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今日のお天気は・・・

何気ない日々の出来事をつづっていきます

夏風邪

2016-08-18 20:58:25 | 雑記
今日も青空、暑い夏が続いている。
一昨日、10日ぶりに雨が降った。
前回降ったのが20日ぶりだったので、1ヶ月に2回しか雨が降っていないことになる。

写真のように、西山の向こうは入道雲がモクモクと湧き、雨も時折降るようだが、こちら側から北九州市にかけては少雨傾向が続いている。

そんな暑い暑い夏休みに、夏風邪をひいて寝込んでいた。
喉がかなり痛くて10日に内科に行って抗生物質などの薬をもらった。
翌日から午後になると38度の熱を出し、ロキソニンで熱を下げて3日。
4日目は朝から38度の熱を出し、さすがに洗濯もせずに家事を放棄して寝ていた。
午後は38度6分まで上がったところでロキソニンを飲んだ。
かろうじて手抜き夕食の準備だけして早めに就寝。
翌日にはやっと熱が下がった。

夏風邪恐るべし。

熱は下がったものの、咳や鼻水などなかなかスッキリとは治ってくれない。
昨日再度内科を受診したが、風邪の治りかけの症状とのこと。
あとは自力で徐々に治すことにした。

今日は夏休み明けの仕事の日。
びっくりするほどの鼻声なのでみんなに心配されたが、私的にはもう治った感じ。

            

毎日山盛りに取れていたトマトも、さすがに少なくなってきた。

オリンピック開幕

2016-08-07 15:21:41 | 雑記
オリンピックに高校野球にソフトバンク…何を見ようかとチャンネルを変えているとソフトバンクはまた日ハムに負けそうなので、高校野球を見ることにした。

東の空が暗くなって雷鳴がとどろいている。
もうすぐ雨が降り出すだろう。
海に行ったくぅはちゃんと上がったかなと要らぬ心配をする。


昨日も、トップの夏空の写真を撮った後、雨が降ったようだ。
ちょうど映画を観ていたのでどの位降ったのかは分からないが、広いベランダの際まで濡れていたので結構激しく降ったのだろう。
20日ぶりの雨で、草木は随分喜んだだろう。
父も庭の水やりを免れて嬉しそうだった。


観た映画は「シン・ゴジラ」。
なぎぃと観に行こうと話していると父がいたので誘ったら一緒に観るという。
なので、3人でシネコンへゴー。

「シン・ゴジラ」は、大人の映画。
色々な意味で面白かった。
ネタバレするとこれから観る人に迷惑なので書けないが、観た人と色々話したい衝動に駆られる映画。

今朝父が、「昨日は▲*〇△をありがとう」と言う。
聞き返すと、活動写真だった!


          
          今朝の区民広場



昨日は地域の夏祭りだった。
夕方から子ども会などが焼きそばを売ったりして賑やかに開催されていた。
いつもは盆踊りの太鼓がうるさくテレビの音も聞こえないくらいだが、昨日は雨が降ったため盆踊りは中止になったようだ。

写真はベランダから撮った今朝の区民広場。
地域の世話役がせっかく準備した盆踊りのやぐらや提灯は、使われずに今日の午後片付けられていた。
暑い中準備した甲斐がなく、残念だっただろう。
お天気相手では仕方がないが。

もう8月

2016-08-02 21:33:34 | 雑記
今年も福島に種をおくるひまわりが咲いた。
ひまわり油を作り、収益金で子どもたちを放射線の心配のない地域に連れて行きノビノビと遊ばせる取り組みをしているNPOがあり、そこに種をおくる。
今年は6粒種を蒔いたのに、二本しか育たなかった。
たくさん種を付けてくれるといいが。


          
よりによってフェンスのこんな狭い所に入り込まなくても

毎日10本ほども採れて、職場に持って行ったり、夫が仕事仲間に分けたりしていた胡瓜。
今年はそろそろ終わり。

          

フウチョウソウは、濃いピンクのつぼみが開くと淡いピンクになる。
下の方から順番に咲いて、長い間花を付けて楽しませてくれる。


          
江戸小紋の柄が印刷されたTシャツ

正式名は関東東北豪雨だったか、茨城県常総市の水害被災地支援募金を現地のボランティア団体に渡す理事長に同行して取材をしたのは去年。
行政の支援が受けられず困っている、小規模のTシャツプリントメーカーがあった。
常総市で受け継がれている江戸小紋を印刷したTシャツをつくるなどして、再起をめざしていた。
グリーンコープが支援としてそのTシャツを取り扱うというので早速注文した。

