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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~才能の開花~ (5)

2015年06月14日 | 俳人杉田久女(考)

梅雨真っ盛りで、連日はっきりしない蒸し暑い日々のリラ地方です。いつも拙いブログ記事を閲覧下さり、ありがとうございます。ブログ村では60歳代のバナーだけを貼っていましたが、少し前から俳人杉田久女の記事を載せるようになり、俳句バナーも貼ってみました。俳句バナーが貼ってある記事は、殆どが俳句を実作される方々の記事の様で、身がすくむような思いが致しますが、よろしくお願いします。



                              


杉田久女は、大正5(1916)秋に次兄月蟾の手ほどきで俳句を始めました。家事の合間に初めて出会った俳句という表現方法を楽しみながら作句し、またたく間にその才能を開花させました。
<大正初期の杉田宇内、久女、長女昌子>

久女年譜を見ると、俳句を初めてまだ半年もたたない、大正6(1917)年1月の『ホトトギス』第2回「台所雑詠」に

     「鯛を料るに 俎板せまき 師走かな」

     「皿破りし 婢のわびごとや 年の暮れ」

など、6句が初めて載りました。「台所雑詠」というのは、高浜虚子が女性の俳句作家を育てようとした取組みの一つで、投句者を女性に限定し、内容も台所に関するもの、例えば俎板、包丁、味噌などを詠みました。その連載が始まったのは大正5年の『ホトトギス』12月号からで、久女が俳句を始めたのは丁度その頃だったのです。

とにかく上達するには俳句をつくることだと、目に入るものを次々俳句に詠みました。俳句を初めて間もない大正6(1917)
から7年にかけては夫や娘もよく詠んでいます。

     「まろ寝して 熱ある子かな 秋の暮れ」 
       
     「六つなるは 父の布団に ねせてけり」

     「仮名かき うみし子に そらまめをむかせけり」

小さい娘達を詠んだこれらの句は母親らしい情愛に満ちていて、幼子の柔らかい肌の感触まで伝わって来るような気がします。最初の句のまろ寝とは、着物を着たまま寝ることをいうのだそうです。

後に久女が俳句をすることがもとで反目しあった夫婦ではあったけれど、この頃はまだ夫宇内もやさしく詠まれています。

     「うかぬ顔して 夫帰り来ぬ 秋の暮れ」

     「獺にもとられず 小鮎釣り来し 夫をかし」


この様な句から、この時期の杉田家の平和な様子が浮かんできます。俳句を始めた大正6、7年頃は、久女にとって俳句は極めて楽しいものであって、家庭の平穏を揺るがすようなものではなかったようです。

(写真はネットよりお借りしました)

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