Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

祝・沼尻シェフ復活@il ristorante nella Pergola

2010-11-29 19:51:42 | 食べ歩き
お気に入りだった恵比寿の「Da Nino」が閉店して10ヶ月。
ようやく活動を再開したとのお知らせをいただいたので、早速新しいお店にお邪魔してみた。

今度のお店は恵比寿駅からは15分ほどかかる広尾3丁目。
il ristorante nella PERGOLA

 このシンプルな扉の奥のお店は以前よりはちょっと広くなった。

コースのみのメニュー構成は以前と変わらず。
まずはアミューズが2品。
 生ハムのペーストをつけるパンはインドのプーリみたい。
 干しダラとジャガイモのスープはどこか懐かしい味。

 前菜は5種類ほどの中から選択。友人の選んだ柿と生ハム、赤座エビのカルパッチョもおいしいけれど
 ほんの軽く霜降りにした寒ブリとカブのサラダがうまい。

  
ポルチーニのタリアテッレ、帆立のラグーのパスタとも、「これこれ、この手打ちパスタがおいしいのよ~」
 自分の選んだ自家製カラスミのパスタももちろんおいしかったけれど、これはちょっと驚きはなかった。

そしてメイン。2人前からという豚肉のアリスタというお料理を選ぶと
  
こんな鉄鍋がテーブルに登場。蓋を開けるとローズマリーとお肉の香りが濃厚に広がり、お鍋をさげた後まで香りが残っているのには驚いた。肉はしっかり塩が効いてジューシーなハムみたい。このピンクの焼き色がいいのだね~。

 デザートは栗のトルタ、コーヒーのクレームブリュレ、ほおずきとゆずのゼリーとそれぞれ違うものを選んでもちろん試食会。デザートも以前の通り、シェフの奥様が作っているものと思われる。

以前の隠れ家的な雰囲気がなくなり、ホールのサービスもまだちょっとギクシャクしている感じだが、沼尻シェフの料理がまたいつでも食べられると思うだけで安心。

てなことを言っているとまた次回も秋になっちゃうのかな。
別の季節にも来なければ。


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五島列島の旅 9 福江島南部

2010-11-27 02:27:35 | 国内旅行
11月2日 続き

 奈留港から福江港までは30分の船旅。

到着したらすぐにバスに乗り込んで島の南部をめざす。

やってきたのは大宝寺。
  
8世紀からあるとされ、「西の高野山」と呼ばれる真言宗のお寺で、お堂の中には左甚五郎作と言われる像(なんだかさだかにわからず)とか、最澄作と言われる十一面観音(実際はもう少し時代が降るらしい)などなど、薄暗い中に由緒あるお宝がいっぱい。
しかし立派なお堂はごく最近のもので、荒れ果てていた寺を自分の代で建て直したという住職の話の方が面白かった。
住民、信者がどんどん減る中で組織、施設を維持する苦労はキリスト教、神道、仏教、どれも変わらない。

次に訪れたのは細い山道を入ったどんづまりにある白鳥神社。
  
ここも7世紀にはじまり、最澄が遣唐使の行き帰りに立ち寄ったとされている由緒ある神社。鳥居の向こうに海が見える景色が島らしい。

どんどん暗くなる時間と競争しつつ、福江島西端の大瀬崎灯台へ。
  
ここは「日本の夕陽100選」に選ばれているそうだが、残念ながらこの日はきれいな夕陽を見ることあたわず。
「日本の灯台50選」に選ばれた灯台そのものも魅力的だが、崖を降りる頃には真っ暗になってしまう。ということで展望台から眺めるだけ。

さらにもう1ヶ所、1899年創建という井持浦教会へ行ったがここも残念ながら中には入れず
  
日本最古のルルド(フランスの霊泉を模したもの)のお水だけいただく。

元学校教師というふるさとガイド氏がバスの中でみんなに歌を歌わせようとするのに閉口しつつ、福江の宿に着いた頃には回りはもう真っ暗。

早速いただいた夕食は今夜も海の幸三昧。
  
もう2、3ヶ月分のお刺身をこの4日間でいただいた気がする。
 こちらの宿ではグラタンや茶碗蒸しの温かい料理がうれしく
 何より珍しい「かっとっぽ」が食べられたのがラッキー。
これは有川漁港でも見たハコフグのお腹の皮というか殻をはずし、内臓を取ったところに甘い味噌を入れて焼いた料理。食べる時は中身を良く混ぜて食べるのだが、柔らかい白身に甘い味噌がからんでおいしい~。