注文したのは6月。
なかなか商品が届かず心配したが、7月の終わりにやっと届いた。
細かい模様がなかなか素敵だ。


                                


急に決まった取材で大阪の高槻に行った。

取材が決まってすぐ、グーグルマップで路線検索をして、博多発の新幹線の時刻や高槻市営バスの時間を調べた。
取材前日バス停を確認しようと高槻市のホームページを見ると、バスの路線番号が違う。
どうやら今年路線を整理して、番号が変わったようだ。
Yahoo!で路線検索をやり直すと、ちゃんと現在の路線番号が出た。
グーグルは情報の書き換えが遅いのかな?

路線検索では新大阪での新幹線からJRへの乗り換えが10分となっていて、時間通りに行けるが心配だった。
12両程の新幹線は、自由席は1~3両目で、改札までかなり距離がある。
新大阪が近づくと早めに席を立って並び、早足で階段を駆け下り、乗り換え改札を抜け、京都線のホームに立って時計を見ると、5分前!。ホッとした。
予定通りに高槻駅に到着。いそいそとバス停に向かうと、何と駅のロータリーが工事中。
ロータリーのバス停は使えませんと張り紙がしてあった。

普通は、工事中はバス停はこちらに移動しましたとか書いてあるが、何にも表示がない。
仕方がないので自力で移動したバス停を見つけた。
時間通りに来たバスに乗り無事現地に到着。


取材は新しくできるグリーンコープのお店のオープンイベント。
猛暑の中、夏休みとあって子どもたちが元気に走り回り賑やかだった。

汗ドロドロになって取材が終わり、こんな姿でどうしようかと迷ったが、高槻在住のデ某さんに連絡を取った。
ちょうど駅の近くに居られたとのことで、スタバでお茶することに。

忙しい時間を縫って会っていただいた。
50分ほどのプティオフだったが、会話が弾み、楽しい時間を持つことができた。
「次からは早めに予定を知らせて」と言われ、確かにサプライズになって仕舞ったなと申し訳なく思う。

でも、迷ったが連絡して会うことができて本当によかった。



                                  


毎日暑くて暑くて、今年はクーラーを入れて仕舞うと夜までつけたまま。
夜は流石に窓を開けて寝るが、朝起きるともう蒸し暑い。
夏の朝の爽やかさがない。
まるで亜熱帯のようだ。

もう8月だが、今年はいつまで暑いのだろう。
連日猛暑日を記録した数年前は、9月も結構暑かった。

屋根に太陽光発電をつけたので、電気代はそれほど気にしなくてよくなった。
それをいいことについクーラーを付ける。
もう還暦も近いのだから、無理はできないよなぁ~と自分に言いわけしながら。

モミジアオイ

2016-07-18 13:30:07 | 雑記
まるでハイビスカスのような赤い花は夏が似合う。
昨日最初の花が咲いて、もう梅雨が明けたのかななんて言っていたら、今日は梅雨明けしたというニュース。
自然の方が季節の移り変わりを知っていたのかも。

今日まではまだ涼しい風が吹いているが、それでも室内は暑い。
これから猛暑が一ヶ月以上続くのかと思うとうんざりする。

父が今日は体調が悪いようだ。
昼間の暑さと、夜は意外と涼しかったりして、私でもビタミン剤を飲んだりする。
まして、年寄りは体にこたえるだろう。


昨日、歩いて10分ほどの所にいる同級生に、なぎぃの珈琲を持って行った。
毎月コンスタントに珈琲を注文してくれるので、私も毎月コンスタントに彼女に会っておしゃべりをする。
たわいのない愚痴から、ちょっとした悩みをもらしたり。

誕生日も一週間違いなので、年金の請求手続きの封書が届いたと話題になった。
私はチラチラと見て、誕生日が過ぎてから輸送すればいいんだなと、また封筒に仕舞った。
彼女はもう少し書いたらしい。
のんびりしていると忘れるよと笑われた。

それで、「父も88になるし、そろそろ仕事も辞め時かな」と言うと、
彼女は、「お父さんを理由に辞めると後悔するかも」と言う。
確かにまだ元気で、家事も手伝ってもらえるので助かっている。
運転を辞めると行った時には、仕方がないから辞めるかなとぼんやりと考えていた。

しかし、体調の悪い父を目の当たりにすると、もう無理をさせてはいけないかなと思ったりする。
仕事でも、体力のなさを理由に遠方の取材は行かないし、年寄りがいつまでものさばっていては若い人たちも仕事がやりづらいかもしれない。

私はどうしたいんだろう。

フウチョウソウ

2016-07-12 21:15:17 | 雑記
雨が降っては陽射しが照り、またざーっと降る。
そんな繰り返しで湿度は75%。
気温は30度位なのに汗が止めどなく噴き出す。
汗をふき拭き扇風機にあたって昼間をやり過ごした。


物干し竿にいたのはちっこいカマキリ。

ピンチがでっかく見える。


どこに向かうのかな?


