日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「世界童話大系」、そして「ひょっとこうどん」と「ひょっとこ温寿司」

2010-10-27 23:30:02 | 昔話
あの暑かった夏がようやく過ぎ去ったかと思ったら、早々と厳しい冷え込みの襲来である。大阪管区気象台によると、近畿地方の27日朝の最低気温が大阪市と神戸市で9.0度、京都市では7.8度で、11月中旬並みの寒さだそうである。夕べは机の下のハロゲンヒーターに点火した。寒暖の移りゆきがどうも過激である。そして寒くなると子どもの頃、朝鮮で過ごしたオンドルの生活を思い出す。

オンドル(温突 on-dol)とは床下暖房の部屋で、次のように説明されている。

床下からの暖房装置。朝鮮のオンドルは、床下に石を数条に並べて火炕をつくり、その上に薄い板石をのせ、泥をぬり、さらに特殊な油紙を張って床とするもので、室外や台所のたき口で火をたくと、その煙が火炕を通って部屋の反対側の煙ぬきから出るあいだに床下から部屋全体を暖める仕組みになっている。(中略)
朝鮮のオンドルは、床にじかに座る生活様式を反映して、部屋全体の床下に火炕を設けている。燃料は葉のついた松の枝が主であったが、最近では練炭が多く用いられている。朝鮮のオンドルは高句麗時代からみられるようである。(世界大百科事典)

オンドルの部屋は6畳ほどであった。たき口は庭から石段で少し降りた半地下室にあって、無煙炭を焚いていたように思う。庭の一角に炭水車のような区画があって、寒くなると無煙炭が山積みされていた。戦争が深まるにつれて大きな練炭を使うようになったと思うが、その辺りの記憶は定かではない。いずれにせよ、朝鮮の冬はいったん家の中に入ると寒さ知らずで、食事時には折りたたみ式のちゃぶ台をオンドルの上に広げたし、就寝時はちゃぶ台を片付けて部屋一面に布団を敷き詰めた。ここに父母と弟妹に私、あわせて六人が頭を並べて寝た。

布団に潜り込んで本を読みふけるのが至福の時であったし、枕元に本があると安心して眠れた。父の書棚に「世界童話大系」というシリーズものがあって、それこそ世界各国の物語の総集成であった。なかでもロシア民話というか童話に惹かれて何度も何度も読み返した覚えがある。朝鮮から引き揚げの時に一冊でもいいから持って帰りたかったが、願いがかなうすべもなかった。現役時代、東京出張の折りには時間を作って神田の書店街に出かけては探し回ったが、残念ながらお目にかかることがなかった。ところが退職後になって腰をすえて探したところ、ようやくそのうちの三冊が見つかり、嬉しくて躍り上がったものである。しかも二冊が「露西亜篇」(一、二)だったのである。それを背表紙、見開き、それと三冊目である童話劇篇の「ペールギュント」からの1ページの順でお目にかける。




ところで今ふと気になってこの「世界童話大系」のことをネットで調べたところ、この全23巻(完揃)がつい最近オークションに出されて、2010年09月28日 08:43に終了していることが分かった。開始価格218,000円 (税込)とは凄いが、落札者はいなかった模様である。私も欲しいがそこまでは手が出ない。それはともかく商品説明からこの大系が世界童話大系刊行会により大正十三年から昭和二年にかけて出版されたもので、菊判丸背上製天金函入仕様であることが分かる。ちなみにこの写真の「露西亜編二」は928ページもあり、重量は1.3キロをやや超える。たしかに子どもが持ち帰る引き揚げ荷物には大きすぎた。

写真からもお分かりいただけるように、童話ということでわれわれが普通想像するような全集とはまったくことなり、大人のための出版物なのである。奥付きには非売品とあるので、おそらく全巻予約で売り出されたものだろう。かなり高価で子どもが買える代物ではなかったことは確かである。そして本文自体、子どもに読ませようという格別の配慮はなにもない。ただ当時のことで難しい漢字にはルビが打たれているので、ひらがなを知っていてそれなりの想像力を働かせるすべを心得ておれば、私のように国民学校の三、四年生でもちゃんと物語を楽しむことが出来たのである。それとも昔の子どもは今の子どもにくらべて遙かに大人びていたのだろうか。

