日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

木村盛世著「厚労省と新型インフルエンザ」のあれこれ

2009-12-20 18:57:48 | 読書
昨日、本屋の店頭でこの本を見つけた。著者の木村盛世さんは厚労省のお役人でありながら厚労省の新型インフルエンザ対策を槍玉に挙げた人として有名な方で、その方が「官製パニックはこうして作られた!」と暴露されたとは面白いとばかり、ゴシップ大好きの私は早速買い求めた。確かにゴシップは面白かったが、共感を覚えるところが多い反面、これはどうかな、と感じるところも結構あるので、私の読後感が褪せないうちに記すことにする。


店頭では「官製パニックはこうして作られた!」が目に飛び込んできたが、この部分は実は帯への印刷であった。一皮むけばきわめて地味な表紙なので、講談社の宣伝上手に私がころりと引っかかったようなものである。その思いが読後感にある種のバイアスを与えたかもしれない。しかし第一章「新型インフルエンザと厚労省迷走記」と第二章「悪のバイブル「行動計画」」は期待を裏切ることはなかった。とくに第一章は木村盛世対厚労省の図式を、一方の当事者である著者が、中途半端な客観性を持ち込まずに自らの視点で切り込んでいるから面白い。それだけにあとで少々述べるつもりであるが、別の立場からは拒否反応を喰らうのも宜なるかな、と思った。

「官製パニック」を引き起こしたのが厚労省の間違った「行動計画」であるとの話が第二章に出てくる。

 実際に行動計画に携わった医系技官たちは“御用学者”と呼ばれる専門家集団に相談しながら行動計画を作っていきます。御用学者とは通常、厚労省が主催する審議会という専門家会議の委員です。審議会というのは、何か法案を決めようとする時や今回のような行動計画と言った国の方針を決める時に専門家の意見を聴くために開かれます。審議会での意見をもとにして法令案を作成するというのが建前なのですが、実際の審議会の意味は、①官僚が作った青写真を審議会というセレモニーを通過することによって、専門的見地から正しいと言うことをオーソライズさせること、②何か法案などに問題が生じても、専門家がいいと言ったからだ!という責任回避ができること、の二点です。
(46-47ページ)

ある程度の事情通ならまったく同感するだろう。しかし内部者でないと分からない話も出てくる。

 四月二十四日から六月二十五日までに新型インフルエンザに関する一五五件の事務連絡、通知が出されています。本来であれば大臣や事務次官が出すような重要な項目が、室長や課長レベルでボンボン出されているわけです。
「どうしてこんな重要なものが事務連絡で出されたのか」と大臣ポストに近い厚労省官僚が見て驚いたそうです。なぜこんな事が起こるかといえば、感染症対策が厚労省としてはたらいているのではなく、医系技官の独断で動いているからです。
(48-49ページ)

一五五件もの事務連絡、通知とは厚労省から地方自治体、団体などに出すお知らせだが、ただの文書ではなく、受け取った側では法律と同じ意味を持ち絶対に従わなければならないから問題だというのである。それだけ沢山の“命令”が出されているのなら、もっとも馬鹿げている例を教えて欲しいような気がした。

第三章「公衆衛生学的にみるとどうなのか」には学級閉鎖の効果の項目がある。著者は

歴史的に見ると、どうやらインフルエンザや新型肺炎などの呼吸器感染症で特別な治療法がない病気に関しては、学級閉鎖や集会の自粛などは、広がりを抑えるための効果ははっきりしないのです。

と述べて、封じ込め作戦の弊害をも論じている。まさに事実はそうなのだろうが、私が新型(豚)インフルエンザに対する京都大学の特筆すべき指針で賞賛した理性的な対応とは対照的に切れが悪い。著者は厚労省のお役人なんだから、学級閉鎖の効果を評価出来ない状況においてすら、具体的な指示を与える立場にある。私ならこうした、を期待したがそれはなかった。その点「熱があっても必死で出社する日本人」の項目では、新型インフルエンザを特別視する前に、症状があったら職場を休むことを徹底する社会認識が必要、と強調している所などはよい。