この後、他の場所に移動してもらった。


今夜から明日にかけて雨が降り続くらしい。
長崎の崖から崩れた家の映像は衝撃だったが、今度はそのしたの家が崩れ落ちた。
避難していてけが人はいないとニュースは言うが、わが家が壊れる様子を見た人や、その近辺の住民の気持ちを思うと…

熊本にも激しい雨が降り注いでいる。

土曜日は、本当は南阿蘇村にできるグリーンコープの店の取材に行く予定だった。
しかし、公共交通機関はなく、福岡から行く人も取材を同乗させる余裕はないとのことで断念。
月曜日に、お店のオープンの写真をもらって、まるで取材したかのような記事にした。

いつかきっと行こうと思う。

母の一年後礼拝

2016-07-10 22:17:59 | 雑記
昨日、一昨日は雨のせいで猛暑が落ち着いてホッとしていた。
今朝は起きた時から蒸し暑い。陽射しはないものの、気温が上がって湿度が不快感を誘う。
梅雨らしい天気だと言えばそうなのかもしれない。


今日は教会で母の一年後礼拝があった。
母の同世代の教会の仲間が、母の思い出を語ってくれた。
教会は母のもう一つの家だったのだと改めて思う。

父もそんな仲間に囲まれているから、毎週欠かさず礼拝に行くのだろう。
久しぶりに聞き慣れた賛美歌を歌い、静かに祈った。

一年後礼拝で写真と一緒に飾られた花ももらってきたので、母の写真と一緒に飾った。
母の写真の周りは花だらけ。
胡蝶蘭は、熊本の伯父からおくられたもの。
大きな花がついた立派な胡蝶蘭がおくられてきてビックリした。



今日は「日本が平和憲法を破棄して、戦争のできる国へと動き始めた日」と後の教科書に書かれる日。
父が安倍総理の演説の映像を見て、ヒトラーみたいになって…と呟いた。
ヒトラーも民衆から強烈に支持されて君臨した。
今日の選挙結果を見て、安部も勘違いして日本を思い通りにできると思っただろう。

強いものだけが利益を得る、こんな国でいいのだろうか。


6月の空と花

2016-07-02 16:17:40 | 雑記
気がつけば7月。
雨が降ったり陽射しが出たりと、今日の蒸し暑さは格別。

先週の土曜日は涼しくて、「アイロンかけに丁度いい」とまとめてアイロンをかけたために、翌日肩が凝って首が回らなかった。
7月の声を聞いたとたん30℃を越える暑さがやってきた。

ブログをサボっていたので、6月に撮った写真が溜まってしまった。

わが家の6月の花たち。


八重の紫陽花


桔梗の青紫色は心惹かれる


去年までは、「余所のヤマボウシは大きな花が開いてきれいだけど」と文句を言っていたが、今年は今までに無く大きな花が開いた。
本当は花では無いらしいが。


ベゴニアは放って置いても毎年花を咲かせてくれる


アガパンサス


食欲旺盛なアゲハの子どもたち

ベランダから下の畑を見ると、ひまわりがスクスク育ち、サルスベリのピンクの花も咲き始めた。
名前は分からないが、グラジオラスの原種らしいオレンジ色の花がたくさん咲いて美しい。
ヒルザキツキミソウも可愛らしい花を付けている。
下の畑は毎日父が胡瓜を取ってきてくれるのだが、蚊が多くて、私はなかなか写真を撮りに行けない。


6月のある日、仕事が終わって博多駅に向かっている時にふと空を見た。
雲がニョキニョキと伸びて面白い形になっている。
思わず駅ビルの屋上に上がって写真を撮った。


この雲の面白さをうまく撮れない自分がじれったい。

東から西へとまたがる雲はまるで骸骨の背骨のようで、あるいは龍のように空を自在に悠々と伸びていた。
風のいたずらか、雲が色々な表情を見せるので、どれを撮っていいのか分からず、空全部を写し取りたいとさえ思った。

