a vacant mind

虚無と音楽

BONO BONO

2005-06-30 | Diary
いがらしみきおの「ぼのぼの」は何だか好きな漫画です、ふだん鬱なることが日常と化してしるのですが、何がいいかというとページの両脇にペラペラマンガがあること。小学校のころ一度くらいはやった動くマンガがちゃんとした単行本として発売されている、アニメ化にもなったし映画化にもなった。
残念ながら僕の地元では映画館では上映されなかった。見ているうちに寝てしまうかもしれないが大画面でのぼのぼのは、ある意味圧巻だったかもしれない。
僕がつくりだした世界とぼのぼのの世界は、どこにも共通項はありません。
まんがのなかで少しずつではありますが個々のキャラクターは一応成長しているのです、あまり詳しくは話しを掘り下げてはいないけど、掘り下げなくても別にいいのです。事細かく説明してしまうと説教になってしまう。
ドストエフスキーを読んだあとにぼのぼのを読むと頭がくらくらするけど、何が違うのかといえば文庫か漫画かというだけのこと、同じような事柄を探す必要はどこにもないのです。
似ていると感じられる感性があるとういことがおもしろいのだろうけど、どうでもいいといえばどうでもいいことなのかも。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦悩

2005-06-29 | Diary
誰も信じられないなら
別に信じれるようになるまで
放っておけばいい
ずっと信じられないのなら
原因が何も解決してないだけ
原因追求が必要な時もあるが
曖昧なものをはっきりとさせるには
その曖昧なものが何であるかを
見つめなくてはならない
逃げたければ逃げたって構わない
いつまで逃げるかはその人次第
闘いつづけるものも多いが
それも何と闘うのかわからなくなれば
何のために闘うのかとういうことになる
答えなんかどこにもない
自分で納得できるならそれでいいはずだが
迷うのも別に構わない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相殺

2005-06-28 | Diary
きっちりと生きなくてはならないなんて昔は思ったものだ、きっちりとしていることはある意味安心感を得やすいのは確かなんだが、そんなのばっかりに囲まれていたら息苦しくなってしまう。
整然としているようでいて雑然としていた街並は失われ、今はまるできっちり計算し尽くされた集積回路みたいな街並が拡がっている。
でもそのなかで育ったというのなら、違和感というものはあまり湧いてこないのも自然なことなんだろうけど、逆にきっちりとしてないことに対して違和感を憶えるのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JACKS

2005-06-28 | 音楽等
LOVE GENERATION
作詩・作曲 早川義夫

僕らは何かをしはじめようと
生きているふりをしたくないために
時には死んだふりをしてみせる
時には死んだふりをしてみせるものだ

しようと思えば空だって飛べる
そう思える時嬉しさのあまり
泣きながら飲めないお酒をかわす
泣きながら飲めないお酒をかわすのだ

信じたいために親も恋人をも
すべてあらゆる大きなものを疑うのだ

大人っていうものはもっと素敵なんだ
子供の中に大人は生きているんだ

実はひとりになりたいゆえに
バカみたいにたくさんの人と話すのだ
僕らの言葉の奥には愛が
僕らの言葉の奥には愛がいっぱいある
ラララ……
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ばか

2005-06-27 | Diary
歪んでいる世界に歪んでいる僕、接点はいくらでもあるが繋がろうとしていない以上、敗北しているのだろう。敗北主義とか言うらしいが別にどう捉えようが構わないというスタンスだった。
何がスタンスなのか本当はわかっていないから、説得力の欠片も持ち合わせていません。
おかしいことを気にしたって、それが治るわけじゃない。大嫌いだ大嫌いだといっているうちに卑屈になっていくんだから救いようがない。
手を差し伸べてもその手すら触れようとしない、頑なさもここまでいくと可愛げもなにもない。暗黒が拡がっていた手をのばすその先が間違っていたんだろう。愛していますなんて言ったこともない、ただわかってもらいたかっただけわかりようもないのも事実だろうけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする