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被災者の「疎開」を一刻も早く組織的に

2011-03-17 11:11:36 | Weblog
東日本大震災による避難者は原発事故による避難者を合わせると43万人を超えるとのことである(朝日朝刊)。ご苦労は察するにあまりある。この状態がいつまで続くことやら恐らく目途はたっていないことであろうが、この困難な状況から脱する最も有効で唯一の手段が「疎開」であると私は確信する。

これまでもこのブログで折に触れて書いてきたが、私たち家族は前の戦争の敗戦を当時の朝鮮・江原道鉄原で迎えた。ソ連軍に追われるような形でなんとか京城に脱出して、父の勤める会社の寮の一室での避難生活が始まった。避難生活といっても家屋はなんの損傷もなく、巷には食料品をはじめあらゆる物質が溢れかえっていたのだから、震災の惨状にくらぶべきもない。11月の中頃であろうか、ようやく貨物列車で釜山に運ばれて引き揚げ船に乗船するまで寺院の本堂で1週間ほど雑居生活を送った。引き揚げ船で博多に上陸してふたたび貨物列車で父母の故郷播州に辿り着き、会社の準備してくれた社宅に落ち着いたのは11月も終わりであったと思う。3月半におよぶ浮き草生活からようやく解放されたのである。もちろんこの間、学校とはまったく無縁であった。今でいうと小学5年の2学期は抜けてしまって、年を越した3学期から教室に戻った。

私たちのような朝鮮からの引き揚げ者は民間人だけで72万人に達した。さらに言えば海外からの引き揚げ者総数は軍人・軍属が310万人、民間人は318万人で合計628万人に達する。この巨大な人口をおなじく戦争の惨禍に打ち拉がれた祖国が一手に受け入れて、そして国民が一丸となって復興に立ち向かったのである。この時の状況に比べれば、今回の震災被災者を西日本をはじめ被災地周辺の府県が受け入れるなんて児戯に等しいものである。

私の家が阪神・淡路大震災で半壊になり、同居の母をとりあえず妹の嫁ぎ先にあずかって貰い、補修も済みライフラインのようやく回復したわが家に母が戻ってきたのは3、4ヶ月後であった。半壊といっても家の形が残っていたからこそ出来たことであって、家が全壊した被災者は当面の目途さえたたなかったのが実情であった。この方々と同じような状況に大津波に家を奪われた方々が今おられることになる。

避難所に救援物資を送り届けることは目下の急務である。しかし避難所での生活には限度があり、とくに高齢者や乳幼児をはじめ体調を崩した方々には先の見えない生活を強いることはもう出来ない。今や「疎開」を積極的に行うしかこの窮状を脱する手立てはないものと思い定め、国が即刻基本計画を立てて実行に移すべきであると思う。

被災者で東海・西日本地方に縁者・知己のある方々は、そういう個人的な繋がりを活用して「疎開」先を確保するのもよかろう。すでにこれらの地域で公営住居などを提供する動きがが早くも広がっている。縁故に頼るだけではなく、被災地の自治体がしかるべきネットワークで積極的に「疎開」の斡旋を行い、一方、国はあらゆる便宜を図ることで支援すべきである。自衛隊車両による輸送をはじめJRの無料化などはその手始めであろう。そして故郷との連絡手段を確保する。被災者の方々にはそれぞれの思いがあり、なかなか「疎開」に踏ん切れない方も多いことだろうが、「疎開」こそが最善の選択枝であることを、引き揚げと阪神・淡路大震災の経験者として確信する。

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