忙しくて追い立てられるように過ぎていった6月も、こうして振り返ってみるとなかなか素敵なものを見ていたんだと気づかされた。



                              



長靴事件の後順調に農園に通っているなぎぃと、土曜日は映画を見に行った。
「64後編」
「64前編」を見に行った時はチケット販売機で買ったが、今回は人のいる所に行って、なぎぃの障害者手帳を見せてチケットを買った。
二人分の割引料金でチケットが買えたので、現金な私は次も一緒に行こうとなぎぃと話した。

後編は、「見たね」と言う感じ。前編だけでは終われない感じだったので、後編まで見て満足といったところ。

映画の後スタバで珈琲を飲みながら話をした。

この前農園に行った時に、相談支援員の人が来て、担当の指導員と3人で話し合いがあり、慣れてきたので、8月から通う曜日を増やすことにしたという。
親抜きでいいと、多分なぎぃが言ったのだろう。

スタバに寄らなかったら聞けなかった話だった。
前日には、久しぶりに天神のカフェにも行ったと言う。
時には家を離れて話をすると、開放感があるのかもしれない。

次はゴジラだねと言いながら帰ってきた。

花菖蒲

2016-06-19 10:33:49 | 雑記
夜から降り出した雨は、朝になって小康状態。
梅雨空はまたすぐに降り出しそうな気配。

           

2週間ほど前、父と一緒に宮地嶽神社の花菖蒲を見に行った。
この季節は毎年駅にも花菖蒲がたくさん飾られていて、宮地嶽の菖蒲池に行ってみたいと思っていたが、父も見たいというので久しぶりに宮地嶽に行ってみた。

トップの写真は菖蒲池の側の古民家。
手作り品の販売に使われていた。
青い紫陽花がその古民家の庭に彩りを添えていた。



花菖蒲はちょうど見頃。



水路に錦鯉がたくさん泳いでいる。

平日だったせいか、見学者はお年を召した女性のグループと、三脚を立てて花の表情を狙う写真家達が多かった。

紫陽花や花菖蒲は梅雨空が似合う。


                        


就労支援施設に無事通えたなぎぃ。
実は長靴事件が起きていたのが、行けなくなった原因だった。

農園では作業で長靴を使うので、なぎぃも長靴を持って行った。
ロッカーに片付けて帰ってきたのに、次に行った時に長靴が入っていなかった。
長靴に名前を書いていなかったため、他の人が自分の長靴だと間違えたようだ。

職員はその人の言うことを信用してなぎぃの長靴をロッカーから出してしまった。
なぎぃは長靴が入っていないので焦り、しかも自分の長靴がどれかはっきり言うこともできなかった。
利用者のみんなが集まってワイワイ言われたこともあり、なぎぃはパニック状態に。
それが原因で利用者のみんなの視線が恐くなり、2回続けて農園に行くことができなかったのだ。

私の休みが取れたので農園に電話すると、長靴が原因でしょう?と担当職員が言う。
「なんだ知っていて放置していたのかよ」と思い、ちょっと腹が立った。

なぎぃと話し合って、長靴に名前を書きに行くことにしてその旨を伝えた。

ナビを便りに、道に迷いながら農園に行き、長靴に名前を書いた。
職員は3回休んだから電話しようと思っていたと言う。
そういうものなんだと認識した。
ちょうど休憩時間になって利用者が畑から戻ってくると、なぎぃはやはり怖がったので、早々に帰宅した。

それから数日、農園に行く日の朝、なぎぃはちゃんと早起きして作業着に着替えて準備していた。
入り口で足が止まらずにちゃんと行けるか?と不安はあったが、私はなぎぃの顔を見て、何も言わず「行ってきます」と言って仕事に出かけた。

夕方なぎぃに行けたのかと聞いたらちゃんと行ったと言うのでホッとした。
その上、長靴を間違えた人は、なぎぃと同じ高校の出身者で、共通の知り合いもいたので、「つい話が盛り上がってしまった」という。

形勢は一気に逆転して、孤立していたなぎぃは話ができる仲間ができた。
表情も明るく、足が痛かったことなどどこかに行ってしまった。



                        


心に引っかかっていたことが晴れて、昨日はプティ同窓会に行ってきた。

アメリカ在住の同級生が帰国するのを機に、高校の同窓生11人が集まった。
正確に言えば、彼の中学校からの友人3人が混じっていたのだが、同じ年齢と言うことでは一緒だ。

