日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

習い事の年限

2007-01-15 13:21:20 | Weblog
私が敬愛していた大学院時代の先輩がある時洩らした一言がある。今でもはっきりと覚えているが、「どんなにいい先生でも付くのは5年ぐらいと決めておいた方がいいよ」というのである。その先輩は自ら有言実行を果たした。大学院で学位を得るとアメリカに留学し、帰国後は他大学に助手の職を得て教授に協力しつつ新しい分野の研究を始めた。そして学会賞を授かるような立派な業績を挙げてまた別の国立大学に教授として赴任した。理想的なコースを歩んだと云えよう。

この言葉は先輩独自の人間観から出て来たものであった。5年間も人間同士の付き合いが続くと、良いところ悪いところを含めてお互いが見えてしまう。友人、夫婦関係はそれでもいいが、師弟のような上下関係では必ずぶつかり合うようになる、というのである。もちろん我慢をするのは弟子の方だから、ストレスが溜まってきてそのはけ口を探し始める。

なるほど、と思った。習い事で考えてみると、弟子の成長速度が師匠のそれを遙かに上回るのである。習い事を始めたとき、弟子は0から出発する。師匠の持っているものを100だとする。弟子が60に到達したときに師匠は100ならまだよい。下手すると90に下がることもあるだろう。師匠も精進しないと身を切り売りするしか手がないからである。弟子にとって最初は仰ぎ見るような存在だった師匠が、だんだんと自分の手の届きそうなところに近づいてくる。これは技に関してであるが、師匠の人間性も露わになってくる。最初は盲目的に従っていた弟子が次第に自我に目覚めてくる。ぶつかり合ってもおかしくない状況が自然と生まれてくるのである。人間関係を良好に保つために、習い事でも5年あたりを一つの区切りとするのがいいのかも知れない。

私の習い事の周辺で変化があった。ふと気がつくとお稽古仲間で見慣れた顔が減っているのである。稽古歴5年以上の方々である。それぞれの事情があってのことであろうが、仲間が減っていくのは正直なところ淋しい。私にすれば切磋琢磨し合う仲間の多い方が心丈夫だからでもある。しかし、5年もお稽古を続けておれば、自分なりの道を極めていく素地は十分に出来上がっているから、後は精進次第である。場は違ってもお互いに修練を競い合い、また相見える折のあることを祈念したい。