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山陽道の旅 9 鞆の浦散策

2023-11-15 18:25:22 | 国内旅行

10月21日 続き

鞆の浦に着いたらまず荷物をコインロッカーに入れようと「鞆てらす」へ。
 街並み保存拠点という施設内に観光案内所があるので、ここで地図をもらって散策開始。

まずは船を降りた港へ戻り
 
 この街のシンボルである大きな常夜燈を確認。

すぐそばにこじゃれたカフェがあったので、ここでモンブランパフェをお昼代わりに。
 
栗たっぷりだけれど、大きすぎて最後はいささか飽きた。

このまたそばに太田家住宅という重文指定された家があるので見学してみる。
  
 
この家は元々中村家が保命酒という薬用酒で財をなし、江戸中期に建てた家。だから番頭さんの机の前には保命酒に使われている漢方などが展示されている。
 
たくさんの部屋のある大きな家で、幕末には京都を追われた三条実美なども滞在したことがあるとか。
 
風呂などもしゃれているが、明治になって中村家が没落して太田家になったのだそうだ。

裏には酒造りに使われたという蔵が6棟も建っていて
  
  
壁の模様がおしゃれ。

太田家を出て狭い小路を適当に歩くと実にいい感じの家が並んでいて、
  
  
 
資料館や旅館として使われている所もあり
 ディテールも素敵。
 
その間にレトロな洋風が混ざっているのもとても味がある。

ところで中村家が始めた保命酒、今でも酒蔵が4軒、店が6軒あるそうで
  
  
 
このお店がまたそれぞれ貫禄があってかっこいいのだ。
売りはもちろん保命酒だけれど薬用酒はいただかないので
 2軒で本みりんを買ってみた。高級みりんは違うだろうか。

また適当に歩いていると小高くなった所に福禅寺というお寺があるので入ってみた。
  
すると本堂の奥に対潮楼という有料になっている所があるので入ってみると
 正面が大きな窓になっていて

ここからの眺めがまさに一幅の絵。すぐ目の前にある小さな島が弁天島、その向こうが仙酔島。
 景色を眺めていると帆船のような姿の黒い船がやってきたが、これは仙酔島へ渡る平成いろは丸という渡船。いろは丸とはこの近くで衝突事故で沈没した海援隊の船で、この対潮楼で坂本龍馬は相手の紀州藩と談判したとか。

また窓の上に「日東第一景勝」とあるが、これはここが江戸時代に朝鮮通信使のための迎賓館として使われ、通信使の一人がそう褒めたのだそう。
 
なので部屋の奥には通信使の資料が置かれ、行列の絵はまさに韓ドラの歴史劇に出てくるお役人の姿。
ここが潮待ちの港としていかに重要だったか、よくわかる。

 街をぶらついているうちにまたいい天気になった。
 
期待以上だった鞆の浦を堪能して、福山行きのバスに乗った。


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