このハコフグ、以前は毒はないと言われていたが、その後の調べでごく弱い毒を持っていることがわかり、そのため普通の店では出せなくなったと言う。Wikipediaによると肝臓と皮は販売禁止とあるが、宿で食べたかっとっぽには確かに肝が入っていた。しかもその肝がとろりとフォワグラのようで特においしかったのだが。

ハコフグを食して3週間、いまだ何の不都合もない。


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五島列島の旅 8 奈留島

2010-11-26 00:04:52 | 国内旅行
11月2日

えび屋さんの食事は朝から豪華。
 がっつり伊勢えびの味噌汁をいただき、若松港へ向かう。

 朝日と共に入ってきたのはフェリー太古。
本来なら初日にこの船で博多から五島に来るはずだった。

 船の大部屋はこんな感じ。
博多からのお客さんが毛布をかぶって寝ているが、我々は50分乗っただけですぐ隣の奈留島(なるしま)で下船する。
 

この島に上陸して、まず向かったのは奈留教会。
  
この教会の若くてまじめそうな神父様に島の教会の話を伺い、一緒に次の教会へ。

 島の北側、海に面した江上教会。
これも鉄川与助氏が1918年に作った教会だが、白い木造でアメリカの田舎にでもありそうなかわいらしい外観。

  
中に入ると意外なほど天井が高く、この教会の正面にも幼子イエスを抱いた聖ヨゼフ。
  
中央扉上部の桜のモチーフがかわらしく
  
ステンドグラスならぬペイントされた窓の桜も味わい深い。

  
この教会の前は奈留瀬戸と呼ばれる海。この海風から守るために教会は木立の中に隠れるように建てられ、おかげで今もその姿を保っているのだそうだ。

次の「阿古木 隠れキリシタンの里」という個人の資料室ではポルトガル人監督が撮ったという隠れキリシタンの儀式のビデオを見せていただく。言われなければとてもキリシタンの儀式とは思えないほど土俗化したその儀式が面白く、これはもっと見たかった。
 この資料室のある場所も以前は隠れキリシタンの村だったそうだが、今は村もなくなり、隠れキリシタンも消滅したそうだ。

  
本日のお昼もお魚と五島うどん。

昼食後は島の南の奈留千畳敷へ。
  
  
この海のきれいなこと。

 奈留港からフェリー「ニューたいよう」に乗船し、福江島へ向かった。


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五島列島の旅 7 遣唐使の足跡

2010-11-23 01:54:00 | 国内旅行
11月1日 続き

本日のお昼は五島うどん。

昨晩うかがった政彦神社の宮司さんの説では遣唐使が中国から製法を持ち帰った日本で一番歴史のあるうどん、とのことだが
  
地獄炊きといって直接鍋に乾麺を入れてゆで、そのままつゆにつけていただく。
つゆはアゴ(トビウオ)のおだしでかなり塩辛目。一方はアオサ入り、もう片方は溶き卵入りで、これが優しい味でおいしい。

うどん自体は島特産の椿油を使った手延べ麺。太さや食感は稲庭うどんに近く、つるつると実に食べやすい。椿油のおかげで長く煮てもふやけたりしないのだそうだ。

昼食の後は教会をもう一つ見学。青方湾に面した大曽教会。
  
これも鉄川与助氏が1916年に設計施工したレンガ造りの教会。

 
この内部もこうもり天井だが、ヴォールトの中央の花がかわいらしく
 西ドイツから取り寄せたというステンドグラスの花は桜だろうか、これまたとてもかわいい。

どの教会も意匠に工夫を凝らし美しく飾られているが、現在は言うに及ばず、設立当初からそれぞれ信徒の数は決して多くなかったのだそうだ。そうした中でこれだけの教会を作ってしまうのだから、どれだけ信徒が熱心だったことか。

