前回の(50)記事で書いた筑前大島十二句の背景について考えてみましょう。
これらの句が詠まれた筑前大島は宗像三宮の一つ、中津宮のある島です。
<筑前大島にある中津宮>
宗像三宮のある宗像大社は、私の住む福岡市とお隣の北九州市の中間の玄界灘に面した所にあります。宗像三宮とは沖津宮、中津宮、辺津宮の三宮で、沖津宮は沖ノ島に、中津宮は筑前大島に、辺津宮(宗像神社)は宗像市田島にあります。
<宗像神社(辺津宮)>
辺津宮(宗像神社)から筑前大島までは約11km、そこから沖ノ島までは更に約49kmの距離だそうで、ともに玄界灘にあります。筑前大島までは神湊から定期船が出ていますが、沖の島は立ち入り禁止で一般の人々は近づけません。玄界灘のこの孤島は古代から航海安全を祈願する祭祀の場になっていて、この神の島で見聞きしたこと決して口外してはならないという厳しい掟があります。
<沖津宮がある沖ノ島>
句集には載っていませんが、久女はこんな句も詠んでいます。
「 潮涼し 船より拝す 沖ノ島 」
天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約のもとに誕生した三女神の、田心姫神(たごりひめのかみ)が沖津宮に、湍津姫神(たぎつひめのかみ)が筑前大島に、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が辺津宮に祀られています。辺津宮が私達が交通安全の神様としてお参りする宗像神社です。文化審議会は今、これらを「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界遺産登録を目指しています。
久女年譜によると昭和8(1933)年8月に筑前大島ほしの宮、七夕祭りに詣でています。筑前大島中津宮の七夕祭りは鎌倉時代までさかのぼることが出来、ここは七夕伝説発祥の地といわれているそうです。久女の大島ほしの宮吟咏の3句は、その七夕伝説のイメージを膨らませて詠んだ句なんですね~。
久女は古くからのこの島の歴史をふまえた上で、これら筑前大島十二句を作りました。古色をおびた蒼古とした調べの句だと感じます。
作家の田辺聖子さんは著書『花衣ぬぐはまつわる...』の中で、<英彦山や玄海灘という峻厳で酷烈な自然にとりまかれ、それに負けまいと挑戦した時、久女の詩精神は尖鋭化し強靭となり、「万葉ぶりに」乗じて自然を組み敷き自然と合歓するに至る。>と書いておられます。
また文芸評論家の山本健吉氏は、久女の筑前大島十二句を、〈万葉ぶりを駆使した雄壮な調べ〉とたたえています。
私がこれらの句について、何となく感じてはいるのだけれど、うまく表現出来なかったことを、お二人がこの様な文章で表しておられるのを見つけ、その通りだと嬉しく思いました。
(上の3枚の写真はネットよりお借りしました)