今日のお天気は・・・

何気ない日々の出来事をつづっていきます

二週間

2016-04-30 16:01:12 | 雑記
雲一つ無く晴れ渡る青空。昨日もこんなお天気だった。
「なんにも無かったみたいないいお天気ね」と従姉のYちゃんが言った。


                        


二週間程前、伯父のいる熊本で、叔母や従姉妹たちと会うことになって4月29日の新幹線をネットで予約して、翌日の朝博多駅でチケットを入手した。

伯父は南島原の実家で、一人でノンビリ暮らしていたが、緑内障が進んで一人暮らしが不自由になり、娘である熊本の従姉のYちゃんの所に身を寄せた。
仕事を持つYちゃんは、昼間一人で居るよりもと、介護付きのホームに父親を入所させた。

それを知った父は、伯父に会いに行きたいと言うようになった。
ホームに入ったとは言え、休みの日はYちゃんも頻繁に会いに行き、一緒に外食したりしていたようだが、父にしてみれば切なかったようだ。

動揺した父に、その時私は「新幹線で熊本はすぐだから連れて行くから安心して」と言った。


その後、母が亡くなり、父も前立腺がんの治療や放射線の後遺症などで通院が続いた。
後遺症の治療も一段落して、気候もよくなったので熊本に行こうと話したら、すぐにYちゃんに電話した父。

それで、29日にみんなで集まることになった。
チケットを手にした夜、熊本地震が起こった。
父がすぐに電話すると、食器やいろんなものが落ちて大変だけど大丈夫という答えが返ってきた。

それから2度目の地震。

熊本市北区はそれほど被害が出ていない様子だったが、ニュースなどで熊本の様子を見て、今回の集まりは取りやめた方がいいのではと、父が留守電を入れた。
Yちゃんからは、叔母の方にも相談してみるとのことだった。

26日、「博多熊本間の新幹線が復活したし、先延ばしにしても同じだから集まりましょう」と連絡があった。

28日には九州新幹線が、博多鹿児島中央間全線が動き始め、本数を減らして山陽本線との相互乗り入れも復活した。
29日は座席予約したチケットだったが、グリーンをのぞいて博多鹿児島中央間はすべて自由席になったため、チケットはそのまま自由席扱いで利用できるとホームページに書いてあった。
父は自由席で座れなくても行くと言う。私も覚悟して連れて行く準備をした。


                        


予定よりも早めに家を出て博多に向かった。
新幹線のホームにはTVカメラがいくつも来ていた。
心配したが、座席に座ることができてホッとしながら熊本に向かった。


座席はほぼ満席で、ボランティアに向かう様な人たちも乗っていた。
熊本に着く前は速度を落として走行。遠目に鬼瓦が乗っていない熊本城の天守閣が見えた。
ブルーシートで覆われた屋根がチラホラ見えて、被災地の熊本に足を踏み入れるのだと実感した。
40分ほどで熊本に到着。


エスカレーターは壊れて使えないのでと車内アナウンスがあった時はちょっとビックリ。
エレベーターを待ってゆっくり降りていくと、改札口で笑顔のYちゃんが迎えてくれた。




伯父
Yちゃん夫婦
叔母
従弟のHさんと娘(小2)
従姉妹のKちゃんと息子(3歳)
総勢10名で近況や昔話に花が咲き、美味しいご飯をいただいた。

伯父のいるホームは新しく立派なので地震の影響はなかったが、水道やガスが止まり食事が2食になったりパンだったりしたらしい。
叔母は南島原で地震はやはり頻繁だという。

Yちゃんの家も、Hさんのマンションも被害は無く大丈夫だったようだが、もちろん水やガスの復旧は25日を過ぎてからで、避難所や車中泊もしたらしい。
学校が避難所になっているので、Hさんの娘はいつから学校が始まるか分からないとも。

この日には仕事で会えなかったがもう一人の従兄弟(Yちゃんの弟)が熊本に居る。
家の壁にヒビが入って数日は避難所にいたらしい。

Yちゃんは薬剤師で、病院が井戸だったので近所の人も避難してきて、みんなでカセットコンロでご飯を炊いておにぎりを作ったりと忙しかったらしい。
Yちゃんのご主人は役場の嘱託らしく、支援物資の受け入れをして、避難所に送り出す仕事をしているという。
去年脊柱管狭窄症の手術をして回復したばっかりなのにと笑っていた。

食事の途中、震度3の地震が来て揺れた。
横にゆらゆら揺れるのではなく、したからドーンと来る。
「こんなのが、夜何度も来るのよ」と。
それでも、家が無事で仕事をしているから気が紛れてよかったと言う。

電話では大丈夫だと言っていたが、熊本は被災地なんだと実感した。


                        


熊本城も水前寺公園もどこにも行けないので、早めの新幹線で帰ることにした。

自由席だが指定席仕様の座席。床にはツバメ。

車内販売で珈琲を飲みながら、無事に父と福岡に帰ってきた。
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一週間

2016-04-23 12:10:15 | 雑記
午後は雨の予報だったが、11時を過ぎる頃からぽつぽつと大粒の雨が落ちてきた。

熊本地震から一週間。
被災地の雨は、捜索を困難にし、避難している人たちの憂鬱を増幅する。

                      


14日夜の地震の時は、テレビの緊急地震速報にアイロンをかけ終わったシャツを手に固まっていた。
警報音が終わってから、揺れが来た。
それまで、緊急地震速報が鳴っても実際に揺れたことはなく、「本当に揺れた!」というのが実感。ゆらゆらと揺れたが、ものが落ちるようなことはなかった。
すぐにテレビは地震情報に切り替わったが夜だったので被害の全貌は分からなかった。

父が熊本の親戚に電話すると、棚からものが全部落ちた!と言っていた。
とりあえず無事を確かめたので安心した。

翌朝、テレビに映し出される被害情報に何度もストップモーションになりながら支度をして仕事に行った。
JRが乱れることは予測していたが、博多へはそれほど遅れることなく着いた。
驚いたのは新幹線通勤の同僚が二人とも出勤したこと。
1時間早く家を出なければならない上に、夫が熊本に仕事に行くので大量のおにぎりを持たせてきたという。
大牟田は熊本に近く、揺れも大きく、余震も多いらしい。彼女のたくましさに感心した。


                      


そして、16日未明の地震。
ぐっすり眠り込んでいた私は、夫のケータイの警報音で目が覚めた。
ベッドがゆらゆらと揺れ、揺れが収まってから飛び起きた。

旧家に寝ているなぎぃに「大丈夫?」と声をかけた。
父も起きてきて夫とテレビで地震情報を見ていた。
とりあえず、ものも落ちていないようなので寝ることにした。

それから3回、ケータイの警報音で起こされたが、揺れはそれほどでもなかった。

翌朝テレビで被害の様子を見ると、その惨状に開いた口がふさがらなかった。
ずっと被害の様子を伝えているが、頻繁に余震が起こる。
震度3以上は警報音が鳴るので、被災地ではほとんどずっと揺れているのだろうと想像できた。

別府の親戚に電話してみたら、食器棚も本棚も倒れて大変!と言っていた。

熊本も心配だが、こちらが心配だからと言って電話するのもはばかられる。
父が留守電に伝言を入れると、メールでみんな無事だという連絡があった。



                      


日曜日の夕方にメールが入り、ボディーシートを買って月曜日に持ってくるようにとのこと。
月曜日に出勤すると、15日から支援に入っている職員の情報をホームページに掲載する準備が
始まった。
博多区から熊本へ、15日から毎日支援に入り、小さな避難所を回って必要な物資を聞き取っているとのこと。月曜日は私たちワーカーがそれぞれ持ち寄ったボディーシートがワゴンに積めないくらいに集まったという。
翌日からおにぎり支援が始まった。

早く出られる人は1時間早く出勤し、キッチンスタジオでおかずを作る。
できる人は家でおにぎりを作って持って行く。
職場でもご飯を炊いて、おにぎりを作る。
おかずとおにぎりをセットして、10時に職員が熊本に向けて出発する。
渋滞するので、おにぎりが届いたのは2時だったらしい。

おにぎり支援は毎日続けている。
そのほかに、雨で床が汚れるのでぞうきんが欲しいとの要望に応えて、使い古しのタオルを持ち寄って運んだり、不足している紙皿を買って持ち寄ったりした。
専務曰く「人海戦術」。
一人一人のできることは小さくても、集まれば何とか支援ができているようだ。

朝はエプロンにマスク三角巾姿でおにぎりの準備をして、その後普段の仕事に入る。
しばらくはこの状態が続きそうだ。

支援をしたいと思っていてもできない人が多い中、実際に支援が出来る場にいることはありがたいと思う。


                      


グリーンコープは東北の支援や常総市の水害被害の支援もしてきたが、その中心で動いていた一人の職員は熊本出身。
これまでの経験をフルに使って、故郷熊本の支援に取り組んでいる様子が目に見えるようだ。

毎日の報告に、「初日に、常総市で知り合ったボランティアに出会い、支援物資配布の協力をしてもらった」とあった。きっと彼だと、私も取材で会った彼の顔を思い出した。
取材の時、「もし九州で何かあったらすぐに駆けつけますよ」と言っていた彼が約束を守ったのだと思った。
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誕生日のご馳走

2016-04-09 15:01:28 | 雑記
            

なぎぃの30歳の誕生日。
庭で摘んだパセリをたっぷり混ぜ込んだポテトサラダに庭で採れたスナップエンドウをたっぷり飾ったポテサラケーキ。
丸いケーキ型に詰め込んで作るポテトサラダは本当に久しぶりに作った。

稲荷に庭で採ったサヤエンドウとイクラとスモークサーモンをトッピング。
華やかなテーブルに仕立てた。

桜は散ってしまったが、春は花があふれている。

3月から撮っていた花の写真をまとめてアップ!


瑠璃唐草


野苺


菜の花。









イワツツジ

新築のお祝いにと鹿児島の叔父からもらったイワツツジ。
3本もらって1本だけ生き残った。
土地になじんできたのか、今年はたくさんの花を咲かせた。
道から見えるので、近所の人がきれいね~と声をかけるそうだ。


博多駅にはたくさんのチューリップ。


庭にはアザレアや紫蘭も咲き始めたようだ。
まだ4月なのに。

お天気がいいので、散歩がてらなぎぃと映画を観に行こうかと相談したが、ちょうど見たいものがない。
結局家に閉じこもったまま。

モヤモヤと気持ちを覆う雲を振り払いながら、布団を干したり、片付け物をしたりして今日も一日がくれていく。
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薦野の桜

2016-04-04 14:47:56 | 雑記
古賀駅から「こもの」行きのバスが出ているが、薦野に行ったのは始めて。

母が生きている頃桜を見に父が何度も連れて行ったと話すので、父と一緒に訪れた。
山が近く田畑が拡がる静かなたたずまい。

大根川の上流にあたり、昭和28年の水害の後改修された記念に桜を植えたと石碑に書いてあった。













染井吉野はクローンで遺伝子の型は全部同じなんだとか。
それで、どこに咲いていても同じ花を咲かせる。

土曜日に、耳鼻科から出てきたらとてもお天気が良かった。
耳鼻科の裏に人通りの少ない人だけが通れる道があり、桜が3本あった。



ちょうど満開で美しい。

ちょっと遠回りして、坂道に3本並んでいる桜を見に行った。

回りには季節の花も咲いていて、ご近所の方が手入れをされているようだ。

昨日のブログにアップした線路を見下ろす崖に咲く大きな桜を見て、小さな公園の桜へ。




この桜にはカワラヒワが来ていた。
電車から見た古賀駅にある桜にはメジロが花のミツを吸いに来ていた。
同じ遺伝子でも、咲いている場所で表情が違うように見える。

今日は父が大腸検査のため二泊三日の入院をするので一緒に病院に行った。


病棟から見下ろした桜。

駐車場の桜は風に乗ってハラハラと散っていた。

停まっている車はぜんぶ桜模様。


ということは、父に頼っていた風呂掃除や、食事の後の洗い物も私がするのか!
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電車と桜

2016-04-03 16:55:04 | 雑記
桜の写真は撮ったものの、ブログにアップする前に、全国的に桜の満開がどんどん拡がっている。
出遅れた感が否めないものの、とりあえず一枚。

土曜日の耳鼻科の帰り道、あんまりお天気がいいのでウォーキングがてら桜巡りをした。
線路際の桜は電車が来るのを待って激写。
時刻表を調べて、特急電車と一緒に撮ればよかったかな?
来年は挑戦してみよう。

メニエールも随分改善して、今度の医師は薬は2週間にしておきましょうと言った。
どの本にも最低1ヵ月は薬を飲むように書いてあるんだとか。
でも、メニエールは繰り返すものだし、いつまでも薬を飲み続けるもいいかどうか分からないと。
なので、1週間分薬をもらって帰ってきた。

確かに時折耳鳴りはあるが、めまいはほとんど感じなくなった。
また起きそうな時は来て下さいと言う医師の言葉は納得できた。

満開の桜に雨が落ちてきた。

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