a vacant mind

虚無と音楽

ロック

2005-09-30 | 音楽等
ロックが好きだったのは、かっこいいからじゃなかった。みっともなくてだらしなくても別にいいんだと感じたから。叫んでいてもいいし、ボソボソ何言ってるのかわからなくたって構わない。そんなところが気に入っていた。だから王道のロックン・ローラーには興味がない。でも音だけは興味があった。
ロックもジャンル分けしたら、もう何が何だかわからないくらいに増殖している。
ジャンルはどうでもよくて、きれいなメロディーもノイズも同じように聞くことが楽しかった。

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当り前のこと

2005-09-30 | Diary
当たり前のことを当たり前に思えるのなら、こんなことになることはなかっただろう。当たり前だと思っていることが人と違うんだって、わかることがまずできなかった。
当たり前っていうことは、そんなこと考えなくてもわかるでしょう、とでも解釈してしまうけど環境や慣習によっても、例え日本であっても違ってくる。
いまのアメリカの当たり前が、決して当たり前でないことはアメリカが証明してくれた。
おかしいと思える人が少なくなってしまうと正論ばかりで、ただ押し付けがましいだけになってしまう。
案外当たり前なことが、当たり前じゃないということを生きている間に知ることができると面白い。
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消えゆく砂浜

2005-09-30 | Diary
ただ何にもなかった砂浜、人が植えた防砂林がどこまでも続いている。本当に何にもなかった、人が植えた松林だけが手入れもされずに伸び放題だった。砂浜も海までがとても遠かった。
砂浜や入江で貝をとることもできたし、松林ではきのこ狩りなんかもできていた。
リゾートというもとにおこなわれた自然破壊によって、砂浜は護岸工事をしなくてはならないくらいに削り取られ、海のいろも何だか濁っている。
そういえば魚釣りする人も減っているような?何にもないところだったけれど、何にもないということが僕は好きだった。何にもなくても空気はきれいだった、夜空もきれいだった。
何もかもが線で引っ張ったような、昔のアフリカの地図のようにはなれるわけがない。
人は考えている以上に、厄介な生きものなんだろう?
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foolonthehill

2005-09-29 | Diary
わかりあうことを僕は拒絶している。何故なんだろう、ただの臆病なだけなのかもしれないが、わかっているのにわかろうとしない意固地な偏屈者なのかもしれない。
わかろうともしない僕の頭の中を絶望で一杯にした。
病気なんだと思わずにはいられなかった、歯車がただ噛み合っていいないだけという訳じゃないんだろうが、何故に人間がこんな嫌いなんでしょう?
考えるのも飽き飽きしている。嫌いなら嫌いでいいや、自分が嫌いと大して変わりはない。
不幸が顔にでているよ、ことばにすることもないだろう。そういう生き方をしてきただけさ、無理矢理笑ってみても不気味だけさ。
幸せも不幸せもときに連鎖していくもの、発想の転換でいくらでも変わるものと言われている。
負のスパイラルも呑み込んでやると思いながら呑み込まれていく、何て馬鹿なんだろう。
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人生狂騒曲

2005-09-28 | 音楽等
モンティ・パイソンの人生狂騒曲を見てはじめは、何だこれって思った。ブラックユーモア全開の世界が展開されている。好きな人には相当人気があるモンティ・パイソンという集団の映画なのだけれど、日本人にわかりやすいものではない。それでも何故この人生狂騒曲を買ったのだろう、あの頃は若かったということぐらいかな、変わっているものに惹かれていた。「人生の意義とは何か」 というテーマに興味をもったのだろうけど、何だこれはという印象は強く残るくらいインパクトはあった。
モンティ・パイソン的な世界観は今の僕の生活に何の影響も与えてはいないけれど、「人生の意義とは何か」そんなこと考える暇があるのなら人生をもっと楽しめと言ってはいないけれど、これくらいのブラックだったらいいんじゃないのかと思えるくらい歳をとった。
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