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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

一弦琴「玉簪花」(ぎぼし)再演

2009-02-09 19:55:24 | 一弦琴
先週の土曜日、生国魂(いくくにたま)神社にある浄瑠璃神社に一弦琴の演奏が上手になるようにお願いしてきたので、その効き目がどうかなと思い、二年ぶりに「玉簪花」を弾いてみた。気のせいか唄いやすい。精進を重ねてまあまあと思えるレベルまで行けたらお礼に献奏するのもいいかもしれない。

山城一水 作曲 花崎采えん(王扁に炎)訳詞、昭和の曲である。

 秋ひそやかに ほかげのうつる 御簾(みす)すずし
 緑のしとねも ふせぎえぬ あけの寒さ
 南楼に ふえの音きこゆ
 おもひやる 壺のぎぼしの 花の萼
 一夜の西風(あきかぜ)に ひらきけむ
 夢よりさめてきく あけ烏 月も落ちぬ
 花の香 幽かにに ただよへる



教育テレビで「万葉集への招待」を観て

2009-02-03 13:39:16 | 一弦琴
この前の日曜日(2月1日)の午後、教育テレビで「万葉集への招待」を観た。すでにハイビジョンなどで放映したらしいが見逃していたようである。万葉集をいくつかの角度から取り上げていて風景や植物などの映像も美しく、なかなか楽しかった。

聴視者を対象にアンケート調査をしたのだろうか、選ばれたベスト10のほとんどは私も好きな歌なので共感を覚えたが、そのうちの二首は記憶になかった。

  恋ひ恋ひて 逢える時だに 愛(うつく)しき
    言尽くしてよ 長くと思はば (巻四・六六一)    
               大伴坂上郎女

万葉集の歌の多くは教科書と斎藤茂吉の「万葉秀歌 上下」(岩波新書)を通して入ってきたので、教科書にこのような歌は出てこないだろうから覚えがなくても当然だろうと思った。でも「万葉秀歌」にもこの歌が出てこないのはどうしてだろう。昭和13年に出版されているので、当時の世情を慮ったのかなとふと思った。

もう一首は万葉集に出てくる最後の歌である。

  新(あらた)しき 年の初めの 初春の
    今日降る雪の いやしけ吉事(よごと) (巻二十・四五一六)
               大伴宿禰家持

天平宝字三(七五九)年、因幡国の国司家持が国庁において郡司などのお役人を饗応した宴での歌だそうである。歌としてはなんともないが、筆の立つ人はすらすらと賀状にしたためるのにもってこいのようである。

下位から順番に紹介されて第一位はもう間違いなくこれだと思ったらやはりその通りであった。

  あかねさす 紫野行き 標野行き
    野守は見ずや 君が袖振る  (巻一・二十)
               額田王

額田王はすでに大海人皇子(後の天武天皇)との間に十市皇女を儲けていたのに、大海人皇子の兄である天智天皇に召されて宮中に侍っている。大海人皇子から見れば人妻ということなのだからそういことなんだろう、何がどうなっているのやら不思議な状況である。なんせ源氏物語よりもまだまだ古い時代なのだから、現代人の常識ではつかみがたいのも当然だろう。

そのあたりをリービ 英雄さんがどのように英訳しているだろうと思って「英語でよむ万葉集」(岩波新書)を探したが手元に見つからない。そこで「The Ten Thusand Leaves」を開いてみた。



Poem by Princess Nukada when the Emperor went
hunting on the fields of Kamau


Goint this way on the crimson-
gleaming fields of murasaki grass,
going that way on the fields
of imperial domain-
won't the guardians of the fields
see you wave your sleeves at me?

