今日のお天気は・・・

何気ない日々の出来事をつづっていきます

友のたびだち

2015-06-27 13:56:41 | 雑記
あまりにも、それは突然だった。

きっとまた会えると思っていた。

便りに返事がこなくなって、厳しい闘病になったのかと危惧してはいた。

それでも、きっと戻ってきてくれると信じて待った。



                                



母を見ていると、闘病している姿を見られたくないという気持ちは分からないでもない。
「元気な頃の自分を覚えていてくれればいい」と言う母。

本心だろうか?本当は会いたいのではないか?
母が家で過ごす時間もあとわずか。

文句を言われてもいい、親しくしていただいた方にお見舞いに来てもらったらどうか?
そんな自問自答を繰り返す。



                                



友は、私の「会いたい」という手紙を読んだのだろうか。
そして、どう思ったのか。

無理にでも会いに行けばよかった?
でも、それは私のエゴかもしれない。
元気な頃の姿を覚えていたら喜んでくれるだろうか。

神は何故あれほどの才能にあふれた彼女を死なせてしまうのか。
不幸の上に不幸を塗り重ねるような仕打ちをどうして?
私が生きていて彼女が死んでしまうような不公平を何故?


                                


以前、彼女が送ってくれた歌集の装丁に、藍色の朝顔が描かれていた。
その朝顔と同じ色の朝顔が描かれた絵はがきが、知人の画家から個展のお誘いで届いたのは5月だったか。
その絵が、もし私の手の届く金額なら買って、彼女に届けたいと思っていた。

母の入院でその個展に行くことさえ叶わなかった。

せめてその藍色の朝顔の絵が描かれた葉書を彼女に届けたくて、手紙に同封してポストに投函した翌日、彼女の訃報が届いた。

絵はがきさえ見てもらえなかった。
亡くなった後に手紙が届くなんて、ご家族も困ってしまうだろう。

何もかも、後悔ばかり。

せめて天国で、先に逝った娘さんと再会できたと思いたい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老人の妄想力

2015-06-21 18:26:08 | 雑記
母が土曜日に一時退院した。


                         


その前の土日に一泊外泊をした時のこと。
母は「病院から放り出された、悪くなって救急車で運ばれて終わりだ」と父に言ったらしい。
確かに医師からは「試験的な外泊で、大丈夫だったら退院できる」と言われたらしい。

母は医師に見放されたと感じたらしい。
父と二人で、退院と言われたら仕方ないと話していた。



ひまわりの葉の上にカマキリ

日曜日に病院に戻った母。
月曜日に仕事帰りに病院に寄ると、「今日は5時まで外来だから、そのあと退院の話がある」と母が言うので待っていたが、面会時間ギリギリの7時になっても医師は現れなかった。

二人がそういう感じなので、救急病院だから治療のない間は退院させられるのかと私も思っていた。

火曜日に仕事帰りに病院に寄り、看護師に医師を呼んでもらった。
母がすぐにでも退院と言っていると話したら、ビックリされた。
家に戻りたいと言われたので、少しでも戻れるように考えていたのに、そんな自分が追い出すようなことは絶対にしないと言われた。

金曜日に腹水を抜いて状態が良ければ退院できる。
その後は、週に1,2回外来で腹水を抜いて様子を見る。
自分の外来担当以外の日に特別に看るという。

やっぱりいい先生だ!


アゲハチョウ

母は言われたことと、自分が考えたことがゴッチャになっていたようだ。
受け答えはしっかりしているのでちゃんと分かっていると思っていたが、理解力も少し衰えている様子。
自分が家に帰りたいと言ったことも忘れているのだろう。
退院する気になっているので、そのまま退院に向けて準備することになった。

土曜日に無事退院。次の金曜日が外来。
帰ってくる車の中で、二十日ぶりだね~と言うと、母は2ヵ月も経ったような気がすると言う。
自室のベッドで過ごしながら、父にいろいろ指示して部屋の片付けをしたり、好きな時間に少しだけ食事をしたりしてゆっくりと過ごしている。