この教会見学の後は今度は遣唐使の足跡をたどる。
遣唐使の中でも空海や最澄の時代、遣唐使船は五島に立ち寄ってから唐に向かったのだ。

 並んで建つ空海と最澄。
この二人は同じ第16次遣唐使船で中国に渡ったそうだが、はたして二人が五島に立ち寄ったかどうかは疑問の余地もあるらしい。

この二人の像の近くにあるのが二人がお参りしたかどうかよくわからない岩屋観音。
  
こんなせまーい岩の間をくぐって行くと、奥の岩屋の中に小さな観音様がいらっしゃる。

次に見学したのは艫綱石。遣唐使船をつないだ石だと言うのだが
  
これが喫茶店を営むお家の庭先にある。
このすぐ近所に住んでいると言うバスの運転手さん、「こんな所に来たのは初めて」

さらに遣唐使たちが拝んでから旅立ったと言う「御船様」という岩
 

空海ゆかりの井戸だという「道土井」

バスガイドさんも「存在は知ってましたけど、こんなところ今まで案内したことがありません」

そう、本日は一日、バスガイドさんが同行してくださったのだが、この方がプロ中のプロ。
名所旧跡の案内は立て板に水のごとくなめらか、その合間にはジョークをまじえつつ島の生活や行政への批判もちくり、さらに我が秘境添乗員をいじって笑いをとり、一日中ずーっと話していてもまったく飽きさせない。
 上五島観光の近藤さんはすばらしい!

その近藤さんの計らいで次の見学場所に行く途中、予定にはなかった若松大浦教会に立ち寄り。
  
普通の民家を借り受けて聖堂にしたと言う建物は十字架がなければ教会とはわからない。
内部も簡素そのものだが
 
地元の方の手によるというマリア様がとてもかわいい。信仰の原点を見るような気がする。

バスは西へ向かい、若松島を通って堤防でつながれた日島へ。
  
ここにある頭子神社、ここも隠れキリシタン神社らしいのだが添乗員の曰く「この神社についてお話できる方で動ける方はもう誰もいらっしゃらなくて」

さらにその先にある日島曲古墳群は14,5世紀の倭寇の墓碑群。
  
この夕日の沈む先には中国がある。

だいぶ暗くなってきたがさらにもう一ヶ所、若松の極楽寺へ。
 ここには7世紀、朝鮮半島のものと思われる小さな仏像があるのだが、本物は拝めずレプリカだけ拝見して本日の観光はやっと終了。

  
お寺のある渋~い商店街を出て、今夜の宿泊は若松港近くの民宿えび屋さん。

ここは民宿ながら食事の良さでは五島で有名だそうで、確かにこの日の夕食はすごかった。
  
抱き合うイセエビに始まって、お刺身は鯛に石鯛になんだっけ?
  
写真ではわかりづらいがこの煮魚もつけ揚げも巨大。他にもくじらやらサバ寿司やらもろもろ出て
 〆のこの鯛めしがマツタケまで入ってうんまい!

今日はもう動けません。


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五島列島の旅 6 上五島の教会巡り

2010-11-21 23:43:01 | 国内旅行
11月1日

朝一、朝食をとらずにホテルを出て有川漁港へお魚の水揚げを見に行く。
 
  
通り過ぎたばかりの台風の影響であまり漁は良くない様子。
  
それでもイカやらハギ、シイラ、ハコフグなどが揚がって漁師さんたちは忙しい。

ひとしきり見学させていただいた後は港の横のこの建物へ。
  
こちらでお母さん達に漁師料理をご馳走になるのだ。

いただいたのは
  
てんこ盛りのひらまさのお刺身につけ揚げ、ブリ大根、なますにきんぴら。アラのお味噌汁は丼でおかわりしたが、「みんなどうしてもっと食べないの」とお母さん達は不満げだ。
いや、もう朝からお腹パンパンです。

たっぷりの朝食の後は上五島の教会巡りに出発。

まず向かったのは中通島の最東端にある頭ヶ島(かしらがしま)教会。
  
1917年に完成した教会だが、このような石造りの教会は日本では珍しいのだそうだ。

  
中に入ってみるとここの天井は折り上げ天井という形式。ゆるいカーブの船底のような所にパステルカラーの花模様があしらわれていてなんとも優しい雰囲気。

この教会の設計者は上五島生まれの鉄川与助氏。このあと、いくつか鉄川氏設計の教会を見るのだが、一つとして同じ姿のものはなく、それぞれ外観も内部も魅力にあふれている。

