日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

万波誠医師をテレビで拝見して

2006-12-10 11:59:48 | Weblog
朝、テレビをつけたら「報道2001」がちょうど病気腎移植のテーマを始めたところで、万波誠医師が生出演した。

テレビを介してであるが、間近にお目にかかったのは初めてで、なかなかいい顔をしておられるのが印象的だった。私の主治医なら無条件ですべてをお任せしそうである。私は病気腎移植の問題が報道され始めて、マスメディアが否定的な空気を煽り立てているなかで、万波医師をチャレンジャーとして評価していた。それから一ヶ月経ち、やや世間が静まってきたころに万波医師のテレビ登場は、時宜を得たものだと受け取った。

「万波誠医師のチャレンジとヘルシンキ宣言」のエントリーで、一つ気がかりな問題点を次のように指摘した。

《医療の本質から云って、問題になるのは、ドナーとなった患者の『病気腎』摘出の妥当性であろう。この患者の健康が腎摘出医師の第一関心事であったのか、これは調査によって明らかにされなければならない。》

病気腎の摘出を行った医師の具体的な説明はなかったが、他人に移植できるなら何故元のところに戻さないか、という疑問にある答えが出されたように思った。ガンとか動脈瘤に冒された腎臓から患部を取り除き元に戻すのは、単なる摘出にくらべて時間が極めて長くかかり、それなりに危険性があるとの説明は、私には納得できた。その様に説明を受けると、私なら「それでは摘出していただいて結構です」と云うだろう。このように個々のケースで摘出が妥当であったかどうかの検証は、専門家による調査を待ちたい。

万波医師が病気腎の摘出にどのように関わったのか、これも質問者の質問の仕方によって明らかにされたと思うが、直接の答えがなかったのは残念である。しかし万波医師の関わり方が少し浮かび上がったように感じた。それは、摘出した病気腎を移植に使うことについて、その患者の同意を得たかという問いかけに、万波医師が「同意を得た」と答えたからである。

病気腎移植は、病気腎を患者から摘出してから、始めて移植の可能性を検討するようなことではあるまいと私は思っていた。そうとも受け取られるニュアンスの報道もあったからである。一般に臓器移植に使う臓器は、摘出後直ちに特殊な保存液中に保存することで、その生存能力(viability)を維持する。移植臓器を出来るだけいい状態で使うのは当然のことで、そのためには臓器が摘出される現場に、先ずは保存液を準備しておく必要がある。万波医師の関わった病気腎移植で、摘出現場に保存液が準備されていたかどうかを調べると、病気腎摘出に先立って移植を計画していたかどうかが明らかになるはずである。しかし残念ながらこのような質問をする人はいなかった。

全てのケースかどうかが分からないが、摘出した病気腎を移植に使うことに患者の同意を求めたかどうか、との質問に対して、万波医師は十分に説明して同意を得た、と答えた。質問者が「あなたが説明したのか」とだめ押しの質問をしてくれるとよかったのだが、「同意書はもらったか」との質問に対して、「貰っていない」としばらく時間を置いて万波医師が答えたことからみると、万波医師が病気腎患者と直接に会話したと私には受け取れた。万波医師が摘出現場に出向いたと云うことは、病気腎移植の協力チームが日常から連絡しあっていたことを意味すると思う。

「同意書を貰ったか」、「貰っていない」とのやり取りで、質問者がまたもや手続き問題に拘っているような印象を私は受けた。しかし、「貰っていない」と答えた万波医師に、医師としての矜持を私はみた。「私はこれだけ十分に説明し、そして患者が納得して同意してくれた」で医師は十分なのである。「では同意書に署名をお願いします」では、何か問題があったときの保身を図るようで、自分に嫌らしさを感じ、私でもそのようなことは云えないと思う。心のこもらない形より遙かに重い判断である。

ゲストの病理学者が、アメリカの症例も含めて病気腎移植を受けた19名の患者の五年生存率が100%であるとのデータを示していた。万波医師に望みたいのは、自ら得た臨床データを何らかの形で公表して、専門家による検討に役立たせていただくことである。これはチャレンジャーとしての崇高な義務でもあるからだ。万波医師の唱える『第三の道』の命運を定めることにもつながる。

万波医師のテレビ生出演でのやりとりで、チャレンジャーとして評価する気持ちはさらに高まった。