夕食の時、次の通院はいつかと母が聞く。
金曜日に医師が部屋に来て説明して、金曜日までに具合が悪かったらいつでも来ていいと言っていたのも忘れているようだ。
次は金曜日だと教えると、医者は誰かと聞く。
医者は同じ人だと答えると、意外そうな顔をする。

退院すると担当医師が変わると勝手に妄想していたようだ。
だから医師に見放されると勘違いして不機嫌だったのかと、やっと分かった。

まったく、老人の妄想力には振り回されてしまう。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外泊

2015-06-14 13:33:23 | 雑記
急に暑くなって、慌てて扇風機を準備した。
夕方の風はまだ涼しい。


主治医が肝臓の専門医になってから今後のことを話し合う機会があった。

母も何度か病状の説明を受けている内に、もう治療は出来ないということを理解したようだ。

三つの選択肢があると言う。
一つは自宅で最期を迎える。
一つはホスピス。
もう一つはギリギリまで自宅で粘って、救急車で今の病院で最期を迎えるという選択。


病院嫌いの母は、この病院で始めて信頼できる医師に出会ったと思ったようだ。
きちんと病状を理解するまで説明してくれたことで信頼したのだろう。

最初の胃腸専門の先生はちょっと小池一平に似ていた。
ちょっと見は頼りないかもと思ったが、本当に頼りになるいい先生だった。
肝臓の先生もひょろっとしているが、説明が上手。

なので、母はホスピスは嫌だと言う。
自宅で最期を迎えるには往診してくれる医師や訪問看護師、ヘルパーなど環境を整える必要がある。医師が変わるのは不安だろう。
母はこの病院で最期を迎えたいると言う。


その方針で、この土日はお試し外泊だった。
家の中で歩けるようだったら一時退院。
通院して外来で腹水を週1回抜く。
もうきついとなったら入院することになる。

病院だと三度三度食事で起こされるが、家では好きな時に少しだけ好きな物を食べる。
父に言って、不要品を廃品回収に出す準備をしたりした。
ただし、ちょっと疲れたようだ。
今日は病院に戻るが、すぐに退院になりそうだ。

家のトイレに手すりはあるが、トイレまでの廊下に手すりはない。
今は壁を伝って歩いているが、自立式の杖を買うか借りるかしようかと家族で話す。
毎日病院通いする父も、退院した方が楽だろう。
母は寝ているだけだからどちらでも一緒だという。

もう帰ってこれないかと思っていた母が戻ってこれた。
それだけでも感謝しなければ。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終活

2015-06-07 11:03:25 | 雑記
リビングアンドエンディングノートを買ってある。
いつか銀行預金の欄だけでも書いておこうと思っているのだが、なかなか実行できない。
それが必要になるのはまだまだ先だと思っている自分がいる。
もうすぐ60歳になるのだから、まだまだ先とは言えないのに。


                            


母もまさかと思っていただろう。

一昨日、腹水を抜いてくれた医師に会うことができたので、「説明していただいたのに自分の病状を理解していない」こと、手術すれば治ると思っている口調に家族としてどう対処すればいいのか迷っていることなどを相談した。

医師は、「なかなか自分のことをすぐに受け入れることはできないものだ」と。話を聞いてはいても途中から聞いてなかったのだろうと。
何か聞かれても先生に聞いてみようねという対応でいいと言っていただいた。

父と私はちょっとホッとした。


                                    



父の弟、M叔父が病院の近くに住んでいるので、母の病状を父が知らせた。
M叔父だけにと思ったようだが連絡が回ったようで、すぐにH叔父から電話があった。
父方の親戚だけに知らせるわけにはいかないと、母の妹M叔母にも電話をした。
M叔母はM従姉妹と一緒にすぐにでも見舞いに来るという。


母は誰にも知らせるなと言う。
自分のやつれた姿を誰にも見られたくないようだ。
人に心配されたり迷惑をかけたりするのが大嫌いな性格。
だからといって、肉親の妹には会わせてあげたい。
ついでがあったから寄ったということにして、近いうちにお見舞いに行くとM従姉妹。

きっと何故話したのかと母は怒るだろう。
母にどう話すか、父は本当のことを話して聞かせようかと思っていたようだ。


                            


昨日母のところに行くと、腹水が減って楽になったのか機嫌が良かった。
私には洗濯物を渡した後、「用事は済んだ、忙しいだろうから帰っていい」と言う。
父は私を送って、また病院に行った。