高校の時ちょっとだけ付き合ったT君も来ていて、卒業以来始めてその頃のことを話した。
付き合うと言ってもその頃は手も握らない、あまり盛り上がらないつきあいだった。
バレンタインデーにチョコを上げようと持っていくと、突然「受け取れない」と言われあっけにとられた。
向こうから付き合いたいと言われて付き合っていたのに、受け取らないってどういうことよ?とショックを受けた記憶がある。

高校の頃のことは余り憶えていないが、面白いことにそれだけは憶えている。
彼はチョコのことは憶えていなかったが、私がマフラーをプレゼントしたという。
マフラーのことは私は憶えてない。
記憶のバラツキが面白かった。

みんなカラオケに行くと言うところ一次会で失礼したが、ちょうど降ってきた雨に濡れてしまった。
梅雨だというのにうかつにも傘を持たずに出てしまったからだ。

日頃の行いが悪いのだろう。

白い紫陽花

2016-06-07 20:58:52 | 雑記
朝は細かい雨が残っていたが午後は陽射しも出た。
気温はそれほどでも無いが蒸し暑い一日だった。

            

白い紫陽花もピンクの紫陽花もお隣の庭の紫陽花。
裏庭なので、多分家人にはあまり見てもらえないのではと思われる。
それでも紫陽花は毎年たくさんの花を付ける。
年に一度、シルバー人材センターの人を入れて庭の手入れをするお隣。
なので、紫陽花も毎年ちゃんと花を咲かせる。

洗濯物を干す時に、咲きそろう紫陽花が目を楽しませてくれる。
雨の日はサンルームの窓からそっと覗く。
雨に濡れた紫陽花はグッと魅力を増す。

今年の白い紫陽花は、哀しそうな表情をしている。



                        



月曜日には念願の「64前編」をなぎぃと一緒に観に行った。
見ておかないと後編が始まってしまう。
なぎぃと映画に行くのは久しぶりだった。


調子を崩していたなぎぃ。
ストレスが溜まると、体が動かなかったり声が出なかったりすることがあるが、深刻になると体が痛み出し歩けなくなる。

7年ほど前、夫の仕事を一緒にしていた時は頑張りすぎてある日突然倒れた。
足が痛く引きずるように歩いた。
ものが二つに見えたりするので、なぎぃは原因が知りたくて整形外科に行ったり、いくつかの脳外科でMRIを撮ったりしたが、原因不明と言われますます落ち込んだ。
最後は神経内科の医師が丁寧に対応してくれたが、検査しても原因は分からなかった。
その内に痛みは治まっていった。

今回も農園に行けなかった翌日、体が痛いと言った。
一度痛みが出ると、長い時は1年以上も続く。
「どうなって治ったんだっけ?」と聞いてみた。
「いつの間にかだね」と言うとうなずいた。
気長に対処するしか無い。
翌日は痛みはなさそうに見えた。

少しずつ元気を取り戻して行く様子に、「映画に行く?」と聞くと「行こうか」と応えるほど元気になった。
いつも痛いわけでは無いと言うが、イオンモールの人混みをシネコンに向かう間は足を引きずっていた。
人混みは見られているように感じて緊張するのだろう。

映画が気分転換になってくれればいいなと思う。
「64後編」もなぎぃに付き合ってもらいたいと。

きらんそう

2016-06-04 15:23:22 | 雑記
先週も日曜日は雨だったが、今週も土日が雨。
子どもの運動会が平日になって、休みを取った同僚もいた。

今日も朝から時折雨音が聞こえる。
肌寒く、昨日まで家中網戸だったのに今日はドアを閉めまくって長袖を重ね着している。
気温の変化についていくのは大変。

梅雨入り宣言が出た


なぎぃの通う就労支援施設は農園の作業だ。
4月の始め頃、作業体験に行くなぎぃについて行った時の写真。
3月に一度見学に行ったが、その日は雨でハウス内の作業を見ただけだった。
この日は晴れて農園の様子がよく分かった。

