んだのはこの船、ディンギー号。
今回のツアーの現地旅行社、ベンガル・ツアーズの持ち船で、宿泊できる部屋も10部屋ほど備えているが、これを貸切にさせていただく。

お昼をだいぶ過ぎていたので、乗り込むとすぐに食堂で昼食。
  
 
やっと少しはバングラデシュらしい食事にありつけた、カレーの味付けは外人向けにすごーく控えめになっていたけど。
たくさん出された魚の唐揚げは川魚だけれど泥臭さもなくとてもおいしい。頭からパリパリといける。

食事をし、ツアー恒例の自己紹介などしているうちに外を眺める暇もなく船は目的地に着いてしまった。
 川の真ん中に停泊した船からまたボートに乗って、支流を遡っていく。と言っても川幅はそれなりにあり、両側はマングローブの森と言うが、それほど鬱蒼としたジャングルと言う感じではない。タイのプーケットから行った島の方がそれらしかったな、と思い出す。

やがて川の中でもう一隻のボートと合流。
 
これが伝統のカワウソ漁の船。後部の四角い檻の中にカワウソ君が3匹入っていて、これで魚を捕るという。
 我々の姿を見るや川の中に入れられたカワウソ君たち。
紐でつながれ、キーキー言いながら泳いでいく。

これを見ると我々日本人としては当然鵜飼いのようにカワウソが魚をくわえて上がってくることを期待する。がよく聞いてみるとカワウソを放すと同時に船から網を降ろし、カワウソはこの網の中に魚を追い込むのが仕事なんだそうだ。なあんだ。

20分ほど見ていただろうか、何回か網を上げたが収穫はなし。時間が悪いので捕れないと説明されたけれど、これで生活できるほど魚が捕れるかははなはだ疑問。今は明らかに観光収入のほうが多いだろう。

船に戻り、屋上の甲板からやっと周りの景色を見つつ出発地の港へ戻る。
 
 
このあたりの川岸には田んぼが広がり、村の家がたくさん見える。
  
小船で釣りをする人がいたり、ヤギの散歩をする人がいたり。ケララのハウスボートを思い出す、のんびりした景色。

国立公園とは言え人家が多いのも道理
 3時間半で我々が往復したのは広いシュンドルボンのほんの入り口。
河口まで行くには早い船でも丸一日かかるらしい。だからこの船にも宿泊設備がついているのだ。

モングラの港に戻り、お世話になった船にさよなら。
 
 桟橋では地元警察の皆さんがお出迎え。
実は来る時もバゲルハットから警察の警護車が我々の先導をしてくれていたのだが、帰りは一段と人数が増えているような。
この警護は旅行に危険があると言うよりは、国の観光優遇政策の表れと理解すべきだろう。制服好きだし、みなさん愛想もいいのでウェルカム。

ホテルに戻ると、今夜の夕食は地元の特産品、エビ料理だと言う。
ちょっと期待したが
 ・・・エビカレーはできないんでしょうか。


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東京のおいしいもの

2009-12-12 01:59:24 | 食べ歩き
先日、壁画オタッキーズと久々の会食。

上野毛の「大松鮨」にて
 てんこ盛りの新鮮なお刺身に
 職人技の光るにぎり。

やっぱりお寿司は東京だよね。なんたってシャリが違う、握り方が違う。
チベットやバングラデシュ、ミャンマーの話をしながらお寿司をつまむ幸せ。
日本人でよかった、東京に住んでいてよかった、と思うひととき。


そして今夜はまた恵比寿のお気に入りイタリアン「ダディーノ」へ。
写真が暗くて料理がおいしそうに見えないので申し訳ないが

 今夜の突き出しの牡蠣(おいしかったらしい)があまり得意ではないと言ったら
 アジとグレープフルーツのマリネに変えてくれた。

 オードブル1品目はブリのカルパッチョ。細かーくきざまれた野菜と食べるとブリの脂っぽさが中和されておいしい。
 2品目はなんとセイコガニ。小さな甲羅の中に外子がぎっしり、その下に蟹肉、さらにその下には内子も入っている。これがイタリアンか、なんてどうでもいい。こんなおいしいものが面倒なく食べられるならば。これ、いくつでも食べられそう。

 パスタは雉のペーストの詰まったトルテリーニ。上に掛かったトリュフより下にちょっと敷かれたソースがおいしい。

そして今夜のメインは丹波産の猪。
 この店の肉料理はいつでもおいしいけど、今夜はまた格別。香ばしく焼けた部分も、ピンクの内側もなんといううまさ。猪は牛肉よりしつこさがなく、鹿肉よりやわらかい。マダムによると今日は特にいい肉が手に入ったとか。手作りのソーセージまで、本当においしいです!

 連れのイチゴとヴィンサントのゼリー、ホワイトチョコレートアイスのせもおいしかったそうだが
 中からトローリのチョコレートフランとみかんのソルべもおいしく、いつも通り、最後まで大満足。

ところがこの店、なんと今年いっぱいで営業をやめてしまうと言う。
つい先日来たばかりなのに再訪したのはその通知をいただいたから。
こんなことならもっと頻繁に通えばよかった、と後悔してももう遅い。

これからのことは未定とのことだが、またどこかでお店を再開する時はきっと知らせてくださるようにお願いして店を出る。
たとえ地の果てでも、きっと食べに行きます!

おいしいものの多い東京とは言え、お気に入りを見つけるのは結構難しいのだ。


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バングラデシュのポスト

2009-12-10 19:37:11 | コレクション
バングラデシュでポストから絵葉書を出したい、と言ったら、添乗員もガイドも口を揃えて「絶対届かないからやめた方がいい」と言う。
旅行人発行、日本唯一のバングラデシュ・ガイドブックにも「係員が切手をはがしたりするので、目の前で消印を押してもらわないと届く保証はない」なんて書いてある。

そう言われればますますポストから出したくなるのがへそまがり。
11月24日にクルナの町中のポストから自分宛に絵葉書を投函。

そして昨日、我が家のポストに見慣れた下手な字を発見。
 
2週間でちゃんと届いたじゃない。しかも切手には消印さえ押されていない。ビーマン・バングラデシュ航空の切手も、郵便アカデミーの切手もきれいなまま。

 ちなみにこれが絵葉書を投函したポスト。
インドで見かけたものにそっくりの赤いポストだ。

 地方に行けばこんな缶カラのポストがあるのもインドと一緒。できればここからはがきを出したかった。

アルジェリアの時も「絶対届かない」と言われつつ3ヶ月かかって届いたし、みんな、郵便制度をもっと信用しようよ。


過去のポスト・コレクションはこちら↓

ふみの日記念 ポスト・コレクション
ポスト・コレクション 2
香港のポスト
ポスト・コレクション 4
ベトナムのポスト


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