父が家に帰ってから聞くと、母は一昨日の夜医師から肝臓がんのステージが4に近いと聞いたと言ったらしい。
医師が病状の説明をしてくれたようだ。
何となく悟ったようで、預金は今のうちに全部下ろせとか、気に入った写真を探すから持ってるようにとか話したらしい。
そんな話を聞いて父はちょっと悲しかったようだ。


                            


父は去年前立腺がんの放射線治療を受けた。
晩成後遺症で時々血尿が出る。
細い血管が切れやすくなっているようだ。

母が入院した日にも血尿が出たので、一昨日泌尿器科を受診。
私も一緒に話を聞いた。
がんの方はぜんぜん心配はないとこのと。
止血の点滴をしてもらうことになった。
2時間ほどの点滴の間、近くのイケアに行って時間をつぶした。

泌尿器科の女医さんが父に、いつもより元気がないですねと言ったので、父は実は妻が…と説明した。ちょっと涙目になった。私が付いていったのでちょっと気が緩んだようだ。
父にしてもまさかの展開だっただろう。

母の今後について、ホスピスへの転院も含めて話をすすめやすくなった。
母にはゆっくり最期まで自分らしく生きて欲しいと思う。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の病状

2015-06-04 14:38:27 | 雑記
雨と晴れが代わる代わるやってくる。
暑いと涼しいも代わる代わるやってくる。
梅雨入りしたが、日向の紫陽花は暑そうだ。


火曜日の午後、母はエコーを受けたところ、肝臓の門脈に腫瘤があるのが分かり主治医に連絡がいった。
主治医から簡単な説明があり造影剤をいれてCTを撮った。
入院を勧められそのまま入院。
医師からの説明があるのでそのまま病室で待つように言われた。

2時間ほど待たされて、私だけが別室に呼ばれ、主治医と肝臓の専門医からていねいな説明を受けた。
末期の肝臓がんで転移もあり腹水が溜まっている状態。
年齢的なことや体力を考えれば積極的治療はすすめないという。
肝臓の門脈が詰まりかけており、詰まってしまえば急変する。
それはいつ起こってもおかしくないほど危険な状態。
持っても1ヵ月と。

いつかは分からないがC型肝炎に感染し、少しずつ肝臓が悪くなりがんになったと理解していいという。
多分だが、35年ほど前に子宮筋腫で手術を受けた時に輸血したと今回知ったが、その時にC型肝炎ウイルスに感染したのではないかと、想像するしかない。

病院嫌いの母は、血液検査を受けることも久しくなかったということ。
12年前に父の車に乗っていて事故に遭い入院したので血液検査は受けたはずだが、その時は肝臓の数値は悪くなかったのか?
その時に入院したのも、今回胃カメラで受診したS総合病院。
胃カメラを撮ってもらった時に血液検査をしていても、肝臓がんはもう手の付けられない状態だっただろう。


母に病状の説明をどうするか、全く隠すのか知らせて残りの時間を自分で有効に使えるようにするのか、急変した場合の挿管などの救命措置はどうするのか、決めなければならないことが次々にやってきた。
父と相談して、救命措置はしない。母にはある程度本当の病状を説明してもらうことにした。


昨日、大阪から弟が飛んできた。
父が電話で今日か明日と言ったらしい。
ちゃんと説明したつもりだったが、救命措置の話をしたので、そう思ったらしい。
ちょうど弟にも話ができたので、医師に母への説明をお願いした。

主治医はベッドサイドに跪いて、母の目を見ながら順々にていねいに病状の説明をしてくれた。
いい先生に看てもらえたと、その姿を見て本当に良かったと思った。

父と弟と私はその様子を固唾を飲んで見守った。
説明が終わったので「ありがとうございました」と言って医師を送り出した。
振り返って母を見ると、「しょうがないね、肝臓の手術をするしかないか…」と呟いていた。
その言葉に一同ちょっとガクッときたが、まぁいいかとその後病室を後にしながら話した。