たまねぎやチシャ、馬鈴薯が畝ごとに並ぶ。
丁寧に除草されている。


畑の真ん中に大きな桜の木がある。


ハウスの中にはほうれん草や小松菜。ハウスものと露地物が半々の農園だ。


周りは自然に囲まれ、近くに大きな公園もある。


竹林が青空をバックに風にざわめいていた。


タケノコもニョキニョキ伸びていた。
ウグイスやホトトギスなどの野鳥の声がしきりに聞こえ、のどかな環境だ。


前にも書いたが、何度も何度も面談があって根掘り葉掘り聞かれ、やっと5月から農場に通い始めたなぎぃ。
それも、週1日午前中だけから始めた。
週一日だけの朝、ちゃんと起きてくるかハラハラして、3回まではちゃんと起きてきて農場に行った。
ところが4回目はとうとう行けなかった。

5月になって農場に通うようになって元気が出たのか、去年の10月くらいから行かなくなっていたカフェ巡りが復活した。
近くのカフェに自転車で行ったり、JRで出かけたり。
とても調子がいいように見えていたが、その日の朝は動けなかった。
声も出ない様子。

突然やって来る不調に戸惑うのはなぎぃも同じだろう。
その日は仕事だったので帰ってから落ち着いた様子のなぎぃと話をした。
行きたくない訳では無いと言う。
来週はリベンジだと。

そうそうすんなりうまくいくと思ってはいなかったが、一喜一憂する私がいる。
長い目で見るのだと自分に言い聞かせる。
あがったり下がったりしながら、少しずつ前に進んで行けばいいんだ。

いずれあやめか かきつばた

2016-05-31 22:21:03 | 雑記
いずれあやめかかきつばたと書いてから、去年も同じタイトルでブログを書いたような気がしてきた。
平凡なタイトルしか思いつかない自分にガッカリ。

5月だけど30℃近い気温の昨今。
庭の緑が鮮やかで、


トマトはまだ赤くならない


胡瓜も可愛い実をつけた


コンクリートの塀の上を逃げるかなへび

シャッターがちょっと遅かった!

夜降った雨粒がキラキラとかきつばたの花びらの上で



金曜日から二日ほど具合が悪く、寝込んでいると父が家事を担ってくれる。
洗濯は無理にしなくても…と思いながら、でも頑張る父。

日曜日にはやっと元気になった。
そうしたら父の血圧が上がっていた。

情けない私。

予定通り今日まで休んで、布団を干したりシーツを洗ったり晴れると忙しい。
くぅが着なくなった夏物の衣類をファイバーリサイクルに持って行くついでに、母の夏物をちょっと整理して着られそうなものを持って行った。

私の身長が10センチ低くて、もっと痩せていれば母の服も着れたのだが。
ファイバーリサイクルに出して、誰かが着てくれた方が服も嬉しいだろう。
ほとんど手つかずの母の部屋。
父はどう思っているのかな。




雨の日曜日

2016-05-29 11:30:37 | 雑記
週の初め、ブログを書き始めたら急にパソコンが再稼働を始めて、あれよあれよという間にウインドウズ10がインストールされてしまった。
その日に何を書こうと思ったのかもう忘れてしまった。

10になっておそるおそる昨日パソコンを開いてみた。
ちょっと立ち上がりが遅くてびびったが、なんとか使える。
心配した家計簿ソフトが無事使えたのでホッとした。

10にインストールされたと、翌日は職場でも話題沸騰!
「いつものように、インストールしませんかという画面を×で消したのに自動的にインストールされた!」と。
自動的にインストールされますという内容を読まずに×で消してしまった自分が悪いのだろうが、何だか罠にはまった気分。


                        


今日は一日雨の予報。
梅雨の走り。
雨の日は布団も干せないし、急いで洗濯をしてもどうせ乾かない。
出かける予定も無いのでパジャマのままゴロゴロ。

のんびりしていたら珍しくメールがきた。
明日、熊本支援に行ける人はいないかという内容。
明日は休みの予定。業務的に行けるのだが、金曜日から体調を崩してやっと回復した所。
体力に自信が無い。
何と返信すればいいか…


                        


忙しい5月が終わる。
熊本支援の弁当作りは2回だったので、負担にはならなかった。
地震の影響で、止めるかと思っていたポスターと写真集が動き出したのは予定外の動きだった。
しかも、印刷屋に出すまでに作り上げたポスターは、このような時期に無理をして作る必要は無いという上の判断があり、中止になりそう。

仕事の合間を塗って、なぎぃが就労支援センターに通うための手続きがあった。
生活支援センターの就業支援員との面談。
就労支援センターの見学、体験。
相談支援専門員との面談、計画相談サービス利用計画。
市役所福祉課での聞き取り。
就労支援センターでの面談。