翻訳だからこれでよいとは思うが、ただこれだけを読んだ外国人が日本文化の味わいを感じ取るのはまず不可能であろうと思った。しかし私とて偉そうなことは言えない。この歌について何方かの斬新な切り口が私には目から鱗だったのである。それは歌が詠まれた時のそれぞれの年齢で、額田王が三十何歳で大海人皇子が四十何歳、天智天皇に至っては五十何歳なんだそうである。今風に眺めるとまさに熟年の恋歌なので、そう思ってみると、歌にいぶし銀の深みが備わってきたのである。

そういえば番組で紹介された次の歌なども素晴らしい。今の長寿時代にぴったりである。

  事もなく 生き来しものを 老いなみに
    かかる恋にも 我はあへるかも  (巻四・五五九)
               太宰大監大伴宿禰百代

ぜひ一弦琴の歌として唄ってみようと思う。


一弦琴「朝顔」の再再演

2009-01-14 14:18:52 | 一弦琴
正月のテレビで文楽の竹本住大夫さんが1時間半に及ぶインタビュー番組で一代記を語っていた。文楽は大夫、三味線、人形遣いがそれぞれインディペンデントに演じながらハーモニーを作っていくという話に思わず膝を打った。歌手と伴奏のピアニストとの関係も同じようなものであることを私なりにごく最近自得しばかりだったからである。その翌日街に出ると「竹本住大夫 文楽のこころを語る」という文庫本を見かけたのでさっそく買い求めた。2003年に単行本ででたものの文庫版である。



住大夫さんが演じた演目をそれぞれ詳しく解説しているが、そのなかに私がかって観た「生写朝顔話 宿屋の段」の話もあった。




下の写真の左側は盲目となった深雪が、何年か前に扇を自分だと思って忘れないで欲しいと渡してくれた思い人が聴いてくれるとは知らずに、その扇に書かれた歌を弾き語りする場面である。

  露の干ぬ間の 朝顔を 照らす日影の つれなきに
  あはれ ひと村雨の ぱらぱらと降れかし

これを一弦琴に取り入れたのが「朝顔」で、久しぶりに唄うことにした。新たに徳弘時聾(太)著『清虚洞一絃琴譜』をテキストにして、お師匠さんに教えて頂いたのとは違う弾き方にした。前奏部分の「チチ」と早引き部分が連なるところの演奏がもうひとつしっくり来ないので手直しをしていくつもりである。

住大夫さんによると文楽の文章は昔の大阪弁、だからぜったいに関東の言葉ではないとのことである。となると濁音は大手を振って濁音でいいのではと勝手に解釈して、濁音とか鼻濁音とかを意識せず自然に任せてに唄うことにした。実に気が楽である。それはそれでいいのだが、上の文庫本を読むとプロとしての精進の厳しさがひしひしと伝わってくるものだから、たとえ一弦琴といえども素人が気楽に弾けないように気分にさせられてしまう。それでは困るので素人の至芸を目標に精進を重ねていきたいと思う。


今年も一弦琴「初春」で

2009-01-04 20:00:36 | 一弦琴
一弦琴の弾き初めに「初春」を選んだ。作者不明であるが曲は真鍋豊平。

  明けそむる 朝日に匂ふ さきくさ(幸草)は
  治まる御代の ためしとや
  花のこころも のどかにて ツイ
  つぼみさへ 開きそめ

歌のこころもむなしく待っているのは激動の一年だろうか。
「治まる」の言葉がこころを惹きつける。

「さきくさ」は諸説があるが、《めでたい草ということでサキクサ(幸草)の意(日本古語大辞典=松岡静雄)》((日本国語大辞典)に拠る。

一弦琴「漁火」を自分なりに奏でて

2008-11-03 15:16:06 | 一弦琴

今日が文化の日だからと云うわけではないが、一弦琴「漁火」を自分なりに奏でてみた。これまで参加していた一弦琴の会を先月末で退き、独り立ちしてから始めてその気になっての演奏である。会員である間は家で自己流で弾いていても師匠の前では自己規制をかけて師匠流を真似て弾いたし、また自己流を押しとおそうとすると手直しをされるのが常だった。会を退くとそのような制約から解き放されたことになるが、その分、何から何まで自分で考えていかねばならないので、開放感にのんびりと浸れるわけではない。そうかと云って何も難しく考えることがあるわけでもなく、これからは「好きこそものの上手なれ」を頼りに精進できればと思っている。