肝臓がんであることと、今は腹水を少し抜いて楽になるようにするということは理解したようだ。
肝臓の門脈だとか緩和治療だとかいわれても理解できなかったのだろう。
説明の途中で手術するんだと思い込んでしまったのかもしれない。
自分の都合のいいように話を聞いてしまう、これも老人力かも。

今日は父が別の病院でリハビリを受けている。
帰ってきたら母の病院に向かう予定。
時間があったので夕食の準備を少しした。
今夜は少しまともな晩飯を出せるかも。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月の花たち

2015-06-02 11:45:22 | 雑記
6月に入って二日目。
午後には雨になるらしいが、蒸し暑い曇り空。

放置していた5月の花たちを紹介。

白いゼラニウムもなかなか。ほかにピンク色のゼラニウムも。
これから暑くなってもゼラニウムは花を楽しませてくれる。
香りがちょっと苦手だけど。


何故が室外機の下から伸びてきたベゴニア。
これも夏の花。


ハナショウブ。
目が黄色いのがハナショウブ。白いのがアヤメらしい。


ガーベラの赤は元気をくれる。


ソレイユ。実はこれはお隣の花。
毎年きれいに咲いて目を楽しませてくれる。


以前マメの花と紹介したスイトピー。
父にあれは何のマメの花?と聞くと、スイトピーだと言う。
以前聞いた説明とは違うが、花がたくさん咲いてスイトピーだと分かった。
ピンク色がなくてちょっと寂しい。


なぎぃの珈琲工房への入り口の前は、母が丹精した花が咲いている。

その母は、今日の午後、エコーの検査。

胃が悪いと行って食事を余り食べなくなっていた母が覚悟を決めて胃カメラの検査をしたのはたしか3月。
検査の結果、ピロリ菌の除菌をすることになって薬を飲んだ。

強い抗生物質の副作用で下痢をしたり、具合はもっと悪くなった。

ピロリの除菌が出来たがどうか確かめるまでは胃薬はなし。
時々吐いたりしてますます食事の量は減った。

総合病院の医師は水曜日だけしかいない。
除菌は成功して、やっと制酸剤と胃腸を動かす薬が出たのは5月の中旬。

吐き気はとまったらしいが、今度は腹部がぱんぱんにふくれていた。

パジャマ姿しか見ていなかった私は気付かなかったが、ピロリ除菌の薬を飲み始めた頃から腹部が腫れてきたという。
腹部の張りが苦しくて眠れないと訴え、土曜日だったので近くのA医院を受診。
今度は私も一緒に行った。

A医師によれば、今考えればピロリの除菌はしなくてもよかったと言う。
腹部は水が溜まっているようだという。
原因が分からないので、検査が必要だと。

父が持っていた胃カメラの結果を書いた紙には、逆流性食道炎と書かれていた。
そういう物があるなら早く見せろよと思った。
ピロリの除菌よりも逆流性食道炎の治療をなぜ先にしてくれなかったのか?
ずっと食べられなくて、体力も筋力も落ちてよたよたとしか歩けなくなった母を見ると疑問が湧いてきた。
もしかして、栄養失調なのでは?

H医療センターに紹介状を書いてもらい内科を受診。
大きな病院の初診は待たされて待たされて、やっと診察。
医師は信頼できる感じ。ちゃんと話を聞いて説明もする。

検査をしましょうということになったが、予約が詰まっていてやっと今日エコー。
大腸検査は17日だ。
それまでは何の薬も出ない。
検査結果が出なければ、医師は何も出来ないのだろう。

母は相変わらずほとんど食べず、筋力の落ちた足は細くなってしまい、寝てばかりいる。
考えてみれば食べられなくなって半年。
ほとんど横になっている状態は2ヵ月以上だ。

A医院は近いので点滴を受けに行こうと父は言うのだが、頑固な母は嫌だと言う。
これ以上体力が落ちて寝たきりになっては困るので、とりあえず、タンパク質とエネルギーの補助食品をネットで注文した。
プリントアウトした補助食品の説明書を母に見せると、それは食べるという。


職場に相談して仕事は少し時間をセーブしてもらうことにした。
まだみんなが働いている時間に先に帰るのはちょっと気が引けるが仕方ない。

まだ日が高い内に帰宅していると、日傘がいるなぁ~と思った。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする