今日のお天気は・・・

何気ない日々の出来事をつづっていきます

色々あった一週間

2009-07-25 16:46:54 | 雑記
のちのち

雷鳴に目が覚めた朝、9時頃には雨もあがり日が差してきた。
そのままお天気は回復するのかと思ったら、午後はどんより曇り空。

溜まった洗濯物がスッキリ乾かない 


                    


7月17日(金)夜になって夫が「明日は新築の家の打ち合わせをするから、一緒に行って」と言われた。
打ち合わせは私の実家。
20日のイベントに向けてゆっくり休もうと思っていたが、仕方ない。
と、そこへくぅからメール。
「熱が38度ある」
メールではラチが開かないので電話する。
前日から熱が出たようだ。
翌日は土曜日なので、保健所に電話してどこの病院に行けばいいのか聞くように言う。
保険証を持って行ってないので番号をひかえさせ、どうにかして届けるからとTELを切る。

社会保険は個人のカードになっているらしいが、国保はまだ家族で一つ。
修学のために分けてもらえるのだが、今年は手続きをしてなかった。

                    


18日(土)
午前中仕事の夫と昼頃天神で待ち合わせて、なぎぃも一緒に実家に。
打ち合わせは4時頃までかかった。
それから、仕方がないのでくぅのいる飯塚まで保険証を届けに行く。
くぅは病院に行って薬を貰ったというのでちょっと安心した。
車は、都市高やバイパスを使うとお金がかかるので、ひたすら一般道を運転する夫。
クッションの悪い仕事用ワゴンは乗っているだけでとても疲れる。
途中で夕食を取り、帰り着いたのは10時だった。


                    

19日(日)
ダウン。
胃薬を飲んで、ひたすら寝る。 


                    


20日(月)海の日
姪の結婚式。
朝5時に起きて6時に出発、10時に鹿児島に着いた。
雨の中を高速で走ったが、鹿児島は曇り空だが雨は降っていなかった。
とっても楽しい人前結婚式と披露宴だった。
終わるとすぐにとんぼ返り。
仕事の忙しい夫が日帰りをすると決めたので仕方ない。
順調に高速を飛ばしていたが、南関~久留米で25kmの渋滞との表示。
高速1000円効果に連休の最終日なので仕方ない。
柳川の近くで高速を降り、柳川まで走って鰻を食べた。
それから佐賀を回って三瀬峠を越えて帰ってきた。
夫が夜の山道クネクネを飛ばすのでちょっと怖かった。


                    


21日(火)
疲れていたが、リポビタンを飲んで仕事へ。
折しも大雨の日。
900人規模の集会の取材。
傘にカメラバッグに三脚まで持って、満員バスで会場に向かう。
会場は全席階段状になっていて、広い会場を上ったり下りたり右へ左へ。
途中で足が攣ってしまうほど。
それでも何とか取材を終える。
家に帰ってからくぅに元気になったかと電話するとまだ熱が下がらないという。
近くの内科に行ったのだが、漢方の医師だったようで不安そう。
「病院を変えた方がいいかなぁ」と言う。
翌日は別の病院に行くように言う。


                    


22日(水)
朝くぅから電話。
友達にタクシーを呼んでもらって病院に行くという。
結果を知らせるように言って、気になるが仕事に。
午前中は会議の予定。
ところが意外なことに「日蝕を見てから会議に入りましょう」と言われみんなで屋上で日蝕観察。
写真は私のバスカードでピンホールで写る細くなったお日様を観察しているところ。
雲がちょうどいい厚さになって、お日様の三日月のようになったシルエットが見えた時は屋上に集まった職員から感嘆の声が漏れた。
日蝕グラスを持っている人が一人いて、見せてもらうために並んだりして、何だか小学生に戻った気分。
11時には会議に戻る。

12時を過ぎてからくぅから電話が入る。
点滴をしてもらって、血液検査をしたら白血球が少ないので精密検査をした方がいいと言われ、大きな病院に紹介状を書いてもらって行ったらしい。
結局ウイルス性の風邪で熱を出しているという。
貰った薬が解熱剤と整腸剤だけだと言う。
体力のある若者が何日も高熱を出しているのに…と不信には思うが仕方ない。
「そっちに行こうか?」と聞くと「来てくれれば助かる」と言うので翌日行くことにした。

仕事が終わったのは7時。
帰って手抜きの夕食を作り早々に寝た。


                    


23日(木)
なぎぃも一緒にバスを乗り継いで飯塚に。
くぅの部屋には熱のある間脱ぎ捨てた衣類が文字通り山になっていた。
休めない授業があると言ってくぅが学校に。
洗濯機を5回まわし、掃除機を掛け、不燃物と燃えるごみを袋に入れた。
なぎぃもしっかり手伝ってくれた。
疲れ切ったくぅが帰ってきたところで、夕食はどうしようかと聞くと食べられるかどうか分からないという。
解熱剤を飲むと熱が下がってウイルスが減らないと思っているようだ。
しかし、食べられなければ体力は落ちるばかり。
解熱剤を飲んで食事をするように言って、買い物に出かける。

くぅのアパートは坂の上にある。
行きはよいよい、帰りはクタクタ。
荷物をなぎぃが持ってくれて本当に助かった。
さっぱりしたものがいいだろうと冷麺を作ったら、くぅは一皿ペロリと食べた。
作る元気がなければ総菜でも弁当でも買って、ちゃんと食べるように言って帰途に即いた。
帰りのバスは爆睡。
行きのバスでも寝ていたが、特急バスは乗り心地がいい。
クタクタボロボロになって家に帰り着いた。


                    


24日(金)ダウン。
胃薬を飲んで、ひたすら寝る。


                    


25日(土)
胃薬がなくなったので、血圧の薬を貰うのには一週間早いがMクリニックへ。
いつもは院長が看てくれるのに、今日は副院長だった。
ご主人が院長、妻が副院長。
院長は「いつものように出しておきましょう」と言うのだが、副院長は「どんな状態か、どんな仕事か、忙しいのか」と色々聞く。
胃透視をしてから一年以上経っているので、胃カメラをしましょうと言われた。
嫌だけど仕方ない。
来週に検査の予約をした。


                    



そんなこんなでブログを書く余裕がなかった。
くぅは金曜日に病院に行って、抗生物質をもらったそうだ。
今日の電話では少し元気になっていた様子。
一人で気ままに暮らしていると栄養も偏り、体力も落ちていたのかもしれない。

しかし、あの部屋の汚さでは、彼女はいないというのは本当だろう

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