この与助氏のお孫さんがおじいちゃんについてのHPを開設していらっしゃる。
それによると与助氏は一度もヨーロッパの教会は見たことがなく、写真や文献を研究して五島や九州各地の教会を設計したのだそうだ。

ところでこの頭ヶ島には上五島空港というのがある。
 福江空港もあるのになぜ、と思うが、案の定こちらの空港は2006年以来使われておらず、空港ビルは現在はなんとパソコン教室に使われている。
まったく日本の航空行政って、と思わずにはいられない光景。

  
こんな美しい景色を見ながら、次に訪れたのは

鯛の浦教会
  
この木造の教会は1903年に建てられたものだが、玄関部分だけは昭和21年に原爆で壊された長崎の浦上天主堂のレンガを使って鉄川与助氏が設計したものなのだそうだ。

さらにこの教会、新しい建物がすぐ近くに建てられ、こちらの建物は現在は資料館になっている。
  
内部はこうもり天井が美しく、窓の装飾も繊細だが
  展示された踏み絵が悲しい。

ここからはまたちょっと北へ向かって青砂ヶ浦教会。
  
これも鉄川与助氏が1910年に建てた、こちらはレンガ造りの堂々たる教会。
  
内部も広々として、それでいて繊細なディテールが美しく、
   
特にステンドグラスから入る光がうっとりするほどきれいだ。

お昼をはさんで、教会巡りはまだ続く。


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五島列島の旅 5 上五島神楽

2010-11-20 22:32:05 | 国内旅行
10月31日 続き

久賀島を出た海上タクシーは上五島の若松島へ向かう。

  
岸壁に白いキリスト像が見えたところで船はへさきを岸の岩につける。
桟橋もなく、波も荒いのに船長は見事な腕。

  
ここに明治の初め、キリシタンが隠れていた洞窟があるというのだが、キリスト像の真下まで行っても洞窟は見えない。
岩をよじ登り、その向こう側を覗いてやっとその存在がわかるようなところ。
  
中に入ってみると内部はT字型になっており、向こう側はそれぞれ海に通じている。
内部には漂流物のゴミが散乱しているところを見ると潮が満ちてくればこの中も水浸しになるのだろう。
よくこんなところを探して隠れたものだと思うが、炊事の煙で見つけた方もすごい。
どうやらこの時代、隠れキリシタンには賞金がかかっていたので金欲しさに探す方も必死だったらしい。
 こんなきれいなところなのに。

  
再びタクシーに拾ってもらい、若松大橋をくぐって中通島の郷の首港に到着。

 この日のお宿は青方のホテルマリンピア。

一休みしたところですぐに夕食。ビジネスホテルらしいのであまり期待はしていなかったのだが
  
テーブルの上にはいきなり伊勢えび。その他にも鯨やらアワビやら
  
最近この島一番の稼ぎ頭という五島牛は柔らかく、猪肉のつみれの入った五島ちゃんこも最後の五島うどんまでおいしくいただく。

期待していなかったなんて、料理長様、失礼しました。

さて、食事が終わっても本日の観光はまだ終わらない。
ホテルのバスに送られて奈摩郷というところの政彦神社へ。
 小さな鳥居をくぐると灯篭がいっぱい。終わったばかりのお祭りのために小学生が描いた物だが、今夜は我々のために灯してくださったらしい。
  
中に入ると大きくはないが清々しいお宮。この宮司さんが実にお話上手で楽しい。

400年以上の歴史があり、国の無形民俗文化財にも指定されていると言う上五島神楽、お祭りの時には20番ぐらい舞われるそうだが、今夜は我々のために5番が披露された。

 まずは将軍の武勇をたたえる舞、六将軍。
 岩戸開きを祈る平舞。
 翁と媼が登場し、お神酒で酔っ払うコミカルな山賀。
 五穀豊穣を祈る箕舞。「この神社一のきれいどころ」にはひげがあったりする。