今日弾いた「漁火」はかなり早い時期に演奏会で独奏したことのある曲である。それ以来、折に触れてお浚いを繰り返しているが、自分で満足のいく演奏が出来たためしはない。自分で気持ちよく弾けたな、と思うことは時々あるが、その録音を聴いてみると随所であらが目立つのである。私もひとなみに歌舞音曲を愛でる感性を持ち合わせているつもりでいるので、自分の耳、そして心にピンと来ない演奏ではやはり駄目なのである。その意味でこれからは自分相手に精進を重ねることになる。

この「漁火」は私にとってはリズムをつかみにくい曲であるが、理由の一つはテンポをしっかりと決めていないことにあるのではないかと思っている。たとえば私がこれまで公開している演奏に6分少しかかっている。ところが人によって7分半の演奏もあれば5分そこそこの演奏もある。それで曲のイメージがかなり大きく変わる。そして自分の演奏を聴くとどうも間延びしているように感じるようになったのである。時間をたっぷり取って声を朗々と響かせ、装飾を隠し味的なものから表芸に引き立てることも出来たら楽しいが、声の美しい人と違ってしわがれ声を自覚しているとそこまで踏ん切る勇気が湧いてこない。また『曲弾き』を正確にこなす腕前があれば緩急自在に琴を操り、メリハリのある演奏を組み立てることも苦にならないだろう。要はその段階までに至らない状態でどのように演奏すればよいのか、と云うことになる。そこで私は『間延び感』を克服するためにまずテンポを早めることにした。ではそのテンポをどのように決めるか。

     
     詞 不詳 曲 松島有伯

  もののふの 八十氏川の
  網代木に いざよふ波の
  音澄みて 影もかすかに
  漁火の あかつきかけて
  汀なる 平等院の 後夜の鐘に
  無明の夢や さめぬらむ

自信のある人はこの「平等院の」のところを適当に息継ぎをしつつたっぷりと唄うのもいい。しかし私は従来のテンポを早めて「平等院の」を息継ぎをせずに一息で唄い切るようにしてみた。その結果、前回の演奏が6分27秒のところ5分10秒と早くなった。このテンポに合った演奏のリズムがまだつかめていないが、まずは習作をアップロードしたところである。これからどのように演奏が変わっていくのか、自分でも分からない。



一弦琴の会を退会の弁

2008-10-31 21:01:19 | 一弦琴
私の入っている一弦琴の会は毎年10月、最後の日曜日に演奏会を開くことになっている。今年も去る26日、京都三十三間堂の近くにある法住寺陵と隣り合わせた法住寺で演奏会が開かれた。平安の昔、この辺りは法住寺殿という後白河上皇の院政御所であった。後白河帝は平清盛の台頭から源頼朝への覇権の移り変わりの激動期における強かな政治活動でよく知られている一方、遊び好きが高じて今様を集めて『梁塵秘抄』を編纂されたとのこと、邦楽の流れに繋がる一弦琴と縁がなくもないと云えそうである。

この演奏会が終わって、私はかねてから心に温めていたことであるが、師匠に一弦琴の会からの退会を申し出た。そして昨日(10月30日)稽古場にうかがい、あらためて退会の挨拶をしてご了承いただいた。入会させていただいたのが2000年だったから、丸八年在籍したことになる。四年制大学で云えば裏表在学したことに相当し、それ以上は居残りを望んでも強制的に追い出されてしまう歳月である。ところが一弦琴の会では年限の決まりがないので自分で決まりをつけることにしたのである。

2000年春にNHKが宮尾登美子原作『一絃の琴』の連続ドラマを公開するのに先立って宮尾さんとの対談番組を放映したが、その時に流れた一弦琴の音色に引かれたのがこの道に入るきっかけとなった。インターネットで調べて私の師匠に辿り着き、それ以来師匠の編纂になる『一絃琴清虚洞新譜』を巻一から巻四まで、それに別巻とさらにいくつかの現代曲を学んできた。一通り習い終えてからは復習に移り今日まで続けてきた。そしてこの復習段階で、これまでなにかと引っかかっていた問題点がいくつか浮上してきた。最大の問題点は私の弾き方が明らかに『我流』になってきたことである。しかもその『我流』を改めようとするどころか、さらに磨きをかけたいと思うようになったのである。その経緯を自分なりに整理すると次ようになる。

