2006年の記録
九州に出張し、その足で冬の大連に渡ったときの記録
大連烟台街の発見は、僕にとって“歴史的発見”といっても過言ではない。
戦前の日本(大日本帝国)と満州国。
僕の祖父は、どんな気持ちで大陸に渡ったのだろうか。日満連絡航路で、門司から大連へ、さらに南満州鉄道に乗り継ぎ、満州国深部へと北上したはずだ。
祖父の渡満から何十年も時を経て、孫の僕は、九州の取引先を訪問したあとに門司港に宿を取り、その翌日、飛行機で福岡空港から大連に渡った。(国際線では、機内食に昼飯がでるものと思っていたが、僅か1時間のフライトでは、スナックと飲み物だけの提供。それほど、大連は、目と鼻の先の近さなのだ。) その後、数えきれないほど大連に行ったが、九州から渡航したのは、あとにも先にもこの時だけだ。
冬の大連は、はじめてだったが、常宿となった民航大廈裏を皮切りに旧日本人街近くの哈爾浜街へ、そして、ロシアの風が吹く烟台街、海洋街へち精力的に散策した。
日満連絡航路の発着した門司港周辺は、「門司港レトロ」としてエキゾチックな観光地となっている。
大連友好記念館は、ロシア帝国が1902年(明治35年)大連市に建築した東清鉄道汽船事務所を、複製したもの。
初めての訪問、それも暗くなってから到着した僕は、すべてを満喫することができなかった。(その後、何度も再訪している。)
大連に着いた翌朝、ホテル裏手の風光街周辺を散策。決して治安の悪い地域ではないが、旅社(概して相部屋の安宿)と低層マンションと日常買いの商店がならぶ。
凍結した道路を電動三輪車で、マントウ(具のなしの中華まん、朝の主食としてポピュラー)の配達。(大連市区は、冬季の安全上の理由からエンジン二輪車の登録ができない。電動二輪車は、登録不要。)
冬の路上でも果物、羊肉の量り売りがあり、咥えタバコの焼き芋売りがいて、店頭に新聞、雑誌をならべる売店がある。
美容室のモデル写真、確かに当時のイケてる姉ちゃんは、こんなヘアースタイルだった。
休日、旧日本人街の南山路方面に足を延ばす。レンガ造りの戦前に建設された低層住宅街である哈爾浜街を偶然見つけた。富裕層の住む街ではないが、民工(出稼ぎ労働者)が住む貧民窟でもない。大連の一般庶民の住宅街で、既視感のある落ち着いた雰囲気が僕好みになった。
表通りにあった果物屋、いつも思うことだが、中国は果物が豊富で安い。「日本は果物が高いので、私には住めません。」と、中国人女性の友人は話す。
烟台街の貧民窟の中心(海洋街と光輝巷の交差点)に建つひと際美しい帝政ロシア時代の建築物。(何を隠そう、この貧民窟が十年後にリノベーションされて、烟台街露式建築群=鉄道1896花園飯店に生まれ変わる。)
烟台街の住人の多くは、民工で廃品回収を生業にしているようだった。夏に撮影した子供たちの写真を持参して、「この子知らないか?」と住人に聞いて回ったが、誰からも「不知道!(知らない!)」と返された。職を求めて頻繁に転居を繰り返している人たちの住む街なのだろうか。
夏の時のむせかえるような悪臭は消えたが、雪と氷の凍てつく寒さが、貧しさを感じさせる。
烟台街の南側、表通りの勝利街にも、この頃は、まだ古い建築物が残っていたが、背後には、近代的な高層建築が連なっていた。
今(2024年12月)の大連の記録
https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen2/e/b2ba1ac697e90595f4a3b72d9b9224e4
【Just Now】
アメリカ大統領の“力”にあらためて驚いている。言うまでもなく、トランプのひと言で、「世界の秩序を守るアメリカ」の時代は終わり、自国自衛が原則の世界にシフトした。その発想は、アメリカの銃社会思想に通じる。自分の安全を自分で守るために銃の所持を悪人も含めた誰でも許される。それと同じロジックで、自国を守るためには、他国以上の軍事力が必要になる。究極の軍事力は、核兵器だ。まさに軍拡と核拡散の時代が再び始まる。
核兵器は、保有することで、抑止力となり目的を達するが、ヒトは最も愚かな生物だ。アダムとイブが犯したように核発射ボタンを押すかもしれない。「やられる前にやっちまえ!」と悪魔が囁かない保証はない。
旅は続く
過去記事は、