そして最後のクライマックスは獅子舞。
  
  
二人の天狗と二匹の獅子が登場するのだが、獅子は高く伸びたり、床に寝そべったり、その周りを天狗が飛び跳ねて大迫力。
このあたりの子供達はこの神楽の獅子を舞うことにあこがれるそうだが、さもありなん。

神に捧げる舞の合間にコミカルな演目が入ったり、五穀豊穣を祈るいかにも農耕民族的な演目が入るところ、ブータンのツェチュと一緒だな、などと思いながらお神楽終了。
普通観光客には3番ぐらいしか舞わないとのことなので今夜は大盤振る舞いだったようだが、楽しくてあっという間だった。

お神楽の後もまだホテルには戻らない。

バスは港の陰、街灯などのない暗い所で停車。
車外に出て上を見上げれば、おお、天の川が見える。

昼間には雲が多かった空も夜には快晴。月もなく、星空鑑賞には絶好のコンディション。
解説員は五島地域雇用創造推進協議会のMさん。天体観測はプライベートの趣味だと言うが、説明用のライトまで用意してくださって星座や惑星を教えてくださる。
流れ星も2つ見えたし、素朴に楽しい。

ここはパワースポットとして売り出したらどうかとか、あれに見えるのはUFOじゃないかとか、とか好き勝手なことを言ってやっと宿に戻る。

盛りだくさんな一日であった。


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上海リニア 謎の売店

2010-11-18 19:12:46 | 東アジア
上海からの復路、また物好きにリニアモーターカーに乗る。

龍陽路では空港駅とは違って列車到着前からプラットホームにあげてもらえるが、ここには大きな売店がある。
 
 リニアモーターカーの模型とか、上海の絵葉書を売っているのは当然だが
  
空薬莢で作った大砲や戦闘機を売っているのはなぜ?

さらに不思議なのはこちら
 ポストや郵便配達車がなぜ赤い?中国の郵便ポストは緑なのに。
まして〒マークは「逓信」からとられた日本だけのもののはず。車のハンドルは右だし、これは明らかに日本の郵便グッズ。

この売店は謎だ。

やがてやってきた列車に乗り込み、発車3分ほどで
 
時速430キロの最高速度表示。

調べてみるとこのリニアモーターカー、9:00-11:00および13:00-17:00には430キロを出し、それ以外の時間は300キロまでしか出さないんだそうだ。
さすがに430キロを経験すると300キロまで減速した時には遅いと感じてしまうからすごい。

復路も乗った甲斐があった、とここまではよかったのだが、この後がいけない。

搭乗した飛行機は定刻にゲートを出発したものの、滑走路上で停まっていつまでも飛び立たない。管制塔からすべての飛行機に離陸許可が下りない、とアナウンスがあったものの、なぜの説明がないまま1時間。

ようやく飛び立ってもうすぐ成田に到着と言うところ、見ていた映画のクライマックスで何の前触れもなくエンタテインメント・システム終了。

ちっ、もうちょっとだったのに、と思いつつも着陸なら仕方がないと思うが、これまたいつまでたっても着陸しない。

そのうち「悪天候のため着陸のやり直しを行いましたが、安全のため羽田へ向かうことになりました」とのアナウンス。

ひえ~、と思いつつ、羽田からなら帰りが楽だからいいか、と到着早々降り支度を始めるがどうも降ろしてくれる様子がない。と「この飛行機は給油のあと当初の目的地、成田に向かいます」と再びアナウンス。

こういう場合、ディバージョンしても目的地はあくまで当初の空港、どうしても戻れない時のみ全乗客を降ろすが、そうでなければ一部の乗客だけ降ろすことは荷物の仕分けができないため不可能、とは元航空会社職員の父親の話。

結局2時間半のはずのフライトが成田到着まで6時間。しかもぶっつり切られた映画は復活することなく、ストーリーの最後は不明のまま。

疲れた。


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上海でB級三昧

2010-11-17 14:45:28 | 東アジア
秋に上海と言えば蟹、といきたいところだが、今回はなぜかB級一色。

まずは超有名店「小揚生煎館」で焼き小籠包。
 この店の本店、以前はB級食堂ばかり集まった呉江路というところにあったのだが、都市開発で食堂街がなくなってしまい、移転したらしい。
支店もたくさんできているようだが、今回行ったのは人民広場から5分ほど歩いたところ(人に連れられて行ったため住所はわからず)。

