日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

八百長相撲 白鵬の言やよし

2011-02-10 23:06:01 | Weblog
昨日テレビで横綱白鵬の記者会見の模様を観た。八百長に関与したことや見聞きしたことがあるかと聞かれて、「それはないということしか言えないじゃないですか」と答えていた。日本語として実に正しい。その上、たったこれだけの文字数に、白鵬がモンゴルから日本にやって来て相撲界に身を投じ、今日の大横綱にまで登り詰めるまでの人生のすべてが凝縮されていることに、私は深い感銘を受けた。どれだけ深い含蓄があるのかは、他の人の言葉と比べてみれば分かる。

昨日のお昼の「ワイドスクランブル」に相撲親方の元女将が出ていて、八百長のことは一切知らないというようなことを言っていた。これが本当のことだったとすると、この方は相撲親方の女将としては失格である。八百長を当然悪いことだと考えているのだろうから、そういう悪に子どものような弟子が染まらないように、日ごろから身の回りには目を向けて、折りあるごとに厳しい躾をしなくてはいけない立場にあるはずである。親方はさておいても、女将が「八百長は悪いことだから絶対にしてはならない」と弟子たちに教え込まないことには、八百長が悪ということすら弟子たちは覚りようがないではないか。

相撲親方の元女将がそれほど脳天気であったとは思えない。そんなことで横綱二人を生んだ相撲部屋を切り回していけるはずがない。この元女将も「私としてはないとしか言いようがありません」と言えば、さすが、紫式部か清少納言か、はたまた和泉式部の再来か、と褒め称えることも出来たのに、出てきたのは「知りません」という実に浅薄な一言であったのである。これでもって白鵬の才気縦横ぶりがうかがい知れよう。これでは日本人、形無しだな、と思っていたところに、追い打ちをかけるように次の読売新聞の記事が目に入ってきた。

「認めた力士がいるのだから…」白鵬が発言補足

 大相撲の八百長問題について、横綱白鵬(宮城野部屋)が「『ない』ということしか言えない」と明確に否定をしなかったことについて、日本相撲協会の放駒理事長(元大関魁傑)は10日、「認めた力士がいるのだから、そうとしか言えないじゃないか、という趣旨だった」と補足した。

 特別調査委員会(座長=伊藤滋・早大特命教授)から報告を受けたもの。

 白鵬は、9日の朝稽古の後、この問題について初めて口を開き、自身が八百長にかかわったり、見聞きしたことはないかと聞かれた際、あいまいに答えたために、波紋を呼んでいた。同日夜、全関取を対象とした聞き取り調査で、調査委が横綱から話を聞いていたため、確認が取れた。同委員会からは「(モンゴル人であるため)言葉のハンデがある」との説明もあったという
(2011年2月10日20時23分 読売新聞)

元女将と同じく、過去に「八百長はなかった」と発言している放駒理事長の茶々はともかく、「(モンゴル人であるため)言葉のハンデがある」発言に至っては臍で茶を沸かすようなものだ。この委員会のメンバーこそ日本語の言い回しを三顧の礼でもって白鵬に教えて貰うべきなのである。

「相撲に八百長はつきもの」という日本人の常識を、立場上口にすることが出来なかった人も、八百長メールの発覚でその態度を貫くことは最早出来なくなってしまった。その反動かどうか、今度は八百長相撲の実態を徹底的に明らかにすると息巻いている。アホなことである。かりに解明の努力を推し進めていったとしても、行き着く先が誰かの書いた筋書き止まりであることは、常識のある人間が少し考えればすぐに分かることである。こういう無駄な努力はすべきではない。ではどうすればよいのか。「相撲に八百長はつきもの」を認めた上で、相撲協会を新しい興行主催団体に改変し、伝統興行の復興すなわち相撲ルネサンスを断行せばよいのである。その一つの選択肢を私は八百長相撲を興行に取り入れたらよいのではで示したつもりである。