日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「手書き」の大切さ、そして字にまつわる話

2010-10-25 18:07:49 | 昔話
産経新聞に【国語逍遥】という清湖口敏さんによる続きものの記事が載っている。今朝はその八回目で《「手書き」の衰退》がテーマであったが、その中の文章になるほど、と相づちをうった。

 小社や各界の講師が政治、経済などさまざまな分野について解説する「大手町Newsカレッジ」(産経新聞東京本社内)で、「国語力」の講座を受け持っている。国語の話だから当然、ホワイトボードに字を書く頻度も高く、「板書」の難しさを思い知らされている。

 受講者はほぼ全員が成人なので、悪筆の恥ずかしさに耐えさえすれば、それ以上の支障はまずなかろうと思われるが、これが児童相手の授業となると、先生はとてもそんな悠長なことを言ってはおれまい。

 子供は黒板を見てノートを取る際、知らぬ間に先生の字をまねることが多い。先生の字が稚拙だと子供の字もおのずと乱れてしまう。今の若い先生は文字を「打って」育ってきた世代だけに、板書はことのほか苦手だろうと想像される。
(産経ニュース 2010.10.25 07:42)

確かにそうだと思う。先生がしっかりした字を書かなければ、それを真似る子どもが先生を超えることはなかろう。その子どものなれの果てであろうか、たまたま政治家になった人の稚拙な文字に驚いて、以前に政治家の「字は体を表す」か?なる文章を書いたことがある。しかし実を申せば私も人のことを言えた義理ではない。子どもの頃から字を書くのが苦手で、自慢ではないがその証拠がしっかりと残っている。元在朝日本人の『自分探し』でお見せした国民学校三年生の時の通知表である。二学期も三学期も習字を注意されている。それに比べて当時二十歳前後の先生の字の美しいこと。そういえば昔の教育を受けた人の字は立派なのが多い。


兵士として戦場に駆り出された人たちが家族と交わした軍事郵便や遺書など、遺された自筆の文章を目にするたびに私は戦慄におののく。自分の思いや考えをしっかりと伝えようとする力強い意志が、文章のみならず文字そのものからも伝わってくる。それなのに乱文乱筆を謝するという奥ゆかしさを弁えた崇高な人たちの多くが戦争で命を落としていった非条理を思うとただ茫然となる。手書きの立派な文字には人を感動させる力がこもっているのだと思う。

清湖さんの文章は続く。まったく同感である。

 漢字にかぎらず、およそ手で文字を書くという行為は、脳の活性化に加えて人格の涵養(かんよう)にも大きく寄与するはずである。手書きの字は情報機器で打ち出す字とは違って、書き手の一刻ごとの心理や気息が反映するため、一つとして同形の文字はない。「文字は人なり」といわれるゆえんがここにある。

阪大時代の恩師があるときに「ボールペンで手紙を書いてくる人がいる。わたしはそのような手紙は読まない」と言われたことがある。先生はいつも太字の万年筆を使い風格のある字を書かいておられた。先日紹介したが、神戸女学院の外国人教師がジーンズばきの女子学生に立腹したころのことだと思う。まだ「かたち」が大切な意味をもっていたのである。

つい最近も京大時代の恩師からペン書きのお手紙を頂いた。ある調べごとのちょっとしたお手伝いをさせていただいたことへの礼状なのである。この先生は新幹線で文化勲章クラスの書家に書を習いに通われたぐらいだから、その書はもう別格なのである。滋賀県のある古刹で鐘を新に鋳造することになり、その銘の揮毫を依頼されたぐらいなのである。初代の鐘に遺された銘は菅原道真公によるものであったというから、もって瞠目すべきなのである。そういう方がおられたこともあって、なんとか自分の字を書きたいという欲求はこの年になってますます掻きたてられる一方である。しかし今さら先生について一から直されるのも間尺に合わないので、独学の道を選んだ。

2007年に台北故宮博物館を訪れて数々の名筆に触れ、感動を新にしたが、ちょうどその頃二玄社が「大書源」全三巻(索引とDVDの付録つき)を刊行することを知ってさっそく購入した。楷書、行書、草書、隷書、篆書の五体の字例を収載した書体字典で、『合計二十一万字にも及ぶあらゆる時代の様々な書きぶりの書が余すところなく収められ、まさに質量ともに空前絶後の書の宝庫』なのである。


「東」だけでも二百三十六文字が収められている。眺めているだけで空想が羽ばたき、いろんな時代の人と心を通わせているような気持ちになるが、実を申せばもうそれで十分とばかりに、手習いにはなかなか進まないのが現状である。



清湖さんは次のようにも述べている。

 手書きが中心だった時代、人は手紙やはがきを受け取るとまず、字を眺めたものである。そして「あの人らしい誠実な字だ」「乱暴な字で、挨拶(あいさつ)にも誠意がこもっていない」などと書き手に関心を寄せた。人に惚(ほ)れる前に字に惚れることもあった。『枕草子』には、届いた文を見た中宮が真っ先に「めでたくも書かれたるかな」(立派な筆跡だわ)と字を褒める場面がある。もっとも書いたのが三蹟(さんせき)の一人、藤原行成だったから、上手なのも道理ではある。

《人に惚(ほ)れる前に字に惚れることもあった》にはドキリとした。妻とのなれそめを見抜かれたと思ったからである。





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