新しくなったと言ってもシステムは変わらず、まずは入り口のお姉さんに注文を伝えてお金を払い、列に並んで小籠包を受け取る。
   
奥では小籠包が次々に包まれ、その手前では大きな鍋をぐるぐる回しながら焼く作業、焼きあがると店頭に移されて注文分づつホウロウの皿に取り分ける。

これを持って小さな店の2階でテーブルを確保。
 この店がいつできたのかは知らないが、殺風景なほどシンプルな店内の雰囲気は以前の本店とまったく変わらない。
  
お尻の良く焼けた小籠包の頭の方をちょっとかじればアツアツのスープがたっぷり入り、肉餡のおいしさも以前と変わらない。
一緒に頼んだスープに入っているのは肉を包んだ豆腐と、魚のすり身でできたお揚げ。スープはちょっと塩辛いけど、魚のお揚げがおいしい。

以前の記事を見てみると2007年には4つで3.5元だったこの生煎。今は5元になったが、それでもスープと合わせてたった13元(約160円)でお腹いっぱい。支店が増えても味が変わらないところが立派だ。

その翌日は1人だったので、ガイドブックで見つけた七宝老街という所に行ってみることにする。
地下鉄で簡単に行ける水郷とのことなので行ってみたが、この地下鉄が結構曲者で、路線上はちゃんと接続しているはずの4号線と9号線が実際には接続しておらず、乗換駅では改札を一度出てかなり歩かなければならない。こんな面倒な乗り換え、よくみんながまんしてるなあ。

そしてようやくたどりついた七宝。改札を出て看板を目当てに歩き出した頃にはもうかなり暗くなっていた。
 
  
老街入り口までも予想以上に歩く。と言っても10分ぐらいだが、門の入り口横にはペンキで景色の描かれたビル、その前でポーズをとり、記念写真に余念のない観光客。ちょいといやな予感。

  
老街の中に入り込むと狭い通路の両側にびっしりとお店。建物は明・清代を再現しているとのことだが、2階をそれらしく作っているだけで映画のセットのようなもの。麗江古城の規模を小さくしたような感じで、安っぽい土産物屋ばかりなのも変わらない。ほんの小さな隙間にまで店を作っているのが面白いが、これははずしたかな、と不安になる。

この土産物屋街をしばらく行くとやっと「水郷」らしい川に出た。
  
この川に架かる橋に上がってみると、その向こうの小路は人でいっぱい。
なにごとならん、と小路に入り込んでみて納得。この橋から向こうは食べ物屋ばかりなのだ。

  
この町の名物らしいのはお餅屋さん。かわいいウサギやかぼちゃの中にはほんのちょっぴりあんこが入っていた。
 こちらは今川焼きの片面に砂糖を塗ってさらにカリッと焼いたようなもの。中の小豆餡の甘さがほどよくてなかなかおいしい。

ほかにも
  
鶏を泥で包んだ「コジキ鶏」とか、もち米を詰めて甘く煮た蓮根とか
 串刺しにされた鶉の丸焼きとか。やっぱり食べ物屋は面白い。

さあ、それでは何を食べようか、と散々迷いつつ選んだのはアヒルの春雨スープ。
  
小汚い店で、できますものはほとんどこの春雨スープと小籠包のみ。
しかしアヒルの血を固めたものと砂肝、腸の入ったこの春雨、白濁したスープがうまい。

かなり満腹になりつつ、誘惑に負けてついもう一軒。
  
店先で大きな団子をゆでているこのお店。本当はナツメ餡やピーナッツ餡の入った団子が食べたかったのだが、ゆでているお兄さんに口頭で中身を指定しなければならないので断念(中国語が発音できない・・・)。1椀単位で注文できるメニューを指差しで頼んだら甘酒のお米に小さな団子がたくさん入ったものが出てきた。このもち米団子がとてもなめらかな口当たりで実においしい。やっぱり餡入りが食べたかった。

