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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

福岡天神まち歩き

2015年04月07日 | お出かけ

福岡市の桜は3月末から4月1日位が見頃だったようで、今は完全に葉桜になってしまいました。先週3日(金)夜から4日朝にかけての雨が響いたようで、今年は例年に較べて桜の時期が短かった様な気が致しました。御地はいかがでしょうか?

福岡市観光案内ボランティアの方が、天神界隈を案内して下さる定時ツアーに友人と参加して、まち歩きを楽しみました。

天神の福岡市役所ロビーが集合場所
大阪から福岡に観光に来られた二人組の女性と私達3人がツアーのメンバー

市役所ロビーには博多人形で
博多祇園山笠、博多どんたくが再現されている
それを前に、観光案内ボランティアの方の説明
二つのお祭りを、毎年見ているけど知らないことばかり


皆で市役所から歩いて3、4分ほどの水鏡天満宮へ
ボランティアガイドさんに説明を受ける


この神社の御祭神は菅原道真公
天神とは道真公のことをさし
福岡市中央区の「天神」の地名はこの神社に由来する、などなどの説明

時々この神社の前を通るだけで、境内に入ったのは今日がはじめて
意外に広く立派な境内で少しびっくり
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明治通り側の鳥居扁額は昭和の首相、広田弘毅の小学生時代の揮毫だそう

水鏡天満宮横の福岡赤煉瓦文化館へ


この建物は東京駅の設計者である辰野金吾氏らの設計により
日本生命九州支社として明治42年に竣工
様々な曲折をへて現在は赤煉瓦文化館として市民に親しまれている

ここも時々前を通るだけで、中に入るのは今回が初めて
外観と同じように内部も華やかな明治の西洋建築

現在も現役で、2Fには会議室が3室あり市民に貸し出されている
この日もその中の一室には会議中の札が
<会議室>

赤煉瓦文化館前の那珂川に架かるに西中島橋の歩道の端に
福岡市道路元標が埋め込まれている
道路元標とは道路の起終点を示す標識


西中島橋から昭和通り沿いを歩き赤銅御殿跡へ
赤銅御殿とは
伊藤伝右衛門が建てた福岡市天神にあった彼の別邸
屋根に赤銅が使われていたので、そう呼ばれたそう
天神の中心部にある、今も伊藤家所有のビル
1Fカフェの後ろ側に赤銅御殿の名残の煉瓦塀が一部残してある


伊藤伝右衛門は一介の炭鉱労働者から身を起こした筑豊の炭鉱王
この別邸を改修中に白蓮事件が起き、白蓮さんは改修後ここに住むことなく出奔

約30年後の昭和28年10月19日、ここを訪れた白髪の白蓮さんは、こんな和歌を詠まれたそうです。
      
    「わかき日の わが思い出の ふる里よ
                           
                     夢も涙も 今はこいしき」
                               
                                        
柳原白蓮

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