第四章「公衆衛生の要―疫学の基礎知識」は中途半端で読みづらかった。疫学の説明に美白とサプリメントの関係を例に挙げているのはよいが、男の私には例自体に何の関心もないからそれだけで拒否反応が起こってしまった。あとの方で「ワクチンの有効性はどうやって決めるか」の話が出てくるが、このテーマに集中すれば良かったのに、と思った。いずれにせよ一般の読者なら第四章を飛ばしたほうが挫折しなくて良い。

第五章「これからのインフルエンザ流行に備えて」には具体的な提言もある。常識的な考えの出来る人ならすべて納得のいく話であるので再確認しておけばよい。私が重要な指摘だと思ったのは、ワクチンの副作用について無過失補償制度の導入の提言である。ワクチンの副作用が発生したら十分な補償を与えるというのが要点であるが、実現へ向けての取り組みが欲しいものである。しかしそれより先にさてワクチンの接種を受けるかどうかを決めるのが現実問題として大切である。そういえば今日の朝日朝刊に「新型インフルエンザワクチン 欧州大余り」と出ていた。副作用を懸念して接種率が低いためだそうである。さて日本ではどうなるだろう。私は要らない。

この本で私にとって面白かったのはやはりゴシップの部分であった。さらにもし著者が厚労省で十二分にその腕を振るうことが出来たら、どの程度著者が指摘したかずかずの問題点が解消されるだろうか、ということでも興味を持った。しかしそこで引っかかったのが著者の同僚医系技官への姿勢である。こうくそみそに言ってしまうと、これでは協力者が出てきそうもないように感じたからである。幾つかを抜き書きしてみる。「医系技官のコンプレックス」(48ページ)に出てくる。

 行動計画に基づく医療現場無視の政策、そこから派生する通知や事務連絡という命令は、医系技官のコンプレックスの表れではないかと思います。先にも触れましたが、医系技官の幹部といわれる人たちは、実際の患者を診たことは、おそらく一度もないのではないでしょうか。彼らの同級生のほとんどが実際に患者さんを診る臨床医師となります。医学部を出た優秀な学生から、内科や外科といった花形の医局に引き抜かれていったのです。しかし箸にも棒にもかからない学生たちがいました。その人たちは当時人気のなかった厚生省に入りました。そして入ってから何十年かしてみると、いつのまにか局長などのポストに座っていたのです。それがいまの医系技官の幹部たちです。(強調は私、以下同じ)

ここまで書くのなら実名を挙げてもらった方がスッキリするが、この強調部分の客観性に私は疑いを持った。なるほど一人二人はその通りかも知れないとしても、この表現ではいまの医系技官の幹部が例外なしにそうだと言っているようなものだ。私がかって在籍した医学部の教室出身者の何人かが厚生省の局長、課長になっていたのでそれなりの付き合いがあったが、箸にも棒にもかからなかった学生のなれの果てには思えなかったからである。また私が厚生省に送り込んだ卒業生がいるが、医系技官としての活躍を期待したからこそである。

さらに「おわりに」にこのような部分がある。

 医師である私たちが日本で取得するのは医学博士という称号がほとんどですが、日本の医学博士が、「足の裏に付いたごはん粒」(その心は、取らないと気持ち悪いが、取っても食えない)と言われるほど権威もなく取得が簡単なのに比べて、欧米の博士号を取得するのは容易なことではありません。

著者のご存知の範囲はたまたまそうであったのだろうが、私の知るところでは医学博士号の取得が、何をもって簡単というのかはともかく、世間の人が簡単という言葉で思い浮かべるような容易さではないことだけは断言できる。

揚げ足取りになって恐縮であるが、著者が言い切っていることでその正否を私なりに判断できる事柄については異議があるので敢えてそのことを述べた。こういう事があるとほかのところで著者の言い切っていることも素直に受け取れなくなってくる恐れがある。著者のためにも惜しまれることである。


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