久女は昭和9(1934)年に俳誌『かりたご』に「鶴料理る」という短いエッセーを書いています。
これが『杉田久女随筆集』に載っていますが(昭和9年3月17日記の記述あり)、さち女という俳句のお弟子さんが、先生にと言って持って来てくれた鶴の肉を切り分けて、数種類の野菜とともに彩りよく盛り、周りの人々におすそ分けする話です。
<杉田久女随筆集>
この文中の久女はとても楽し気で生き生きとし、風雅を愛する俳人らしい姿です。文章もキッチリ引き締まり乱れはまったくありません。高浜虚子の書く『国子の手紙』の中での、久女の手紙から受けるイメージとの落差に驚くばかりです。
この辺りのことを『花衣 わが愛の杉田久女』の著者の田辺聖子さんは、〈創作というものの解けぬ不思議となぞがある〉と表現しておられます。
このエッセーの最後に、久女家の三片の鶴の肉は〈節分の夜に81歳の老母と主人と私とが1片づゝ、千年の寿にあやかるようにと語り合いながら賞味したのであった〉と書いているのを読む時、久女の家庭に平安がおとずれたのだなぁとホッとした気持ちになります。
『杉田久女句集』にこの時に出来たと思われる、下の句があります。
「 盆に盛る 春菜淡し 鶴料理(りょう)る 」
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