a vacant mind

虚無と音楽

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2006-10-24 | Diary
こうやって振り返ってみると大したことのない人生です。
大したことをしていないのですから、こんなものです。
足踏みをしながら同じところをグルグル回っているのでしょう。
成長なき老化を見つめています、どうということもないけれど生きることには疲れています。
それは今も昔も同じなのです。
30のころハルマゲドン神社に行ってから碌なことがありません、やはり安易に霊的な力があるところに近付いてはいけません。吸われるほどの気力もなければ霊的な力を実感することもない、嗚呼ここかとただの散歩になってしまいました。ただ大きな木だけは近付いたときに咳き込むほど空気が別なものだったように思います。浄化されたような何も変わらないような、感性が鈍感なんだと落胆したものです。でも、もうこういうところには余程のことがない限り近付くことはありません。
見えないものが働きかけていることは確かです、人生が一変するとしてもそれは僕には関係のないことだったようです。そこに行けばすべてが変わるような都合のいいことはないのだと確信したものです。


next17

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jellyfish

2006-10-24 | 音楽等
改めて聞き直してみるとパワーポップそのもの。
ポップもここまでポップだと王道ともいえる。
ビートルズ、ELO、QUEEN、10ccとか嫌いにはなれません。
実生活のダークさは救いようもないものだし、放っておくと消えてしまいそうです。
それでもポップスを聞いていると少しは楽しくなるものです。
全然違うから余計に楽しく聞こえてきたりもする、優しくはなれないけれど、ほっとはします。
ジェリーフィシュを聞いていると、うれしくなるのです。こんな感覚もまだ残っていたのかと再発見できることがうれしかったのです。
思い出せもしない感覚を呼び覚ましてくれる、I LOVE YOUが聞こえても、それもメロディーとして聞こえてくるから嫌ではない。
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いのち

2006-10-24 | Diary
いのちについて考える時は、身内のことだったり、好きな人が亡くなった時ぐらいだった。
いのちをどう思っているのかと尋ねられるのが一番辛い。
限りあるいのちではあるのですが、あまりに無頓着すぎるのかもしれません。死にたい死にたいと言っている人間にいのちの尊さなんて語る資格はありません。
無責任な人間でしかありませんが、他人のいのちについては慎重な発言にならざるを得ません。
自分のことはどうでもいいのです、生きるべき人がなくなるということは耐えきれないものがあるのです。生き残ってしまっている罪悪感が頭を掠めていくのです。何故生きているのだろうかと。
畏縮したいのちでは遠くへは飛べませんが、飛ぼうと必死には足掻いてはいるのです。
たくさんの言葉を使っても、ただの言い訳にしかならない。
生きてて欲しいと思われているのかもしれませんが、それは言葉にするものではないのかもしれません。死ぬということが一番卑怯なことだと言われたこともありますが、死ぬということしか頭に浮かばないほど、いのちの灯火は揺らいでいるのです。
吹き消せば簡単に吹き消すことができるのです。揺らいでいるところがいのちの本質でもあるのでしょうが、いのちを粗末にしてしまいそうで恐いです。
コメント (1)
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