「子どもの頃はどうでしたか」
「医療機関にかかったきっかけは」
「診断は」
「入院したことはありますか」

面談や聞き取りのたびに、同じことを何度も何度も聞かれうんざりした。
なぎぃも、思い出したくも無い記憶を何度も思い出さなければならない辛い作業だった。
これでは途中で嫌になって辞めてしまう人もいるのではないかと思うほど。

「ずっといじめられてきた」と、最初に相談に行った県の「わかものサポートセンター」でなぎぃが言った時、私はやはりなぎぃを理解していなかったと痛感した。
中学生の時、はっきりとしたいじめの兆候を見て教師に相談した。
その教師は誰にいじめられているのかと問い詰め、その二人にいじめたのかと聞いたらしい。
二人は知らないと言ったと教師はなぎぃに告げたという。

なぎぃは教師にも親にも絶望して生きてきたのだろう。
なぎぃが高校に行けなくなった時でさえ、私は彼を理解できていなかった。
こうあって欲しいという思いが、いつの間にか彼の本当の姿を見ないようにしていたのかもしれない。

この間の一連の面談は、私の心もえぐり続けた。
しかし、福祉の手を借りることができた。
今後も相談支援専門員は定期的に連絡を取るという。
将来に対する漠然とした不安は、福祉の手を借りることができるというほんの少しの灯りを見つけることができた。



                        



そして、久しぶりに会った友人達と、昨年亡くした友人を偲んで話をすることができた。
Sさんは、ふとした時に亡くなったTさんを毎日のように思い出すという。
薄情な私は、Tさんがもうすぐ一周忌と聞き思いだした。
去年の今頃は母の入院中でTさんの葬儀にも行けなかった。

若くして才能豊かな彼女が何故逝ってしまわなければならなかったのか。
何故私のような者が生きているのか。
残されたものは同じ思いを抱えてそれでも生きていかなければならない。

ゴールデンウィーク最終日

2016-05-08 15:58:48 | 雑記
朝は晴れていたが段々雲が多くなってきた。
夕方には雨になるらしい。

ゴールデンウィークは、セーターを洗って、シーツや綿毛布を洗って、冬物のコートを洗って片付けて、後はあそぼーいを撮りに行って終わった。

デジカメやスマホで撮るとシャッターチャンスを逃すので、今日はくぅのデジカメを借りてスポーツモードの連写で撮ってみた。
初めて使うデジカメなのでちょっと不安だったが、その不安は的中!


何と!連写は10枚で終わり、次に撮れるまで間がありシャッターチャンスは見事に逃してしまった!

今日の公園にもおばあちゃんとお母さんと小さな子どもがあそぼーいを待っていた。
なかなか来ない電車にじれていた子どもも、あそぼーいを見てはしゃいでいた。

私はシャッターチャンスを逃してガッカリしてすごすごと引き上げた。

ゴールデンウィークだけしか、特急あそぼーいは鹿児島本線を通らないのかと思っていたら、今後も土日は走るようだ。


後ろ姿

本当の撮り鉄だったら、博多駅や門司港駅まで行って撮るところだが、歩いて10分の公園や高台にしか行かないところが撮り鉄もどきだ。

すごすごと帰る道すがら、


野苺や


ポーピーに慰められた。

目撃!

2016-05-03 12:59:39 | 雑記


熊本地震で阿蘇を走れなくなった特急あそぼーいが、ゴールデンウィークの間、鹿児島本線の博多門司港間を走る。
乗りたいなぁ~と思ったけど、親子席があったりして子供たちに人気のあそぼーいだからきっとチケットは完売だろうと思い断念。

鹿児島本線を通るってことは見られるんだと気づき、見に行こうと決意。
今日は朝から雨が降る中、傘をさして線路が見下ろせる高台に向かった。

歩いて5分程のその場所には、すでに三脚を立ててカメラを構えたおじいさんがいた。

小雨だったので傘をさしたまま、あそぼーいを激写
あっという間に通り過ぎていった。

明日は晴れるので、違う場所で見ようかな。
え?物好き?