ふくれたお腹をさすりつつここを離れる頃には橋に電気がともった。
 これまたちょっと安っぽい電飾。

七宝は観光ではなく、B級飯を食べに行くところであった。


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上海のリニアモーターカー

2010-11-15 00:24:30 | 東アジア
最近とんとご無沙汰だった上海に2年ぶりにやってきた。

この時期ならば羽田の新しいターミナルに行ってみるところだが、へそ曲がりなのであえて成田-浦東を選択する。

乗り込んでみると朝一のJALはB-767が2割程度の搭乗率。
みんな羽田に流れたのならいいが、ちょっと心配になるほどの空き具合。乗客としてはゆったりできていいけど。

ご無沙汰しているうちに上海便の機内食は空弁スタイルに変わっていた。
 冷たい箱をポンポンと配り、暖めた紙包みのご飯を配るだけ。
しかしこれ、おかずは京おばんざいと称して少量づつながらバラエティに富んでいるし、ご飯は梅じゃこご飯で、あのきらいな紙包みも許せるほどのおいしさ。お味噌汁もつくし、へたにしょぼい機内食よりずっといい。
アジア便の機内食はみんなこのお弁当にしてくれないかな。

さてご飯を食べてうとうとしているうちにすぐ着いてしまった上海。
今回わざわざ浦東着を選択したのはリニアモーターカーに乗ってみたかったから。
開通してもう5年以上経つが、今まで乗る機会を逸していたのだ。

駅はターミナル2の方にあるので、ターミナル1に着くと渡り廊下のようなところを通って結構歩く。
 
切符の販売は窓口のみ。乗ってきた飛行機のチケットを見せると片道50元が40元の割引になる。

 改札前では荷物を全部X線検査機に通さねばならず
 通ると次の列車が到着し、乗客を降ろし終わるまでこのだだっ広い場所で待たされ、プラットホームには降ろしてくれない。
案内係の愛想のないおねえちゃんがやたらにいるのが中国っぽい。

 やがて時間になり、やっと乗り込めたリニアモーターカー。
  
座席にかかった布カバーがなんだかださくて、車内の雰囲気はバンコクの新しいエアポートリンクの方がしゃれている。

やがて時間になり出発。
加速はなめらかでかなりの速さで時速300キロの表示が出る。
 
さすがにこの速さになると車窓の風景からも速さを体感できる。

しかし線路の継ぎ目の「ガタンゴトン」こそないものの、「フィーン」と言うような音は結構大きいし、加速するにつれて車体の横揺れがかなりある。
乗っている感じは新幹線とほとんど同じ。カーブの時に車体がかなり傾く感じが新幹線とは違うぐらいだろうか。なにかもっと違う乗り心地を期待していたので、なんだかがっかり。

このリニアモーターカーの最高速度は430キロだそうだが結局300キロ以上にはならず、定刻通りに終点の龍陽路駅到着。
 乗車時間わずかに8分。
車なら市内に入るまで30分はかかるからさすがに速い。

しかしこの龍陽路駅、一応市内ではあるものの市の中心からは東にはずれており、ここから市の西側にあるホテルまでタクシーを使ったら86元もかかってしまった。
空港出発からホテル到着までの所要時間は40分。タクシーに比べて10分ぐらい時間を短縮できた感じだろうか。

「市の中心まで乗り入れていないのでリニアは使いにくい。たった30キロのためになんでわざわざあんなもの作ったんでしょうね」と上海っ子に言われるほど人気がないらしいこの乗り物。なんとなく納得。
次回の上海入りは羽田から虹橋だな。

