日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

♪万里の長城からションベンすればよー

2007-01-17 12:18:22 | 在朝日本人
朝鮮京城三坂通りのわが家は、朝鮮神宮の参道に通じる坂道に面していた。龍山師団の兵隊さんが行軍訓練でこの坂道をよく上り下りしていた。時には軍歌を歌いながら行進していく。

  ♪万朶の桜か襟の色 花は吉野に嵐吹く
   大和男子と生まれなば 散兵戦の花と散れ

このような歌を、前と後ろの分隊が一小節ずつ交互に歌い継ぎ、ザッザッと足音を立てて歩いていく。いつの間にか私も耳からこの歌を覚えてしまった。

このような歌もあった。

  ♪万里の長城からションベンすればよー 
   ゴビの砂漠に虹が立つよ

で始まり、いろいろと歌の文句が変わって続いていく。そのなかで私の記憶に一つだけ残っているのがある。

  ♪巴里のエッフェル塔からションベンすればよー
   ダニエル・ダリューが傘をさすよ

というので、このような節である。

「硫黄島からの手紙」を観たことが連想に連想を生み、この歌が出てくる羽目になったのであるが、このたび歌ってみてある違和感を覚えたのである。

一番はよい。二番がしっくりこない。戦争中はもちろんフランスも敵で、だからこそ仏印などを奪ったりしている。その敵国人にションベンをかけて気勢をあげる、との見方が成り立たないわけではない。しかし文句全体があまりにも『文化的』だし、軟弱感が漂っていて、軍歌らしくない。

母が昔語りに兵隊さんが歌っていた、と一番の歌詞をちゃんと云ったことがあるので、これが歌われていたことは確かである。しかし他には覚えていなかった。

「ダニエル・ダリュー」がもし兵隊さんたちに本当に歌われていたとしたら、その中には物知りがいて、ダニエル・ダリューとシャルル・ボワイエ演じる彼女の代表作「うたかたの恋」を講釈していたかも知れない。それに耳を傾けて頷く兵隊さんを想像すると、なんと日本軍兵士の文化度の高かったことよ、と賞賛したくなる。

ところが「ウィキペディア」によると、1935年に公開されたこのフランス映画は日本では検閲で上映禁止となり、戦後になって公開されたとのことである。この映画はともかく、戦前の日本におけるダニエル・ダリューの人気度がどの程度のものであったかが分らないので、このような歌詞が世間に広がっても不思議でなかったのかどうか私には判断できないが、軍歌に登場するにはやはり場違いかな、との思いが強い。

となると「ダニエル・ダリュー」が私の記憶に定着したもう一つの可能性を考えてみないといけない。戦後、軍歌のいろんな替え歌が輩出した。ダニエル・ダリューとは全く無縁であった少年の私が、ただ面白がって口にし出したのだろうか。「万里の長城」と「ダニエル・ダリュー」がなぜ対で私の口から流れ出るのか、この疑問はちょっとやそこらで解けそうもないようだ。