これまでも折に触れて述べてきたことであるが、私はまず楽譜ありき、の立場を貫きたいと思っている。国立国会図書館で徳弘時聾(太)著『清虚洞一絃琴譜』にお目にかかっり、その複製を手にしてからはますますその思いを強くした。録音機の無かった時代には伝承がこの楽譜に結実していると思ったからである。師匠の『一絃琴清虚洞新譜』の元になったものだし、これまでも『新譜』について私が疑義をただすと、師匠は『清虚洞一絃琴譜』に戻って照合されるのが常だった。そこで私は師匠にもお断りして復習を『清虚洞一絃琴譜』で始めることにしたのである。稽古を始めた頃は毎週師匠宅に通っていたが何年か経つと月二回になり、お浚い(復習)に入ってからは月一回となった。自分なりに納得のいく演奏ができてからみていただくつもりだったのである。

師匠と差し向かいで稽古をつけていただく時の録音は残していない。だから記憶に留めるだけだったが、たとえば翌日、一人で弾き始めると、肝心なところでその記憶がもう曖昧になっている。すると否応なしに楽譜を相手に自分なりに会得した演奏をするようになる。それを録音しては聴き、また修正する。この稽古を納得いくまで繰り返していると、まさに私流の演奏に落ち着いていくのである。それでも始めの頃は差し向かいで師匠の演奏をなぞることにしていた。いわば面従腹背の構えである。しかしこれでは稽古に通う意味がない、とばかりに『我流』を披露し始めた。師匠のスタンスは私の入門当時から振れることなく、ご自分がその昔大師匠から習得された演奏を暗譜でなさる。これではまず楽譜ありき、でお浚いを重ねてきた私の演奏とは油と水で稽古にはならない。そこでまず私一人の演奏を聴いていただいた上でご意見をくださるようにお願いしたこともあったが、ついつい『口三味線』をはさんで私の演奏リズムをで変えようとなさったりする。

師匠は折に触れて私の演奏を○○節とか○○流と呼ばれる。実は二年前の私のエントリー一弦琴「漁火」 あるお遊びで、《いつも師匠から「あなたのは○○(私の姓名)流」と注意される私》と書いているくらいだから、○○流も結構年季が入っている。○○流なる云い方を肯定的に受け取ると、私がすでに一派を作るぐらい腕を上げたと云うことになるのだろうが、私もそれほどの世間知らずではないので、やはり我流を押し通すことが師匠の気に入らないのだな、と受け取る。では○○流から脱するにはどうすればいいかと云えば、師匠流になるしか他に手がなさそうである。手っ取り早いのは師匠の完璧な物まねなのだろうか。○○節とか○○流のように十把一絡げの云い方をされては、こういう気の廻し方しか出来なくなってしまう。このようにいわば師匠流と○○流がぶつかり合うようになった現状で、身を引くのは弟子の方であろうと思い退会するにいたったのである。

一弦琴を始めた頃は一対一の差し向かいの教授法というのはなかなか新鮮で、また得るところがきわめて多かった。問題はどれぐらい続けられるかにあると思う。最初は学ぶとは真似ることであると言い聞かせて、師匠の演奏を真似ることに集中した。これまではまったく縁のない世界でのことであるので、邦楽を習うとはそういうものであると割り切ったのである。しかし上に述べたように師匠の『口移し唱法』か楽譜のいずれを取るかで、楽譜を私が選んだ時点で『差し向かい』が意味を失ってしまったと云える。

清虚洞の流れを汲む師匠クラスの方が何人か演奏を残しておられる。耳を傾けていると共感するところがある一方、ちょっと違うなと思うところもある。根底に『清虚洞一絃琴譜』のあることが共通しているが、結局それぞれの方が自分流で演奏しておられるのである。となると私だけが遠慮することもあるまい。そう自分で言い切れるところまで導いてくださった師匠のご薫陶を多としつつも、思えば師匠離れの時期がやって来たのである。古希過ぎて立つ、まさに古来稀なり。(^^)



