先週日曜日の午後、NHK教育テレビがエディト・マティスのソプラノ・リサイタル(伴奏 小林道夫)を放映していた。といっても1986年の来日公演の録画だからもう24年前のもので、1938年にスイスで生まれた彼女は当時48才、まさに脂ののりきったときの演奏である。私自身今年はドイツ歌曲をと意気込んでいるだけに、ベートーベン、モーツアルト、ブラームス、R.シュトラウスのドイツ歌曲、それにブラームス編曲のドイツ民謡という1時間を超える盛り沢山なプログラムにすっかり引き込まれて、彼女ならではの端正な歌い方に心を奪われていた。ところが歌を楽しんでいるうちにあることが気になりだしたのである。
ふつうは前奏があって歌を歌い始める。歌い始めのタイミングの取り方が難しくて、私なんぞ苦労する曲も多いが、少なくとも音程を狂わすことは避けられる。ちゃんとピアノが音をくれるからである。ところが前奏がなくて伴奏のピアノと歌が同時に始まる歌曲も多い。その際に歌手が歌い出しの音をどう取るかが問題になる。無伴奏の合唱などでは、ピアノを叩くか音叉などでぞれのパートが歌い出しの音をつかむのが普通であろう。ところがエディト・マティスのリサイタルで、前奏のない歌曲が続いて、しかもピアノがあらかじめ音を与えるわけでもないのに、歌い出しの音程がピアノとピタリと合うのである。さすがプロともなると絶対音感がしっかりしているんだなと、まずは素直に感心してしまった。
アンコールに入ってその何曲目かである。舞台にエディト・マティスとピアノの小林道夫さんが出てきて、小林さんの指が鍵盤に当たったのかポロンと音が出た。小林さんは慌てずにおもむろにピアノの前に坐り、アンコール用の楽譜を探し始めた。なかなか楽譜が出てこないがやっと見つかったようである。そして歌い始めの緊張感が高まったその時、私にピンと来るものがあってそれが正しかったのである。前奏なしで歌い始めた彼女の最初の音がピアノのあのポロンであった。小林さんがさりげない形で彼女に音を与えていたのである。歌い始めの直前に音はこれですよとばかりにポロンとピアノを鳴らされたら、興を削がれたことは間違い無い。さすがプロの技、と独り合点したのであった。
前奏なしの歌が続いたのはR.シュトラウスの歌曲集であったと思う。しかしこの時はピアノのポロンは一切ないのに正確な音程で歌が始まっていた。絶対音感が働いているのかも知れないが、それよりも前の曲の歌い終わりで次の曲の音取りをしたのではなかろうかと私は推測した。その程度のことなら私にも出来そうである。そう言えばこの演奏会の観客は一曲ごとに拍手して歌の流れを中断させるようなことはしなかった。だから私の想像する音取りが拍手に邪魔されることなくちゃんと働いたのであろう。この勝手な推理が当を得たものかどうか、専門家にお聞きしたいものである。
ふつうは前奏があって歌を歌い始める。歌い始めのタイミングの取り方が難しくて、私なんぞ苦労する曲も多いが、少なくとも音程を狂わすことは避けられる。ちゃんとピアノが音をくれるからである。ところが前奏がなくて伴奏のピアノと歌が同時に始まる歌曲も多い。その際に歌手が歌い出しの音をどう取るかが問題になる。無伴奏の合唱などでは、ピアノを叩くか音叉などでぞれのパートが歌い出しの音をつかむのが普通であろう。ところがエディト・マティスのリサイタルで、前奏のない歌曲が続いて、しかもピアノがあらかじめ音を与えるわけでもないのに、歌い出しの音程がピアノとピタリと合うのである。さすがプロともなると絶対音感がしっかりしているんだなと、まずは素直に感心してしまった。
アンコールに入ってその何曲目かである。舞台にエディト・マティスとピアノの小林道夫さんが出てきて、小林さんの指が鍵盤に当たったのかポロンと音が出た。小林さんは慌てずにおもむろにピアノの前に坐り、アンコール用の楽譜を探し始めた。なかなか楽譜が出てこないがやっと見つかったようである。そして歌い始めの緊張感が高まったその時、私にピンと来るものがあってそれが正しかったのである。前奏なしで歌い始めた彼女の最初の音がピアノのあのポロンであった。小林さんがさりげない形で彼女に音を与えていたのである。歌い始めの直前に音はこれですよとばかりにポロンとピアノを鳴らされたら、興を削がれたことは間違い無い。さすがプロの技、と独り合点したのであった。
前奏なしの歌が続いたのはR.シュトラウスの歌曲集であったと思う。しかしこの時はピアノのポロンは一切ないのに正確な音程で歌が始まっていた。絶対音感が働いているのかも知れないが、それよりも前の曲の歌い終わりで次の曲の音取りをしたのではなかろうかと私は推測した。その程度のことなら私にも出来そうである。そう言えばこの演奏会の観客は一曲ごとに拍手して歌の流れを中断させるようなことはしなかった。だから私の想像する音取りが拍手に邪魔されることなくちゃんと働いたのであろう。この勝手な推理が当を得たものかどうか、専門家にお聞きしたいものである。