話が横に逸れたが、大人の物語と言えばバートン版の千夜一夜物語も布団の中で読んだ。伏せ字の多い本で、なぜそうなっているのかにも思いが及ばない年頃であった。伏せ字のお陰か、こんな本を読んでいても両親からとがめられることはなかった。「世界童話大系」にもひけを取らない立派な本で、クラスの友達から借りたのであるが、誰だったのか今は思い出せない。私も父の本を持ち出しては人に貸していたのでお互い様である。このような貸し借りで読む本には不自由しなかった。もちろん子ども向きの本も読んでいた。そのうちの一冊にはぜひお目にかかりたいと思いながらも、こちらにはまだ残念ながら出合っていない。「ひょっとこうどん」という童話の入っている本なのである。もしかして雑誌であったのかも知れない。

寒い最中、旅人が連れ立って山を越えている。ここらでちょいっと一休みと峠の茶屋に入って、腹ごしらえをしようとする。品書きに「ひょっとこうどん」とあるのをみて、これは珍しいとばかりに注文する。ところが出てきたのは変哲もないふつうのうどんである。熱いのだけが取り柄で、ふうふうと息を吹きかけ冷ましながらうどんを食べていっても、他には何も入っていない。そこで亭主にいったいこれがどうして「ひょっとこうどん」なのかと尋ねると、亭主がお互いをごらんなさいと言う。旅人が顔を見合わせると、二人とも口をとんがらせてふうふうとうどんを吹いている。「どうです、お二人ともひょっとこになっていませんか」と亭主が言って物語はお終い。こういうあらましなのであるが、この物語を探そうにも手がかりが何も無い。機会があれば手当たり次第に童話本を調べてみても見つからない。ところがつい最近、似たような話に出くわしたのである。それが高田郁著「今朝の春」((ハルキ文庫)に出てくる「寒紅―ひょっとこ温寿司(ぬくずし)」である。


「つる家」の女料理人澪が主人公の人情時代物で、文庫本の四冊目である。澪は今で言う創作料理人で、いろいろと新しい試みにチャレンジしては客の反応に胸を踊らせる根っからの料理人なのである。元は大阪の出の澪が江戸で名のある料亭と料理を競いあうが、江戸の人間には思いもかけない料理が時には飛び出す。師走に入ったある日、夜食に大阪での家庭料理でもある「温寿司」を出す。

 朝から戻しておいた干し椎茸と干瓢、人参に甘辛く味を入れる。海老は色よく茹でておいた。酢飯にそれらをざっくりと混ぜ合わせ、飯椀に装って、錦糸玉子を散らす。蓋をしてそのまま蒸籠で蒸し上げるのだ。

そして熱々の飯椀を蒸籠から取り出して、店主とお手伝いの亭主が食べ始める。

「熱ちちち」
「熱つ」
 二人は同時に言って、ふうふうと飯に息を吹きかける。

それを見たお手伝いとその子どもが吹きだした。「何だよぅ」「何でい」と二人は同じように言って、また、ふうふうと熱い飯に息を吹きかける。そしてお手伝いがこう言う。

「いやだよ、お前さん、それに旦那さんも。まるで『ひょっとこ』みたいじゃないか」

作者の高田さんもどこかで「ひょっとこうどん」を目にされたのだろうか。それともまったく偶然の一致の思いつきなのだろうか。私はこの方のサイン本を一冊持っているが、次ぎのサイン会の折にはぜひこのことをお聞きしよと思う。しかしそれより先に、この文庫本の巻末にちゃんと「ひょっとこ温寿司」のレシピが載せられているので、まずそちらの試食が先である。読んでいるだけでよだれが落ちてきそうで、こういう喜びが味わえるのであれば、寒くなるのも悪くはないように思う。

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