一弦琴「漁火」を久しぶりに

2008-09-09 20:00:20 | 一弦琴
私の一弦琴「漁火」 あるお遊びに最近お立ち寄りいただいた方から懇切なコメントを頂いたので、そうだ、また唄ってみようと思っていたところ、今朝は水面を渡ったような涼風が部屋を横切ったのでそれに触発されて久しぶりに「漁火」を唄ってみた。そうするとどうしたことかまた別の方からのコメントが寄せられていたのである。私のつたない演奏を聴いていただき相次いでご感想まで頂くとは嬉しい限りで、ますます精進への意欲がかき立てられた。

今回の演奏は上の土佐流を取り入れたものとは違って、私の師匠の流儀に沿っており調子も異なっている。しばらくお稽古を重ねて演奏を練り上げていくつもりである


今日も一弦琴 録音中につき 

2008-08-29 20:45:10 | 一弦琴

今日も朝から書斎のドアに「録音中!!」のラベルを貼り付けて一弦琴を鳴らしていた。のっているぞと思いながら気持ちよく演奏しているのに、そういう時に限ってドアがノックされたり、ノックなしの闖入者も現れたりして録音がパーになるのを防ぐためである。時には外し忘れて知らせがないままに食事が遅くなることもある。

二年ぶりに一弦琴「夜開花」を演奏してブログにアップロードしたのが8月17日で、それ以来毎日のように演奏を繰り返しては録音して、少しは出来がよくなったと思ったら前の演奏と差し替えてきた。しかし今朝の演奏で一応この曲の更新を中断することにした。私なりに形が定まったからである。その間記録に残したmp3録音ファイルは12を数える。一曲の大きさが7.5MBぐらいなので12ファイルでは90MBになるが、ハードディスクの容量が500GBを超えているので保存が苦にならない。

演奏を録音してはそれを聴き、弾き方と唄い方を自分の考えで修正して形を作っていくのが私のやり方である。従って前後の録音を聴きくらべて変化したところでは、私なりの理由を説明することが出来る。その意味では人まねではない自分の演奏になったと云ってもよいだろう。進化の様子が録音ファイルに残されているのでこの主張には説得力があるだろう。

録音ファイル更新の中断は「夜開花」の演奏が完成の域に達したからではない。譜に忠実な唄い方、すなわち範唱としてはこの程度かなと思ったからである。一弦琴を始めようとされる方の手本にしていただけるのではなかろうか。そうなれば望外の喜びである。


一弦琴「夜開花」に風の音 そしてお稽古談義

2008-08-22 14:50:59 | 一弦琴
昨日(8月21日)の朝、私の部屋の温度が24度だった。これだとエアコンは要らない。出窓の両サイドを開けるととても涼しい風が吹き抜ける。いつものように一弦琴の稽古を始めた。まあまあかな、と思いつつ録音を聞くとドロドロと遠雷のような音が入っている。弾いている時に音は聞こえなかったので、今鳴っているのかなと思ったが、そうではなさそうである。おかしいなと思ってふと気がついた。風の音なのである。耳には聞こえなかったがマイクが拾っていたのである。面白いのでこの風の音入り「夜開花」をアップロードした。

この曲を二年ぶりに弾いたのであるが、先日久しぶりに京都に出かけて「夜開花」のお浚いをお師匠さんにみていただいた。いろいろと手直しをしていただき、より洗練された演奏ができるようになればと思ったのであるが、そのお稽古が思いがけない成り行きとなった。

いつものように差し向かいで弾き始める。私も一応は宙で弾けるように稽古を積んだつもりなので、少々は自信を持って弾き始めた。出出しはよかったのであるが、唄のところでは俄然合わなくなってきた。琴のみの演奏のところでも微妙に食い違う。原因はすぐに分かった。私は先生から頂いた琴譜に従って弾いているのだが、先生は琴譜と明らかに異なる弾き方をされるのである。その琴譜の一部をお見せしよう。