二週間

2016-04-30 16:01:12 | 雑記
雲一つ無く晴れ渡る青空。昨日もこんなお天気だった。
「なんにも無かったみたいないいお天気ね」と従姉のYちゃんが言った。


                        


二週間程前、伯父のいる熊本で、叔母や従姉妹たちと会うことになって4月29日の新幹線をネットで予約して、翌日の朝博多駅でチケットを入手した。

伯父は南島原の実家で、一人でノンビリ暮らしていたが、緑内障が進んで一人暮らしが不自由になり、娘である熊本の従姉のYちゃんの所に身を寄せた。
仕事を持つYちゃんは、昼間一人で居るよりもと、介護付きのホームに父親を入所させた。

それを知った父は、伯父に会いに行きたいと言うようになった。
ホームに入ったとは言え、休みの日はYちゃんも頻繁に会いに行き、一緒に外食したりしていたようだが、父にしてみれば切なかったようだ。

動揺した父に、その時私は「新幹線で熊本はすぐだから連れて行くから安心して」と言った。


その後、母が亡くなり、父も前立腺がんの治療や放射線の後遺症などで通院が続いた。
後遺症の治療も一段落して、気候もよくなったので熊本に行こうと話したら、すぐにYちゃんに電話した父。

それで、29日にみんなで集まることになった。
チケットを手にした夜、熊本地震が起こった。
父がすぐに電話すると、食器やいろんなものが落ちて大変だけど大丈夫という答えが返ってきた。

それから2度目の地震。

熊本市北区はそれほど被害が出ていない様子だったが、ニュースなどで熊本の様子を見て、今回の集まりは取りやめた方がいいのではと、父が留守電を入れた。
Yちゃんからは、叔母の方にも相談してみるとのことだった。

26日、「博多熊本間の新幹線が復活したし、先延ばしにしても同じだから集まりましょう」と連絡があった。

28日には九州新幹線が、博多鹿児島中央間全線が動き始め、本数を減らして山陽本線との相互乗り入れも復活した。
29日は座席予約したチケットだったが、グリーンをのぞいて博多鹿児島中央間はすべて自由席になったため、チケットはそのまま自由席扱いで利用できるとホームページに書いてあった。
父は自由席で座れなくても行くと言う。私も覚悟して連れて行く準備をした。


                        


予定よりも早めに家を出て博多に向かった。
新幹線のホームにはTVカメラがいくつも来ていた。
心配したが、座席に座ることができてホッとしながら熊本に向かった。


座席はほぼ満席で、ボランティアに向かう様な人たちも乗っていた。
熊本に着く前は速度を落として走行。遠目に鬼瓦が乗っていない熊本城の天守閣が見えた。
ブルーシートで覆われた屋根がチラホラ見えて、被災地の熊本に足を踏み入れるのだと実感した。
40分ほどで熊本に到着。


エスカレーターは壊れて使えないのでと車内アナウンスがあった時はちょっとビックリ。
エレベーターを待ってゆっくり降りていくと、改札口で笑顔のYちゃんが迎えてくれた。




伯父
Yちゃん夫婦
叔母
従弟のHさんと娘(小2)
従姉妹のKちゃんと息子(3歳)
総勢10名で近況や昔話に花が咲き、美味しいご飯をいただいた。

伯父のいるホームは新しく立派なので地震の影響はなかったが、水道やガスが止まり食事が2食になったりパンだったりしたらしい。
叔母は南島原で地震はやはり頻繁だという。

Yちゃんの家も、Hさんのマンションも被害は無く大丈夫だったようだが、もちろん水やガスの復旧は25日を過ぎてからで、避難所や車中泊もしたらしい。
学校が避難所になっているので、Hさんの娘はいつから学校が始まるか分からないとも。

この日には仕事で会えなかったがもう一人の従兄弟(Yちゃんの弟)が熊本に居る。
家の壁にヒビが入って数日は避難所にいたらしい。

Yちゃんは薬剤師で、病院が井戸だったので近所の人も避難してきて、みんなでカセットコンロでご飯を炊いておにぎりを作ったりと忙しかったらしい。
Yちゃんのご主人は役場の嘱託らしく、支援物資の受け入れをして、避難所に送り出す仕事をしているという。
去年脊柱管狭窄症の手術をして回復したばっかりなのにと笑っていた。

食事の途中、震度3の地震が来て揺れた。
横にゆらゆら揺れるのではなく、したからドーンと来る。
「こんなのが、夜何度も来るのよ」と。
それでも、家が無事で仕事をしているから気が紛れてよかったと言う。

電話では大丈夫だと言っていたが、熊本は被災地なんだと実感した。


                        


熊本城も水前寺公園もどこにも行けないので、早めの新幹線で帰ることにした。

自由席だが指定席仕様の座席。床にはツバメ。

車内販売で珈琲を飲みながら、無事に父と福岡に帰ってきた。