その上海っ子と久しぶりなので外灘へ。
 川向こうにはますますビルが増え
 
バンドのヨーロッパ風建物のライトアップはさらに華やかになっていたが
  
驚いたのは遊歩道上の人の数。わんさといる上に、みんな立派な一眼レフで記念写真を撮りまくり。

相変わらず元気な上海である。


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五島列島の旅 4 久賀島

2010-11-12 02:26:48 | 国内旅行
10月31日

本日は久賀島の観光、朝からこの島の公民館にお勤めの女性が案内に来てくださって、まずは宿の周辺をお散歩。

 宿の前に広がる浅い湾、ここには昔大きな十字架が投げ込まれ、透明度の高い水の中に数十年前まではその姿を見ることができたと言う。

 こちらも宿の近くの小さな神社。
扉を閉ざして既に氏子もいないように見えるが、隙間から覗くと中はきれいに保たれている。
  
敷地の奥の小さな祠の中にはまさかりのようなものを持った変わった像が。
なにやらいわくありげで、我らがオタク添乗員、大喜び。

  
こちらのお地蔵様の1人も、わかるだろうか、十字架をかついでいる。

この小さな島には他にも不思議なものがたくさんありそうで、なにやらロマンを感じてしまう。

宿を出発したあとはまた海上タクシーを使って旧五輪教会の見学に行く。
この教会は同じ久賀島にあるが、車よりも海上からの方が簡単に行けるとのこと。
 港から見えるオレンジ色の建物は現在の五輪教会。
これができたので古い教会は旧五輪教会と呼ばれるのだが、
  
こちらは大きな瓦屋根が立派な木造の建物。昔の学校のようにも見えるが、窓の形がハイカラで素敵だ。

中に入ってみると
 
木造でゴシック風に作り上げた天井が美しい。
  木枠の扉や窓もチャーミングだ。
  
祭壇の真ん中にいらっしゃるのはイエスを抱いた聖ヨゼフ。これはちょっと珍しいのではないかと思ったが、五島では他にもこのような教会がいくつかあった。
もちろんマリア様も側廊にいらっしゃる。

この美しい教会は1881年に地元の大工が作った日本でも最古の木造教会の一つとのこと。しかし老朽化で雨漏りなどがひどく、あやうく取り壊されるところを県の文化財に指定されてなんとか残った、と通りがかった村の方が教えてくださった。

キプロスのトロードスを訪れた時も聞かされたが、古い教会は趣はあっても実際の信者さんには使い勝手が悪いことも多いだろう。そして信者の数が少ないとなれば補修、維持もままならない。信者としてはここの五輪教会のように新しい教会を建てる方がうれしいことが多いよう。
建築物として古い教会を愛でる者とは視点が違うが、実際に教会を守り使い続けていくのは信者さん。教会の存続に関する苦労はこの先も思いやられることが多かった。

五輪教会を見学した後はまた船で田ノ浦に戻り、バスで牢屋の窄(ろうやのさく)殉教記念聖堂へ。
 

ここは明治元年、五島崩れと呼ばれるキリシタン迫害の発端となったところで、わずか6坪の牢屋に老人子供まで含めた200人以上が8ヶ月も閉じ込められ、そのうち42人が亡くなったという所。
  
左が昔の牢屋の写真、右の聖堂内の白い部分が牢屋の広さ。

ここに200人とはどんな感じかとツアーの何人かで並んでみたが、どう考えても朝の山手線のラッシュ以上の詰め込み方だとしか思えない。そのような中で8ヶ月も過ごし、死者が42人しかいなかったという方が不思議な感じがするが
  
犠牲者の碑を見るとやはり子供が多く窒息や渇き、感染症のために亡くなっている。
「蛆に下腹をかまれて死亡」なんて悲惨すぎる。

しかし事件の凄惨さに比べ、聖堂内はとても明るい。
「暗い事件だからこそ記念聖堂は明るくして犠牲者を慰めたいのです」とはこの教区の司祭様から後で聞いた話。

この日は実はここで殉教祭というミサがあり、田ノ浦から信者さんたちとここまで歩いて参加する予定だった。しかし風が強く、雨も降るかもしれないということで巡礼は中止、ミサは田ノ浦の浜脇教会で行われることになった。

  
こちらがその浜脇教会とミサ後の教会内部。
ミサの時にはこの教会がいっぱいになり、2階のバルコニーまで信者さんであふれた。
お年寄りから子供まで、晴れ着こそ着ていないが女性はベールをかけ、お説教を聴き、聖歌を歌う。ここではキリスト教が生きていると感じられる。
この日参列した信者の多くは、しかしこの殉教祭のために久賀島以外からいらしたそうだ。

 ミサの後、船で久賀島をあとにした。


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コメント (3)
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