●が一拍を表すとする。数字は勘所の位置を表すが音名だと思えばよい。数字とか●で示された行は一弦琴用で、歌詞はその右側にある。西洋音楽だとピアノと歌の拍の頭を必ず合わせるが、一弦琴では拍の頭をわざと揃えずにタイミングをずらして音を出すことが多い。たとえば二行目の「やみのしじまに」とその左側にある拍が完全にずれて書かれている。また一行目の「いのち」と左側の拍は合わせて書かれているが、実際にはずらして唄っている。まず弦を「一の位置」で弾いてから「い」と声を出す。だから譜を見ただけでは実際にどう唄えばいいのか、初心者にはわからない。その唄い方を師匠が実際に唄ってみせて教えるのである。しかし断言してよいが、十人師匠がおれば少なくとも十通りの唄い方を耳にすることになるだろう。実際には一人の師匠がいつも同じ唄い方をするとは限らないから、唄い方としてはもっと種類が増えるはずである。

簡単に譜の説明をしたところで本題に戻り、先生が譜と異なる弾き方をされる一例を挙げると、「ひと」の左斜め下に「三三」とあるが先生の弾き方では「三」が一つなのである。他の場所では●を省いたり逆に付け加えたところがある。これでは二人の演奏が合うはずがない。先生は暗譜で弾かれるから食い違いが起こっても不思議ではない。しかも先生は何遍弾いても同じ弾き方をされる。本当に身についてしまっているのである。そうなると弟子としては取るべき道が自ずと定まってくる。一つは先生の演奏を忠実に再現できるように、譜を変えてしまうことである。元々「三」が二つあっても先生が一つならそのように変えるのである。そうなれば余計な疑問を持ってはいけない。伝統芸能はこのようにして守り伝えられるのだ、とただただ先生の演奏を拳々服膺する。

もう一つは譜に忠実な道を選ぶことである。私が「夜開花」を習ったのは二年前で、自分なりの演奏を録音に残してはいるものの、この時でも習ったままの弾き方を再現していない。家に帰ったらもう弾き方の細かいことには忘れてしまっているからである。そこで譜を頼りに辛うじて残っている記憶をたどりながら演奏したのである。先生の演奏の録音でもあれば細かいところまで真似ができるだろうが、それが無い以上、自分のあやふやな記憶より譜面の方が遙かに頼りになるのである。

ところで譜があれば誰でも同じ演奏が出来るかというと、そうは行かない。上にも述べたように一弦琴では琴と唄の頭をずらすのが普通であるが、時には合わすこともある。その辺りが変化自在のようであるが、唄―言葉を主体に考えるとそう勝手な唄い方は出来ない。たとえば「お箸」を「お―はし」と唄ったら何のことだか分からない。「お・は・し」である。「花」も「はな」だと分かりやすいが「は―な」では花屋さんの呼び声になってしまう。一方、「夜開花」の最後の「月」を私は「つ―き―」と唄ったが、「つき――」では収まりが悪い。しかし言葉に対する感覚が人によって違っていても不思議ではないので、これがそれぞれ違った唄い方を生むことになりそうである。

「夜開花」の原作者の演奏テープが残っているそうである。それを聴けば譜との対応がはっきりすると思うが、今のところは教わったことを基本に据えながらも譜をもとに演奏を工夫するしかなさそうである。この旨を先生に申し上げ、ことさら先生の演奏を鵜呑みにしないことにした。江戸時代、明治時代に作られた曲についても、原作者に夢の中で出会った時に「おぬし、やるな」と云っていただけるような演奏を目指したいと思っている。



一弦琴「夜開花」久しぶりの演奏

2008-08-17 12:13:42 | 一弦琴
              山田一紫作詞作譜

  夕やみの むらさき 重き 垣づたい
  あやしく白き 花ひらく
  一夜のいのち 闇のしじまに 誰をまつらん
  見あぐれば なかぞら高く 夏の月

「夜開花」を習い始めたのは二年前のことである。その時には期間限定ネット演奏なんて勿体をつけて公開したが、今から振り返ってみると、この時が一弦琴演奏の最初のネット上公開だったので、それなりの躊躇があったのだろう。

この曲は季節は夏なので、すでに季節は盛りは過ぎたが久しぶりに唄ってみた。前回の録音は残っているのでそれを参考にしたが、自分なりの工夫を加えてみた。お師匠さんにもお浚いをみていただき、さらに磨きをかけたいと思っている。

原譜には一九六八年ハワイにて、とあるのでこの月はハワイの月なのだろうが、一弦琴に素直に納まっているのがよい。私の好きな曲である。